表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/293

第百五十三話 女王の檻

 列はまだ、祝祭の顔をしていた。


 不思議の国の住人が街へ飛び出してきたみたいに、笑い声と正義の顔と端末の光が、同じ方向へ揺れている。中心は一つ。中心だけが揃っている。


 中心――アリス。


 境界のテープが引かれ、規範の線が硬く残る。線の外側に列ができ、列の内側に目的が混ざる。守りたい熱、見たい熱、名乗りたい熱、燃やしたい熱。熱が混ざるほど、誰も止められなくなる。


 外周で、アライアンスの使節が淡々と立っていた。礼儀正しい角度のまま、声だけが氷のように落ちる。


「我々は規範を適用する。例外は外す」


 その言葉が届く前から、アリスは決めていた。


 列が潰れる。救急が詰まる。誰かが死ぬ。その未来は、もう何度も見えている。見えているなら、先に自分を差し出せばいい。中心を消せば、列は弱まるはずだ。


 アリスは一歩、使節の側へ寄った。


 それだけの動きが、号砲になった。


 列の中で最初に跳ね上がったのは、守りたい熱だった。誤読が、熱に変わる。熱は言葉になる。


「連れていかれるぞ!」


 次の瞬間、別の言葉が生まれる。


「アリスを救え!」


 “救え”が合言葉になると、列は救うために固まる。固まるほど危ないのに、固まる。固まった列は、もっと中心に寄る。中心に寄れば寄るほど、救えが叫ばれる。


 使節の側では、別の言葉が同時に立ち上がっていた。


「確保に入る。規範手順だ」


 同じ時間に、もう一つの合言葉が別の温度で鳴った。


 OCM海外部門の機体が、いつのまにか近い。誰も“見ていない”のに、見えない圧が進んでくる。危機管理は、合図の前に動く。


「中心を抑えろ!」


 “抑えろ”が、“捕まえろ”として列に聞こえた。


 救え。

 確保しろ。

 捕まえろ。


 三つの合言葉が、同じ場所で、同じ音量でぶつかった。


 祭りが、狩りに変わる音だった。


 そのとき、地面が鳴った。


 空ではない。地だ。


 路面の熱に紛れ、光の境目に溶け、輪郭を持たないまま――透明の獣が駆けてくる。


 VX-07 HOUND。


 見えないのに、いるのが分かる。分かる理由は音だけだ。乾いた打音が近づくたび、列の“端”が狩られる。


 端に穴が空く。穴は埋めたくなる。埋めようとして人が寄る。寄った分だけ中心が太る。太い中心は事故の形になる。


 遅れて、壁が来る。


 VX-14 ELEPHANT。


 質量の壁が進路を塞ぎ、列を割ろうとする。割れ目ができると、正義の顔がぶつかり合う。ぶつかり合いは取っ組み合いに変わる。取っ組み合いは映像になり、映像は正しさの証明になる。


 正しさを証明し合う群衆ほど、手が早い。


 見物人が止まる。止まると密度が増す。密度が増すと、HOUNDの狩りが効く。効くと穴が空く。穴が空くと寄る。寄ると潰れる。


 導線屋の一部が、境界線の影で息を潜めていた。叫ばない。煽らない。手を叩かない。代わりに、スマホの角度だけを揃える。


 「救出の瞬間」が欲しいのだ。


 モブのサムライ・ヒーローたちが、正義の顔で前へ出る。義弘ではない、別人のサムライが、別々の流儀で“守る”を掲げて前線を硬くする。硬い前線は、押し返しが必要になる。押し返しは、殴り合いに見える。


