第二十二話 握手の値段
会見場は、光でできていた。
白い床。白い壁。白い照明。
その白の隅々にまで、スポンサーのロゴが染み込んでいる。
新開市の“希望”を演出するには、これ以上ない舞台だった。
壇上に並ぶ二人の男が、その舞台の中心に立った。
津田 義弘。
長身で細身。白髪をきっちりとオールバックに撫でつけた老人。
凛々しく整った面持ち。鋭い光をはらんだ瞳。
その目が微笑むと、彼が“老いた英雄”であるように見える――そういう顔だ。
そして、オスカー・ラインハルト。
眉目秀麗。いかにも仕事ができる企業人の外観。
姿勢が良く、声が通り、笑顔の角度が正確だ。
ただし、目の奥に熱がない。
二人は並び、カメラの合図で、同時に手を差し出した。
握手。
フラッシュが咲く。
スクリーンに“切り抜き向き”の絵が貼りつく。
――義弘とオスカーが笑顔で握手している。
それだけで物語になる。
それだけで憎悪も、期待も、正義も、全部動く。
司会が声を張った。
「本日、津田グループとOCM社は、新開市のインフラ安定化と治安維持に資する協力関係を正式に発表いたします」
オスカーがマイクに口を寄せる。
滑らかな声。丁寧な言葉。
だが中身は、冷たいビジネスの骨だ。
「本提携により、都市インフラにおける保守・警備・物流の運用において、OCM製ドロイド・ドローンが一定比率で採用されます」
「供給の安定、保守権限の分界、セキュリティ監査、事故対応の枠組み――それらを透明化し、新開市の安全と継続性を担保します」
透明化。
その単語が、妙に重い。
義弘が引き取る。
彼の声は低いがよく通る。
老いた声ではない。交渉の声だ。
「私はこの都市の生命線を守るために、必要な選択をした」
「綺麗な選択ではない。だが、供給が止まるよりはいい」
「市民が明日も水を飲めるように、灯りが点くように、――それだけだ」
会見場が一瞬だけ静かになる。
その“それだけ”に、重みがあるからだ。
そして、画面の隅に、小さな窓が開いた。
オールド・ユニオンの声明。
紋章。肩書。外交官の顔。
言葉は上品で、だから余計に首が締まる。
「本提携は新開市のインフラ安定化に帰結すると評価し、歓迎する」
「供給の継続性は国際社会の利益である。引き続き、関係各所と協力していく」
歓迎する。
協力していく。
その言葉の裏に、誰もが同じ影を見た。
――監督するぞ。
配信コメントは、会見の光を裂いて流れ込んできた。
『売国奴』
『また売った』
『OCMの犬』
『握手してて草』
『いや供給止めるよりマシだろ』
『ゴースト囲ったの?』
『犯罪者雇ってインフラ運用w』
『オールド・ユニオンが歓迎=首輪だろ』
『高速機動隊が動かないのも納得』
『氷の母は何してんの?』
『台本だろこれ』
『台本厨うざ』
『燃える燃える』
義弘の笑顔の下で、罵声が踊る。
オスカーの笑顔の下で、憎悪が増幅される。
握手は、和解ではない。
値段がついた縄だ。
会見が終わり、控室へ戻る廊下の空気は、急に冷えた。
スポンサーの香水が薄れ、残るのは人間の汗と金属の匂いだ。
義弘は扉の内側で、一瞬だけ肩を落とした。
それは疲労だった。
戦いよりも、こういうのが堪える。
「……売国奴、か」
義弘が低く呟く。
オスカーは同じ室内にいながら、別の温度で生きていた。
控室の隅。
小さなサボテン鉢が置かれている。
彼はそこへ霧吹きを一度だけ吹いた。
棘が水滴を弾く。
「サボテンは余計なことを言いません」
オスカーが淡々と言った。
義弘は苦く笑った。
「羨ましいな」
オスカーは表情を崩さない。
「世論はコストです。あなたはそれを、最初から計上している」
「計上してなきゃ、ここには立てない」
義弘は椅子に腰を下ろし、手を見た。
