第201話 不在のデュラハン
新開市市長選の投票率は、九割を超えた。
速報が流れた瞬間、全国のニュース番組は一斉にテロップを切り替えた。
《新開市市長選 投票率90%超》
《史上空前の激戦》
《“列の街”が選んだ新市長は》
街頭モニタの前では、候補者の支持者も野次馬も、配信者も自警団も、仕事帰りの市民も、いつものようにきれいに並ばず、しかし妙に秩序だった“列未満”を作っていた。
新開市らしい、としか言いようのない密度だった。
義弘は病院のベッドを半分起こした姿勢で、その中継を見ていた。
膝はまだ固定具が外れない。痛みも鈍く残っている。
トミーはベッド脇の簡易テーブルに座り、耳だけをせわしなく動かして画面を見上げていた。
「九割って、ほんとに選挙かよ」
トミーが呆れ半分に言う。
義弘は疲れた顔のまま、少しだけ口元を緩めた。
開票速報の数字が、最後の最後まで入れ替わる。
ミコト、玲音、その他魑魅魍魎候補。
差が縮まり、また離れ、また縮まる。
そして深夜、確定表示が出た。
当選 刀禰ミコト
次点 玲音
票差は僅差だった。
僅差すぎて、しばらく誰も歓声のタイミングを掴めないほどに。
次の瞬間、日本国側のスタジオが先に沸いた。
解説者が声を張り、コメンテーターが身を乗り出し、テロップは勝利の物語へ一斉に寄っていく。
《日本国支援の刀禰ミコトが勝利》
《新開市の混乱収束へ期待》
《“正義”が選ばれた》
トミーが鼻を鳴らした。
「全国ニュース、嬉しそうだな。分かりやすい旗が立つと大好きだ」
義弘は頷きもせず、画面を見たまま言う。
「……嬉しいのはいい。問題は、その旗を誰がどこに立てるかだ」
刀禰ミコトの当選第一声は、日本国側が期待した“勝利宣言”とは少し違っていた。
特設の会見スペース。
マイクの列。
フラッシュ。
押し寄せる質問。
ミコトは深く一礼してから、まっすぐ前を見た。
「当選の重みを、まず受け止めます」
いつもの映える笑顔は抑えめだった。
声はよく通る。だが、煽らない。
「支えてくださった方、日本国から応援してくださった方、新開市で投票してくださった方、投票しなかった方も含めて、私は新市長として説明責任を負います」
“勝ったから従え”ではなく、“選ばれたから説明する”。
その口調に、会場の熱が少しだけ方向を変えた。
「新開市は誰かの戦利品ではありません。日本国のものでも、企業のものでも、国際組織のものでもない。新開市の自治は、新開市のものです」
記者席がざわめく。
早くも「日本国支援」と「自治」の両立をどう言うのか探っている顔が並ぶ。
ミコトは、そこも逃がさない。
「私は日本国の支援を受けました。そこは隠しません。感謝もしています。
でも、支援を受けたことと、自治を売ることは別です。ここを混ぜたら、新開市はまた壊れる」
第三問で語った“正義の手順”が、そのまま市政の言葉になっていた。
「正義は独占しません。気分にもさせません。手順にします。記録に残します。監査にかけます。
断罪ショーじゃなく、運用できる市政にします」
そしてミコトは、次点の名前を自分から口にした。
「玲音さん。あなたの現場での運用は、市長選の結果とは別に、新開市に必要です。
候補者同士としては競いました。でも新開市を守る仕事は、ここからなら一緒にできる」
テレビの向こうで、スタジオの空気が少しだけ困った顔になる。
“勝者の旗”を大きく振りたい側からすると、この言い方は扱いにくい。
トミーが口の端を吊り上げた。
「いいな。勝った瞬間に“総取りじゃない”って言った」
義弘はそこで、やっと小さく息を吐いた。
「市長の顔になったな」
玲音は会見場の端で、それを聞いていた。
悔しくないと言えば嘘になる。
投票率九割超えの街で、次点という数字は軽くない。
