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第十六話 ADJUSTMENT

新開市の夜は、いつもどおり明るかった。

明るさは安全のためのものだったはずなのに、いまは違う。


舞台照明だ。


都市の中心に近い広場――建設途中の中枢リングの影が落ちる場所に、仮設のステージと巨大スクリーンが立っている。

スクリーンには、OCMのロゴ。LEGIONのロゴ。サムライ・ヒーローの文字。


広告は、街が飢えていることを知っていた。

飢えは食べ物だけじゃない。

刺激、物語、見世物。

人が笑える時間が、ここには足りない。


避難所の毛布の中で、誰かが端末を握る。

飯屋のカウンターで、無音の配信が流れ続ける。

子どもたちは段ボールの刀を振り回し、四つ足の怪物ごっこをしている。


「ほら、アーバ……アーバ……」


言えない名前を、子どもが誇らしげに真似る。

それを見て大人が笑い、笑ってから、すぐ黙る。


笑いは罪悪感と一緒に来る。

それでも笑う。

飢えているから。


そしてスクリーンが切り替わった。


「新開市の治安回復のため――」


音声は整っていた。

冷たい。揺れない。

人間の声ではなく、企業の声。


「特別所属サムライ・ヒーローを投入します」

「違法改造ドローンによる暴力の連鎖を断ち切る」

「市民の皆様の安全を最優先とし――」


カメラが、シルエットを映す。

灰色のフード。

小柄な体。

顔は映らない。だが誰もが知っている。


コメント欄が爆発する。


――GHOST!?

――まじで味方になったの?

――OCMすげえ!

――いや首輪だろ

――津田は?

――ジジイ出てくる?