 殴り合いに見えた瞬間、列は“敵”を得る。


 CRADLE IDOL GUARDの四人は、すでに声を重ねていた。守るために、同じ言葉に収束させる。


「救うなら散れ。散って道を空けろ」


 久世玲奈が最前線へ出る。フォームが正しい。正しさが圧になる。


「下がって」


 水無月みのりが列の空気を読み、穴を埋める衝動を外へ流す。


「固まると守れない。散らばると守れる」


 三枝つばさが心配の顔で断定する。断定は刃だが、今は止血でもある。


「押したら倒れる。倒れたら怪我する。怪我したら救急が詰まる。――押さないで」


 綾瀬ひかりが笑いながら早口になる。声で祭りのテンポを崩す。


「大丈夫、大丈夫! 今は見るより動く方がかっこいい! 歩いて、歩いて! 止まらないで!」


 四人の動きは効く。けれど、今日の列は“合言葉”で固まっている。


 救え。救え。救え。


 救うために固まる列を、救うために散らす。矛盾だらけの仕事だ。


 アリスは、喉の奥で舌打ちを潰した。


 自分が動けば燃える。動かなければ潰れる。どっちに転んでも最悪だ。だから最悪のなかで、よりマシな最悪を選ぶ。


 アリスは使節の方へ顔を向けた。声は短く、切り抜かれても意味が残るように。


「……私が行く」


 列が跳ねる。跳ねた熱が、救出に変わる。


「連れていくな!」


「アリスを救え!」


 アリスはすぐに言い足した。口が悪いのは変わらないが、刃の向きを間違えないようにする。


「救うなら散れ。邪魔するな。……倒れたら終わりだ」


 その瞬間、HOUNDの音が近づいた。


 乾いた打音が、光の境目を縫って走る。列の端がまた狩られ、誰かがよろけた。よろけは転倒になる。転倒が連鎖する前に、空気を切り替えなければならない。


 アリスは決めた。


 中心を消すだけでは足りない。列そのものが今、事故の準備になっている。事故を止める道具がいる。声だけでは無理だ。壁と穴が同時に来ているなら、遮蔽と誘導と隔離が必要だ。


 アリスは短く命じた。


「出ろ。コロボチェニィク、グリンフォン」


 命令の直後、命令の前みたいに、影が寄ってくる。


 バンダースナッチ。

 トウィードルダム。

 トウィードルディー。


 三機の随伴ドローンが、指示を待たずに盾の形を取る。守るための配置。守るための動き。


 それは“守護”に見える。


 見えた瞬間、列はまた固まる。


――奇跡だ。

――守護だ。

――救え。救え。


 導線屋の一部が、揃えた角度のまま息を飲む。撮る。撮る。撮る。救出の絵が生まれる。


 そして絵は、最悪の方向へ固定される。


 「アリスが軍勢を動かした」

 「抵抗した」

 「拘束を拒んだ」


 アリスは拒んでいない。拒んでいないのに、拒んだ絵が完成する。完成した絵は、誰にも壊せない。


 コロボチェニィクとグリンフォンが現れる。


 出動は鎮静のためだ。遮蔽し、隔離し、流れを作るためだ。列を割らず、潰さず、救急の道を空けるためだ。


 だが現場は、鎮静を鎮静として受け取らない。


 VX-07 HOUNDの音が切り込む。見えない獣の狩りが外縁を切るたび、コロボチェニィクの遮蔽が追いかける。追いかける動きは、戦闘の追撃に見える。


 VX-14 ELEPHANTが壁を押し出す。壁に押されて列が割れ、割れ目に人が倒れそうになる。グリンフォンが割れ目の前へ入る。塞ぐ。止める。守る。


 守る動きは、立ちはだかる動きに見える。


 立ちはだかる動きは、敵対に見える。


 海外部門の判断が硬くなる。硬くなるほど圧が増える。圧が増えるほど列は固まる。固まるほど事故が近づく。


 F.QRE.D.QVEが“置き”から“介入”へ変わる。


 動いた瞬間、列はそれを暴力として受け取る。受け取ってしまう。受け取ると、正義が殴る理由になる。


 モブのサムライ・ヒーローが、正義の顔で飛び込む。


「救うんだ!」


 取っ組み合いが起きる。誰が悪いわけでもない。誰もが正しい顔をしている。正しい顔がぶつかると、最も血が出る。


 見物人が悲鳴を上げる。悲鳴はさらに人を呼ぶ。人が増えれば、導線屋の角度が揃う。揃った角度が、救出戦の絵を完成させる。


 「救え!」が叫ばれるたび、誰かが前へ出る。前へ出た肩が押される。押された肩が倒れる。倒れそうな身体を支える手が伸びる。伸びた手が絡む。絡んだ手が、殴り合いに見える。


 列はもう、列ではない。


 戦場の入口だ。


 アライアンス使節の声が、氷みたいに落ちる。


「我々は規範を適用する。例外は外す。拘束を――」


 言い切る前に、HOUNDの音が近づいた。


 音だけを置いて、透明の獣が突っ込んでくる。狩りの音が列の端を切り、穴が空く。穴を埋めようとして人が寄る。寄った瞬間、ELEPHANTの壁が押し出す。押し出された人がバランスを崩す。


