第215話 猟犬
新開市に狼はいない。
だが、鍛え抜かれた猟犬ならいる。
過去のトラブルが、新開市民をトラブルに強い民衆へと変えていた。
列。導線。煙幕。ジャミング。暴走ドローン。偏向切り抜き。
全部、一度は噛まれた。
噛まれた者は、噛まれ方を覚える。
新開市全体の目的が一致したとき、その猟犬は驚くほど賢く動く。
目撃証言。
地図共有。
配信。
現場の足。
治安機関への通報。
そして“余計なことをしない”という経験則。
誰かが言った。
「犯人を追い詰めろ。押し合いじゃなくて、追い詰めろ」
その言葉が合図になった。
煙幕誤射の「匂い」を残した外注プロは、刻一刻と追い詰められていった。
どこで車を止めたか。
どの方向へ走ったか。
誰が見たか。
どの路地が詰まっているか。
どの出入口が開いているか。
新開市民のスマホの光点が、街の上で一つの網を作る。
網は、じわじわと狭まる。
外注プロは焦った。
元急進派に連絡を入れても返事は薄い。
「保護する」という約束は、いつだって遅い。
導線屋残党も、別の勢力も、“自分の仕業と思われたくない”から犯人探しに混ざってくる。
追い詰められた者が切る札は、最悪だ。
外注プロはやぶれかぶれになった。
ありったけの煙幕。
ありったけのジャミング。
暴走ドロイド。
流言飛語。
偏向素材。
混線を最大化し、誰が犯人か分からなくする。
逃げるために街を燃やす。
だが混線が最大化すると、燃えるのは敵だけではない。
味方の戦術も崩れる。
外注プロが撒いた煙は、無差別だった。
外注プロが撒いた遅延は、味方の回線にも刺さる。
そしてその煙の中を、別の影が進んでいた。
療養施設へ向けて、WEREWOLF部隊が迫っていた。
三度目の強行突入。
海外部門上層が押し切った判断。
ヴェラは断固として反対した。だが命令は命令だ。
彼女は従いながら、縛りをかけた。
火力制限。
施設破壊禁止。
負傷者を出すな。
報道が燃えている。アライアンス所属の義弘がいる。
その縛りは、部隊を“強いが鈍い”ものにした。
WEREWOLFは本来、狩りのための装備だ。
だが狩りには踏み切れない。
踏み切れない狼は、止まる。
止まる狼に、猟犬は噛みつく。
煙に紛れていたのは、WEREWOLFだけではなかった。
療養施設前に、白い影が立っていた。
純白のサムライ・スーツ。
汚れが少し増えた白。
それでも白は白だった。
津田義弘。
白は眩しい。
煙の中で逆に目立つ。
目立つからこそ、“撃てない”。
義弘の背後には、いくつもの線があった。
KOMAINUの救護導線。
施設側の退避導線。
スマホライトの列――市民の視線。
そして、ミコトが作った“運用の線”。
撃てば、政治コストが爆発する。
突っ込めば、映像が残る。
映像が残れば、海外部門が噛まれる。
ヴェラは煙の向こうから義弘を見て、静かに言った。
「貴方は中立に属していると伺いましたが」
義弘は返す。声は落ち着いていた。
「中立だ。だからお前たちは何事もなく立ち去っていい」
言葉は柔らかい。
だが、それは命令だった。
ヴェラのWEREWOLFが一歩だけ前に出る。
威圧ではない。位置取りだ。
「我々は資産管理の手続きに従っている」
「中立に従え」
義弘は繰り返した。
しばらくの対峙。
煙が薄くなる。
そして、その薄さが逆に現場を焦らせる。
WEREWOLF僚機の一体が、じれた。
突破しようとする。
義弘の横を抜け、施設の喉へ滑り込む。
——その瞬間。
白い義弘が動いた。
膝アシストが、痛みを“動ける痛み”へ変えている。
義弘の身体は、久しぶりに迷いなく通路を切る。
斬るのではない。
壊すのでもない。
“機能を止める”。
先頭のWEREWOLFの関節、アクチュエータ部に一閃。
装甲の継ぎ目を狙い、駆動を落とす。
WEREWOLFは膝をつくように沈み、止まった。
次に、低く走るPANTHERが脇を抜けようとする。
義弘は刃を返し、走行系のラインへ斜めに入れる。
車体の“首”ではない。
慣性を殺すための線を切る。
PANTHERは滑り、壁に当たり、動きが乱れる。
その乱れを、義弘は見逃さない。
返す刀で二体目のPANTHERへ。
こちらも“止める”位置を切断し、連鎖で転がす。
二体のPANTHERは、殺されたのではなく“止まった”。
それが義弘の中立の戦い方だった。
動揺したWEREWOLFが一瞬、動きを止める。
その止まった瞬間を、義弘は通り抜ける。
駆け抜けざまに、視界ユニット外装を割り、視認を奪う。
WEREWOLFは方向を失って沈む。
白い影は、煙の中を一直線に進み、ヴェラの前へ立った。
ヴェラはプロだった。
義弘を倒すことが目的ではない。
義弘を排除せず、通ることが目的だ。
だが義弘は導線そのものになって通さない。
導線を守るために、白は斬る。
数合。
刃が鳴る。
装甲が擦れる。
ヴェラのWEREWOLFは無駄がなく、義弘の刃を受け流し、押し込む角度を探す。
義弘は押し返さない。
押し返さず、受けを作り、次の線を切る。
白いスーツの関節が滑らかだ。
膝アシストが体重移動を支え、義弘の古い癖を補正する。
義弘の“往年の動き”が、純白の中で蘇る。
義弘の刃が一瞬だけ真っ直ぐ走った。
ヴェラの正面装甲――カメラと火器の外装を割る。
視界が乱れ、WEREWOLFの動きが止まる。
止まった瞬間、ヴェラは理解した。
ここで続ければ、目的外の被害が増える。
報道は確定する。
企業価値毀損は回復不能になる。
そして何より、中立の象徴を“殴った絵”が残る。
プロとして、止めるべきだ。
ヴェラは機体を停止し、ゆっくりと両手を上げた。
「……降伏します」
その言葉が、煙の中で異様に響いた。
義弘の目が揺れる。
彼はそれを知っている。
降伏は、最も強い時間稼ぎであり、最も重い選択だ。
義弘自身が選んだ。
だから義弘は、刃を下げなかった。
だが、刃先を向け直しもしなかった。
「動くな。
——中立に従え」
義弘の声は低い。
命令は一つ。
中立に従え。
遠くでサイレンが増えた。
KOMAINUが到着し、救護班が走り、ミコトの指示が飛ぶ。
市民のライトがさらに増え、煙の中の出来事が“映像”として固まる。
外注プロは逃げ場を失う。
猟犬の網が狭まり続ける。
そしてOCM本社では、きっとまた別の戦争が音もなく進む。
だがこの瞬間、療養施設前の導線だけは、白が守った。
新開市に狼はいない。
だが猟犬はいる。
そして白いサムライは、その猟犬たちが噛みつく前に、噛む場所を“導線”へ変えてみせた。




