第百六十二話 ヒーロー輸入
列は、腹ごなしの終わりを告げるみたいに、ゆっくり戻ってきた。
編集動画とまとめ記事で胃を落ち着かせた新開市民が、また歩き始める。
叫ぶほどではない。燃え上がるほどでもない。
ただ――戻る。
「返せ」
声は小さいのに、数が揃うと重い。重いものは必ず、どこかへ寄る。
寄る先が、今日もインフラの近くになるのかどうか。
それを決めるのは、群衆の理屈ではなく、群衆の足だ。
その足が止まりかけた交差点で、空気が変わった。
見物人の端末がいっせいに上がる。
導線屋の“角度”が、もう揃い始めている。
「……来る」
CRADLE IDOL GUARDの水無月みのりが、目を細めた。数字の光は出ない。今日は数字よりも勘が早い。
久世玲奈が短く言う。
「止める」
三枝つばさが心配の顔で断定する。
「止めるより流す。止まったら倒れる」
綾瀬ひかりが、笑いそうになって飲み込む。笑えば燃える。
「はい、歩きましょう。歩いて、帰りましょう。――ね?」
その声が届く前に、路面が低く震えた。
エンジン音ではない。警告音でもない。
硬い靴底が、均等なリズムで近づく音。
五つ。
交差点の向こうから、“同じ系列の異物”が歩いてきた。
義弘のサムライスーツを思わせる、日本製の強化装甲。
だがシルエットは揃っているのに、個性が一目で分かる。
黒×藍の軽量装甲――獣みたいに前へ出そうな真田颯真。
白×鈍い金の儀礼装甲――笑って詰めそうな伊東こより。
藍×白の細身装甲――立つだけで絵になる九条弥生。
黒×鈍い金の重量装甲――喋らない柵の蜂須賀玄武。
深紅×黒の中量装甲――映像戦の匂いを背負う小夜すず。
列が、一瞬だけ静かになった。
静かになるのは危険だ。止まるからだ。
止まると固まる。固まると潰れる。
だが今日の静けさは、驚きの静けさだった。
「……誰?」
「新しいやつ?」
「増えた?」
誰かが配信を開始していた。画面の端にコメントが滝のように流れる。
うおおおおお増援!?
え、サムライ増殖してるw
これ国のやつじゃね?
ちょ、装甲かっけえ
赤いの配信者っぽいw
なんか“女王”いないのに絵が強い
中立どこいった
SOFFest来る?来ない?
コメント欄「返せ」より「誰」になってて草
導線屋が嫌がるタイプの流れだった。
「怒り」の角度が揃わない。
「驚き」は散る。散ると列が太くならない。
先頭に立ったのは、黒×藍の真田颯真だった。獣の勢いで前に出ようとするのを、後ろの白×鈍い金――伊東こよりが、視線だけで抑える。
抑えられた颯真は、口だけを短く動かした。
「前は俺が取る。詰めるな」
言い方が強い。強いほど映える。映えるほど危ない。
しかしその直後、重量装甲の蜂須賀玄武が一歩だけ前へ出た。喋らない柵が、喋ってしまう。
「止まるな。倒すな。帰れ」
短い言葉が、命令ではなく“現場のルール”として落ちる。
誰かが笑いそうになって、飲み込む。笑うと撮られる。
深紅×黒の小夜すずが、列の端へ顔を向けた。口元が見える半面の面頬。声が明るいのに冷たい。
「撮るな。止まるな。流れて」
コメントが跳ねる。
赤いの口悪いw
でも正論すぎて刺さる
え、列が歩き出してる
これ“誘導”やん
導線屋ざまあ(いるの?)
九条弥生は、何も派手にしない。姿勢を崩さない。崩さない姿勢が、列のテンポを整える。
その静けさが、逆に絵になる危うさを孕む。
「焦るな。型を崩すな」
言葉が少ないほど、切り抜かれにくい。
だが“型”という言葉は、群衆の足を揃えやすい。
伊東こよりが、その危うさを分かっているように、口元の見える面頬で柔らかく言った。
「手続きで守ります。逃げ道も、作ります」
“逃げ道”。
それは新開市の空気に、いちばん必要な単語だった。
列は少しだけ動き出す。
驚きが、歩幅に変わる。
止まりそうだった足が、流れに戻る。
CRADLE IDOL GUARDの四人は、その流れをすぐ受け取った。
ひかりが明るく重ねる。
「はい、いい感じ! 歩きましょう、歩いて帰りましょう!」
玲奈が短く切る。
「詰めない。前、空ける」
みのりが自然に流す。
「右、空いてる。そっち。固まらない」
つばさが心配の顔で断定する。
「止まったら倒れる。だから止まらない」
列は、今日初めて「返せ」ではなく「歩け」に従った。
導線屋の角度が揃い切らない。
揃い切らないから、祭りにならない。
その一瞬、街が救われた。
その頃、OCM療養施設の小さなテレビの前で、アリスはカードを配っていた。
監視の目はある。だが今日は、監視が静かだった。
静かな監視は、もっと嫌だ。息が詰まる。
子どもが言う。
「次、私が親ね」
アリスは鼻で笑った。
「親は弱い奴がやるもんだ。お前が弱いってことだな」
「ひどい!」
笑い声が起きる。笑い声は軽い。軽いのに、今は救いだった。
テレビが、勝手に音量を上げたみたいに思えた。
速報のテロップ。
――新開市に新たなサムライ・ヒーロー複数派遣。
アリスの手が止まった。
「……は?」
口が悪い。だが驚きの声は隠せない。
画面には、さっきの交差点。五人の装甲。配信コメントの切り抜きまで載っている。
サムライ増殖
国が送り込んだ
新開市の顔を作り直す
