第百九十三話 争点
速報のテロップは、だいたい人の飯時に出る。
療養施設の共有ラウンジでも、それは同じだった。
夕食のトレイが並び、子どもたちがスプーンを鳴らし、監視員が「走らない」と言った直後に、壁の大型モニターに赤い帯が走る。
【速報 アライアンス使節、個人として新開市長選への出馬を表明】
数秒、ラウンジの空気が止まった。
次の瞬間、施設内の端末という端末が一斉に震えた。
通知、通知、通知。
動画配信の開始、ニュースアプリの速報、SNSのトレンド更新、切り抜き職人の仕事開始。
新開市が、また沸騰した。
アリスは共有ラウンジの端、窓際の席で端末を開いたまま眉をひそめる。
「……うわ」
タイムラインは阿鼻叫喚だった。
『終わった、新開市が終わった』
『むしろ一番まとも説ある』
『義弘ついにアライアンスに阿ったか』
『いや試験官を連れてきただけだろこれ』
『使節、市長とか字面がもう怖い』
『誰か止めろ(誰も止めない)』
『新開市民の半分コメントしてない?』
アリスはスクロールの指を止めない。
止めると、余計な感情が追いつく。
「半分どころか、七割は書いてるだろ……」
呆れたように言って、すぐニュース配信を開く。
画面の中で、アライアンスの使節は相変わらず温度の薄い顔で立っていた。
マイクの本数だけは祭りみたいなのに、言っていることは徹底して堅い。
『個人として、推薦を受けることを表明します。』
『本件は勝利を目的とした政治的扇動ではなく、新開市における中立性・インフラ・システムの保全性・公平性を、候補者が公に答えるための契機であるべきと考えます。』
『“我々”は――失礼、私は、公開質疑の場に参加する意思があります。』
コメント欄が燃える。
「“我々”って言ったぞ!」
「言い直した!」
「こわいこわいこわい」
「逆に真面目すぎて新開市に向いてないだろ」
「いや向いてないやつしかいないだろ今」
アリスは画面を見つめたまま、舌先で奥歯を押した。
義弘の顔は映っていない。
だが、やったのが誰かは分かる。
まただ、とアリスは思う。
また義弘は、新開市を守るために、自分に飛んでくる火の粉を先にかぶっている。
使節を推薦する。
叩かれる。
阿ったと言われる。
それを全部分かった上で、街の争点を矯正した。
「……ほんと、そういうとこだよ」
呆れ半分、苛立ち半分。
そして少しだけ、感心してしまうのが腹立たしい。
アリスはニュースを閉じず、そのまま別ウィンドウを開く。
ネットサーフィン。候補者たちの反応を追う。
まず、刀禰ミコトの配信が上がっていた。
派手な導入、流れるコメント、切り抜き前提の見せ方。
だが中身は、アリスの予想よりずっと真正面だった。
『はい、じゃあ今日はそこ、ちゃんとやる。
“中立性”ね。これ、カッコいい言葉として使うとすぐ壊れるから、運用の話しないとダメ。』
コメントが流れる。
《ミコト意外とちゃんとしてる》
《意外は失礼》
《インフラ保全って言えた!》
ミコトは少しムッとした顔をして、しかし続ける。
『インフラ・システムの保全性。公平性。
それを誰に対してもやるってこと。推しにだけ優しくしても市長は回らない。
……まあ、推しには優しくしたいけど』
そこでコメント欄が笑いで埋まる。
だが論点は外していない。
アリスは無意識に画面を凝視していた。
刀禰ミコトも、争点を受けた。
しかも、自分の言葉に変えている。
別の候補の声明動画を開く。
『えー、中立性につきましては、私も以前から重視しており――』
以前から重視していたにしては言い慣れていない。詰まり方で分かる。
また別。
『インフラ保全とはすなわち列の経済効果の持続性であり――』
「違う」
アリスが即座に切った。
また別。
『公平性とは、すべての映えを平等に――』
「お前は黙ってろ」
ぶつぶつ言いながら、しかしアリスは内心で認めていた。
義弘の策は当たりつつある。
全員が上手く答えているわけではない。むしろ酷いのも多い。
それでも、“人気”や“正義”だけでは済まなくなっている。
争点が変わった。
街の言葉が、少しだけ変わった。
「……ほんと、面倒くさいやり方で当てる」
褒めてはいない。
だが否定でもない。
その時、タイムラインの上位に新しい配信通知が滑り込んできた。
【白縫玲音 声明配信】
アリスの指が一瞬止まる。
「……出るのか」
タップ。
画面の中の玲音は、派手な背景も演出もない場所に立っていた。