“物語”が、今夜も始まる。


義弘は、地図に載らない場所で目を開けていた。


白い霜の痕が、まだ腕から消えない。

右肩の関節装甲は欠けたまま。

右腕の衝撃増幅は死んだまま。

冷却が抜け切らず、身体の内側がずっと焼けている。


それでも目だけは鋭い。

炎上は、彼の目を鈍らせなかった。


トミーが机の上で脚を鳴らす。


「やめとけ、ジジイ。今夜出たら死ぬ」


義弘は、ゆっくり起き上がった。

起き上がる動作に、一瞬だけ遅れが出る。

それが現実だ。


「勝つためじゃない」


義弘は言った。


「首輪を外すために立つ」


トミーが鼻で笑う。


「外せんのかよ。企業の首輪だぞ」


義弘は、亀裂の入ったバイザーを直しながら、淡々と返した。


「首輪は、付ける側の都合で調整される。

なら――外す側も調整する」


アジャストメント。

調整。

自分が得意だったはずのことだ。企業とアライアンスの間で、何度も。


守れなかったものもある。

だが、今度は守る。


シュヴァロフが、義弘の横にいた。

黒い影。母性の影。

看護で付きっきりだった影が、今は動く準備をしている。


しかしシュヴァロフは、義弘の目を見ない。

見ないまま、義弘の背中に小さな補助器具を当てる。

動ける範囲だけ、動けるように。

戦闘のためじゃない。生存のための調整。


義弘は小さく息を吐いた。


「……頼む」


シュヴァロフは答えない。

答えない代わりに、影が少し濃くなる。

「いる」という返事だ。


広場のステージに、アリスが立っていた。


OCMのサムライ・スーツ。

企業カラー。スローガン。LEGION成果の象徴。

露骨な広告。露骨な正義。


テカテカ義弘より、もっと露骨だった。


アリスは心底嫌そうに、フードを深くかぶり直す。

スカーフで口元を隠す。

口元を隠しても、目が怒っているのが分かる。


――“物語”の中に入れられる。

――勝手に正義にされる。

――勝手に管理される。


首の奥がきゅっと締まる。

首輪回線が、常に監視している。


「……きっしょ」


呟きは、マイクに乗らないように小さい。

小さいのに、毒が濃い。


双子――トウィードルダムとトウィードルディーが、舞台裏で控えている。

工作担当。救助担当。

そして、LC残骸を整備した小さな支援機がいくつか。

アリスは嫌々でも、きちんと調整した。

愛してしまうから。


シュヴァロフは、いない。

義弘の看護で付きっきりだ。

それが、アリスの胸を落ち着かせない。


落ち着かせないから、毒が増える。

毒が増えるほど、内心の焦りが漏れる。


スクリーンの向こうで、司会の声が続く。


「――そして、彼女が今夜、皆様の前に“正義”として立つ」

「GHOST。新開市の守護者」


アリスは、笑いそうになった。

笑うと泣きそうになる。

泣くのは嫌だ。

だから笑いもしない。


“正義”。

そんな言葉で自分を縛るな。


首輪回線に、冷たい命令が刺さる。


――《治安回復:優先》

――《対象:危険人物(津田義弘)鎮圧》

――《配信継続:必須》


アリスの視界が一瞬だけ白くなる。

命令の文字が、現実より強い。


「……ふざけんな」


口の中で言って、歯を食いしばる。

従う気はない。

だが首輪は重い。


だから――“解釈”を調整する。


治安回復。

なら、治安を壊しているのは誰だ。

危険人物。

危険を作っているのは誰だ。


アリスは、舞台裏の双子へ短い合図を送る。

合図は音じゃない。動きだ。

指先が一度だけ動く。


双子が頷く。

頷きは無音で、確実。


地面が、鳴った。


広場の端から、四脚の影が現れる。

落下したはずの怪物。

LC-07アーバレスト。


瓦礫の匂いが装甲に残っている。

背部ラックのライトが点滅する。

鎮圧用の装備――だが、その下に見えるのは回収の爪だ。


群衆が沸く。


「うお……」

「来た……」

「やばい、マジで動いてる」


避難所の毛布の中で誰かが息を呑む。

飯屋で箸が止まる。

子どもが段ボールの刀を握りしめる。


そして、もう一つの影が現れる。


テカテカの装甲。

亀裂の入ったバイザー。

右腕の動きがわずかに鈍い。


義弘だ。


コメント欄が一気に燃え、同時に熱くなる。


――ジジイ出た!

――やめろ死ぬぞ

――また独断w

――いや…出るのかよ

――これ生じゃん

――舞踏の続き来た


義弘は広場の中央へは行かない。

カメラの中心から少し外れた場所、建物の影、足場の影。

“物語が完成しない場所”を選んで立つ。


トミーが肩の上で怒鳴る。


「バカ!中心に出るなよ!」


義弘は低く返す。


「出ない。守るだけだ」


アーバレストが動いた。

四脚が路面を掴み、鎮圧の名のもとに、圧力が迫る。


回収班の声が、広場のスピーカーに乗る。

公的な声のふりをした、企業の声。


「危険人物を確保する」

「市民の安全のため」


義弘の炎上が、今夜も正当化されようとする。


その瞬間――アリスが一歩前に出た。


OCMスーツがライトを反射する。

嫌悪でしかない広告が、いまは“存在”として強い。


アリスの声がマイクに乗る。

乗せたくないのに、首輪が乗せる。


「……治安回復、開始」


冷たい言い方。

冷たい言い方しかできない。

だが、言葉の中身は調整する。


アリスは視線をアーバレストへ向けた。


「対象確認。LC-07」

「――危険」


司会が慌てて割り込もうとする。

回収班が咳払いで音声を切ろうとする。


しかし、その前に。


双子が舞台裏から、ひとつの“短い事実”を混入した。


一瞬だけ露骨。成果です。

スクリーンの端に、ほんの一秒、テロップが走る。


「LCシリーズはLEGION成果です」


誰も止められない速度で、次のテロップが重なる。


「暴走・市街地投入はOCM運用判断」


そして、さらに一瞬。


「回収班:違法拘束運用ログ」


コメント欄が爆発する。

「え?」が画面を埋め尽くす。


――今の何?

――成果って言った?

――OCMが?

