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第208話 降伏

 ヴェラ・クラウスは、滑るように侵入した。


 強制執行という名の強襲。

 だがやり方は、突撃ではない。

 騒がず、壊さず、撃たずに進む。


 WEREWOLFの足音は重い。

 重いのに、施設の床に合わせて歩幅が調整されている。

 角で止まらない。

 扉の前で迷わない。

 通路の幅に合わせて隊形を変える。


 施設という“喉”を、喉として扱う。

 そこにいるのは、戦場の恐怖を知っている者たちだった。


 上空のEAGLEが、通信を“切断ではなく遅延”に落とす。

 半拍。

 半拍ずれる。

 連絡が届く前に、影が移動している。


 PANTHERが裏導線を押さえ、抜け道を塞ぐ。

 逃げ道ではない。情報の逃げ道だ。

 「どこで何が起きているか」が施設内で共有される前に、分断される。


 ヴェラはその中心にいて、静かに前へ出た。


「安全確保のため、強制執行に移行します。抵抗は医療安全を毀損します」


 丁寧で冷たい声が、玄関ホールに響く。

 言葉は正しい顔をしている。

 だからこそ、刃だ。


 義弘たちは“勝つ”ために動いていなかった。

 “時間を稼ぐ”ために動いていた。


 外の報道各社が、この強襲に気づくまで。

 固定の中継車が起動し、ヘリが回り、現場が「戦場」になりかけていると分かるまで。

 最短で数分。長くて十数分。


 その数分が、命綱だった。


 義弘は膝の固定具を気にする暇もなく、廊下の節に立った。


「戦うな。止めろ。

 勝とうとするな。通路を守れ。

 外の目がこちらの“正当性”になるまで耐えろ」


 玲音がサムライスーツの起動音を鳴らしながら、短く頷く。


「了解」


 アリスは端末を握ったまま、歯を食いしばって言う。


「遅延、うざい。……でも取る。ログは取る。全部」


 エージェントたちは節に散り、制圧の角度で動いた。

 暴れない。

 倒れない。

 通さない。


 それだけで勝てる相手ではない。

 しかし、時間は稼げる。


 ——稼げるはずだった。


 ヴェラは“稼ぎ”を嫌う。


 戦場では、時間稼ぎは最も厄介だ。

 だから彼女は、時間稼ぎの中心を叩く。


 施設内の動きが、瞬時に変わった。

 WEREWOLFの僚機が、節を無理に破らない。

 節を迂回し、別の喉から中枢へ滑る。


 廊下の角を抜けた先で、玲音の目が見開かれた。


「……抜けた」


 ヴェラが、もう“中”にいる。


 玲音は前へ出た。

 サムライスーツの刃を構え、施設の奥へ向かう“通路”そのものになる。


 そこへ、シュヴァロフが滑り込んだ。

 床を蹴るような加速。

 玲音の横で低く構え、PANTHERの影を睨む。


 シュヴァロフは、戦うより先に“止める”動きができる。

 義弘の家事をするように、地味に、しかし確実に。


 玲音が短く言う。


「助かる」


 シュヴァロフは返事をしない。

 返事の代わりに、鋼の体で通路を塞ぐ。


 ヴェラが現れた。


 WEREWOLFの装甲は、施設の蛍光灯を鈍く反射する。

 その中にいる目は、静かだ。

 恐怖と緊張を、むしろ呼吸に変える目。


「橋は、ここですか」


 ヴェラの声が落ちる。


 玲音が歯を食いしばる。


「ここは……通さない」


 ヴェラは頷いた。

 丁寧に、しかし残酷に。


「分かりました」


 戦闘が始まる。


 玲音の刃が走る。

 シュヴァロフがPANTHERの横腹を止める。

 廊下の幅が狭い。

 狭いことが、守る側には有利なはずだった。


 だがヴェラは、その狭さを最初から計算している。


 WEREWOLFの肩が壁をかすめる角度。

 玲音の刃が滑る受け。

 シュヴァロフの突進を“受けて返す”位置取り。

 EAGLEの遅延で、玲音のHUDが半拍ずれる瞬間。


 勝てるように作られた戦い。


 玲音が一歩踏み込むたび、床の摩擦がわずかに変わる。

 施設の床材に合わせた靴底。

 装甲の微妙な調整。

 動きが、施設に馴染みすぎている。


「……準備してたな」


 玲音が吐き捨てる。


 ヴェラの声は薄い。


「当然です」


 戦場に偶然は要らない。

 彼女の戦い方は、徹底している。


 義弘は、その戦闘音を聞いた瞬間に悟った。


 ヴェラは、玲音とシュヴァロフだけを相手にしているのではない。

 “こちらの指揮”を引き剥がしに来ている。


 義弘は膝の痛みを押し殺し、廊下へ出た。


「義弘!」


 アリスの声が飛ぶ。

 止める声だ。

 だが義弘は止まらない。


「今、俺が出ないと三人が割れる」


「バカ!」


 アリスが吐き捨てる。

 けれど、その声の裏には理解がある。

 義弘が“象徴”であることを、彼女も知っている。


 義弘が玲音の背後に立った瞬間、ヴェラの視線が義弘へ向いた。


 その一瞬で、戦闘の目的が変わる。


 ヴェラは義弘を確認し、戦闘に“巻き込む”ことを選んだ。


 義弘、玲音、そしてアリス。

 この三人が、療養施設の実質的な指揮官だと彼女は見ている。


