第百八十九話 候補
看板が消えても、人は消えない。
急進派という名前は、もう使いにくくなっていた。
新開市“暴動”認定事件で、あまりにも大きな恥をかいたからだ。
あの拡声器の声も、導線屋残党を“協力者認定”した理屈も、もう表では使えない。
だが、恥をかかされた政治家たちが、そのまま消えるわけではない。
人は残る。
役職も、名刺も、政財界の電話帳も残る。
残った人間は、残った道具で刺してくる。
今回は、制度と人事だった。
元急進派の面々は、表では静かだった。
謝罪とも反省ともつかない言葉を並べ、
「現場の混乱」
「認識の齟齬」
「今後の検証」
と、誰にも責任がない顔をしている。
だが水面下では、早かった。
新開市市長・義弘が、辞任寸前まで話を進めている。
健康上の限界も広く知られている。
膝の骨折、過労、心身の消耗。
本人が市長職の継続に無理を抱えていることは、もう隠しようがない。
それを掴んだ元急進派は思った。
利用しない手はない。
義弘を正面から倒せないなら、義弘の後に座る椅子を押さえればいい。
新開市を、もう一度“中央と協調的な街”に見せ直せばいい。
義弘の中立運用を、「あの一件の特殊例」で終わらせればいい。
報復は、怒鳴り声ではなく推薦状の顔をして始まった。
病室で、義弘はその匂いを先に嗅いでいた。
ベッドに半身を起こし、膝の固定具の重さを気にするでもなく、真鍋とトミーに言う。
「来る」
短い。
だが市長の声だった。
「元急進派が何か仕掛けてくるのは分かってる。俺が限界だってことも、辞める段取りが進んでることも、向こうは知ってる」
真鍋は頷く。
否定する材料がない。
トミーは耳をぴくりと動かして、ベッド脇の椅子にだらしなく座ったまま言う。ウサギのくせに態度がでかい。
「問題は、何を持ってくるかだな。札束か、肩書きか、笑顔か」
「全部だろ」
真鍋が即答した。
そういう相手だ。
義弘は苦く笑ってから、すぐ真顔に戻る。
「日本国の息のかかった市長候補を送り込んでくる。近いうちに」
そこまでは、三人とも同じ読みだった。
中央の推薦。
危機管理の専門家。
元官僚。
“安定”を掲げる、理屈の通る顔。
誰もが、そういう顔を想像していた。
だから――実際に出てきた名前で、全員が止まった。
速報は、病室のテレビから流れた。
『政財界有志による新開市長候補推薦の動きが明らかになりました。推薦を受けたとされるのは――ヴァーチャル・サムライ、刀禰ミコト氏です』
病室の空気が沈黙した。
義弘が先に反応した。
仰天、という言葉がいちばん近い。
「……は?」
真鍋は額を押さえた。
頭痛の位置が分かる押さえ方だ。
トミーは口を開きかけて閉じた。
毒舌が一周して、言葉が出ない。
テレビの中では、もっともらしい理由が並ぶ。
『新開市に縁が深く、若年層への発信力があり、危機下での象徴性も高い――』
理屈としては、成立してしまう。
そこが最悪だった。
中央の息がかかっている。
だが見た目は“押しつけ官僚”じゃない。
新開市が歓迎しそうな顔。
しかも、実際に熱量がある。
義弘は天井を見た。
天を仰ぐのは真鍋の役目だと思っていたが、今日は自分の番だった。
「そこかよ……」
刀禰ミコト本人も、どうやら寝耳に水に近かった。
すぐに配信が始まる。
いつもの鮮やかな画面。
だが声の立ち上がりに、わずかな揺れがある。
『えっと……その、正直、私も整理できてないです』
コメント欄は爆速で流れる。
ミコト市長!?
うおおおおお
いやマジ?
