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第百六十五話 得の信仰

 オスカー・ラインハルトほど、“得”と縁遠い男はいない――そう言われることがある。


 名誉も地位も、欲しがっているようには見えない。

 勝利を誇ることもない。

 拍手を浴びても、表情を変えない。


 だがそれは、“得”を望んでいないのではなく、望む得が違うだけだった。


 彼が望むのは、自分の得ではない。

 NECROテックの兄弟姉妹――その得だけだ。


 幼い頃から、疑問だった。


 自分たちは治った。

 治ったのに、治った後も“サイボーグ”“ロボットもどき”として扱われる。

 完治したはずなのに、視線が変わらない。言葉が変わらない。距離が変わらない。


 区別だけが残る。


 その区別は、痛みより、もっと冷たい。


 オスカーはそこで学んだ。

 “社会”は、治癒を祝福しない。

 治癒を、分類の材料にする。


 だから彼は、分類を逆に利用しようと決めた。


 兄弟姉妹同士でしか、親愛は成立しない。

 なら、兄弟姉妹が社会の表舞台に出る仕組みを作る。

 出た瞬間に、分類の方を壊す。


 彼の正義は、そこに固定された。


 得は、兄弟姉妹のためにだけある。


 アリスも兄弟姉妹だ。


 オスカーはそれを否定しない。否定しないから、冷たい。


 申し訳なさはある。

 だが申し訳なさで盤面は動かない。


 アリスは今、盤面から外せない。

 中心を壊すために檻に入ったのに、中心の影が街に残っている。

 その影を、別の手で握られている。


 家族――シュヴァロフ、三機、コロボチェニィク、グリンフォン。

 運用枠。正規化。協調。

 どの言葉も整いすぎていて、逃げ道がない。


 オスカーは思う。


 兄弟姉妹の得のためなら、新開市の中立など優先順位に入らない。

 義弘の苦労も、街の覚悟も、尊い。尊いが、それで兄弟姉妹が表に出られないなら、意味がない。


 彼の世界は狭い。

 狭いから、強い。


 机の上に並ぶ書類は、どれも整っていた。


 “協調”

 “運用”

 “安全”

 “再発防止”


 整った言葉は、社会を動かす。

 社会を動かすほど、誰かが削れる。


 削れるのが兄弟姉妹なら許せない。

 削れるのが他人なら、必要な摩擦だと割り切れる。


 それがオスカーの歪みだった。


 彼は新しい策を選ぶ。


 中心を増やす。

 中心を分散する。

 そして分散の中に、兄弟姉妹を混ぜる。


 外様サムライ隊――国が送り込んだ“新しい中心”の群れ。

 そこに欠員が出れば、補充が必要になる。

 補充が必要になれば、補充の名で差し込める。


 NECROテックエージェントを。


 差し込めば、“日本国が承認した”という既成事実が作れる。

 承認は言葉ではなく、配置でしか成立しない。

 配置が成立すれば、社会は遅れて言葉を追いかける。


 オスカーのやり方は、いつもそうだ。


 言葉ではなく、運用で勝つ。


 運用のために、穴が必要だった。


 もちろん、穴は“作っている”とは言わない。


 オスカーは指示を出さない。

 出す必要がない。


 導線屋は、空気を読む。

 空気を読ませれば、勝手に動く。


 オスカーがやるのは、足場を用意することだけだ。


 資金の流れ。

 部品の流れ。

 「事故が起きた時に困らない」ための書類の流れ。


 事故の芽が生まれた時に、芽を育てられるように。


 導線屋は、芽を育てるのが得意だ。

 映える事故の導線を作る非公式勢力。

 導線屋の名は、伊達ではない。


 そして導線屋にとっても、これは最高の素材になる。


 “国の新ヒーローの挫折”

 “交代劇”

 “新エージェント登場”


