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第210話 中立の代償

 新開市は、揺れていた。


 揺らしている者がいた。

 元急進派が雇った“プロ”たちだ。


 報道のプロは、センセーショナルな見出しを切る。

 義弘、アリス、オスカー、ミコト。

 全員を一枚の絵に押し込み、善悪の色を塗る。


 騒乱のプロは、SNSへ噂と陰謀論と誤情報を撒きに撒く。

 “王国”。“隠し資産”。“裏の治療”。“資材横流し”。

 燃える言葉を、燃えやすい場所へ投げる。


 市民活動のプロは、デモを煽る。

 プラカードの文言を揃え、声の節を作り、導線を詰まらせる。


 街は、言葉で殴られていた。


 そしてその圧力の中心で、新市長・刀禰ミコトの会見が準備されていた。


 市庁舎の会見室は、異様に明るかった。


 ライト。カメラ。マイク。

 質問者の目は、すでに答えより絵を欲しがっている。


 真鍋がミコトへ、最後の確認をする。


「市長。切り抜きには反応しない。時系列と記録で線を引く。

 質問は整理。個別の断罪には乗らない」


 ミコトは頷いた。


「分かってる。

 “正義の気分”で答えた瞬間に負ける」


 会見が始まる。

 マイクが点く。


 ミコトは一礼し、真っ直ぐ前を見た。


「本日は、新開市療養施設をめぐる状況と、市としての対応について説明します」


 記者の手が上がる。

 いきなり刃が飛ぶ。


「元市長が企業の敷地内で“確保”されました。権限逸脱では?」

「OCMの軍事行動では?」

「あなたは何もできないのですか?」

「オスカー氏と市長の関係は?」

「NECROテック人権団体は“隠し資産”ですか?」


 ミコトは息を吸い、吐いた。

 怒りは感じる。

 だが怒りを見せない。


「順にお答えします。まず、事実の時系列を示します」


 背後のモニタに、真鍋が用意した時系列が映る。

 届け出。条件提示。点検。遅延。強制執行の宣言。

 市の対応。施設側の対応。

 公開できる範囲だけ。だが、線が見える。


「療養施設に対する監査要求は、市として“拒否”していません。

 医療安全と改竄防止のため、条件付き受け入れを提示しています。

 ——これはあらゆる団体に同じ基準です」


 「同じ基準」。

 それがミコトの中立の言葉だった。


「デモの自由は守ります。

 しかし導線と医療導線、保護区域は守ります。

 この線を越えて事故が起きれば、それは主張ではなく被害になります」


 記者が食い下がる。


「元市長は?」


 ミコトは視線を逸らさない。


「元市長・義弘氏の件は、現在“安全確保”の名目で移送されたと把握しています。

 市としては、本人の医療安全と、手続きの透明性を同時に求めています。

 ——違法かどうかの断定は、記録と手順の検証が必要です」


 断罪しない。

 だが黙らない。

 線だけを引く。


 最後にミコトは、言葉の矛先を世論へ向けた。


「新開市の中立は、“誰も信じないこと”ではありません。

 “誰に対しても同じ手順で接すること”です。

 疑いが燃えやすい時ほど、記録と手順が必要です」


 会見室が一瞬静まる。

 その静まりの中にも、次の質問を探す目が動く。


 ミコトはその目を受け止め、静かに言い切った。


「私は、絵ではなく線で守ります」



 一方その頃。


 ヴェラに“安全確保”されている義弘は、白い部屋にいた。


 丁寧な椅子。

 丁寧な水。

 丁寧な監視。


 トミーが同席を許され、耳を伏せている。


「丁寧に閉じ込めて、丁寧に胃を痛くしてくれるな」


 義弘は苦笑した。


「胃薬は?」


「ない。あったら俺が飲む」


 その時、扉がノックされた。


 入ってきたのは、OCMの法務でもヴェラでもない。

 空気が変わる。

 部屋の“丁寧さ”が、別の種類の丁寧さに上書きされる。


 アライアンスの使節だった。


 黒いコート。無表情。

 だが、声は礼儀正しい。


「元市長、義弘殿」


 義弘は眉を寄せる。


「……ここまで来るほどのことか」


 使節は淡々と答えた。


「あなたが“ここにいる”ことが、すでにそのほどのことです」


 椅子に座るでもなく、使節は一歩だけ前へ出て言った。


「提案があります。

