表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
204/298

第204話 資産管理

 日本国の元急進派は、怒り心頭だった。


 新開市での一連の騒乱。

 「選挙やり直し」を求める列。

 政治的に揺らし、ミコトの足を取るはずだった動き。


 結果はどうだ。


 刀禰ミコトは新開市市長らしい“運用”で弾圧の絵を作らせず、むしろ株を上げた。

 OCM海外部門は、その騒乱を煙幕にしてOCM本社を取った。

 損を被ったのは――元急進派だけだった。


 全国ニュースにすらできない。

 勝利演出は崩れた。

 代わりに残ったのは「また余計なことをした連中」という評判と、手元に残らない怒りだけ。


「……ふざけるな」


 元急進派の政治家は、都内の個室で吐き捨てた。

 グラスの氷が鳴る。

 鳴っているのに、冷めているのは彼の顔だった。


「新開市を、何が何でも日本国の影響下に置く」


 その言葉に、同席していた秘書が頷く。

 だが頷き方が、もう“通常の政治”ではない。


「プロを雇いましょう」


 秘書が言った。


「騒乱のプロ。報道のプロ。市民活動のプロです。

 あなたの言葉を“市民の言葉”に変換し、絵を作り、法の形にします」


 元急進派は一瞬だけ目を細めた。


「外注か」


「現代です」


 秘書の返答は平然としていた。

 政治はいつだって現代だ。手口だけが更新される。


 元急進派は短く息を吐き、うなずいた。


「雇え。

 ——ミコトの“正義の手順”を、弾圧の絵に変えてやる」



 一方その頃、OCM海外部門は勝利の余韻など味わっていなかった。


 OCM本社の重役会議で可決を取った。

 権限テーブルも承認フローも、確かに“こちら寄り”に傾いた。

 だが海外部門はよく分かっている。


 クーデター直後が一番脆い。


 オスカー・ラインハルトが帰還した場合、本社のオスカー派が息を吹き返す。

 あるいは、外部からの批判と監査が集中すれば、海外部門主導は正当性を失う。


 だから時間が必要だった。


 海外部門の会議室で、淡々とスライドがめくられる。


「再構築に必要な時間は?」


「最短で二週間。現実的には一か月」


「一か月はない」


 誰も感情を出さない。

 感情を出すのは遅い者の仕事だ。


「権限テーブルと承認フローは一度解体し、海外部門主導で再構築します。

 ただし、解体すれば反発も増える。オスカー派は“戻し先”を探す。

 よって、戻し先そのものを先に縛ります」


 別の役員が問い返す。


「何で縛る」


 答えは、短かった。


「アキレス腱で」


 画面に映るのは、NECROテック患者の療養施設。

 動かせない患者。生命維持に近い機器。治療機材。

 そして象徴としての価値。


「オスカー・ラインハルトの最大の弱点は、兄弟姉妹です。

 彼は理念のために動いているようで、実際には兄弟姉妹のためにしか動かない」


 冷たい分析が、冷たい決定になる。


「療養施設を押さえます。

 まず法務で。資産管理、保全、立入、移送。合法の顔で時間を稼ぐ。

 法務手続きが長引く場合は、敷地内の資産管理名目で現場投入」


 次のスライドに、見覚えのある名前が出た。


Vera Kraus — WEREWOLF Special Detachment


「ヴェラ・クラウス率いるWEREWOLF特殊部隊を投入します」


 誰かが「刀禰ミコトは」と問う。

 海外部門の法務責任者が、笑いもしないで返す。


「OCM敷地内です。

 市長の権限は、境界線の外で止まります」


 その言葉が、会議室の温度をさらに下げた。


「義弘も同様。

 彼らの影響を排除できます」


 それは戦術ではない。制度の隙間で殴る戦略だった。



 新開市の療養施設には、動かせない患者がいる。


 移送という言葉が、すでに暴力だ。

 機器を外せば死ぬ。外さなくても揺らせば危ない。

 どこへ運ぶのか、誰が責任を取るのか、それを“紙”が保証できるのか。


 アリスはその事実を、胸の底で知っていた。


 共用スペースの端末に、ひとつの通知が届いた時、アリスの顔は一段冷えた。


【OCM法務部通知:資産管理に関する照会】


 照会。

 問い合わせ。

 合法の顔。

 だがアリスには分かる。


 これは序章だ。


「来た」


 隣で端末を触っていたNECROテックの年長患者が、声を落とす。


「……海外部門?」


「そう」


 アリスは即答した。


 施設のスタッフが青い顔で入ってくる。手には紙の束。

 弁護士名、文面、条項、署名欄。

 紙が、砲弾みたいに届く。


「アリスさん……これ……」


 スタッフの声が震えている。

 職務としては受け取らざるを得ない。

 でも受け取った瞬間に、施設の空気が変わる。


 アリスは立ち上がり、紙を受け取らずに言った。


「受領はする。署名はしない」


 スタッフが息を呑む。


「けど、向こうは“受領した=同意した”に見せる文章を混ぜてくる。真鍋に回せ」


 スタッフが頷こうとして、しかし足が止まる。


「市としては……市長としては……」


 アリスは舌打ちした。