アリスは舌打ちを飲み込んだ。舌打ちは素材になる。
「……ふざけてんのか。人を記号みたいに」
子どもが覗き込む。
「アリス、怒ってる?」
アリスはすぐに言い換えた。口が悪いまま、温度を落とす。
「怒ってない。……面倒くさいだけ」
面倒くさい、が本音だ。
中心を壊したはずなのに、中心を量産して上書きする。
国のやり方は、いつもそうだ。人を人として扱うふりをして、仕組みにする。
アリスはカードを配り直した。
「続き。……お前、次それ出したら死ぬ」
「死ぬ!?」
「比喩だ。黙れ」
笑いが起きる。
アリスは笑わない。笑うと、画面の外に火が移る気がした。
庁舎の会議室では、義弘が“国の顔”と向き合っていた。
日本国から来た担当は、丁寧で冷たい。
面子の回収は、こういう声で始まる。
「市長、あなたの越権は問題です。リコールの手続きは――」
義弘は杖に手を置いた。膝が痛む。痛みは顔に出さない。
出さないと、相手は“折れる”と思う。
「辞めていいなら、辞めてもいい」
義弘は正直に言った。
政治の場で正直は危険だが、ここでは危険が必要だった。
「俺は市長にうんざりしてる」
担当が息を飲む。
想定していない正直は、相手の手順を狂わせる。
義弘は続けた。
「でも、今辞めたら新開市は属する。どこかに属する。OCMか、アライアンスか、オールドユニオンか。……それが一番まずい」
担当は、そこでようやく“別案”を出した。
「だから、中心を複数にします。あなた一人に依存しない。アリス一人に依存しない。新たなサムライ・ヒーローを複数派遣し、新開市の“顔”を作り直す」
義弘は息を吐いた。
「……輸入か」
「構造です」
構造。
その単語が、義弘の胃を痛くする。
構造の正しさは、人を潰す。
担当は、交換条件を置く。
「その代わり、アリスについては情状酌量の余地ありとして執行猶予付きの減刑を提案します。ただし条件付きです」
条件。
首輪の形をした単語。
「新ヒーロー育成への協力。治安維持計画への協力。再発防止運用への協力。……あなたが責任者です、市長」
義弘は笑いそうになって、笑わなかった。
「辞めたい俺に、責任者を押し付けるんだな」
「必要です」
必要。
使節が使っていた言葉と同じだ。
正しい言葉は、どこからでも刺さる。
義弘は沈黙した。
沈黙の間に、アリスの顔が浮かぶ。
療養施設の子どもたちの顔も浮かぶ。
街が属する未来も浮かぶ。
義弘は答えた。
「……乗る」
担当が頷く。
「ありがとうございます」
義弘は礼を受け取らない。
「礼はいらない。条件は守る。……ただし一つ」
義弘の目が冷える。
「新開市はどの勢力にも属さない。中立がいい。――その中立を壊す提案なら、俺は次に辞める」
担当は言葉を飲み込んだ。
飲み込ませたのが、義弘の勝ちだ。
夕方、五人は庁舎に並んだ。
装甲は同系列。だが個性が強い。
強い個性は中心になりやすい。中心になれば列が生まれる。
義弘は五人の前に立ち、最初の訓示を短く置いた。
英雄の言葉ではない。新開市の現場の言葉だ。
「中心になるな。中心を作るな。――街を守れ」
真田颯真が言う。
「前は俺が――」
義弘は遮った。遮り方が早い。
「取るな。前は“空ける”んだ」
颯真が眉を上げる。
ここが新開市だ。前を取ると燃える。
伊東こよりが、柔らかく言う。
「理解しました。逃げ道を作る」
九条弥生が静かに頷く。
「型を守る」
蜂須賀玄武は短く言う。
「倒さない」
小夜すずが軽く手を上げた。
「撮られる前提で動く。了解」
義弘はその「了解」に一瞬だけ苦い顔をした。
撮られる前提で動くのは、正しい。
正しいほど、悲しい。
夜、OCMの修理室で、オスカーは紙に目を落としていた。
承認した“運用再配備案(暫定)”が、次の段階へ進もうとしている。
別のNECROテックエージェントへの使役。
三機と、完全修理されたシュヴァロフ。
そして今日、国が送った新ヒーローが“候補”として浮上しうる。
国の顔×OCMの資産。
最悪に政治だ。
海外部門の影が見える。
オールドユニオンの匂いもする。
圧力が、紙の端から滲む。
オスカーは笑わずに呟いた。
「……新しい中心を、こちらが握ればいい」
その言葉が、次の火種だった。
療養施設で、アリスはテレビを消した。
消しても、外の現実は消えない。
でも消さないと、胸の奥が騒ぐ。
子どもが言う。
「新しいサムライ、強いの?」
アリスは鼻で笑った。口は悪い。でも、嘘はつかない。
「強いかどうかは知らない。……燃えるかどうかは、すぐ分かる」
「燃える?」
「バカ。黙れ。カード出せ」
子どもが笑う。
アリスは笑わない。笑う代わりに、心の中で吐き捨てた。
(また中心を作るのかよ)
中心を壊しても、中心は作られる。
作られるなら、今度は“作らせないやり方”を探すしかない。
その夜、新開市のニュースは新しい見出しを用意した。
――新開市に新たなサムライ・ヒーロー。
――市長、育成に協力。
――“アリス・ウィーク”終息へ?
終息。
その言葉は、いつも早い。
早い言葉ほど、次の火種を見落とす。
そして導線屋は、その火種にすでに目をつけていた。
“新ヒーロー初出動”。
祭りの目玉として、これ以上の素材はない。