届かなかった現実は、はっきりと重い。
だが同時に、前夜の第203話の“答案回収”で得たものもある。
列の前で拡声器を握ったあの瞬間を、街は見ていた。
あれは票には全部変わらなかったが、消えてもいない。
玲音は短く会釈し、会見後の簡易囲みで言った。
「……負けました。悔しいです」
まずそこを正面から言う。
逃げない。
「でも、負けたからって新開市が終わるわけじゃない。
NECROテックの兄弟姉妹の未来も、ここで消えるわけじゃない。
市政の外でも、現場でも、やれることはあります」
質問が飛ぶ。オスカーについて。ログについて。OCMについて。
玲音は言葉を選びながらも、第三問で示した線を曲げなかった。
「監査は必要です。外部の目も必要です。
でもそれを差別の道具にしてほしくない。そこは引き続き言います」
会見を見ていた義弘は、ベッドの上で頷いた。
負け方がいい。
痛みを抱えたまま、場を降りていない。
その頃、オスカー・ラインハルトは、予想外に長い夜を過ごしていた。
無機質な面会室。
簡素な椅子。
透明な仕切り。
差し入れられた資料の束と、遅れて届くニュースの要約。
根回しはしていた。
証拠不十分での早期釈放に向けて、必要な手は打ったつもりだった。
だが、盤面は読みどおりには動かなかった。
ログ投下の波及が想定以上に広がったこと。
選挙の最中に“庇うコスト”が跳ね上がったこと。
OCM内部の綱引きで、本来なら動くはずの支えが鈍ったこと。
どれも単独なら織り込み得る誤差だ。
重なった。
オスカーはそれを、悔しがるより先に計算し直していた。
「……三日」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「最短でも、盤面の空白は三日。長ければ一週間」
心配事は、自分の身ではない。
自分がいない間に、OCM海外部門が何をするか。
それだけだった。
オスカーは目を閉じる。
海外部門は、こちらの“理念”に付き合わない。
兄弟姉妹を資産として扱い、盤面上の駒として管理する。
しかも彼らは、敗北から学ぶ。二度、三度と同じ侵入はしない。
「来る」
目を開けたオスカーは、面会申請の用紙へ視線を落とした。
誰に何を伝えるか。
長くは話せない。
なら、最短で刺さる言葉だけを残す。
彼の指先は静かだった。
OCM海外部門は、確かに動いていた。
正面からの大部隊侵入ではない。
過去のように“分かりやすすぎる武力”を先に出すほど、もう愚かではない。
保守点検名目の車両。
監査協力名目の人員。
提携企業経由の搬入依頼。
法務照会。
医療支援の申し出。
それぞれ単独なら違法とは言い切りにくい、しかし繋げれば明らかに一本の意図を持つ動き。
三度目の侵入は、鋼鉄の足音より先に、書類と認証と手順の顔をして新開市へ入ってきた。
真鍋は引継ぎ資料と当選後初動計画に埋もれながら、その異様な同期を見逃さなかった。
「……来たか」
新市長就任準備の部屋で、端末に並ぶ申請時刻を睨む。
別部署、別名目、別会社。
だが時間の刻み方が同じだ。
現場を知らない人間がやる同期ではない。
現場を知っていて、なお法の縁を歩く者の刻み方だった。
鳴海へ連絡。
会場警備から市庁舎・療養施設・OCM関連施設へ重点を切り替えるよう打診。
ミコトへの報告ラインも同時に開く。
新市長の初仕事は、就任挨拶より先に、侵入の“匂い”の確認になりつつあった。
療養施設の共用スペースでは、選挙結果のニュースがまだループしていた。
ミコト当選。玲音次点。
スタジオの笑顔。街頭インタビュー。配信コメントの乱舞。
NECROテックの兄弟姉妹たちは、喜んでいいのか悔しがるべきか、表情を決めきれずに画面を見ていた。
