第202話 新市長の初陣
新開市の朝は、祝賀と苦情の電話で始まった。
刀禰ミコトの当選から一夜。
市庁舎の代表回線には、花束の配送確認と、就任会見を褒める声と、早く道路を何とかしろという怒鳴り声と、「うちの町内会も政策提言したい」という妙に前向きな相談が、見事な順番で流れ込んでいた。
新市長室はまだ完全には整っていない。
前任者の名残と新任の書類が同居して、机の上はすでに戦場だった。
ミコトはその机の前に立ち、真鍋が積み上げた書類の山を見て、ほんの一瞬だけ遠い目をした。
「……これ、全部、今日の分?」
「はい」
真鍋は平坦に答える。
「就任挨拶の案、初動治安計画、庁内権限の整理、外部団体面談申請、選挙後の集会申請、苦情対応方針、監査関連、アライアンス照会への返答草案。まだ増えます」
ミコトは一拍置いてから、深く息を吸った。
「やる。順番をつける。
勝ったから偉い、じゃなくて、選ばれたから働く。……だよね」
真鍋はわずかに頷いた。
褒めるでもない。だが、その反応は悪くない。
鳴海宗一が扉をノックもそこそこに入ってくる。顔つきが、もう“平時じゃない”時のそれだった。
「市長、列が育ってます」
「どこで?」
「市庁舎前、中央広場、旧放送局跡の三か所。名目は『選挙やり直しを求める市民の会』」
ミコトの眉が上がる。
当選から一夜で、もうそこまで来たか。
真鍋が端末を回して見せる。
配信クリップ、SNSの告知画像、匿名掲示板の煽り文、政治団体の声明文。
言葉だけ見れば、綺麗だった。
――公正な選挙のやり直しを。
――混乱下の選挙結果に再検証を。
――新市長を守るためにも、いったん白紙へ。
ミコトの顔が少しだけ硬くなる。
「……言葉を盗んでる」
第三問で自分が語った“手順”“正義”“記録”の語彙が、ぬるりと混ぜ込まれている。
正面からの罵倒ではない。
もっと厄介なやり方だ。
鳴海が腕を組む。
「表向きは政治運動だ。まとめて止めると“弾圧”の絵ができる」
ミコトはすぐに頷いた。
「止めない。潰さない。運用する」
自分で言って、言葉の重さを飲み込む。
選挙中なら拍手がもらえたかもしれない。
今は違う。やるしかない。
「申請のある集会は認める。ただし導線、庁舎接近、療養施設・病院・インフラ接近は線を引く。
告知文をすぐ出す。誰の集会でも同じ基準で」
真鍋が即座にメモを切る。
「表現の自由を認める/導線保全・保護区域保全・医療導線優先、ですね」
「うん。あと、“選挙やり直しの是非”には市長として今はコメントしない。手続きと記録の話に徹する」
鳴海が口の端を少しだけ上げた。
「初日から嫌な相手だな」
ミコトは乾いた笑いを返す。
「新開市で“嫌じゃない相手”って、いる?」
その“嫌な相手”は、少し離れた場所で、もっと嫌な相手と握手をしていた。
都内の古い会員制クラブの個室。
表向きは政策勉強会。
実態は、表に出せない話の再接続。
元急進派の政治家は、上機嫌を装いながらグラスを回していた。
刀禰ミコトを押した側の“勝利”に乗る顔をしつつ、腹の底では煮えている。
「ミコト君は悪くない。むしろ優秀だ。だが、優秀すぎる」
向かいに座るOCM海外部門の男は、笑いもしない。
「我々にとっての問題は、彼女が思惑通り動かないことです」
「日本国にとっても同じだよ」
元急進派は肩をすくめる。
「こちらが旗を立てたつもりが、“自治”だの“手順”だの言って勝手に街の側へ寄る。
あれを放っておくと、こちらの勝利演出が崩れる」
海外部門の男は短く言う。
「時間稼ぎが必要だ、と」
「その通り。政治的騒乱、再検証要求、選挙やり直し論。盤面をもう一度濁す」
元急進派は声を少し落とした。
「その間に君たちは、君たちの必要資産を回収する。そういう理解でいい」
海外部門の男は、ようやく薄く笑った。
「理解が早くて助かる」
互いに相手を信用していない。
互いに相手を使い捨てるつもりでいる。
だが今だけは、利害が噛み合っていた。
「すでに新開市には入っている」
男が端末を傾ける。
書類、認証、搬入、下請け、監査協力。合法の顔をした細い流れが、街の縁から中心へ向かっている。
「騒乱が大きいほど、こちらの流入は見えにくい」
元急進派は満足げに頷き、最後にひとつだけ欲を出した。
「新市長に、“最初の失敗”を刻めるならなお良い」
