第百九十六話 討論会場前線
公開質疑の日の朝、新開市は、朝から物々しかった。
物々しい、という言葉で足りるかどうかも怪しい。
鳴海宗一のKOMAINU部隊が地上導線を押さえ、交差点ごとに配置される。
アライアンスの高速機動隊F.QRE.D.QVEは、上空と要所の展開点を監視し、必要があれば瞬時に降りられる間合いを取っていた。
OCMのドローン・サムライ・ヒーロー隊は、候補者陣営周辺の機動支援名目で待機し、金属質の影を街路に落としている。
そして――なぜか。
オールドユニオンのセグメンタタ部隊までいた。
彼らは目立つようで目立たない。
重武装を誇示するでもなく、旗を振るでもなく、ただ区画の境目、通路の喉、滞留しやすい角に正確に立つ。
見物客の目には「邪魔な位置」にしか見えない。
だがその“邪魔”が、事故の芽を踏み潰す位置だと分かる者には分かる。
義弘は会場外周の高所通路から、その全景を見下ろしていた。杖をつく手に少し力が入る。
「……戦争でも始まるのか」
隣で端末をいじっていたトミーが耳を立てる。ウサギの耳は、こういう時だけやけに景気よく動く。
「始まるぞ。名称が“公開質疑”なだけで」
義弘は苦い顔をした。
否定できない。
視界の中では、真鍋がすでに走っていた。設営スタッフに指示を飛ばし、柵の位置を修正し、候補者導線の重なりを一つずつ潰していく。退任した義弘より、まだ現場に権限のある真鍋のほうが当然動きは速い。
鳴海宗一はKOMAINU部隊の先頭に立ち、交差点単位で配置換えを指示している。
抑え込むのではなく、流す。
止めるのではなく、ぶつからせない。
義弘が叩き込んできた新開市式の現場運用が、地面の上で静かに動いていた。
そのはずだった。
――市民が、寄ってこなければ。
普通の街なら、これだけ武装と機動部隊が並べば、人は引く。
少なくとも一度は足を止める。
新開市は違った。
候補者の支持者が、見物人が、配信者が、野次馬が、道々にあふれていく。
スマホを掲げる。コメントを読む。切り抜きの前口上を喋る。誰かが声を上げる。誰かがそれに乗る。
そして、列ができる。
柵があるから並ぶ。
部隊がいるから見物位置が分かる。
規制があるから“ここが舞台”だと分かる。
安全対策が、そのまま演出になる。
新開市の最悪な習性が、今日も完璧に機能していた。
トミーが会場外周の表示板を見て、鼻を鳴らした。
「公開質疑って聞いて来たのに、会場前が多国籍治安博覧会だな」
「笑えねえ」
「新開市では褒め言葉だ」
義弘はため息をついた。
確かに、笑えないが、見慣れた地獄ではある。
まず膨らんだのは、刀禰ミコトの支持列だった。
明るい。声が大きい。配信慣れしている。
ミコト本人の軽妙さに引かれた市民、政治団体が連れてきた動員、ただ騒ぎたい新開市民が混ざって、色だけ見れば一番“祭り”に近い。
「はいここ、押さない押さない! コールは前でまとめて!」
日本国側の支援スタッフが声を張り上げ、秩序を保とうとする。
その努力は間違っていない。むしろ立派だ。
だが新開市民は、秩序を見た瞬間に“見せ場”を見出す。
「お、整列してる! じゃあこっちで対抗コール作ろうぜ!」
「ミコト様ルートこっちー!」
「勝手にルート作るな!」
政治団体のスタッフが頭を抱え、KOMAINU部隊がその横で淡々と導線を切る。
秩序のために送り込まれた人員が、祭りの燃料になる。
これもまた新開市だった。
次に目立ったのは、玲音――バンシーの支持列だ。
こちらは空気が少し違う。
おばさん、お姉さん、一部の男性の熱っぽい視線に、NECROテック支持層、現場志向の市民、外様サムライ隊を見てきた層が混ざる。
熱は高い。
だが、どこか抑制がある。
「詰めすぎるな、詰めすぎるな! 玲音くん、圧かけると固まるって切り抜き見ただろ!」
「応援はする、圧はかけない!」
「なんだその新ルール!」
義弘は思わずそちらを見た。
列の中に、自主的な“圧抑制係”みたいな連中がいる。
オスカーの差し金だけではない。
玲音本人の弱点が、支持者の間で共有されているのだ。
応援で硬直する。群衆の視線に弱い。
だから守るように応援する。
奇妙だが、悪くない成熟だった。
その外周を、OCMドローン・サムライ・ヒーロー隊が機動支援として巡回する。
ただし今日は見せ場を作るのが仕事ではない。
オスカーの指示が徹底しているのか、派手な挙動を抑え、列の偏りが大きくなった瞬間にだけ位置を変える。
義弘の端末が短く震えた。オスカーからのメッセージだ。
【玲音陣営南側、三分後に滞留。売店列と干渉します。】
義弘は真鍋へ転送し、すぐに短く打つ。
【助かる】
返事はすぐ来た。
【借りです】
「気持ち悪いな……」
義弘がぼそりと漏らすと、トミーが横から覗き込んで顔をしかめた。
「朝から借り貸しの挨拶してるのか。最悪だな」
使節の列は、支持というより見物だった。
