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第206話 丁寧な包囲

 療養施設は、城になった。


 門を閉じたからではない。

 武器を並べたからでもない。

 境界線の外側に、十重二十重の“正しさ”が積まれたからだ。


 車列。

 書類。

 検査。

 通報。

 そして、報道。


 それらが輪になって施設を囲い込み、逃げ道より先に言い訳を塞いでいく。

 新開市の籠城は、いつだってこういう形で始まる。


 義弘とトミーが療養施設に入ったのは、夜明け前だった。


 義弘は膝の固定具がまだ外れない。歩幅が狭い。顔色も悪い。

 それでも本人は「ここにいる」と決めた顔をしていた。


 トミーは玄関ホールのソファに座ると、すぐに施設の子どもたちの視線を拾って、軽く手を振った。


「集まんな。こっち来い。怖いのは分かるけど、固まってると余計怖くなる」


 口調に妙な優しさがある。

 それでも毒舌の芯は消えない。


「あと、誰か泣いたら連鎖するからな。泣くなら交代で泣け。ルール作れ」


 年少の子が、え、と顔をする。

 年長の患者が苦笑して「交代って何だよ」と言いながら、少し肩の力を抜いた。


 トミーはそれを見て満足そうに耳を揺らし、床に座った。


「ほら。呼吸合わせろ。

 怖い時は息が短くなる。短くなると頭が回らない。頭が回らないと余計怖い。

 最悪だろ」


 子どもたちが、ぎこちなく真似をする。

 空気が少しだけ軽くなる。

 泣き声が減る。


 トミーは大人たちに背中を向けるようにして、子どもだけの輪を作った。

 その背中が、“ここはまだ壊れてない”という看板になる。


 施設内の会議室では、義弘が机を挟んでアリス、玲音、NECROテックエージェントたちと向き合っていた。


 アリスは腕を組み、眉間に皺を刻んだまま端末のログを見ている。

 玲音はサムライスーツの一部装具を外し、汗の乾いた額を手の甲で拭いた。

 エージェントたちは表情を固くしたまま、紙と端末を交互に見ている。


 義弘が言った。


「優先順位を決める。最初はこれだ」


 机の上に、指で三つの点を置く。


「一、患者の安全。二、施設のライフライン。三、外の絵に踊らされない」


 アリスが即座に噛みつく。


「外の絵が踊るのは止まらないでしょ」


「止まらない。だから“踊らされない”」


 義弘は淡々と返す。


「外がどう騒いでも、こっちは手順で守る。

 相手が“丁寧な企業”の顔で来るなら、こっちは“丁寧な権利主体”の顔で返す」


 玲音が息を吐く。


「つまり……法務戦と報道戦を同時にやる」


「そう」


 義弘は頷いた。


「そして、ここが肝だ。ヴェラはバカじゃない」


 アリスが端末画面を義弘に向ける。


「重装備が消えた。WEREWOLFの熱源、外周で一斉に落ちてる。

 隠してる。見せないようにしてる」


 玲音の顔が暗くなる。


「撃たずに勝つに切り替えた……」


 義弘が言葉を継ぐ。


「報道が張り付いてるからだ。

 いま突入して患者が泣けば、海外部門は“悪者”として固定される。

 だからヴェラは、丁寧に、合法に、施設の側が折れるまで削る」


 エージェントの一人が唇を噛んだ。


「分断だな」


「そう。『出てきて署名すれば安全』という甘い道を作る。

 誰かが焦ってそれに乗った瞬間、終わる」