海外部門の男はグラスに触れもせず、冷たく返す。
「失敗は刻まれるでしょう。誰に、とは約束しませんが」
新開市では、列が育っていた。
市庁舎前。中央広場。旧放送局跡。
どこも似たような旗とプラカードだが、よく見ると人の種類が違う。
本気で選挙の公正性を気にして来た人。
とにかくミコトが気に入らない人。
日本国がまた新開市を掻き回していると思って怒っている人。
配信のために来た人。
“列があるから来た”人。
そして、煽るためにだけ来た人。
新開市らしく、あっという間に魑魅魍魎になった。
だが今回は、いつもと違うものも混じっていた。
同時刻、同じ文言、同じ角度の切り抜き。
人力の熱だけではない、政治の手つきだ。
市庁舎前に出たミコトは、護衛線の内側から拡声器を受け取った。
背後に真鍋、少し離れて鳴海とKOMAINU部隊。
配信カメラが一斉に向く。
トミーなら「うわ、餌だらけ」と言いそうな景色だった。
ミコトはわざと一拍置いた。
怒号を全部受けてから、声を出す。
「聞こえてます。やり直しを求める声も、疑義の声も、全部記録します」
最前列の何人かが「だったらやり直せ!」と叫ぶ。
ミコトはそこには乗らない。
「集会は認めます。表現も認めます。
ただし、いまから市として導線と保護区域の運用基準を出します。これは全候補・全団体・全市民に同じです」
背後で真鍋が合図し、職員が掲示板と市公式配信に同文を出す。
【選挙後集会に関する臨時運用】
医療導線の確保/庁舎主要導線の確保/療養施設・病院・主要インフラへの接近制限/申請窓口一本化/違反時の段階対応
“禁止”ではなく“運用”。
“弾圧”ではなく“基準”。
群衆は一瞬、どう噛みつけばいいか迷う。
そこへミコトがさらに畳みかけた。
「やり直しの主張をしたい人は、ここで押し合わないでください。
押し合いになったら、主張じゃなく事故になる。事故は、誰の正義でもない」
言葉を盗まれたなら、もう一段具体にして取り返す。
それが思いのほか効いた。
最前列の高齢の女性が「押すなって!」と後ろへ怒鳴る。
若い男がプラカードを持ち替え、通路の前から半歩ずれる。
反ミコトの配信者が「いやでも市長、ここ答えろよ!」と突っかかるが、ミコトは指をさして返す。
「質問は窓口一本化。公開で答える。切り抜きの餌にはしない」
コメント欄が一気に荒れ、そして笑いも混じる。
《切り抜きの餌って言ったw》
《わかってる》
《正面から来るなこの市長》
《でも質問一本化は逃げでは?》
《逃げじゃなく記録だろ》
鳴海が小さく唸る。
「……弾圧の絵、作らせないつもりだな」
真鍋が答える。
「作らせないだけじゃない。“基準を守るなら集まっていい”にしてる。運用に引きずり込んでる」
ミコトはその間も、叫び声を聞き分けていた。
怒っている人。煽っている人。わざと押し込んで事故を作りたい人。
そしてその中に、いくつか“同じ匂い”の動きを見つける。
政治団体の動員だけではない、別の目的の足運び。
視線の向きが、庁舎ではなく、道路の節や搬入口、保護区域の看板へ向いている。
ミコトの顔つきが変わった。
「鳴海さん。ここ、表です」
「だろうな」
「裏がある。真鍋さん、療養施設と病院の照会ログ、もう来てる?」
真鍋が端末を確認するより早く、着信が飛び込んだ。
発信者名――アリス。
真鍋とミコトが一瞬だけ目を合わせる。
真鍋がスピーカーを入れる。
アリスの声は、低く、早かった。
『海外部門、来てる。合法の顔して囲い込み。療養施設だけじゃない。たぶん市全体で同時』
「こっちも匂ってる」
真鍋が即答する。
『じゃあ早い話する。今の“やり直し列”、煙幕。
本命は戦力流入。輸送と認証の同期が変わった。旧手口じゃない』
ミコトが前に出る。
「何が入る」
一拍。
アリスが嫌そうに舌打ちする音が乗る。
『新型軍用パワードスーツ“WEREWOLF”。それとVX系の新番。VX-30 PANTHER、VX-48 EAGLE』
鳴海の顔色が変わった。
「……でかいな」
真鍋がすぐに切り替える。
「ルートは?」
『まだ全部は見えない。けど、PANTHERは地上高速。列の横腹を裂くのが得意な流し方してる。
EAGLEは上。通信の影を落としてくる。
