第百八十七話 名目
名目は、刃より先に人を斬る。
正義かどうかは後でいい。
先に名前を付けた方が、正義の顔をできる。
日本国急進派は、その顔を選んだ。
暴動。
現場の拡声器が、耳障りなほどよく通った。
「当該集団を暴動と認定する」
ざわめきが一度、沈む。
沈んだざわめきの底で、誰かが息を呑む。
アリスを含む新開市民の列。
護送妨害。
重装備出現。
治安悪化。
建前は並ぶ。
並べれば理屈になる。理屈になれば名目になる。
実態は別だ。
回収失敗の責任転嫁。
市長空白の固定。
真鍋の“流す”の破壊。
だが実態は、拡声器に乗らない。
乗るのは名目だけだ。
急進派の声が続く。
「対象アリスは犯罪者であり、今回の混乱を煽動している。国家案件として鎮圧を実施する」
その言葉に、真鍋の顔から血の気が引いた。
最悪手だ。
しかも、制度の顔をした最悪手。
「ふざけるな」
真鍋の声は低い。低いが硬い。
燃えない声で、燃える言葉を押し返す。
「暴動じゃない。市民保護行動だ。導線屋残党が混乱を作り、我々はそれを流している」
鳴海宗一が重ねる。
「治安機関として否認する。現場は保護下だ」
外様サムライ隊も立つ。
象徴としてではなく、現場の柵として。
だが急進派は止まらない。止まれない。
止まれば自分たちに責任線が刺さる。
「国家判断が優先だ」
その一言で、さらに最悪が来る。
急進派は続けて宣言した。
「OCM海外部門、および協力民間戦力を、暴動鎮圧協力者として認定する」
空気が凍る。
協力民間戦力。
言葉を濁した。
濁した言葉は、たいてい汚い。
その“濁し”の中に、導線屋残党まで含めたのだと誰もが理解した瞬間、現場の倫理が軋んだ。
制度で敵味方の線をねじ曲げる。
真鍋が一歩前に出る。
「制度の破壊だ。導線屋残党を協力者認定する気か」
急進派は視線を逸らさない。逸らせない。
面子で立っている顔だ。
「非常時だ」
非常時。
便利な単語だ。
便利な単語は、手続きも倫理もまとめて踏み潰す。
その単語を盾に、OCM海外部門が動いた。
“保護”の顔を捨て、企業の手数を出す。
VXシリーズが来る。
一機ではない。
二機でもない。
出せるだけ。
LC系の影、VX系の影、整備痕の違う機体が、街路の端と端から現れる。
企業の倉庫の匂いがする。
撤退前の全力投入の匂い。
透明の獣――VX-07 HOUNDも、増えた熱と影の中で牙を研ぐ。
路面の熱に紛れ、光の境目に溶ける。
音だけを置いて、狩る気配。
導線屋残党も前へ出る。
軍用フレームのドローンを、ついに進める。
強すぎて映えない。
強すぎて舞台が終わりすぎる。
だからお蔵入りしていた切り札。
その切り札が今は“映え”ではなく、包囲の杭になる。
VXシリーズが包囲を編み、軍用フレームが恐怖で固定する。
十重二十重。
列をずたずたに解体するための輪だ。
市民の“守る列”が、初めて真正面から潰されかける。
それでも真鍋は流す。
「止まるな! 小さく動け! 大きく固まるな!」
KOMAINUが割る。
外様が空ける。
市民が押さえる。
シュヴァロフが“映えない角度”へアリスを寄せる。
だが包囲が厚すぎる。
HOUNDが唸るように走る。
シュヴァロフが体当たりでずらす。
ずらした先に別の機体。
別の機体を避けた先に軍用フレームの圧。
軍用フレームが一歩出るだけで、周囲の喉が鳴る。
怖い。
怖いから足が止まりかける。
止まれば名目が完成する。
急進派はそれを待っている。
海外部門はそれを回収の合図にする。
導線屋残党はそれで生き残る。
最悪の一致だ。
アリスは人の中で、息を詰める。
「……クソ」
自分が中心だ。
また中心だ。
中心がある限り、列は狙われる。
シュヴァロフが前に出る。
出すぎる。
象徴になりかける。
真鍋が叫ぶ。
「前に出しすぎるな! 象徴になる!」
シュヴァロフは返事をしない。
返事をしないまま、位置を半歩だけずらす。