光は明るすぎず、服装も簡素。
配信慣れしていないのが分かる。
だが逃げてもいない。
コメント欄は開始直後から速い。
《きたーーー》
《バンシーくん!》
《がんばれ!》
《市長やって!》
《顔がいい》
《モルテさん見てる?》
玲音の喉が、ほんの少しだけ動く。
アリスは見逃さない。
応援に弱い。視線に弱い。玲音との会話が頭をよぎる。
玲音は一拍置いて、呼吸を整えた。
そこで逃げなかったのは、少し成長している証拠だった。
『白縫玲音です。コードネームは、バンシー。』
丁寧で静かな声。
コメント欄の熱に飲まれないよう、速度を守っている。
『出馬について、お話しします。
僕は、中立性、インフラ・システムの保全性、公平性が、新開市の市長に必要な条件だと考えています。』
ここまでは使節の争点に乗っている。
アリスは腕を組んだまま聞く。
『ただ、それを運用するのは人です。
制度だけが公平でも、運用する人間が区別されるなら、現場で歪みます。』
コメント欄の流れが一瞬変わる。
早いコメントの中に、ちゃんと聞いている連中が混ざる。
《人の公平》
《おお》
《NECROのこと言ってる?》
《そこ踏み込むのか》
玲音は少しだけ視線を上げた。
カメラを見るというより、その向こうの誰かへ言葉を届ける顔だった。
『僕は、制度の公平性だけでなく、それを動かす人を区別しない運用を重視します。
出自、身体、経歴、治療歴――そういうもので、最初から役割を狭めない街にしたい。』
アリスの表情が、わずかに固くなる。
NECROテックの兄弟姉妹のため。
玲音はそう言った。
その言葉を、ちゃんと政治の言葉に翻訳して持ってきた。
オスカーの台本っぽさがゼロとは言わない。
だがこれは玲音の声でもある。
『それは、NECROテックの兄弟姉妹のためでもあります。
……でも、それだけではありません。新開市の現場全体のためです。』
そこで玲音は、コメント欄の勢いに押されるように一瞬言葉を詰まらせた。
《がんばれー!》
《バンシーくんならできる!》
《応援してる!!》
アリスの指先がぴくっと動く。
止まるか、と見た。
玲音は呼吸をひとつ置く。
視線をいったん画面の端へ逃がし、戻す。
『……応援、ありがとうございます。
でも今日は、応援より先に、何を答えるべきかを見てください。』
コメント欄が一瞬静まり、次の瞬間にまた速くなる。
《今のよかった》
《ちゃんと立て直した》
《応援より答えw》
《好き》
アリスは舌打ちしそうになって、しなかった。
「……ちゃんとやるじゃん」
褒めてはいない。
でも、前よりはっきり認めている。
その時、背中にぽす、と小さな重みが乗った。
振り返るまでもなく分かる。療養施設の子どもたちだ。
「アリスー」
ひとり。
次にもうひとり。
そのまま三人目が腕にぶら下がる。
「見てるの、バンシーお兄ちゃん?」
「出るの? 市長?」
「アリスは出ないの?」
「ねえ、だれが市長だといいの?」
質問が無邪気すぎて、刃物みたいに刺さる。
アリスは端末を持ったまま、少しだけ肩をすくめた。
背中にしがみつく小さな手の温度がある。
NECROテック患者の子どもたち。兄弟姉妹。守るべき側。家族。
同時に頭に浮かぶのは、義弘の顔だ。
膝を壊しても、叩かれても、街の争点を変えようとする面倒な男。
トミーの毒舌。真鍋の赤ペン。シュヴァロフの気配。
新開市。
NECROテックの兄弟姉妹。
義弘たち家族。
どれも捨てたくない。
どれも、同じ方向だけを向いてはいない。
アリスは答えようとして、言葉を選び損ねる。
口が悪い時の方が楽だ。こういう時は困る。
「……うるさい。背中で会議するな」
とりあえずそれを言う。
子どもたちは笑う。質問は止まらない。
「アリス、バンシーお兄ちゃん好き?」
「は?」
「きらい?」
「極端かお前らは」
笑い声の中で、アリスはもう一度画面を見る。
玲音はまだ話している。
使節は争点を持ち込み、義弘は火の粉をかぶり、刀禰ミコトはそれを自分の言葉にして、玲音は“人を区別しない運用”を掲げる。
街の言葉が変わっていく。
その変化の中に、自分の兄弟姉妹も、義弘たちも、どちらもいる。
アリスは小さく息を吐いた。
「……めんどくさ」
誰に向けた言葉か、自分でも半分しか分かっていない。
背中の子どもたちが騒ぎ、画面の中で玲音が言葉を選び、ニュースのテロップは次の速報を待っている。
新開市の市長選は、まだ始まったばかりだった。