WEREWOLFは人が着る。これが一番イヤ。市街地で“合法の顔”のまま近づける』
ミコトは拡声器を職員へ返し、即座に指示を飛ばした。
「鳴海さん、KOMAINUは列の制御班と迎撃班に分割。迎撃班は保護区域と療養施設へ。
真鍋さん、臨時運用を一段上げる。『騒乱対応』じゃなく『複合侵入対応』として記録。あと、これ公開できる範囲で公開」
「新市長就任初日に“侵入”って出しますか?」
「出す。曖昧にすると相手の煙幕が勝つ」
真鍋は頷き、端末を叩く。
アリスの声がまた入る。
『勘違いすんな。あんたの政権守るために電話したんじゃない。私の兄弟姉妹を守るためだから』
ミコトは間髪入れず返した。
「結果的に新開市が助かるなら、それでいい」
数秒の沈黙。
向こうで誰かの小さい笑い声――たぶんNECROテックの子どもだ。
『……まあ、そういうこと。あと玲音にも投げた。使えるなら使って』
「使う。ありがとう、アリス」
『礼はいらない。仕事しろ、新市長』
通信が切れた。
トミーがその場にいたら拍手していたかもしれない。
真鍋は真顔のまま「強いですね、両方」とだけ言った。
玲音は、ミコトからの正式な連絡を、まだ選挙事務所の片付けが終わっていない部屋で受けた。
机の上には“次点”を惜しむ花と、“次へ”と書かれたメモが混ざっている。
オスカーはいない。
兄弟姉妹たちの不安だけが、情報の端々から伝わってくる。
端末に映る真鍋の文面は簡潔だった。
【協力要請。海外部門の複合侵入対応。現場運用で力を貸してほしい。新市長承認済み】
玲音は数秒、画面を見たまま動かなかった。
市長選に負けた翌日に、新市長から“協力”を求められる。
屈辱かと言われれば、違う。
嬉しいかと言われても、単純には頷けない。
だが、答えは決まっていた。
「……やるに決まってる」
彼は立ち上がり、上着を取る。
「市政の外でもやるって言ったばかりだ」
小さく呟いて、もう一本の回線を開く。
宛先は療養施設。アリス。
【連絡見た。現場に出る。兄弟姉妹の保護、優先順位を共有したい】
返信はすぐ来た。
【遅い。来るなら足引っ張るな、バンシー】
玲音は苦笑して端末を閉じた。
悔しさは残っている。
でも、立つ場所はまだある。
午後、新開市の空は、晴れているのに妙に暗かった。
雲ではない。
通信の影だった。
真鍋の班が把握した搬入照会が、一斉に再試行へ切り替わる。
鳴海のKOMAINU部隊が、列の横を流しながら保護区域へ再配置される。
ミコトは“やり直し列”に対する第二報を出し、政治運動の導線と侵入対応の導線を意地で分け続ける。
それでも、相手の速度は速い。
市の外縁、工業搬入口に偽装された輸送車列の一台で、封印されていたコンテナのロックが静かに外れた。
中で、人型の影が立ち上がる。
細身だが筋肉の塊のようなライン。
装甲の継ぎ目に走る感応線。
獣じみた頭部ユニット。
人間の動きを拡張し、市街地での狩りに最適化された輪郭。
新型軍用パワードスーツ――WEREWOLF。
別ルートでは、地を這うような低い駆動音が路面を震わせる。
透明に溶けるHOUNDとは違う。
見えた時にはもう横を裂いているような、黒い矢。
VX-30 PANTHER が、ビルの影から影へ滑り込む。
さらに上空。
目視では小さすぎる高度で、一機の影が旋回を始める。
街の通信に薄く膜をかけるような、冷たい存在感。
VX-48 EAGLE。
療養施設の端末前で、アリスが歯を噛みしめた。
「……来やがった」
市庁舎前で、ミコトが真鍋の端末画面を見て、短く命じる。
「記録開始。公開可能分を即時公開。
鳴海さん、迎撃班を前へ。玲音と接続。
“やり直し列”は導線だけ守って固定、煽りには乗らない」
鳴海が低く応じる。
「了解。新市長の初陣だ、派手なのが来たな」
ミコトは拡声器を握り直し、まだ騒ぐ列へ向けて声を張った。
「聞いて! いまこの街には、選挙と関係ない侵入が来てる!
主張は止めない、でも導線は守る! 押し合うな、動線を空けろ! 事故るな!」
政治の列を、政治のまま封じる。
その背後で、物理の侵入を迎え撃つ。
新市長の初日は、祝賀でも挨拶でも終わらなかった。
正義の理論を、いきなり鋼鉄と通信妨害の中で運用する日になった。
そして新開市は、そんな初日を、なぜか少しだけ嬉しそうに見ていた。




