第217話 ご奉仕と中立
勝った。
だが、勝っただけでは好かれない。
外注プロが逮捕され、猟犬の網が獲物を捕まえ、療養施設への三度目の強行突入も止まった。
NECROテック人権団体は“守り切った”。
それでも新開市の空気には、薄い煤が残っていた。
「NECROは胡散臭い」
「裏で何かやってる」
「オスカーが絡んでる」
「アリスは危険」
声は小さくなった。
だが消えない。
疑いは“匂い”として残る。
療養施設の共用スペースで、子どもが小さく聞いた。
「……ねえ、まだ私たち悪いの?」
アリスは一瞬、言葉を探し――すぐに毒で誤魔化した。
「悪いならこんなに面倒なことになってない。
悪いやつはもっと器用にやる」
子どもはきょとんとした。
玲音が横で苦笑し、優しく言い直す。
「悪くないよ。
ただ……怖がる人がいるんだ。怖がる人は、知らないから怖い」
“知らないから怖い”。
それが一番厄介だ。
知らないものは、想像で殴られる。
アリスは舌打ちした。
「だからって、いちいち好かれに行く必要ある?」
玲音が答える。
「必要はない。でも、行けるなら行った方がいい。
“守る”のは、好かれるより先に疲れるから」
アリスは返事をしなかった。
返事の代わりに、端末をいじっていた。
未送信の証拠が、奥に眠っている。
押せば、線は引ける。
押せば、誰かが燃える。
だから押さない。
いまは。
その日の夕方。
療養施設にオスカー・ラインハルトが現れた。
OCM本社で海外部門の後始末に追われているはずの男が、眉一つ動かさずに資料の束を抱えている。
表情はいつも通り、企業人風の整い方だ。
趣味がサボテンだと知っている者だけが、その整い方の異常さに気づく。
オスカーはアリスの前に座り、淡々と言った。
「君たちのイメージが悪い。改善が必要だ」
アリスは即答した。
「殴るぞ」
オスカーは微笑まない。
「殴るのは後にしてくれ。企画がある」
机に資料が置かれる。
タイトルが太字で踊っていた。
『NECROテック患者・人権団体 イメージアップ施策案』
『新開市 市民参加型体験イベント』
アリスの瞳がすっと細くなる。
「……お前、忙しいんじゃないの?」
「忙しいからこそ、先に仕掛ける」
オスカーの声は淡々としていた。
「疑いは放置すると燃える。
燃えれば、次に君たちが焼かれる。私はそれを望まない」
アリスは資料をめくり、数行読んだ瞬間に、指が端末に伸びた。
——送信。
未送信の証拠の送信ボタンが、指先に幻みたいに浮かぶ。
押せば、すべて終わる。
押せば、オスカーの“首”は現実になる。
アリスは歯を食いしばり、指を引っ込めた。
「……お前、頭おかしい」
オスカーは事務的に返す。
「新開市向けだ。合理的だ」
資料の中身は、合理的というには新開市的すぎた。
期間限定の体験型イベント。
治安導線とインフラ協力をテーマにした“市民参加”。
そして——
最後のページに、でかでかと書かれていた。
『メイド・執事カフェ形式(親しみやすさ重視)』
アリスは資料を閉じ、静かに言った。
「……今すぐ首を持っていってもいい?」
オスカーは首を傾げる。
「話が早いな」
「早くない。遅い。
お前、私を何だと思ってる」
「兄弟姉妹だ」
さらっと言う。
さらっと言うから腹が立つ。
アリスの口が悪くなる。
「兄弟姉妹をメイドにするな」
オスカーは一拍置いて、淡々と答えた。
「嫌なら別案もある。だが新開市は“分かりやすい絵”に弱い。
怖いNECROより、可愛いNECROの方が早い」
アリスが呻く。
「……はぁ?」
玲音が横で、静かに言った。
「……効果は、あるかも」
アリスが睨む。
「お前まで裏切るな」
「裏切ってない。橋だ。
橋は、渡る人に合わせて形を変える」
オスカーが資料を指で叩く。