 義弘は机を軽く叩いた。

 怒鳴らない。

 だが、重い。


「だから乗るな。誰も一人で外へ出るな。

 出るなら“団体”で出る。

 団体で出て、団体で記録を取る」


 アリスが眉を寄せる。


「団体?」


 義弘は短く答えた。


「人権団体を作れ」


 室内が静かになる。

 その言葉の重さに、エージェントたちが目を見開く。


 義弘は続けた。


「彼らは患者を“資産”として押さえに来る。

 なら、こっちは患者を“権利主体”として立てる。

 今日のうちに名前を決めて、最低限の規約を作って、声明を出す」


 玲音が少しだけ笑った。


「……昨日まで投票してた街が、今日は団体を作るのか」


「新開市だ」


 義弘はそう言って、アリスを見る。


「アリス、お前は表に出るな。燃料になる。

 裏でログを集めろ。外注の痕跡を掴め。海外部門の手順と元急進派のプロの金の流れ、両方だ」


 アリスは舌打ちした。


「言われなくてもやる」


 玲音が言う。


「僕は?」


「橋になれ」


 義弘は即答する。


「ミコトと真鍋へ繋げ。施設の中の事情と、外の状況を“制度語”で翻訳して渡せ」


 玲音は頷いた。

 悔しさより先に、役割を取る顔だった。


 包囲は、午前中から始まった。


 玄関に来るのは、ヴェラではない。

 スーツ姿の法務担当。白い手袋。丁寧な言葉。


「安全確保のため、立入検査を実施いたします。

 患者さまの状況、機器の配置、避難導線の確認――」


 施設スタッフが揺れる。

 “検査”という言葉は、拒否しにくい。


 玲音が前へ出る。


「検査は受けます。ただし、施設側の医療責任者と市の監査立会いが必要です。

 それまでは玄関ホールまで。立入は制限します」


 法務担当が微笑む。


「市長権限は境界で止まると伺っていますが」


「監査は止まらない」


 玲音の声が硬い。


「それに、ここは“患者の生活空間”でもある。

 企業資産の言葉だけで踏み込むなら、こちらも権利の言葉で返します」


 法務担当の笑みが薄くなる。

 しかし引かない。


「では、署名を。こちらに同意いただければ、手続きは円滑に――」


 そこで、義弘が現れた。


 杖をつき、膝を庇いながら、しかし目は鋭い。


「署名はしない。受領はする。記録は取る。

 そして、あなた方の検査を“安全確保”と呼ぶなら、こちらも“安全確保”として同じだけ監視します」


 法務担当が一瞬だけ義弘の膝を見る。

 その視線が、次の矢を準備していることを義弘は見抜いた。


 午後、矢は来た。


 医療関係の通報。

 「負傷している患者が無理に外出している」

 「治療が必要な者が施設内で拘束されている」

 「医療安全上問題がある」


 名目は、正義だった。

 しかし矢は、義弘の膝を狙っていた。


 合法的に連れ出す。

 “患者を守る”という顔で、象徴を施設から剥がす。


 通報は迅速に回る。

 救急隊員の確認。医療監督の照会。場合によっては保護措置。


 玲音が顔を青くする。


「義弘さん、これ……」


 義弘は口元だけで笑った。

 笑えないのに笑う時の顔だ。


「来ると思った」


 アリスが苛立ちを隠さず言う。


「ほんっと嫌らしい」


 義弘は立ち上がり、会議室の机にあった紙の束を取った。

 そこには、急造の団体名と規約の叩き台。


 NECROテック患者・権利保全連盟(仮)