「市長は境界の外で止まる。分かってる。だからこっちで止める」


 その声の硬さに、年少の患者がびくっとする。

 アリスは気づいて、言い直した。


「……怖がらせるつもりはない。

 でも、相手は紙で人を動かす。ここで慌てたら負ける」


 エージェントの一人が前へ出る。


「外へ出て、妨害するか」


「出るな」


 アリスは即答した。


「いま出たら“危険人物の排除”にされるだけ。

 向こうは“資産管理”の顔で来る。こっちは“人間の保護”で受ける。

 言葉の土俵を取らせるな」


 その瞬間、玄関ホール側がざわついた。

 外から車列の音。

 静かで、揃っている。

 いかにも“正規の訪問”の音だった。


 玲音は施設にいた。


 市庁舎と療養施設の間を繋ぐため、半ば常駐していた。

 オスカー不在の今、NECROテック側と新市政の接点は玲音に集まりやすい。

 それを海外部門も分かっている。だからここを押さえる。


 玲音はアリスの顔を見て、黙って頷いた。


「籠城だな」


 アリスが言う前に、玲音が言った。

 言い方が、現場のそれだった。


「そう。籠城」


 アリスは口を歪める。


「……新開市、戦国かよ」


「敷地境界が城壁になるなら、そうだ」


 玲音は端末を開き、真鍋へ連絡を投げる。

 法務文書の写し。受領時刻。来訪車両の識別。

 同時にミコトへも。


 ミコトからの返事は短い。


【境界の外では動けない。だが記録と監査で切る。勝手に署名するな。施設は守る】


 玲音は画面を見て、息を吐いた。

 新市長は理解している。

 それでも線がある。

 線があるから、こちらが城になる。


 玄関に、海外部門の法務担当が現れた。


 スーツ。バッジ。書類カバン。

 笑顔は丁寧で、声も丁寧だ。

 その丁寧さが、喉元に刃を当てる。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。

 当施設はOCM関連資産として、管理権限の整理が必要となりました」


 アリスは玄関ホールの中央に立ち、腕を組む。

 背後には患者。エージェント。スタッフ。

 玲音も横に立つ。


「“資産”って言うな」


 アリスの声は低い。

 丁寧語の仮面を被る気はない。


 法務担当は笑顔のまま返す。


「用語は契約上、そうなっております。もちろん、我々は患者さまの安全を――」


「安全の話をするなら、まず出てけ。

 ここで威圧して安全が増えると思ってるなら、頭が悪い」


 玲音が一歩前へ出て、アリスの毒を少しだけ“制度語”へ翻訳する。


「当施設は医療施設です。移送・立入・管理変更は医療安全と行政手順の監査を必要とします。

 市長権限が境界で止まるとしても、監査が止まるわけではない」


 法務担当の笑みが一瞬だけ薄くなる。

 海外部門は玲音を“現場の橋”として見ている。

 だからこそ嫌だ。


「監査については、当社法務が対応します。

 必要であれば、資産管理のための現場要員も――」


 アリスが遮る。


「言っとくけど、ここには動かせない患者がいる。

 紙一枚で動かしたら死ぬ。死んだらお前が責任取るのか?」


 法務担当の顔が、ほんの一瞬固まる。

 だがすぐに丁寧さを取り戻す。


「最善を尽くします」


 その言葉に、アリスは心底嫌そうな顔をした。


「最善じゃ足りないんだよ」


 玲音が深く息を吸う。


「ここを押さえるのは時間稼ぎだ。権限再構築のための」


 法務担当は答えない。答える必要がない。

 法務はいつも、答えなくても勝てる場で戦う。


 代わりに、書類の束を差し出す。


「受領をお願いします」


 アリスは受け取らない。

 玲音がスタッフに目配せし、スタッフが手袋をして受け取る。

 受領印は押さない。受領記録だけを残す。

 真鍋に送る。ミコトにも送る。


 その一連の“紙で守る動き”が、療養施設側の唯一の盾だった。


 その時、玄関の外で、別の車が止まる音がした。


 先ほどの法務車列より、重い。

 規律がある。


 法務担当が一度だけ振り返る。

 その表情が、微かに変わった。


 アリスも気づく。

 空気の質が変わる。

 紙の匂いから、金属の匂いへ。


 玲音が低く言った。


「……WEREWOLFか」


 返事をするように、玄関の自動ドアの向こうで、重い足音が響いた。


 まだ姿は見えない。

 だが音が、もう“来る”と言っている。


 アリスは舌打ちし、NECROテックの子どもたちへ振り返る。


「怖がるな、とは言わない。怖いもんは怖い」


 年少の患者が涙目になる。

 アリスは一拍置き、続けた。


「でも、ここから先は“怖いから出る”って選択肢がない。

 動けない兄弟姉妹がいる。

 だから私たちは、ここで守る」


 玲音も言う。声は静かだが、芯がある。


「僕も守る。市長じゃない。けど、サムライ・ヒーローとして、兄弟姉妹として」


 玄関の外で、足音が止まった。


 そして、ドアが開きかけた、その瞬間。

 施設内の空気が一斉に固まる。


 籠城は、始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