 編集が勝手に神話を作る。


 神話ができれば、列ができる。

 列ができれば、また名目が立つ。

 名目が立てば、誰かが重さを持ち込める。


 世界は、回る。


 オスカーは、回る世界の中心に兄弟姉妹を置きたいだけだった。



 新開市の現場は、今日も“ちょうどいい場所”に寄っていた。


 広い交差点。見通しの良い歩道。止まりやすい段差。

 配信が立ちやすい角度。


 外様サムライ隊が並ぶ。


 黒×藍の真田颯真は前へ出る癖を抑えきれない。

 藍×白の九条弥生は崩さない姿勢が象徴になる。

 黒×鈍い金の蜂須賀玄武は冷たく見えて反発を呼ぶ。

 白×鈍い金の伊東こよりは言葉で形を作ろうとして切り抜かれやすい。

 深紅×黒の小夜すずは配信の流れを読めるが、読めるからこそ焦る。


 汚名返上。

 その熱が、五人の肩に乗っている。


 熱が乗るほど、中心になりやすい。

 中心になれば、導線屋が喜ぶ。


 配信コメントが流れる。


今日こそ外様勝ってくれ

公式協力の続き見たい

国の顔ってやつ頼む

前出すぎるなよ(颯真)

女王いないのに絵が強い

でも絵が強いと列できるんだよな


 絵が強いと列ができる。

 列ができると、次が来る。


 その“次”を、誰が望んでいるのか。

 群衆は知らない。


 義弘は、その空気の匂いが変わったのを感じ取っていた。


 彼は現場にいる。だが前に出ない。前に出れば中心になる。中心になれば燃える。

 だから彼は外側で“事故の芽”を潰す。


 しかし今日は、芽の種類が違う。


 芽が、舞台そのものに埋まっている匂いがする。


 純正の匂い。

 資金の匂い。

 そして何より――「事故が起きた後の手続き」が先に動いている匂い。


 義弘は杖を握る手に力を入れた。膝が痛む。痛みが判断を鈍らせないように、息を整える。


「……先に書類が動いてる」


 それは現場の人間が一番嫌う兆候だった。

 事故の後にしか動かないはずの書類が、事故の前から準備されている。


 準備されているということは――事故が“想定”されている。


 義弘は気づく。


 導線屋だけじゃない。

 導線屋を“得”として扱っている誰かがいる。


 そしてその誰かの顔が、頭に浮かぶ。


 オスカー。



 療養施設では、アリスが子どもたちに囲まれていた。


 今日も笑い声がある。

 今日もカードがある。

 今日も監視がある。


 子どもが言う。


「ねえ、外様サムライ隊って、かっこいいよね」


 アリスは鼻で笑う。口は悪い。だが刃は立てない。


「かっこいいのは編集だ。現場はだいたい泥」


 別の子どもが言う。


「でもさ、誰かが怪我したら交代するってコメントが――」


 アリスの指が止まった。


 交代。


 その言葉の匂いが、嫌だった。

 中心が壊れる匂いではない。

 中心を“作り直す”匂いだ。


 アリスは短く吐いた。一人称は必ず「私」。


「……誰の穴を、誰で埋める気だよ」


 子どもは分からない顔をする。

 分からない顔が、アリスを止める。


 アリスは動けない。

 首輪がある。監視がある。

 そして何より、ここにいる子どもたちがいる。


 置いていけない。

 置いていけないから、焦る。


 焦りは、口を悪くする。


「ちょっと黙れ。……カード出せ」


 子どもが笑う。

 笑い声が、今は檻の中の唯一の空気穴だった。



 義弘は調査を始めた。


 導線屋の資金網。

 部品の流れ。

 そして“協調”書類の動き。


 真鍋たち治安機関に内偵を回す。

 OCMの運用ログに触れられる範囲を探る。

 日本国側の責任者にも牽制を入れる。


 義弘のやり方は遅い。

 遅いが、正しい。

 正しいが、相手は“運用”で勝つ男だ。


 だから義弘は、遅さを武器にする。

 「事故を起こさない」ことを継続しながら、事故の芽を摘む。


 摘めるかどうかは――まだ分からない。


 だが義弘は確信していた。


 敵は導線屋ではない。

 敵は“得が回る仕組み”だ。


 得が回るほど、誰かが削れる。

 削れていいのは他人だと、誰かが決めている。


 その決め方が、いま最悪の方向へ寄っている。



 オスカーはその頃、穏やかな顔で窓の外を見ていた。


 彼の視界には“新開市”ではなく、兄弟姉妹の未来がある。


 表に出る。

 承認される。

 区別が壊れる。


 そのための穴が必要なら、穴は開く。


 誰かが削れるのは、必要な摩擦だ。


 彼はそれを、残酷だとも思わない。

 当然だと思う。


 得は、兄弟姉妹のためにだけある。


 その正義が、次の事故を予約していた。

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