「玲音、惜しかったな……」
「でもあの人、ちゃんと残った」
「ミコト、新市長で、玲音と一緒にやるって……本気かな」
アリスは少し離れた椅子に座り、頬杖をついてニュースを見ていた。
口は悪くても、耳はちゃんと拾っている。
「本気かどうかなんて、初日に分かる」
ぽつりと言ったその時、施設内ネットワークの隅で、微かなノイズが走った。
アリスの視線が上がる。
ただの遅延にも見える。
だが癖がある。
認証照会の順序、再試行の間隔、問い合わせ先の散らし方。
見覚えがあった。見覚えがありすぎた。
OCM海外部門。
しかも“あからさまに奪いに来る時”ではなく、“まず合法の顔で囲う時”の手つきだ。
アリスは端末を引き寄せ、数秒で複数のログ片を拾った。
施設側の医療支援照会。
機材点検申請。
外部連携認証の仮アクセス。
別々の顔をしているが、底の指が同じ。
「……来た」
隣にいた年長のNECROテック患者が顔を上げる。
「何が?」
「OCM海外部門。オスカーがいない時を狙ってる」
その一言で、共用スペースの空気が変わる。
泣いていた子たちが、また不安そうな目をする。
エージェントの一人が立ち上がりかける。
「施設の外に出るか?」
「いや、隠れる場所を――」
「座れ」
アリスが低く言った。
声に迷いがない。
「いま外に飛び出したら、向こうの思うつぼ。 ‘保護対象の移送’ って名目をくれてやるだけ」
「隠れ先探しも後。まず相手の手順を読む」
アリスの指が端末上を走る。
監視の目を避けるのではなく、監視の目に“ただの照会”と見える速度で。
施設側の端末権限で見える範囲。そこから先は推測。だがアリスの推測は、現場の経験で補われる。
シュヴァロフはまだ義弘の病院側にいる。
呼べば来る。だが、呼ぶ前に読むべき盤面がある。
アリスは画面を睨んだまま、吐き捨てるように言った。
「あいつら、ほんと分かりやすい。デュラハンがいない日に来るとか、三流の強盗かよ」
だがその次の言葉は、少しだけ熱を含んでいた。
「……兄弟姉妹に手ぇ出すなら、今度は私が相手してやる」
NECROテックの患者たちが、息を呑んでアリスを見る。
エージェントたちも、指示を待つ目になる。
アリスはそこで初めて、全員の顔を見回した。
いつもの毒のある目つきのまま。
それでも、守る側の覚悟がはっきりあった。
「泣いてる暇は終わり。言ったろ。泣いたぶん働け」
「記録係、前のログ整理の続き。照会元の癖を拾え。
施設スタッフに言って、正規の申請窓口は一本化。勝手に返事するな。
エージェントは表に出るな。出るのは最後。見せ札は温存」
年長の患者が慌てて端末を開く。
若いエージェントが頷き、施設スタッフへ連絡に走る。
泣いていた子どもたちも、分からないなりに画面を覗き込む。
アリスは最後に、自分の端末へ別の回線を立てた。
宛先は、病院。義弘。真鍋。鳴海。
そして、少し迷ってから玲音。
短い文面だけ送る。
【海外部門、来てる。合法の顔して囲い込み。療養施設を狙ってる】
送信の直後、アリスは背筋を伸ばした。
画面の向こうでは、ミコトがまだ“新市長”としての言葉を話している。
アリスはニュースの音量を少し上げた。
新市長の初日を、いきなり血なまぐさいものにしたくはない。
だが、相手がそう来るなら話は別だ。
「ミコト」
誰にも聞こえない声で、アリスは呟いた。
「新市長の初日に、私の兄弟姉妹を狩る気らしい。……どうするか見せてみな」
その目は、もう迷っていなかった。
新市長が決まり、盤面は安定するどころか、音もなく再編され始めていた。
不在のデュラハンが落とした影の上を、正義と自治と兄弟姉妹の都合が、それぞれ別の速さで走り出している。
新開市の夜は、また眠る暇を失っていた。