守る。守りながら、映りにくい角度へ。
それでも包囲は縮む。
KOMAINUの肩が軋み、外様の呼吸が荒くなる。
市民の列が裂けかける。
導線屋残党の顔に、浅い期待が戻る。
その瞬間――病室で、別の交渉が終わる。
義弘はベッドの上で、痛みに顔色を変えずに端末を握っていた。
膝は折れている。
身体も削れている。
だが声は、まだ市長の声だった。
相手はアライアンスの使節。
冷たい声。
“我々”と名乗る声。
氷の母が動くほどのことでない案件を、規範と根回しで片づける男の声。
義弘は情に訴えない。
情は使節に効かない。
効くのは、条件だ。
「新開市は中立でありたがっている」
短く言う。短いほど契約になる。
「今回の暴動認定は、その中立を壊す。アリスも市民も、名目のために潰される」
使節はすぐに返さない。
沈黙する。
沈黙は、計算の音だ。
義弘は続ける。
「アリスと新開市を保護してくれるなら、俺はアライアンスのインフラ保護運用に協力する。新開市の中立を保つ条件でだ」
全面服従ではない。
条件付き協力。
使節の好む言い方だ。
規範運用の利益が見える。
通信の向こうで、男が初めて温度のない肯定を返す。
「……我々に利益がある提案だ」
義弘は目を閉じない。
閉じると倒れる。
「市民を守れ」
使節の声が落ちる。
「“我々”は中立性を保護する」
それは約束ではない。
運用宣言だ。
だが今は、それで十分だった。
現場で包囲が閉じる。
VXシリーズの輪。
軍用フレームの重さ。
HOUNDの牙。
急進派の拡声器。
列がずたずたに裂ける寸前、上空の空気が変わった。
風圧。
影。
機械の規律ある唸り。
誰かが見上げる。
見上げた視線が次々に連鎖する。
高速機動隊。
F.QRE.D.QVE。
上空から降りてくるのは、戦力だけじゃない。
規範そのものだ。
スピーカーが開く。
声は使節のもの。
“我々”で始まる声。
「“我々”は新開市とその市民の保護をする」
急進派の拡声器が沈黙する。
海外部門の車列が一瞬止まる。
導線屋残党の顔から色が引く。
使節の声が続く。
「今回の暴動認定は受け入れられない」
上書きだ。
日本国急進派の“名目”を、アライアンスの中立規範で上から潰す。
より強い名目が来た。
強い名目は、現場の刃を鈍らせる。
高速機動隊が降下を始める。
整然と。速く。容赦なく。
SOFFestは見えない。
だが出す必要がない。
F.QRE.D.QVEだけで、十分すぎる圧だ。
急進派は押せない。
ここで押せば「中立破壊」の責任線が刺さる。
海外部門は嗅ぐ。
企業は損切りの匂いに敏い。
導線屋残党はさらに敏い。
スポンサーが引く匂いを嗅いだ瞬間、散る準備をする。
撤退だ。
完全敗北ではない。
だが万事休すの撤退だった。
VXシリーズが下がる。
HOUNDが熱の中へ退く。
軍用フレームの影が、ゆっくりと向きを変える。
包囲の輪が解ける。
解けた瞬間、市民の息が一斉に戻った。
アリスは人の中で守られていた。
守られていたはずなのに、次の瞬間には肩と腕を掴まれていた。
「おい、やめ――」
言い終わる前に、担がれる。
市民の手。
安堵の手。
熱狂の手。
「新開市は守られた!」
「万歳!」
「アリス!」
「アリス!」
声が重なる。
重なれば列になる。
列になれば中心が生まれる。
真鍋の顔が青ざめる。
勝った。
だが勝った直後に、また中心が生まれた。
最悪の勝利だ。
いや、勝利だからこそ最悪だ。
アリスは担がれたまま、顔をしかめる。
「……降ろせ。バカ。燃えるだろ」
その悪態に、周囲は笑ってしまう。
笑いは安堵だ。
安堵は熱になる。熱はまた列を呼ぶ。
上空では高速機動隊が旋回し、規範の影を落とし続けている。
地上では市民がアリスを掲げ、勝利の声を上げる。
新開市は守られた。
だが同時に、次の火種もまた、誰の目にも見える形で灯っていた。