 転倒。


 たった一人の転倒が、波になる。


 波が波を呼ぶ。波は救護に変わり、救護は密集に変わり、密集は窒息に変わる。


 CRADLE IDOL GUARDは救護に入る。入った瞬間を、導線屋が撮る。


 「救っている絵」

 「隠している絵」

 「守っている絵」

 「暴れている絵」


 同じ映像が、別の意味で固定される。固定された意味が、また列を殴る。


 アリスは、最悪の連鎖を止めるために声を張った。張った声はすぐに素材になる。それでも張る。


「そこ! 止まるな! 散れ! 道を空けろ!」


 列の中で誰かが叫ぶ。


「救え!」


 別の誰かが叫ぶ。


「確保しろ!」


 別の誰かが叫ぶ。


「捕まえろ!」


 三つの合言葉が、またぶつかる。ぶつかった瞬間、戦場が一段深くなる。


 コロボチェニィクが、遮蔽を厚くする。厚くした瞬間、海外部門は“抵抗”と読む。読むから圧を増す。圧が増すから遮蔽がさらに厚くなる。厚くなるほど、拒否に見える。


 グリンフォンが、割れ目を塞ぐ。塞いだ瞬間、列は“妨害”と読む。読むから押す。押すから塞ぐ。塞ぐほど、壁に見える。


 バンダースナッチが前へ出る。

 トウィードルダムが左へ。

 トウィードルディーが右へ。


 三機の盾が厚くなる。厚くなるほど、女王の兵隊に見える。兵隊に見えた瞬間、救出戦は正義になる。


 トミーが列の端で跳ねた。白い毛のウサギは、舌打ちをする代わりに小さく吐き捨てる。


「ほらな。お前が一歩動くだけで、祭りが戦争になる」


 アリスは返さない。返せない。返したら燃える。燃えたら死ぬ。


 義弘からのメッセージが、端末に届く。入院中の短い文だ。


――君が折れたら、列が刃になる。


 刃になっている。もうなっている。だから折れない。折れないために、戦うしかなくなる。


 アリスは、苦い息を吐いた。


「……私のせいにするなら勝手にしろ」


 口が悪い。だが目は冷たい。冷たい目は、泣き言を許さない。


「でも死ぬな。死んだら、全部終わりだ」


 その瞬間、透明の獣の音が、さらに近づいた。


 乾いた打音が、光の境目を裂く。列の端が狩られる。穴が空く。穴を埋める。壁が押す。割れ目ができる。倒れる。


 倒れる前に止めたい。止めたいのに、止める動きが戦闘に見える。


 戦闘に見えるから、戦闘になる。


 外周で、使節が短く命じた。


「確保を優先する。例外は外す」


 F.QRE.D.QVEが前へ出る。前へ出た瞬間、親衛隊の前線が硬くなる。硬くなるほど、取っ組み合いが増える。増えるほど、救えが大きくなる。


 海外部門の圧が増す。増すほど、ELEPHANTの壁が厚くなる。厚くなるほど、割れ目が鋭くなる。


 HOUNDの音が切り込む。切り込むほど、端が狩られ、中心が太る。太るほど、救えが大きくなる。


 救えが大きくなるほど、戦場が広がる。


 広がった戦場の中心で、アリスは気づく。


 拘束されれば静まると思った。

 中心を消せば列は弱まると思った。

 違った。


 中心を消す瞬間こそ、列が最も暴発する。


 そして今、暴発はもう“事故”ではなく“戦闘”になってしまった。


 導線屋の一部が、境界線の影で角度を揃えた。


 「救出の瞬間」

 「拘束の瞬間」

 「対立の瞬間」


 どれも映える。映えるほど、列は止まらない。


 コロボチェニィクがHOUNDの音を追う。追う動きは狩りに見える。

 グリンフォンがELEPHANTの壁を止める。止める動きは衝突に見える。


 衝突が起きる。

 衝突の音が、街の奥へ響く。


 その音を、誰かが喜ぶ。

 誰かが泣く。

 誰かが祈る。

 誰かが撮る。


 不思議の国のパレードは、戦場のパレードに変わっていた。


 そしてその中心で、アリスの背後の盾がさらに厚くなる。

 厚くなった盾は、救出の理由になる。

 救出の理由は、拘束の理由になる。


 理由が理由を生み、刃が刃を呼ぶ。


 次の瞬間――画面が、ひとつの絵に固定された。


 透明の獣の音。

 壁の影。

 女王の背中。

 そして群衆の光。


 「救え!」と「確保しろ!」と「捕まえろ!」が、同じ音量でぶつかったまま、暗転した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