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第百九十話 査問と仕込み

 市長を辞める、という言葉は、辞表を書く前から街を動かす。


 本人がまだ病室で膝を固定していても、

 真鍋が“雑に降りるな”と段取り表を赤で塗っていても、

 トミーが横から毒を差していても、

 外ではもう、次の椅子をめぐる視線が飛び交っていた。


 新開市は、公示前から選挙を始める街だ。

 しかも今回は、中央と企業と市民の祭り気質まで混ざっている。


 まともな話になる方が難しい。


 その日、病院の面会室に現れた男は、相変わらず温度の薄い顔をしていた。


 アライアンスの使節。


 氷の母が動くほどのことではない案件を、根回しと規範運用で片づける男。

 自分たちを指す言葉は常に“我々”。

 礼儀はある。遠慮はない。


 義弘はリハビリ用の杖を脇に置き、椅子に深く座って使節を見る。

 膝はまだ痛む。顔色も万全とは言えない。

 だがこの男と話す時だけは、病人の顔をしている方が危ない。


 真鍋も同席していた。

 書類を抱えたまま、顔だけは平静を保っている。


 トミーは窓際にいる。

 ウサギの耳をぴくりとも動かさず、珍しく黙っていた。

 黙っている時のトミーは、大抵ろくでもないことを考えている。


 使節は座るなり、前置きをほとんど省いた。


「市長。確認したいことがあります」


 確認。

 実質は査問だ。


「いつ、市長を辞めるおつもりですか」


 義弘はすぐに返さない。

 相手の言葉を一度飲み込んでから、短く答える。


「“辞める”じゃない。“降りる段取り”を作ってる最中だ」


「失礼。では言い換えます。いつ、その段取りを実行するのですか」


 真鍋が口を挟む。


「時期は未定です。現時点では中立運用の引き継ぎ条件を先に――」


 使節は真鍋の方を見た。

 遮らない。だが“その話は当然知っている”顔だ。


「把握しています。だからこそ、次を聞きます」


 視線が義弘へ戻る。


「新市長のもとで、インフラ・システムの中立性は維持できますか」


 面会室の空気が少し冷えた。


 そこが本題だ。

 義弘の健康状態でも、辞任時期でもない。

 義弘の後ろに残る仕組みが、アライアンスにとって信用できるかどうか。


 義弘は杖に手をかけるでもなく、使節の目を見返す。


「そのための条件を作ってる。個人の善意じゃなく、運用で縛る」


 使節はほんのわずか、顎を引いた。

 肯定とも保留ともつかない反応。


「条件の内容は」


 真鍋が用意していた紙を開く。

 ページの端には赤字、付箋、書き込み。徹夜の匂いがする。


「草案段階ですが――新市長に求める最低条件として、

 中立運用の継続、アライアンス・日本国・OCMとの距離管理、治安機関との即応連携、列への理解、インフラ優先判断……」


「列への理解」


 使節がそこだけ拾った。

 義弘が苦い顔をする。


「要るんだよ。この街じゃ」


 トミーが窓際からぼそりと差す。


「法律の教科書より先に、列の流し方覚えないと死ぬからな」


 真鍋が睨む。


「補足としては正しいが、言い方を選べ」


「選んだ結果がそれだ」


 使節は、トミーの毒舌を無視した。無視がうまい。


「もう一つ。義弘市長、あなたは新市長とどう関わるつもりですか」


 そこも厄介な問いだった。


 関わりすぎれば、影の市長。

 離れすぎれば、空白。

 どちらも中立を壊す。


 義弘は一度だけ息を吐く。


「制度の引き継ぎには関わる。政治の決定は新市長に任せる。……だが、街が燃える時は知らん顔できない」


 真鍋が目を閉じる。

 それが義弘だ。だから困る。だから必要だ。


 使節は数秒黙り、淡々と告げる。


「“我々”が警戒しているのは、日本国による新開市の実質的回収です」


 言葉がはっきりしていた。婉曲がない。


「義弘市長の運用は信用している。しかし次は別です。顔が変わる。条件が変わる。周辺の誘惑も圧力も変わる」


 義弘は頷いた。否定できない。

 使節は続ける。


「ゆえに“我々”は、候補者の人格ではなく、中立性を担保する最低条件と引き継ぎ設計を確認します」


 それは介入の予告でもあった。

 候補を選ぶと言っていない。