「列は制御できる。
整理券、時間枠、撮影エリア、救護導線。
“映え”を食わせるなら、噛まれない形で食わせる」
新開市向け。
最悪に、理にかなっている。
アリスは目を閉じて、深く息を吐いた。
「……最悪だ」
オスカーは平然と言う。
「最善だ」
その言い方がムカつく。
だからアリスは毒で返す。
「お前の最善は大体最悪なんだよ」
一方その頃。
義弘は“白い制服”として新開市のインフラ警邏に出ていた。
アライアンス所属。
中立の象徴。
純白のサムライ・スーツ。
さらに驚くべきことに、義弘の下には高速機動隊が編入されていた。
F.QRE.D.QVEの派遣枠。
インフラ警邏と中立性アピール。
道路、救護、保護区域の巡回。
整然としている。
新開市では珍しいほど整然としている。
義弘は白い装甲の中で、呼吸を整えながら歩いた。
街はまだ騒がしい。
だが“線”は引ける。
トミーもなぜか同行を許されていた。
耳を立て、白い義弘を見上げてぼそっと言う。
「お前、マジで制服になったな」
「中立に従ったからな」
「従うって言葉、まだ気持ち悪い」
「俺もだ」
白い二人(片方はウサギだが)が歩く。
そして義弘は、とんでもないものを目にする。
交差点の先。
妙に整った列。
整理券。
時間枠。
撮影エリアのテープ。
救護導線を示す矢印まである。
そして、看板。
『NECROテック・メイド&執事カフェ(期間限定)』
義弘は白いまま固まった。
「……は?」
トミーも固まる。
「……は?」
店先のポスターには、顔写真が載っている。
メイド姿のアリス。
——なぜかメイド姿の玲音。
執事姿のモルテ。
(モルテだけは妙に似合っているのが腹立つ)
義弘の喉が鳴る。
「……何だ、これは」
トミーが低い声で言う。
「お前の街だよ」
義弘が絞り出す。
「俺の街は、もう少し節度があったはずだ」
「節度があったら新開市じゃない」
トミーの毒舌が、妙に正しい。
店の前は、すでにお祭りだった。
《アリスメイド!?》
《玲音も!?》
《モルテ執事強すぎ》
《並ぶしかない》
《整理券あるの偉い》
《導線ガチで草》
《これが“制御された映え”か》
市民が沸く。
列が生まれる。
だが列は暴走しない。
整理されている。
時間で切られている。
救護導線が空いている。
撮影もエリアが決まっている。
“列を守りに使い始めた街”が、今度は“列を楽しむために整える”段階に来ていた。
義弘は目を細める。
「……これは、効く」
トミーが鼻で笑う。
「効くに決まってる。
新開市民は“難しい正義”より“分かりやすい可愛い”に弱い」
「ひどい言い方だな」
「事実だろ」
義弘は否定できなかった。
店の奥から、アリスの声が聞こえた。
口が悪いまま、しかしどこか滑らかに“運用”されている声。
「はいはい、撮るならこっち。
触るな。押すな。走るな。
……ご主人様、って呼ばれたいの? 変態?」
列が笑う。
笑いは暴走しにくい。
怒りより制御しやすい。
玲音の声も続く。
メイド姿なのに、妙に真面目。
「整理券をお持ちの方からです。
救護導線は空けてください。
“中立に従う”——今日はそれでお願いします」
義弘は白い装甲の中で、複雑な顔をした。
守るための中立が、
笑うための中立に変換されている。
トミーが義弘を見上げて言う。
「ほら。
お前が白くなっても、街は勝手に色を足す」
義弘は小さく笑った。
「……それが新開市だ」
そして義弘は、列を見た。
列が“事故”ではなく“運用”になっている。
その光景に、新開市が少しだけ前へ進んだ気配があった。
ただし同時に、アリスの端末の奥には、まだ“送信されていない刃”が眠っている。
笑いの裏には、いつでも血が戻る。
新開市は今日も、軽さと重さを同じ手で持っていた。




