第百九十一話 旗と顔
新開市は、新しい顔を見つけるのが早い。
実力を測るより先に、切り抜く。
背景音をつけるより先に、タグをつける。
本人の意思を聞くより先に、ファンアートを描く。
それが良い時もある。
悪い時の方が多い。
白縫玲音――コードネーム《バンシー》は、第193話の現場動画が出回ってから一日も経たないうちに、新開市の“新しい顔”にされていた。
最初は、よくある切り抜きだった。
『モルテが認めた新顔』
『可愛いのに動きガチ』
『救護導線さばきが神』
そこに、勝手な字幕と勝手な解説が付く。
「新サムライ・ヒーロー誕生か!?」
「市長候補、ある?」
「バンシーくん尊い」
“くん”まで、もう決まっている。
新開市のおばさんたちは速かった。
次にお姉さんたち。
さらに一部の男性が、照れた顔で流れに乗った。
「この子、礼儀正しいのがいいのよ」
「モルテさんと並ぶと映える~」
「目がいいわよね、目が」
「いや動きがマジで本物なんだって」
「応援したい!」
「応援タグ作ろ!」
気づけば、非公式ファンクラブが立ち上がり、応援SNSアカウントが乱立し、似顔絵、切り抜きMAD、短い応援動画が流れ始める。
選挙戦そっちのけで、街の熱はバンシーへ傾きはじめていた。
市長選は、まだ公示前だ。
そんな理屈を、新開市はとうに踏み越えている。
その流れを、アリスは端末の画面越しに睨んでいた。
療養施設の個室。
許可された範囲のネット接続。
監視の目はある。
だが見るだけなら止められない。
流れるタグ。
揃いすぎた拡散導線。
上がり方のタイミング。
NECROテック側に都合の良すぎる空気。
アリスは舌打ちを飲み込む。
「……仕込みだな」
「オスカーの」
確証はない。
だが匂いはある。
オスカー・ラインハルトは、露骨にやる時と、綺麗にやる時の落差が大きい。
今回は後者だ。
本人の意思か、部下の忖度か、兄弟姉妹の自主運動に便乗しただけか――細部はどうでもいい。
問題は、また“顔”が作られていること。
しかもNECROテックの兄弟姉妹の顔として。
アリスは画面を閉じ、少しだけ目を伏せた。
怒っている。
同時に、嫌な予感が当たりすぎていて腹が立っている。
「……本人に聞く」
短く呟いて、端末を開き直す。
普通の連絡文面に見えるように打つ。
だが文中の位置、句読点、言い回しに、NECROテックエージェント同士の符丁を混ぜる。
表向きはただの確認。
内側の意味は――《兄弟姉妹の呼び出し。非公式。単独で来い》。
送信。
数秒後、既読がついた。
返信は短い。
――分かりました。
それだけで、玲音が符丁を読めたことが分かる。
それだけで、アリスの苛立ちは少し増した。
読めるなら、余計に分かってるはずだからだ。
呼び出し場所は、療養施設の裏手にある古い搬入口だった。
今は使われていない。
壁は曇っていて、照明は半分切れている。
映えない。
だから話をするにはちょうどいい。
シュヴァロフは少し離れた場所に控えていた。
姿を見せる位置ではない。
気配だけ置く、いつもの守り方だ。
先に来たのは玲音だった。
やや長めの髪を後ろで軽くまとめ、簡素な上着を羽織っている。
現場用の装備は最小限。
それでも立ち姿はぶれない。女の子と見間違えそうな顔立ちなのに、重心の置き方が訓練された人間のそれだ。
玲音はアリスを見ると、小さく頭を下げた。
「……呼び出し、ありがとうございます」
「その丁寧語、便利だな。何言われても角が立ちにくい」
アリスは壁にもたれもせず、正面から立つ。
「何を仕込まれてる」
挨拶は終わり。最初から本題だ。
玲音は一瞬だけ目を細めたが、怯えない。
「何を、とは」
「とぼけんな。バンシー人気の伸び方が綺麗すぎる。オスカーに何を約束された」
アリスの声は低い。
怒鳴らない。怒鳴るより冷たい。
「私をまた旗に使う気か」
玲音はその言葉を、すぐには返さなかった。
呼吸を一度だけ整える。
群衆の前ではなく、静かな場所だ。硬直はしない。
「オスカーの意図は、あると思います」
否定しない。
そこは正直だった。
「でも、僕は僕の意思で来ています」
「へえ」
「兄弟姉妹のためです」
その言葉に、アリスの眉がわずかに動く。
アリスもNECROテックの兄弟姉妹だ。
その言葉を軽く扱う相手なら、ここまで呼ばない。
だからこそ面倒だ。
「兄弟姉妹のため、ね」
アリスは少しだけ首を傾けた。
「そのために、街で人気者ごっこか」
玲音の目がほんのわずかに揺れた。
刺さった。だが言い返す。
「ごっこではありません。現場に出ています」
「知ってる。見た。動きは悪くない」
褒めても、声は冷たいままだ。
「だから聞いてる。何を狙ってる」
玲音は視線を逸らさずに答えた。
「NECROテックの兄弟姉妹が、“配慮される側”で終わらないための足場を作りたいんです」
アリスは無言で続きを促す。
「今の新開市は、市長選を前にして“顔”を探しています。そこに兄弟姉妹の誰かが立てる可能性があるなら、現場での信頼は必要です。……好感度も」
言いにくい言葉を、玲音はちゃんと言った。
それが若さでもあり、誠実さでもある。
「だから僕は来ました。兄弟姉妹のために」
アリスは鼻で笑った。
「言い方だけ聞けば立派だな」
「立派である必要はありません。必要なのは、通ることです」
その返しに、アリスは一瞬だけ黙った。
オスカーの言い回しに似ている。
似ているが、コピーではない。玲音の実感が混ざっている。
だから余計に腹が立つ。
「で」