 だが条件を“確認”する立場には入る、と言っている。


 義弘は口元だけで笑った。疲れた笑いだ。


「相変わらず抜け目ないな」


「褒め言葉として受け取ります」


 使節は一拍置いてから、少しだけ声音を崩した。


「個人的な発言で申し訳ないが……日本国では選挙の事前運動は禁止されていると聞いているのだが」


 真鍋が反射的に目を逸らす。

 トミーの耳がぴくっと跳ねる。

 義弘は溜息を混ぜて答えた。


「ここは新開市だぞ」


 数秒の沈黙のあと、トミーがすかさず差し込む。


「法の授業はやってる。受講率が終わってるだけだ」


 真鍋が即座に返す。


「お前は黙ってれば少しはマスコットなのに」


「少し“は”が余計だな」


 使節は、ほんのわずかに口角を動かした。

 笑ったのかどうか、よく分からない程度に。


「理解しました。中立性の引き継ぎ条件草案、早期に共有を」


「分かってる」


「“我々”は中立性の継続のみを見ます」


 そう言い残して、使節は立ち上がった。

 来た時と同じく、体温の薄い足取りで去っていく。


 扉が閉まると、面会室に人間の空気が戻った。


 真鍋は即座に書類へ目を落とした。


「共有前提で文言を締め直します。『列への理解』は残す。絶対残す」


 義弘は頷く。


「残せ。そこ削ると新開市で使えない」


 トミーは窓枠に前脚――いや手を乗せて、街を見下ろす。

 下ではもう、誰かが勝手に“候補応援”の配信を始めているらしい。小さな歓声が上がっていた。


「中立条件を作る前に、街が候補を量産してるんだが」


「見えてる」


「止める?」


 真鍋が顔を上げずに答える。


「止めると燃える。流す」


 義弘が苦笑する。


「すっかり真鍋の戦い方になったな」


「誰のせいだと思ってるんですか」


 そのやり取りの最中にも、別の場所で“仕込み”は始まっていた。


 夕方の新開市。

 騒ぎの中心から半歩外れた、治安機関の補助拠点。


 派手さのない建物の前で、モルテは腕を組んでいた。

 新開市に残った外様サムライ隊協力枠。OCM出向。

 現場では口数より結果で語る男だ。


 その前に、一人の青年が立っていた。


 初見では少女と見間違えそうな顔立ち。

 白い肌、長い睫毛、やや長めの髪。

 線は細いのに、立ち姿に無駄な揺れがない。首筋と肩の筋の入り方が、訓練された身体のそれだった。


 青年は静かに頭を下げる。


「白縫玲音です。……コードは、バンシー」


 声は低すぎず高すぎず、落ち着いている。

 丁寧だが媚びていない。


 モルテは一瞥しただけで判断しない。

 見た目で判断すると、新開市ではだいたい損をする。


「話は聞いてる。NECROテックの“現場評価枠”だな」


「はい。外様サムライ隊協力、治安機関補助、列誘導補助の名目で」


「名目はいい」


 モルテは短く切った。


「使えるかどうかだ」


 玲音――バンシーは頷く。言い返さない。

 その瞬間、拠点の奥から慌ただしい声が上がった。


「こっち詰まってる! 搬入口前に配信連中が固まってる!」


「救護車入れねえ!」


 新開市だ。

 静かな顔で問題が湧く。


 モルテは顎で示した。


「行け。五分」


 説明はない。

 現場だけ渡す。


 玲音は一礼もせず、即座に走った。そこが良かった。

 礼より先に処理に入る。現場の人間だ。


 搬入口前には、勝手に“候補観測配信”をしている連中が群がっていた。

 誰が市長になるだの、刀禰ミコトが来るだの、アリス派がどうだの。

 カメラ、マイク、リングライト。

 救護車両の導線を、悪気の薄い熱で塞いでいる。


 玲音は大声を出さない。


「右へ寄ってください。車両が入ります」


 静かな声だが、通る。

 通る位置に立っているからだ。


 視線の集まる中心に立たず、流れの節に立つ。

 人の肩と肩の隙間、カメラの死角、看板の影。

 一歩、二歩で“どこを空けると全体が動くか”を作る。


「配信は続けて構いません。角度だけ変えてください。そちらは映ります」


 禁止しない。

 潰さない。

 流す。


 新開市向けの正解に近い動きだった。


 救護車がゆっくり入る。

 群衆が押し返されるのではなく、自分からずれる形で流れる。