 だから三人を釘付けにすればいい。

 時間稼ぎの核を止めればいい。


 ヴェラのWEREWOLFが、義弘の前へ半歩出る。

 ただの威圧ではない。

 義弘の膝の状態を見抜いたうえで、義弘が動けない角度に立つ。


「元市長殿」


 ヴェラの声が淡々と落ちる。


「動かない方が安全です」


 義弘が笑う。

 笑える状況ではないのに笑う。


「安全って言葉が好きだな」


 ヴェラは返さない。

 返すより先に、戦闘を“組む”。


 玲音の刃を受けて、義弘の方へ流す角度。

 シュヴァロフの突進を逸らして、義弘の足元へ圧をかける位置。

 義弘が膝を庇って動けば、余計に不利になる。


 義弘は理解した。


 この女は、戦闘で殺さない。

 戦闘で“縛る”。


 縛っている間に、他のWEREWOLFが施設の中枢を取る。


 そして、取られかけていた。


 別の通路。

 別の節。

 患者の区画へ向かって、WEREWOLFが進む。


 トミーが子どもたちの部屋から顔を出し、耳を立てる。


「……足音、増えた」


 エージェントが立ちはだかる。

 だがWEREWOLFは強い。

 強い以前に、止められないように動いている。


 制圧。

 押し込み。

 固定。

 傷を増やさず、抵抗だけを消していく。


 扉の向こうで子どもが息を詰める。

 機器音が、急に大きく聞こえる。


 アリスの指が端末を握り潰しそうになる。


「……くそ」


 玲音の呼吸が荒くなる。


「止めないと……!」


 だがヴェラは三人を釘付けにしている。

 釘付けにされるほど、焦りだけが増える。

 焦りが増えるほど、遅延が刺さる。


 時間稼ぎのはずが、時間が敵になる。



 そのとき、義弘が刀を落とした。


 金属が床に当たる音が、施設の廊下に異様に響いた。


 玲音が目を見開く。

 アリスが一瞬、言葉を失う。


 ヴェラの目が、ほんの僅かに動いた。

 動揺というより、計算の外に触れた反応だ。


 義弘は両手を上げるでもなく、ただ前を向いて言った。


「……降伏する」


 玲音が叫びかける。


「義弘さん——!」


 義弘は振り向かずに続けた。


「降伏する。だから俺を施設から連れ出してくれ」


 廊下の空気が止まる。

 誰もその言葉をすぐ理解できない。

 理解したくない。


 ヴェラが、珍しく声を落とす。


「……降伏」


 彼女は身構えていた。

 義弘が奇策を打つことは想定していた。

 罠。自爆。象徴の演出。

 だが“降伏”は想定しづらい。


 降伏は、最も読みづらい。

 読みづらいのに、合理的になり得る。


 義弘は言い切る。


「俺が出れば、ここの絵は変わる。

 俺がここにいる限り、お前は“戦場”の絵を描けない。

 俺が外に出れば、お前は“丁寧な企業”の絵を保てる。

 ——そうだろ」


 ヴェラの呼吸が、ほんの僅かに変わった。

 感情ではなく、コスト計算の呼吸だ。


 義弘はさらに続ける。


「報道の目があるところで、戦場みたいな真似はできない。

 俺を連れ出すなら、丁寧にやれ。記録が残るようにやれ。

 それができないなら——お前の“丁寧”は嘘だ」


 アリスが歯を食いしばる。


「……っ、やめろ」


 義弘の背中に向けて呟く。

 止めたい。

 でも止めたら義弘の意図を潰す。


 玲音が拳を握る。

 悔しい。

 でも、義弘が捨て身で時間を買っていることが分かる。


 ヴェラは沈黙した。


 この瞬間、彼女の前に“正解のない選択”が生まれた。


 拒否すれば、降伏者に手を出した絵になる。

 受け入れて乱暴に連れ出せば、暴力の絵になる。

 受け入れて丁寧に連れ出せば、強襲の速度が落ちる。


 速度が落ちれば、報道が気づく。

 気づけば、海外部門の目的(時間稼ぎ)が減る。


 どれもコストが高い。


 ヴェラは、そのコストの高さに、ほんの僅かに“動揺”した。

 動揺は恐怖ではない。

 計算が割り切れない瞬間の乱れだ。


 そしてヴェラは、最も企業的な選択をした。


「……承知しました」


 丁寧に、冷たく言う。


「元市長殿。あなたの身柄を、安全確保のために外へ移送します。

 抵抗は、医療安全を毀損します」


 義弘が小さく笑う。


「その言葉、好きだな」


 ヴェラは返さない。

 返す暇を与えないように、手順に入る。


 彼女は僚機へ短く命じる。


「患者区画への進行、停止。現場の絵を変える。

 移送班、編成。丁寧に」


 WEREWOLFの動きが変わる。

 止めていた圧が、わずかに抜ける。

 玲音が息を吸う。

 アリスが端末を開き、即座に「いま」を記録し始める。


 時間が、戻ってくる。


 その瞬間、遠くでサイレンの音が増えた。

 報道車両が起きる。

 中継の準備が始まる。

 外の狼が、ようやく匂いに気づく。


 義弘の降伏は、敗北ではなかった。


 最後の時間稼ぎだった。


 そしてそれは、療養施設の中枢を守るための、最も残酷で最も義弘らしい手段だった。

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