アリスは一歩近づいた。
「私に何をさせたい」
玲音は驚かなかった。
そこまで読まれていることに、少しだけ目を伏せる。
「……義弘さんに、働きかけてほしいです」
アリスの目が細くなる。
「は?」
「あなたは新開市のために動いてきた。分かります。でも、義弘さんの近くにいるあなたなら、兄弟姉妹の権利回復や公的な位置づけを、もっと前に進められる」
言葉は丁寧。
内容は踏み込みが深い。
「中立の制度設計の中に、NECROテックの声を入れるべきです。市長が誰になっても、兄弟姉妹の扱いが後退しないように」
アリスは無表情のまま聞いていた。
聞いて、最後まで聞いてから吐き捨てる。
「それを私に言うのか」
「言います」
「私が誰のせいで何回“旗”にされたと思ってる」
「知っています」
「知ってて言うなら、性格悪いな」
玲音はそこで、初めて少しだけ言葉を詰まらせた。
だが引かない。
「……あなたが動けば通ることがある」
アリスの声が低く落ちる。
「私が動けば、街がまた私を中心にする」
「でも、動かなければ兄弟姉妹の機会を逃すかもしれない」
「街が燃えたら、兄弟姉妹の居場所ごと燃える」
「盤面に立たなければ、ずっと“配慮される側”です」
言葉がぶつかる。
どちらも正しい。
どちらも相手の正しさを半分は理解している。
だから、余計に引けない。
アリスは壁に手をついた。叩かない。音は出さない。
静かな怒り方だ。
「オスカーの“得”は、いつも誰かを盤面に置く」
「それは分かっています」
「お前は今、“顔”として消費されてるだけだ」
玲音の喉がわずかに動く。
その言葉は、痛いところを刺している。
今日だけで何回、知らない誰かに“バンシーくん”と呼ばれたか。
何回、目線の高さじゃなくカメラの角度で話しかけられたか。
玲音自身が、分かっていないはずがない。
それでも、玲音は言う。
「消費されても、残るものを作れれば意味があります」
アリスは目を見開いた。
その理屈は危うい。
危ういが、現実には強い。
「……若いくせに、嫌なこと言うな」
「あなたに言われたくないです」
静かな返し。
アリスの口元が、わずかに歪む。笑いではない。苛立ちに近い感心だ。
しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。
外では遠く、また誰かの配信の笑い声がする。
新開市は今日も祭りの準備をしている。
アリスが先に口を開いた。
「利用されるな」
玲音が目を上げる。
「お前、応援で止まるタイプだろ」
玲音の目が、はっきり揺れた。
モルテに指摘されたばかりの弱点。
現場で見抜かれた癖。
それをアリスが、会って数分で言い当てた。
「……見ていたんですか」
「見なくても分かる。お前、罵声には慣れてる顔してるのに、好意を向けられた時だけ息が浅い」
玲音は否定しなかった。できなかった。
アリスは続ける。
「新開市の応援は、だいたい事故の前触れだ。覚えとけ」
玲音は小さく息を吐いた。
忠告だ。
きつい言い方をしているが、内容は守る側の言葉だ。
だから、玲音も一つ返す。
「あなたも」
「は?」
「あなたも、街に呼ばれると止まれない」
今度はアリスの方が黙る番だった。
図星。
新開市のため、義弘のため、家族のため。
理由はある。だが結果として、呼ばれるたびに前へ出てきたのは事実だ。
数秒の沈黙。
シュヴァロフの気配が、少しだけ近づいて、また止まる。
介入しない。見ているだけだ。
アリスは視線を外し、吐き捨てるように言った。
「……生意気」
玲音はわずかに頭を下げた。
「すみません」
「謝るな。余計むかつく」
それで話は終わりだった。
和解はしない。
握手もしない。
互いの正しさを認めたわけでもない。
ただ、どちらも相手を“誰かの駒”だけでは見なくなった。
それだけが、小さな前進だった。
玲音が去ったあと、アリスはしばらくその場に立っていた。
壁際の暗がりから、シュヴァロフが静かに出てくる。
何も言わない。
言葉を選ぶ時間をくれる動きだ。
アリスはようやく口を開く。
「……面倒なやつ増えた」
シュヴァロフは否定しない。肯定もしない。
ただ一歩、アリスの歩幅に合わせる位置に立つ。
アリスは端末を見下ろした。
通知は増え続けている。バンシーのタグ、刀禰ミコトの話題、勝手に立候補を匂わせる連中、義弘の辞任観測、真鍋さんを市長にする会――ろくでもないものばかりだ。
「……私、街のために動いてるつもりなんだけどな」
独り言みたいな声だった。
シュヴァロフは歩き出す。
帰るぞ、という速度で。
アリスもついていく。
新開市では今日も、“旗”と“顔”が量産されている。
そのどれもが、誰かにとっては希望で、誰かにとっては道具だった。
同じ夜、OCMの一室で報告を受けたオスカー・ラインハルトは、静かに目を細めた。
「アリスが、バンシーと接触しました」
部下の報告は簡潔だった。
詳細はまだ上がっていない。
だが、十分だ。
オスカーは指先でサボテンの鉢を回し、棘を避けるように触れる。
余計なことを言わない相手を相手にする時だけ、少し機嫌がいい。
「結構」
笑みは穏やかだ。
中身は穏やかではない。
「兄弟姉妹は、まず互いに本音で衝突すべきです」
それが傷になることも、結束になることもある。
どちらでも使える。
オスカーはそういう男だった。
窓の外で、新開市の灯りが揺れている。
選挙はまだ始まっていない。
だが街はもう、次の中心を作るための熱で煮え始めていた。




