第百七十話 旧式を殺す
新開市は、静かに回り始めていた。
外様サムライ隊は実績を上げ、モルテの運用で列は事故になりにくくなった。
シュヴァロフは義弘の家で、まめまめしく家事をしている。
アライアンスの重さは今は見えない。
ニュースは「落ち着き」を言葉にしたがる。
落ち着き。
その単語ほど危ないものはない。
落ち着きは、誰かが“次の演出”を準備できる時間だからだ。
日本国の急進派は、義弘を苦々しく思っていた。
真田颯真の事故を防げなかった。
アライアンスに阿っている――彼らはそう信じている。
そして何より、辞めない。
義弘が辞められない理由など、急進派にとってはどうでもよかった。
彼らが欲しいのは面子だ。主権の顔だ。
国家イベントが《アリス・ウィーク》に塗り替えられた屈辱を、誰かの責任にしたい。
外様サムライ隊が安定した今、義弘が市長である必要性は薄れている――そういう理屈が立つ。
理屈が立った瞬間、次は“退場”だ。
政治的に落とすのは面倒だ。時間がかかる。反発も生まれる。
なら事故でいい。事故なら責任線が薄い。
薄い責任線は、誰も罰しない。
急進派は導線屋に連絡を取った。
映える事故の導線を作る非公式勢力。
事故の専門家。
舞台の専門家。
義弘を、颯真と同じような方法で消すために。
導線屋は、すでに“要求する側”になっていた。
支援を受けるだけの小物ではない。
《アリス・ウィーク》の成功で、金の網を作った。
さらに今、匂いが変わった。
OCM海外部門の硬い匂い。
そして日本国急進派の政治の匂い。
二つの巨大勢力が、同じ舞台を欲しがっている。
欲しがっているなら、こちらが条件を出せる。
導線屋は言った。声を荒げない。荒げなくても、相手は飲む。
飲まなければ、次の祭りに乗れないからだ。
「新しい映えには、ライバルが必要だ」
急進派が黙る。沈黙は肯定に近い。
「ライバルの登場を演出するなら、旧式は退場させるべきだ」
旧式。
義弘のことだ。
膝を故障し、疲弊し、それでも中立を抱えて立ち続ける男。
“旧式”と呼べば、殺しも演出にできる。
導線屋はさらに、冷たく言った。
「サムライ・ヒーローのライバル。――新型が欲しい」
急進派と海外部門は、別ルートで同じ結論に到達する。
義弘が消えれば都合がいい。
義弘が消えれば、責任線が整理しやすい。
義弘が消えれば、次の“顔”が作れる。
だから、渡す。
裏ルートで。
責任線の外側で。
最新型サムライ・スーツ――KOTETU。
KOTETUは、義弘モデルとは似ていない。
同じ日本製の強化装甲の系譜にありながら、思想が逆だった。
義弘モデルは“燃やさない”ための装甲だ。
可動域と現場運用のために角を丸め、目立たない強さを選ぶ。
KOTETUは、“見せる”ための装甲だった。
熱・衝撃置換装置の放熱板が、装甲のあちこちに翼のように張り出している。
翼は飛ぶためではない。
熱を逃がすための板が、刃のように外へ伸び、周囲に「重さ」と「鋭さ」を同時に印象づける。
重いのに鋭い。
鈍器の質量と、刃物の輪郭。
腰に一本、大型の刀状ブレード。
背中にもう一本、同じく刀状のブレード。
武器の数が多いほど、言葉が減る。
言葉が減るほど、絵が強くなる。
物々しい雰囲気が、周囲の空気を先に切った。
KOTETUは「新時代」の見出しになれる。
義弘を“旧式”に見せるための道具として、完璧だった。
義弘は、その匂いを嗅いでいた。
証拠は薄い。
線は見える。
だが線は、いつも責任線の手前で消える。
義弘は市長として、調査を続けていた。
“暴挙を仕組みで止める”方法を探し続けている。
だが仕組みは遅い。相手は演出が速い。
義弘の家では、シュヴァロフが台所で湯を沸かしていた。
湯呑みが置かれる。椅子が引かれる。膝が痛まない位置に生活が寄る。
トミーが椅子の背で耳を揺らす。
「静かな時が一番危ない」
義弘は頷いた。
「分かってる」
分かっていても止められないのが、静けさの怖さだ。
端末が震える。
義弘は画面を見る。
短い報告。
治安機関から。
――導線屋の資金網に、新しい匂い。
――海外部門由来の可能性。
――不明な大型装備の搬入情報。
不明な大型装備。
義弘の背中が冷える。
“骨”の次は、“鎧”だ。
義弘は杖を握り直す。膝が痛む。痛みが焦りになるのを抑える。
「……舞台が作られてる」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
新開市に向けた警告だ。
OCM療養施設の夜は、静かすぎた。
静かさは安全の顔をしている。
だが安全の顔ほど、誰かがどこかで呼吸を止めている。
アリスは子どもたちに囲まれたまま、壁掛けの小さな画面を見ていた。