中央の推薦って何
新開市救うのか
頑張れ
断れ
やれ
逃げるな
刀禰ミコトは一度だけ息を整えた。
虚飾の整え方ではない。
ほんとうに揺れている人間の整え方だ。
『でも……新開市には、お世話になったし。私にできることがあるなら、逃げたくはないです』
善意だ。
誠意もある。
だから厄介だった。
悪人なら殴りやすい。
善意の候補は、殴るとこっちが悪く見える。
配信の切り抜きは、数分で新開市中を走った。
そして新開市は、案の定というべきか、期待を裏切らずというべきか――即座に祭りになった。
まだ市長選は始まっていない。
公示前だ。
制度上は、まだ何も始まっていない。
だが新開市に、そんな理屈は効かない。
「刀禰ミコトが市長!?」
「なら俺も出る!」
「私もやる!」
誰に向かって宣言しているのか分からない声が、街のあちこちで上がる。
勝手にポスターめいたものが作られ、勝手に配信枠が立ち、勝手に“支持会”が名乗りを上げる。
魑魅魍魎が集まった。
サムライ・ヒーロー志望。
アリス信奉者。
義弘ファン。
グランド・コンコルディア系の胡散臭い連中。
「真鍋さんを市長にする会」 (本人がまったく知らない)。
折原の同調者。
ヴァーチャル・サムライ勢。
自警団。
どう見ても導線屋。
どう見ても導線屋なのに、反射ベストを着て「市民のため」と言い張る連中までいる。
市長選前なのに、もう選挙祭り会場だった。
市庁舎の一角で、その報告を受けた真鍋は本当に天を仰いだ。
「……まだ公示前だぞ」
鳴海宗一は報告書の束を見ながら、無言で机に置いた。
言葉にすると仕事が増える類の現実だった。
「警備計画が存在しない混乱です」
「それを言うな。存在しないものの計画を作るのがこっちの仕事になる」
そこへトミーがひょいと顔を出して、耳をぴんと立てた。
「選ばれる前から落選運動みたいな顔ぶれだな」
真鍋が疲れた顔で見る。
「お前、たまに的確だから腹が立つ」
「たまにじゃない。常にだ」
「その自己評価でよく生きてるな」
「愛嬌だろ」
ウサギが胸を張って言うな、と鳴海は思ったが口には出さなかった。
出すと会話が増える。
アリスの名前も、また勝手に使われ始めていた。
“アリスが守った街”を掲げる自警団。
“アリス派市長候補”を名乗る者。
“アリスの意志を継ぐ行政”という、本人に聞けば確実に殴られる文言まで飛び出す。
外出許可の範囲で街を移動していたアリスは、その看板を見つけた瞬間、足を止めた。
「……は?」
「私を政策の代わりに使うな」
吐き捨てた声は低い。
低いが、通る。
近くの自警団崩れの若者が、ぎくりと振り向く。
まさか本人がいるとは思っていなかった顔だ。
「い、いや、その、応援っていうか――」
「応援なら勝手にやれ。私を旗にすんな」
正論だった。
正論なのに、周囲の目はかえって熱を帯びる。
「やっぱ本人、筋通ってる」
「アリスさん、ぶれてない」
「だから推せる」
最悪だ、とアリスは思う。
言うほど旗としての強度が増す。
シュヴァロフが一歩だけ前に出て、視線の角度を切る。
守る。映えない角度で。
それが今いちばん効く。
アリスは舌打ちしそうになって、しなかった。
今はそれすら切り抜かれる。
「……帰るぞ」
そう言って歩き出す背中は、どこか苛立っていた。
苛立っているのに、群衆の熱を完全には切れない。
その熱が、また街を祭りにする。
一方そのころ、OCM側でも別の熱が上がっていた。
オスカー・ラインハルトの前に、NECROテックの兄弟姉妹たちが集まっている。
年齢も、状態も、装備もさまざま。
だが目だけは似ていた。
生き残ってきた者の目だ。
彼らはオスカーに嘆願していた。
「アリスのために」
「兄弟姉妹の誰かが、市長になるべきです」
オスカーはすぐには答えなかった。
眉目秀麗な企業人の顔のまま、指先だけがゆっくり動く。
サボテンの棘を避ける時みたいな、慎重な手つきだった。
嘆願の理由はひとつではない。
アリスを守りたい。
NECROテックの声を制度に入れたい。
“特殊な患者”や“サイボーグもどき”として扱われ続ける生を、表舞台から変えたい。
どれも理解できる。
どれも“得”になりうる。
オスカーにとっての得は、自分の栄達ではない。
NECROテックの兄弟姉妹の得だ。
新開市市長という椅子。
中央が刀禰ミコトを押し出し、街が魑魅魍魎の祭りを始めたこの瞬間。
そこにNECROテックの候補を差し込めば――社会の表舞台にNECROテックを立たせる前例になる。
魅力的すぎる。
危険すぎる。
オスカーは薄く笑った。
笑みは穏やかだが、目の奥は計算している。
「……急がないでください」
兄弟姉妹たちが息を呑む。
拒否ではない、と分かるからだ。
「候補とは、立つ前に舞台を選ぶべきです」
企業人の言い方。
だが中身は戦場の言葉だった。
「新開市はいま、舞台が多すぎる」
兄弟姉妹の一人が、小さく問う。
「では、可能性は……」
オスカーは即答しない。
即答しないことで、可能性を生かす男だ。
視線を窓の外へ向ける。
祭りの音が、遠くうっすら聞こえる。
「あります」
その一言で、部屋の温度が上がる。
新開市では、まだ公示前の選挙祭りが膨らみ続けている。
病室では義弘が“雑に降りない段取り”を考え、真鍋が天を仰ぎ、トミーが毒を吐く。
街角ではアリスが旗にされて舌打ちを堪え、シュヴァロフが映えない角度を作る。
そしてOCMでは、NECROテックの兄弟姉妹が、表舞台に立つ可能性を見始めている。
市長選は、まだ始まっていない。
なのに新開市はもう、選挙より先に“中心”を奪い合い始めていた。