 モルテが遠目に見て、小さく息を吐いた。

 速い。きれいだ。判断も悪くない。


 その時、群衆の中の誰かが玲音に気づいた。


「え、誰あれ」

「新入り?」

「可愛……いや男?」

「動きやばくない?」

「がんばれー!」


 最後の一言が、玲音に刺さった。


 足が、半拍止まる。


 視線が一斉に向く。

 レンズも向く。

 “応援”の声が続く。


「いいぞー!」

「新しいサムライ!?」

「名前は!?」


 玲音の喉が詰まる。

 罵声なら処理できる。危険として切れる。

 好意は違う。期待は違う。処理欄がない。


「……あ、ありがとうございます。いえ、今はその――」


 丁寧さが過剰になり、言葉が遅れる。

 遅れは、流れの遅れになる。


 詰まりが戻りかけた瞬間、モルテが前へ出た。


「撮るなら下がれ。救護優先だ」


 低い一言で、熱を叩き切る。

 玲音の肩を軽く引き、立ち位置を半歩ずらす。


「呼吸」


 短い指示。

 玲音ははっとして、息を整える。


「……はい」


 そこからの立て直しは速かった。

 救護車を通し、搬入口の前を空け、配信連中の流れを脇へ逃がす。

 五分どころか三分半。現場の処理としては上々だ。


 作業が一段落すると、モルテは玲音を拠点の壁際へ連れていった。

 騒ぎの音が少し遠くなる位置。


「使える」


 評価は短い。

 玲音の目がわずかに揺れる。嬉しいのを出し慣れていない顔だ。


 だがモルテはそこで終わらない。


「ただし、この街じゃ弱点が致命傷になる」


 玲音は黙って聞く。


「群衆の視線に弱い。応援で硬直する。合ってるな」


「……はい」


 否定しないのも良かった。

 モルテは顎を上げて、まだ騒いでいる配信連中を示す。


「ここは強さだけじゃ足りない。見られ方も仕事だ」


 玲音はその言葉を、少し時間をかけて飲み込んだ。

 NECROテックの兄弟姉妹の中で磨いてきた技能は、現場で通じる。

 だが新開市では、それだけでは足りない。


「指示をください」


 玲音は静かに言った。


「現場に合わせます」


 モルテはわずかに口角を上げる。笑ったというより、納得した顔だ。


「いい。お前、残れ」


 そのやり取りを、少し離れた位置から見ている者がいた。

 自警団崩れの配信者、通りすがりの市民、治安機関の下っ端。

 誰もが同じ感想を、少しずつ違う言葉で漏らす。


「誰だあれ」

「モルテが認めたぞ」

「新しいやつ、来たな」


 名前はまだ広まっていない。

 候補でもない。

 ヒーローとして売り出されてもいない。


 それでも、“顔”は作られ始めていた。


 夜、病院の廊下で義弘は杖をつきながら歩いていた。

 リハビリのついでに、考えを整理するための散歩だ。


 窓の外には、新開市の灯り。

 どこかでまた、誰かが勝手に候補を名乗っているだろう。

 刀禰ミコトの配信はまだ伸びているだろう。

 アリスはアリスで、旗にされるたびに口を悪くしているだろう。

 真鍋は書類を増やし、トミーは毒で空気を切っている。


 そこへ真鍋が追いつく。書類を抱えている。増えていた。


「使節への草案、修正版です。あと、鳴海さん経由で現場報告」


「何だ」


「モルテのところに、NECROテックの新顔が入ったそうです。実力あり。……ただ、群衆に弱い」


 義弘は足を止めた。

 窓ガラスに、自分の疲れた顔が映る。


「また増えたな」


「ええ」


 真鍋は淡々と答える。だが声の底に苦味がある。


「制度を作る側も、現場で顔を作る側も、もう動き始めてます」


 義弘は窓の外を見た。

 新開市の灯りは、祭りの余熱みたいに揺れている。


 市長選は、まだ始まっていない。

 なのに街はもう、“次の中心”を作る準備をあちこちで始めていた。


「……忙しくなるな」


 真鍋は書類を抱え直す。


「もうなってます」


 義弘は小さく笑って、また杖をついた。

 膝は痛む。身体は重い。

 それでも止まれない。


 止まれば、誰かが勝手に中心を作る。

 この街はそういう街だ。


 だから今は、降りる準備と、降りた後の街の準備を並べて進めるしかなかった。

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