 設立趣旨、目的、代表、連絡先。

 署名欄には、患者たちの手形のようなサインが並び始めている。


 義弘は紙を持ったまま玄関へ出た。


 やって来た医療関係の担当者に、穏やかな顔で言う。


「ご心配ありがとうございます。

 私は“患者として外出している”のではありません」


 担当者が怪訝な顔をする。

 義弘は続けた。


「私は、支援の打ち合わせに来ています。

 ——ここにいる患者たちが設立した人権団体の、外部支援者として」


 アリスが目を細める。


「……嘯く気満々ね」


 玲音が小さく言う。


「でも嘯いてない。支援、するんだよな」


「する」


 義弘は即答した。


「嘯くなら、嘯いた通りにやる。これが新開市だ」


 義弘は担当者へ、叩き台の書面を差し出した。


「こちらが設立趣旨と暫定規約です。

 私は自分の会社の代表として、支援の可能性を検討しに来ただけです。

 医療安全は施設の医療責任者と、患者本人の同意に基づいて運用されています。

 必要なら、面会室で説明します。記録も残します」


 担当者は紙を見る。

 用語が揃っている。

 署名がある。

 施設スタッフの同席がある。

 そして何より、“勝手に外出した患者”の絵ではない。


 医療担当の声が一段落ちた。


「……確認が必要です」


「どうぞ」


 義弘は穏やかに頷く。


「確認の間、無理に連れ出す理由はありません。

 無理に連れ出したら、それこそ医療安全を毀損します」


 言葉が、逆転する。

 “患者を守るための通報”が、“患者を危険に晒す行為”へ裏返る。


 アリスが小さく息を吐いた。

 玲音も同じ息を吐いた。


 義弘の膝は痛い。

 だが、この場にいる正当性を、紙で作った。

 紙で殴られたなら、紙で盾を作る。

 それが今日の戦い方だった。


 ヴェラは外周の車内から、その一連を見ていた。


 重装備は見せない。

 WEREWOLFは建物の陰。

 PANTHERは搬入口の奥。

 EAGLEは上空で遅延を薄く維持するだけ。


 “丁寧な企業”の絵を作るための配置。


 彼女は端末に短い指示を送る。


【立入検査、回数を増やす。署名誘導は継続。

 元市長の合法根拠が固まる前に、別の線を探す】


 冷静だ。

 焦っていない。

 しかし時間を気にしている。


 彼女は窓の外に並ぶ報道車両を一瞥し、薄い声で呟いた。


「……カメラが多い。悪くない」


 撃てない狼は、撃たずに噛む。

 噛む場所は、肉ではなく制度だ。


 その頃、日本国では“プロ”が絵を作っていた。


 騒乱のプロは、現場の導線を詰まらせる言葉を投げる。

 市民活動のプロは、署名と抗議テンプレを広げる。

 報道のプロは、撮る角度と字幕を決める。


 そして出来上がる。


 《民間企業VS無法地帯新開市》

 《ゴースト籠城、患者を盾に!?》

 《元市長、無理な外出で医療安全違反か》

 《新市長ミコト、沈黙》


 事実は短く切られ、意味が歪む。

 歪んだ意味が全国へ流れ、さらに新開市へ戻ってくる。

 戻ってきた意味が列を作り、列がまた絵を作る。


 新開市の混迷は、深くなる。


 市庁舎のミコトの端末は、通知で埋まっていた。


 全国報道。

 疑義。

 抗議。

 署名。

 質問。

 そして「弾圧」の誘導。


 ミコトは机に手を置き、呼吸を整えた。


「……絵に踊らされない」


 自分に言い聞かせる。

 誰かに言う言葉ではない。


 真鍋が隣で静かに言う。


「市長。こちらから“記録”を出しましょう。

 事実の時系列、手続き、検査回数、通報内容、受領文書。

 公開できる範囲で公開すれば、プロの絵の土俵を狭められます」


 ミコトは頷いた。


「やる。断罪ショーにしない。

 でも黙ってもいない。記録で刺す」


 “正義の手順”が、いよいよ報道の戦場に降りる。


 療養施設の夜は、静かなようで静かではない。


 外周の車列は減らない。

 立入検査は回数を増やす気配。

 署名の誘導は続く。

 通報の矢は次も飛んでくるだろう。


 会議室で義弘は椅子に座り、膝の固定具を指で叩いた。


「時間を買えた。だが、時間は敵の味方でもある」


 アリスが答える。


「分かってる。だから取る。外注の痕跡。海外部門の次の線。

 “丁寧な企業”の顔の裏を引き剥がす」


 玲音が頷く。


「僕は橋を繋ぐ。ミコトに渡す。

 それで、外の絵を少しでも変える」


 トミーが会議室の扉から顔を出した。

 耳が少しだけ垂れている。


「子ども、落ち着いた。寝かせた。

 で、大人のほうが顔色悪い。どうすんだ」


 義弘は苦笑し、短く言った。


「寝る。交代で。倒れたら終わりだ」


 アリスが鼻で笑う。


「それ、あんたが言う?」


「言う。今回は」


 義弘は言って、少し真面目な顔になった。


「ヴェラは撃てない。撃ったら負ける。

 だからこそ厄介だ。

 撃たない狼は、長く噛む」


 窓の外で、報道車両のライトがまだ光っていた。

 療養施設は、丁寧に包囲されている。


 そしてその包囲は、夜が明けても終わらない。

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