 あなたがアライアンスに属し、真の意味で中立となるなら——我々はあなたの身柄を引き取ります」


 空気が止まる。


 トミーの耳がぴんと立つ。


「……所属、だと」


 使節は続ける。


「あなたは今、企業の敷地で“安全確保”されている。

 あなたの中立は、理念としては強い。

 だが制度としては脆い。

 所属すれば守れる。守れば、街の中立も守れる」


 義弘は静かに聞いていた。

 怒鳴らない。

 驚きを顔に出しすぎない。

 しかし心臓の奥が重くなる。


「俺が属したら、新開市はどこにも属さない中立を捨てることになる」


 義弘が言う。


 使節は首を振った。


「あなた個人が属するだけです。

 我々はあなたを“武器”として扱わない。制度として扱う」


 その言い方が、刺さった。

 武器ではなく制度。

 守るための檻。

 中立のための所属。


 義弘は短く息を吐いた。


「……返事は?」


「明朝までで構いません」


 使節はそれだけ言って、部屋を出ていった。


 トミーが義弘を見る。


「どうする」


 義弘は天井を見上げた。

 白い天井は、いつもより遠い。


「中立を守るために、所属する……か」


 呟きは、答えではなかった。

 問いが増えただけだった。



 場面は変わる。


 療養施設の奥、臨時の作業スペースで。

 アリスは端末を睨み、置き土産資料の出どころを追っていた。


 海外部門が撒いた“疑い”。

 匿名の断片。

 都合の良い一致。

 燃えやすい匂い。


 アリスはそれを、狼のよだれだと思っていた。

 だが、深く追るほどに、混じっているものがある。


 よだれではない。

 骨だ。


 アリスの指が止まった。


「……は?」


 画面の中に、見覚えのある断片が出た。


 VX-14 “ELEPHANT” 由来の構造識別コードの断片。

 運用枠の内部認証の断片。

 社内の手続き番号の断片。


 どれも完全な証拠ではない。

 しかし“証拠を隠滅したはずの男”が、消しきれなかった匂いだ。


 アリスの背筋が冷えた。


 オスカーが横流しをした。

 導線屋と繋がった。

 その“種”が、ここに残っている。


 玲音が隣で息を呑む。


「……それ、マジ?」


「マジ」


 アリスは短く答えた。

 声が硬い。


「海外部門の置き土産ってより、埋まってた骨が掘り返された感じ」


 エージェントの一人が慎重に言う。


「これを……治安機関に?」


 アリスの手が、端末の縁を強く握った。


 治安機関に渡せば、オスカーの首は締まる。

 再調査は加速する。

 オスカーの帰還は遠のくかもしれない。


 だが渡さなければ——


 NECROテック人権団体は、ずっと疑われる。

 兄弟姉妹の子どもたちは、“悪いの?”と怯え続ける。

 ミコトの会見で引いた線も、噂の火に焼かれ続ける。


 アリスの胸に、嫌な思いが襲った。


 これを出せば、私たちは中立だと宣言できるかもしれない。

 オスカーとは関係ない、と言えるかもしれない。


 だがその宣言は、兄弟姉妹の旗を刺す。


 アリスは舌打ちした。


「……クソ」


 玲音が小さく言う。


「アリス。決めるなら、僕も一緒に説明する。

 君一人に背負わせない」


 アリスは睨む。


「背負わせないとか、格好つけんな。

 ……でも、嫌いじゃない」


 言葉が漏れた瞬間、アリスは自分で眉をひそめた。

 余計なことを言った、と顔に出る。


 アリスは端末を閉じかけて、もう一度開いた。


 断片を見つめる。


 種。

 種は、植えれば芽が出る。

 芽が出れば、誰かが燃える。


 アリスは、まだ送信しなかった。


 ただ、送信先の候補を並べた。


 真鍋。

 鳴海。

 ミコト。

 ——そして治安機関。


 その指が、送信ボタンの上で止まる。


 中立の代償は、いつだって“誰かを差し出すこと”に似ていた。


 義弘は所属を差し出すかもしれない。

 ミコトは手順を差し出す。

 アリスは——兄弟姉妹の旗を差し出すのか。


 療養施設の機器音が、規則正しく鳴っていた。

 その音が、アリスの背中を押すでもなく、止めるでもなく、ただ時間だけを刻んでいた。

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