――ログって…

――やばいやばいやばい


アリスは、マイクの前で平然を装った。

装うしかない。首輪が見ている。


だが内心は、子どもみたいに震えていた。

怖い。

でも、やる。

首輪を付けたまま噛みつく。


義弘がアリスの方を見た。

目が、ほんの少しだけ見開かれる。


――やったな。

――やってしまったな。


アリスは見ない。

見れば繋がる。繋がれば物語になる。

物語になれば首輪が固くなる。


アーバレストが、苛立つように一歩踏み込んだ。

苛立っているのは機体じゃない。運用だ。


回収班の声が、鋭くなる。


「GHOST、支援を継続しろ」

「津田を確保しろ」


首輪がアリスの喉を締める。

締められながら、アリスは“解釈”を調整する。


「確保=市民被害ゼロ」

「治安回復=暴走源の停止」


言い訳じゃない。宣言だ。


アリスは双子へ短く指示を飛ばす。

工作。足場。誘導。救助。

電子戦で殴れないなら、街と機械で殴る。


義弘が動く。

動きは鈍い。右腕が死んでいる。

だが足はまだ動く。アンカーは撃てる。


義弘はアーバレストの正面へ行かない。

正面へ行けば、殴り合いの“名場面”が完成する。

彼は建物の影を使い、上へ誘導する。


建設途中のリングの下。

梁と支柱。仮設足場。影が多い場所。


「……来い」


義弘がアンカーを撃つ。

人工蜘蛛糸が梁を噛み、義弘の身体が引かれる。

スーツの脚部反発がわずかに火花を散らし、壁面を滑る。


アーバレストが追う。

四脚が梁を踏み、鋼が軋む。

重心が乗る。


その重心を、義弘は待っていた。


“切るべき固定ギミック”。

前に決めた。決めていた。


アーバレストの背部ラック。

重心の要。武器を載せるための要。

そこを崩せば、怪物は跪く。


義弘は都市戦用ブレードを抜く。

抜くが、派手に振らない。

派手に振れば“ヒーローの見せ場”になる。


刃は、梁を斬る。


梁が落ちる。

落ちる梁が、アーバレストのラックへ引っかかる。

ラックが引かれ、重心がずれる。


同時に、双子が工作を完成させる。

足場の固定ピンが一つだけ外れる。

外れる方向は、群衆ではない。

落ちる方向は、無人の空間。


アーバレストの四脚が踏み外す。

踏み外した瞬間、義弘はアンカー糸を引く。

引く力は、右腕の出力ではない。

体全体の重みと、街の構造だ。


怪物が、跪いた。


装甲が地面に擦れ、火花が散る。

“神の手”みたいに強かったものが、地面に膝をつく。


群衆が息を呑む。

避難所で誰かが叫ぶ。

飯屋で誰かが立ち上がる。

子どもが段ボール刀を振り上げる。


「ジジイ!!」


アリスの喉が締まる。

叫びたい。叫ぶと首輪が締まる。

だから叫ばない。


アリスは一歩前へ出る。

OCMスーツが眩しい。嫌悪が眩しい。


アーバレストはまだ動く。

跪いた状態でも、二脚のように上体を起こそうとする。

四脚のパワーで、立ち上がれる。


その瞬間、回収班が遠隔で“回収”を起動しようとした。


――証拠を消す。

――暴走に見せかけて自壊。

――そして「第三者に乗っ取られた」で逃げる。


アリスの首輪回線に、命令が刺さる。


――《回収:実行》

――《証拠保全:不要》


アリスの内心が凍る。

義弘も、街も、全部“処理”される。


アリスは歯を食いしばった。


「……治安回復」


声は冷たい。だがその冷たさを武器にする。


「市民被害ゼロ、最優先」

「回収手順、停止」


命令を命令で殴る。

首輪の文言を使い、首輪の向きを変える。

調整する。


双子が、最後の工作をする。

自壊の回線を一瞬だけ遅らせる。

一瞬だけ。証拠が消える前の一瞬。


その“一瞬”を、義弘が取った。


義弘の刃が、ラックの固定ギミックの根元へ入る。

切る。

切るべき場所を切る。


ラックが外れ、アーバレストの上体が崩れる。

重心が落ちる。

落ちる怪物は、もう立ち上がれない。


倒れた瞬間、義弘の身体も限界に近づく。

強制冷却の白い痣が広がり、装甲以外の保護が死んでいく。


義弘の膝が、少しだけ揺れた。


その揺れを、アリスは見てしまった。


子どもっぽい焦りが胸を刺す。

シュヴァロフがいない。

フォローしてくれる影がいない。

だから焦りがむき出しになる。


「……っ」


アリスは一瞬、走り出しそうになった。

走ったら、物語になる。

走ったら、首輪が完成する。


彼女は止まる。

止まり方が、子どもだ。

踏みとどまるために、拳を強く握る。


そして毒で隠す。


「……倒れるなよ、テカテカ」


マイクに乗らないように小さく。

小さいのに、祈りが濃い。


回収班が苛立った声を上げる。


「GHOST、逸脱するな」

「津田を確保しろ」


アリスは淡々と返した。


「確保=生存」

「治安回復=暴走源停止」

「以上」


企業の言葉で、企業を殴る。

冷たいビジネスの語り口で、冷たいビジネスを崩す。


スクリーンには、また一瞬だけテロップが混入する。

露骨。成果です。

今度は視聴者が見逃さない。


「責任主体:OCM運用」


そしてコメント欄が、炎上の方向を変えた。


――OCMやば

――逃げるな

――証拠消そうとした?

――回収班って何

――ジジイじゃなくてOCMが悪いだろ

――GHOST…味方?敵?


物語が、OCMの手から滑り落ちる。

滑り落ちて、視聴者の手に渡る。


OCMは逃げる。

逃げる準備が早い。

逃げるための言い訳も用意してある。


「第三者ハッカーにより乗っ取られた可能性がある」

「現在調査中」

「安全確保のため――」


いつもの言葉だ。

でも今夜の視聴者は、飢えているだけじゃない。

見た。

“一瞬だけ露骨”を見た。


見たものは消せない。

切り抜きは、今度はOCMを固定する。


義弘は、倒れないまま息を吐いた。

勝ったという感覚はない。

勝ったのに、身体が壊れている。


それでも立っている。

立っていることが、大人の仕事だ。


アリスは、ステージの光の中で立っていた。

OCMの広告スーツ。最悪の衣装。

でもその中身は、OCMのものじゃない。


首輪が締まる。

締まる中で、アリスは首輪の“隙間”を探す。

調整する。


双子が影で動く。

撤収ルート。監視の死角。市民の導線。

街の中に、抜け道ができる。


アリスは最後に、義弘の方を見ないまま、小さな通信を落とした。


「……死ぬなよ、ジジイ」


それは命令じゃない。

祈りだ。子どもの祈り。


義弘は返さない。

返せば繋がる。繋がれば掴まれる。


代わりに、心の中でだけ言う。


――死なない。

――君に首輪を付けさせないために。


アリスの影が、光の外へ消える。

シュヴァロフの影の代わりに、双子の影が彼女を包む。

“好き”を守るために。


広場のスクリーンには、まだOCMのロゴが残っていた。

だがロゴはもう、正義の顔をしていない。


新開市は、飢えたままだ。

それでも、今夜だけは少しだけ満たされた。


物語を、取り返したから。

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