静かだ。
しかし長い。
制度マニア、インフラ関係者、純粋な野次馬、アライアンス嫌いの監視勢、アライアンス信奉者、海外メディアの観測班まで混ざっている。
歓声よりも、観察の目が多い。
妙に重い空気の列だった。
そこへセグメンタタ部隊が入る。
彼らは声を荒げない。
ただ、列の層を分ける。
観測者、通過者、滞留者。
微妙に立ち位置をずらし、人の流れを“分節”する。
結果として、詰まりそうだった喉が開く。
一般市民から見れば、地味で面白くない。
だが事故は起きない。
アザド・バラニはその後方に立ち、端末に何かを書き込んでいた。監査記録官は今日も監査記録官の顔で、熱狂の只中を冷たく眺めている。
義弘が近づくと、アザドは視線を上げた。
「使節列、第二層が圧縮されかけました。セグメンタタで解きました。KOMAINUとの干渉なし」
「助かる」
「投資です」
「分かってる」
義弘はそこから会場前広場へ視線を走らせる。
有象無象候補の列が、すでに一番危ない。
旗だけ立派で、拡声器がうるさく、支持者というより“今ここで目立ちたい人間”が寄っている。
こういうところが、だいたい最初に燃える。
案の定、燃えかけた。
有象無象候補のひとりが、会場前の見物導線へ勝手に“記念撮影ポイント”を作ろうとしたのだ。
小さな台と旗を持ち込み、配信者を呼び込み、「ここが本当の民意だ!」と叫び始める。
その瞬間、別候補の支持者が噛みつく。
「導線塞ぐな!」
「お前んとこだってやってるだろ!」
「やってねえ!」
「やってた切り抜き見たぞ!」
「それ偽編集だ!」
声が上がる。前列が押される。後列が何も知らずに詰める。
最前列の柵が鳴る。
「真鍋!」
義弘が叫ぶより早く、真鍋の指示が飛ぶ。
「西側柵、三メートル開放! 候補者搬入導線B、今だけ一般へ切替! KOMAINU、押さないで流してください!」
鳴海宗一の声が重なる。
「二番、三番、横へ。正面圧を逃がす。子ども優先、配信者は後だ」
KOMAINU部隊が入る。
制圧ではない。
人の肩と肩の間に“すき間”を作るように入って、押し返すのではなく、横へ滑らせる。
同時に、セグメンタタ部隊が危険点の後ろへ薄く線を引くように配置され、後続の詰まりを止める。
F.QRE.D.QVEは上空から一機だけ降り、柵の倒れ込み角度を修正して即座に上がった。
見せ場を作らない最小介入。アライアンスらしい、いやらしく正確な仕事だ。
そしてOCMドローン・サムライ・ヒーロー隊は、その混乱に便乗して玲音列へ流れ込もうとした野次馬群を迂回させる。
派手に追わない。
“こっちは見ても面白くない”位置へ、そっと押し流す。
数十秒。
たったそれだけで、燃えかけた列はほどけた。
義弘は息を吐く。
膝が痛む。だが立っていられる。
トミーが横でぼそっと言う。
「質疑始まってないのにもう前哨戦終わったな」
「終わってねえ。始まっただけだ」
義弘の言葉に、トミーは耳をぴんと立てた。
「だよな」
会場内の準備が進むにつれ、外の熱はさらに増していった。
各陣営は、あからさまに列を“見せる”ようになる。
人数を誇示する者。
統率を誇示する者。
熱量を誇示する者。
配信コメント数を誇示する者。
候補者本人がまだ壇上にも立っていないのに、支持者たちはすでに勝負を始めている。
誰が一番強く見えるか。
誰が今日の空気を取るか。
誰の列が“絵になるか”。
義弘は外周通路から、その全部を見た。
KOMAINU部隊の再配置。
F.QRE.D.QVEの瞬間介入。
OCMドローン・サムライ・ヒーロー隊の機動制御。
セグメンタタ部隊の分節運用。
真鍋の現場指揮。
アザドの冷たい記録。
オスカーの予測支援。
こんな顔ぶれで守られているのに、街はまだ燃えようとする。
いや、守られているからこそ、燃え甲斐があるとでも言いたげに熱を上げる。
義弘は目を細めた。
戦争でも始まるのかと、さっきは本気で思った。
だが違う。
戦争なら、避難がある。
戦争なら、民間人は逃げる。
この街の連中は、スマホを掲げて前へ出る。
だからこれは、もっと質が悪い。
「……違うな」
義弘は独り言のように言った。
トミーが首を傾げる。
「何が」
義弘は会場前の列を見たまま答える。
「公開質疑の場が戦場なんじゃない」
そこで、別の候補者列と見物列が新しく交差しかけ、真鍋の怒鳴り声が飛ぶ。
鳴海のKOMAINUが走る。
上でF.QRE.D.QVEが旋回する。
遠くで誰かが「始まるぞ!」と叫び、配信コメントが波のように流れる。
義弘はその喧騒の中で、言い直した。
「もう、戦争だ。公開質疑って名前の」
新開市の朝は、討論の前にすでに火花を散らしていた。
壇上に候補者が上がる頃には、誰もが理解することになる。
今日の勝負は、言葉だけでは決まらない。
列を作る力と、列を燃やさない力――その両方で決まるのだと。