ニュースは、今日も“落ち着き”を言葉にしたがる。
――市長宅にシュヴァロフが帰還。
――療養中のアリスの処遇改善、段階的に。
――新開市は平常へ。
画面の隅に、短い映像が流れる。
義弘の家の玄関。
シュヴァロフが入っていく背中。
湯呑みが置かれる様子。
膝を庇う義弘の動き。
アリスの喉の奥が、ふっと緩んだ。
「……よかった」
声は小さかった。
小さくても、子どもたちは敏感だ。
「何が?」
少年が覗き込む。
アリスは言い換えた。口は悪いが、棘の向きを落とす。
「家族が帰った。それだけ」
「家族って、シュヴァロフ?」
「そう」
子どもは笑う。
その笑いが、アリスには救いだった。
だが、次の瞬間、胸の奥が変にざわついた。
画面の中の義弘の動きが、目に刺さった。
膝を庇う歩幅。
杖に預ける重さ。
痛みを隠さない、隠せない姿勢。
“まだ治ってない”。
それだけの事実が、妙な胸騒ぎを連れてくる。
理由は分からない。分からないから怖い。
アリスは無意識に、画面の「角度」を見ていた。
義弘の背中。
杖。
膝。
その周囲の枠。
嫌な予感が、枠から滲む。
「……最悪」
吐き捨てるような声になってしまい、子どもが目を丸くした。
「アリス、怒ってる?」
アリスは即座に温度を落とす。怒りは燃料になる。燃料は列を呼ぶ。列は名目を呼ぶ。
「怒ってない。……嫌なだけ」
「嫌なこと?」
アリスは答えない。答えられない。
“膝”は弱点だ。弱点は狙われる。
狙われると分かっていて、義弘は守る側に立ち続ける。
守る側は、舞台に引き寄せられる。
アリスは、指先を握ってほどいた。
首輪がある。監視がある。
そして今は、ここにいる子どもたちがいる。
動けない。
動けないからこそ、胸騒ぎだけが増幅する。
アリスは小さく息を吐き、決めるように言った。
一人称は必ず「私」。
「……私のせいで、あいつが削れるのは嫌だ」
子どもは意味が分からない顔をする。
分からない顔が、アリスの舌を止める。
アリスは話を切り替えた。口調は悪いが、ここにいる理由を壊さない。
「ほら。寝る時間。……歯、磨け」
「命令みたい」
「命令だよ。磨け」
子どもたちが渋々立つ。
アリスは笑わない。笑えない。
子どもたちが廊下へ散ったあと、部屋に残ったのは機械の静けさだけだった。
静けさは、嫌な想像を育てる。
アリスは画面を見つめ、ほんの少しだけ指を動かした。
やり方を誰かに説明する気はない。
説明する価値がない。
必要なのは答えだけだ。
映像の下、見えない場所に貼り付いている“糸”を、指先がなぞる。
拡散の最初の跳ね。
同じ角度の繰り返し。
同じ切り取り。
同じタイミング。
“誰かが育てた匂い”。
アリスの目が細くなる。
「……これ、自然じゃない」
その瞬間、端末が小さく震えた。
通知ではない。
“反応”だ。
何かがこちらを見返してきた。
見返してきたのは義弘じゃない。
義弘が映る枠の方だ。
アリスはすぐに画面を閉じた。
閉じる速さだけが、今の自分にできる反抗だった。
息を吐く。
胸騒ぎに、ようやく名前が付く。
誰かが、義弘を「人」ではなく「絵」として見ている。
アリスは小さく呟いた。
「……やめろ」
命令でも、祈りでもない。
ただの本音だった。
倉庫の奥は、静かだった。
ライトが一つ、点いている。
光が当たるたび、金属の輪郭が増える。
最新型サムライ・スーツ――KOTETU。
義弘モデルとは似ていない。
熱・衝撃置換装置用の放熱板が、装甲のあちこちに翼のように張り出し、重いのに鋭い影を作る。
腰に一本、刀状のブレード。背中にもう一本。
武器の数が、そのまま物々しさになる。
その前に、男が立っていた。
ぼさぼさ頭。冴えない顔。
着痩せする細身に見えるのに、足の置き方だけが妙に静かで、無駄がない。
どこにでもいる――はずの男だった。
男は、スーツに手を伸ばす前に、スマホの画面を一度だけ確認した。
そこに映っているのは、義弘の背中だった。
義弘が杖をつく角度。
膝を庇う歩幅。
街灯の位置。
背景に入る看板。
“絵”の枠。
男は小さく息を吐いた。笑わない。
だが、その息だけが熱い。
「……あなたのせいで、人生が始まった」
言葉は誰に聞かせるでもない。
それでも、確信の音がした。
男はKOTETUに触れた。
翼のような放熱板が光を受け、影を広げる。
腰の刃が、背中の刃が、まだ抜かれていないのに周囲を切る。
そして男は、着る。
“旧式を終わらせる”ための衣装を。
暗い倉庫の中で、男は一度だけ視線を上げた。
その視線は義弘の顔へは行かない。
義弘が映るであろう画角へ行く。
「守れ」
男は静かに言った。
「守った瞬間が、一番綺麗だ」
ライトがちらつき、翼の影が揺れた。
新時代は、旧式を殺すために用意されている。




