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第百八十二話 人質

 時間が足りない。


 それが、三者に共通する焦りだった。


 OCM海外部門は“回収の実力行使”を強めた。

 だが証拠は分散され、箱は守られ、口は箱に変わりつつある。

 動けば動くほど記録が増え、責任線が太くなる。


 日本国急進派は“市長辞任”を既定路線にしようとした。

 だが真鍋が手続きで踏ん張り、氷の母の牽制が楔になり、暫定介入の刃が鈍る。

 刃が鈍れば、政治の時間は伸びる。伸びた時間は“逃げる時間”にもなる。


 導線屋残党は瓦解しかけていた。

 出頭する者、消える者、責任転嫁する者。

 網が薄くなれば、最後に残るのは“生存”だけだ。


 三者とも、時間がない。

 三者とも、次の手が必要だ。


 そして三者が、同時に思い出す。


 アリス。


 アリスは療養施設に戻っていた。


 真鍋とオスカーの配慮――と言っていい。

 あの日、義弘のサムライスーツを着て錆を鎮圧し、KOTETUを破壊し、わざわざ捕まった。

 それは“所業”であり、“協力”でもあった。


 だが協力は、いつも道具になる。


 療養施設の廊下は静かだった。

 静かさは安全の顔をしている。

 安全の顔ほど、誰かが外で歯を食いしばっている。


 子どもたちはアリスに懐いていた。

 アリスは口が悪いまま、彼らの生活を回した。


「走るな」

「泣くな」

「歯、磨け」


 命令みたいな言葉。

 でも命令があると、子どもは安心する。


 アリスは安心させているつもりだった。

 だが、施設の空気が変わり始めた。


 監視員が増える。

 受付の顔が硬い。

 扉の開閉が短い。

 “見張り”の音がする。


 アリスは気づく。

 誰かが自分を思い出した。


 思い出した時、人は必ず利用しに来る。



 日本国急進派が最初に刃を出したのは、“法”だった。


 言葉は正しい顔をしている。


――収監中の者が、一時外出していた疑い。

――執行猶予条件違反の可能性。

――国家の面子を損ねたネット犯罪者。


 “槍玉”。


 あの単語は、面子の匂いがする。

 面子は刃を研ぐ。


 急進派の狙いは単純だ。


 アリスを再拘束する。

 再拘束できれば、義弘がいない今、真鍋の手続き戦を揺さぶれる。

 揺さぶれば、辞任手続きが進む。


 義弘が倒れた空白を、制度として固定できる。


 固定されたら、新開市は属する。


 急進派はそれが欲しい。



 OCM海外部門の狙いは、もっと冷たい。


 人質だ。


 アリスを確保すれば、義弘を黙らせられる。

 オスカーを牽制できる。

 “ゴーストの手法”を回収し、封じられる。


 海外部門は表向きに“保護”を掲げる。

 医療移送。安全確保。治安協力。

 どれも綺麗だ。綺麗な言葉ほど、裏がある。


 裏は回収だ。


 回収は撤退できる者のやり方だ。

 不利になれば撤退する。

 撤退する前に、都合の悪いものを連れていく。


 アリスは“都合の悪いもの”になった。



 導線屋残党の狙いは、浅くて最悪だった。


 生存。


 彼らは知っている。

 責任線が刺さり始めた今、誰かが“身代わり”を必要とする。


 身代わりを作れば、自分が助かる。


 だから導線屋残党は考える。


 アリスを“犯罪者側”へ引き戻せばいい。

 強引にでも、再び“ゴースト”として舞台へ引きずり出せばいい。


 アリスが戻れば、義弘が出る。

 義弘が出れば、また“映え”が生まれる。

 映えが生まれれば、世論が散り、責任線が薄まる。


 薄まれば、自分たちが逃げられる。


 短絡。

 だが短絡ほど、人を殺す。


 三者の思惑は、噛み合っていない。


 法と面子。

 回収と運用権。

 生存と責任転嫁。


 噛み合っていないのに、結論だけが一致する。


 アリスを取れ。


 その一致は、手続きの刃として施設へ向かう。



 真鍋の机に、文書が積まれた。


 移送命令。

 追加拘束の要請。

 “保護”名目の引き取り。


 書類は綺麗だ。綺麗なほど怖い。

 綺麗な書類は、合法の顔で人を奪う。


 真鍋は、怒らない。怒れば燃える。

 燃えれば急進派の燃料になる。


 真鍋は手続きで受ける。


「根拠を示せ」


 返答は早い。早い返答ほど、準備されている。


「疑いがある」

「国家案件だ」

「安全保障だ」


 便利な言葉が並ぶ。

 便利な言葉は責任線を薄くする。


 真鍋は薄くさせないために、逆に手続きを増やす。


「鑑識は? 監査は? 保全の連続性は? 誰が責任を取る」


 質問は増える。

 増えるほど時間が稼げる。

 稼いだ時間で、守れるものがある。


 だが圧が強すぎる。


 今度の敵は導線屋ではない。

 政治だ。

 政治は合法の顔で殴れる。


 治安機関の配置も割れかけていた。


 鳴海宗一は板挟みになる。

 国命令に従うべきだという声。

 新開市の中立を守るべきだという現場の声。


 宗一は歯を食いしばり、短く言った。


「施設は、今は“治療の場”だ」


 治療。

 その言葉が盾になるのは、少しだけだ。

 少しだけだから、怖い。


 外様サムライ隊も同じだ。

 命令は来る。

 だが彼らは義弘に感化されている。


 モルテが短く言う。


「捕まえるために動くな。守るために動く」


 その言葉は正しい。

 正しいほど危ない。

 正しい者ほど、政治に消される。


 療養施設の廊下で、子どもが小さく泣いた。


「アリス、また連れていかれるの?」


 アリスは答える前に、廊下の空気の匂いを嗅いだ。

 匂いは目に見えないのに、分かる。


 これは“迎え”の匂いだ。


 アリスは口が悪い。

 だが今は、悪さの向きが違う。


「連れていかれない」


 言い切る。

 言い切ることで、子どもは少しだけ息を吸える。


 だがアリスの胸の奥は冷えていた。


 自分が中心になる。

 中心になれば、また街が燃える。

 燃えれば、義弘が削れる。


 それが嫌で檻に入った。

 それでも、檻の外から中心が引きずり出される。


 アリスは小さく呟いた。


「……また、私を道具にする気か」


 監視員が廊下の向こうから走ってくる。

 顔が硬い。


「アリス、動くな」


 アリスは動かない。

 動かないまま、視線だけを扉へ向ける。


 施設の外で、車列の音がした。


 公的車両の音。

 それに混じる、別の匂い。


 海外部門の硬い匂い。

 急進派の面子の匂い。

 導線屋残党の飢えた匂い。


 三つの匂いが、同じ方向へ寄ってくる。


 アリスは息を吸って吐いた。


 恐怖じゃない。

 覚悟の呼吸だ。


「……来たな」


 扉の向こうで、鍵が回る音がした。

 今度は、静かな戦場が始まる。

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