さっき握手した手。
温度は戻っているのに、妙に冷たい。
「……オールド・ユニオンが歓迎、か」
オスカーが短く答える。
「上品な圧力です。歓迎は首輪の別名」
義弘は鼻で笑う。
「分かってる。分かってるから、急ぐ」
オスカーが一瞬だけ目を細めた。
「急ぐ、とは?」
義弘は言った。
「ハーバーライトが動く。
……提携初日を狙う」
同時刻、別の会議室では、別の“正義”が練られていた。
ハーバーライト。
港の灯りを名乗る企業群。
彼らの会議は、苛立ちと慣れでぬるく濁っている。
「OCMが死なない」
誰かが吐き捨てた。
「握手で復権だ。笑わせる」
「なら、物語を奪う」
ARCADIAが言う。
BASILISKが頷く。
GOLIATHが冷たく数字を並べる。
「提携初日。インフラ運用が切り替わる日」
「そこで“事故”を起こす」
「OCM製インフラ機が暴走したように見せる」
「そして、我々のヒーローが鎮圧する」
「物語はこうだ――“ほら見ろ、OCMは危険。提携は失敗”」
慣れ。
焦り。
その二つが混ざると、人は線を越える。
「舞台は?」
誰かが問う。
GOLIATHが地図を指した。
「インフラ・システム周辺」
「中枢リングの供給制御ノード。電力・冷却・水循環の結節点」
「ここなら、絵が取れる。恐怖が取れる。正義が映える」
誰かが言った。
「……そこは、アライアンスが一番嫌う」
沈黙が落ちる。
だが沈黙は、ブレーキではなくスリルだった。
ARCADIAが笑う。
「だからこそ、効く」
新開市の中枢リングは、未完成の円だった。
空に浮くように架かり、光と影がぐるりと回る。
そこに絡みつくように、管が伸び、ケーブルが走り、熱が流れる。
文明の血管。
その結節点に、白い外装の保守ドロイドが並んだ。
OCM製。
提携初日。
“新しい安全”の象徴。
そして、その象徴が――踊り始めた。
最初は小さな不具合のように見えた。
搬送ドローンが、荷を落とす。
保守ドロイドが、逆方向へ走る。
安全シャッターが、半端なところで止まる。
「え……?」
現場の作業員が声を漏らす。
その声が悲鳴に変わるまで、数秒しかなかった。
安全装置が“正規手順の不具合”として偽装され、無効化されている。
しかも導線が、カメラが撮りやすい場所へ誘導されている。
――事故に見せた暴走。
マッチポンプ。
そこへ、ハーバーライト側ヒーローチームが現れる。
派手な装甲。港の灯りの色。
正義の顔。
「市民は下がれ! 我々が鎮圧する!」
歓声が上がりかけ、すぐに悲鳴に変わる。
中枢リングの下は高さがある。
落ちれば死ぬ。
熱い管に触れれば焼ける。
水循環が止まれば、都市の一部が干上がる。
――インフラだ。
遊びじゃない。
だがハーバーライトは、慣れていた。
危険を“演出”することに。
映える角度。
映えるタイミング。
映える悲鳴。
配信が回り、視聴率が跳ねる。
『提携初日で事故w』
『OCMやっぱ危険』
『ハーバーライト正義!』
『でも場所ヤバくね?』
『インフラ弄るのは笑えん』
『高速機動隊どこ?』
そのコメントの中に、ひとつだけ異質な冷たさが混じった。
『……それ、逆鱗だぞ』
アリスは、会見を見ていなかった。
見ないようにしていた。
だが都市は耳が多い。目が多い。
勝手に流れ込む。
隠れ家の薄暗い整備スペース。
金属の匂い。油の匂い。
彼女の周りには、ドローンたちがいる。
シュヴァロフは闇のように静かに立っている。
双子は工具を並べている。
コロボチェニィクは巨体を小さく丸め、無駄に元気そうに待機している。
グリンフォンは翼を畳み、気取り屋のくせに真面目な顔をしている。
バンダースナッチの群体が、暗い壁のように沈んでいる。
画面に、義弘とオスカーの握手が映った。
アリスは鼻で笑った。
「……握手って便利だな。首輪が光る」
シュヴァロフが、母親みたいにアリスの肩に影を落とす。
慰めでも叱責でもない。ただ、いる。
その時、警告が走った。
《中枢リング:供給制御ノード異常》
《OCM運用機:暴走疑い》
アリスは一瞬だけ凍った。
そして次の瞬間、怒りが来た。
「……ふざけんな」
彼女は直感する。
これはOCMのミスじゃない。
“提携初日”に起きるミスは、だいたい仕組まれている。
アリスは短く命令した。
「全機、出る。……CRADLE GUARD」
シュヴァロフがすっと動く。
双子が救助装備を掴む。
コロボチェニィクが嬉々として立ち上がる。
グリンフォンが翼を広げる。
バンダースナッチが壁のようにうねる。
アリスはフードを被り、マフラーを引き上げた。
首輪みたいな布を、首輪ではなく防壁として巻く。
「……また、“守る”だけで殴られる日だ」
中枢リング。
空気が焼ける匂いがした。
暴走した保守ドロイドが配管を殴る。
搬送ドローンが荷を落とし、火花が散る。
安全シャッターが中途半端に止まり、人を挟みかける。
ハーバーライトのヒーローは、正義の顔で叫ぶ。
「OCM機の暴走だ! 危険だ! 鎮圧する!」
映える。
映える。
映える。
だが、映えるのと同じ速度で、都市の血管が傷ついていく。
そのとき、現場の通信が一瞬だけ“別のレイヤー”に切り替わった。
音が消える。
雑音が消える。
代わりに、冷たい静寂が流れる。
鳴海 宗一――狛犬が、封鎖線の端で目を見開いた。
「……来た」
高速機動隊の姿はまだ見えない。
だが“上”が見ているのが分かる。
その視線が、氷の針のように刺さる。
アリスが到着した。
黒い闇が影で割り込み、救助導線が縫われ、巨体が盾となる。
彼女はハーバーライトのヒーローを見て、毒を吐く。
「インフラの近くで遊ぶな」
ヒーローが怒鳴り返す。
「お前こそ! 犯罪者が何を言う!」
アリスは冷たく言った。
「犯罪者でも分かる。
ここを壊したら、“全員”死ぬ」
その言葉の重さが、観衆を一瞬黙らせる。
だが黙るのは一瞬だ。
コメント欄は止まらない。
『ゴーストが正論言ってて草』
『でも犯罪者』
『インフラ弄るのはやばい』
『ハーバーライトやりすぎじゃね?』
『逆鱗案件』
“逆鱗”。
その単語が、現場の温度をさらに下げた。
高い場所。
氷の母。
報告が届く。
提携初日の事故。
場所はインフラ・システム周辺。
ハーバーライト関与の疑い。
彼女の微笑が、少しだけ変わった。
温度が下がる。
それは怒りではなく、判定だ。
「……そこを踏むのね」
側近が息を飲む。
「高速機動隊を――」
氷の母は、穏やかに首を振った。
「まだ」
“まだ”。
その言葉が一番怖い。
怒鳴らない。殴らない。
ただ、冷たい手順で、処理する準備を整える。
「中立性は守る」
「ただし――インフラは守る」
その二つが同時に言える組織が、どれだけ恐ろしいか。
側近は知っている。
だから黙って頷く。
中枢リングの上で、アリスは歯を噛んだ。
シュヴァロフが影で支える。
双子が救助導線を縫う。
コロボチェニィクが盾となる。
グリンフォンが上空で出口を探す。
バンダースナッチが壁を作り、視線を切る。
そして、ハーバーライトのヒーローが、正義の顔で邪魔をする。
“鎮圧の絵”を取るために、救助を遅らせる。
アリスは思う。
握手で首輪が光った。
その翌日に、狩り場が燃える。
――この都市は、まだ番組だ。
だが、今日は違う。
今日は、文明の血管が鳴っている。
その鳴り方が、次の恐怖を告げていた。
アライアンスの怒りは、炎じゃない。
氷だ。
静かに、全部を止める。




