第百五十二話 アリス親衛隊
列は、歩いているのに、行進ではなかった。
整列していない。足並みも揃っていない。けれど、中心だけは揃っていた。
中心――アリス。
新開市の路面は、昼の熱をまだ抱いている。そこへ、色の違う影が次々と重なる。影は一つの川になり、川は“列”と呼ばれる形になる。列の縁はゆらゆらして、一定の輪郭を持たない。触れたら溶ける飴細工みたいに見えるのに、どこか硬い。
列は自分の名前を持ちたがる。自分が「正しい」ものだと思いたがる。
そして正しい顔を揃えた途端に、魑魅魍魎になる。
誰かが最初に言った。
「アリス親衛隊」
軽い言葉が、軽いまま増殖した。声の端に乗って、端末の画面に乗って、笑い声に乗って、怒号に乗って。
列の中には、同じ言葉を言いながら、違う目的を抱えた者がぎっしり詰まっている。
守りたい者。
見たい者。
名乗りたい者。
撮りたい者。
燃やしたい者。
救いたい者。
そして――混ぜたい者。
混ぜたい者がいると、列は“祭り”になる。
旗が立つ。旗は統一されていない。紙の旗、布の旗、段ボールの旗、段幕。文字の癖はそれぞれ違うのに、書かれている言葉は似ている。
――守る。
――守護。
――公式。
――我ら。
その「我ら」は、誰のことでもない。だから誰でも入れる。
誰でも入れる列は、魑魅魍魎の入口だ。
列の先頭には、モブのサムライ・ヒーローたちが出てくる。義弘ではない。別人の“サムライ”が、何人も。
刀を佩く者。木刀を持つ者。鎧のようなプロテクターを着る者。竹刀袋を背負う者。
彼らは“正義の顔”だけ揃えている。装備は揃っていないのに、正義だけは揃っている。
その揃い方が、いちばん不気味だった。
列の中腹には、折原の同調者がいる。彼らは声を荒げない。代わりに手が忙しい。
水、マスク、簡易救護。
「支える」という善意が、列に滞留の許可証を渡す。座り込める。居続けられる。そこに居ることが正義になる。
そして、列の縁の影――境界線の影には、導線屋の一部が混じる。
彼らは旗を掲げない。声も上げない。
ただ、スマホの角度を揃える。
立ち止まる足を一歩だけずらす。
視線を“同じ場所”へ集める。
誰かの背中が少しだけ前に出る瞬間を作る。
「今だ」と言わないのに、「今だ」と分かる空気だけが作られる。
列は、パレードみたいに進む。
パレードみたいに進むから、止めづらい。止めたら“祭りを潰した悪者”になる。
誰も悪者になりたくない。悪者になりたくない者たちの集まりが、一番危ない。
沿道には見物人が生まれる。見物人は列に触れていないつもりで、列を太らせる。
端末の光が揺れて、街路灯の光と混ざる。光の境目が増えるほど、列の輪郭が増える。輪郭が増えるほど、列は固まる。
その中心に、アリスがいる。
アリスは前に出たくない。
前に出るほど、神輿になる。
神輿になれば列は太る。
太い列は潰れる。
けれど列は、中心を必要とする。中心がないと、祭りが成立しない。
祭りが成立しないと、彼らは自分の存在理由を失う。
存在理由を失った群衆は、次に“敵”を作る。
アリスはそれを知っている。だから中心に立たされる前に、自分で立ってしまう。
嫌なことほど、先にやる。そうしないと、もっと嫌な形でやらされる。
境界のテープの前で、アリスは足を止めた。
テープはただの線だ。だが線は、群衆の正しさで硬くなる。
白い毛のウサギ――トミーが、列の端で跳ねるように現れる。垂れ耳が揺れて、眼だけが鋭い。
「お前、今日は“女王”だな」
言葉は毒だ。毒なのに、気遣いの角度がある。
アリスは返さない。返すと燃える。燃えると列が太る。
列が、わずかにざわめいた。ざわめきは歓声に似ている。歓声は怒号に似ている。どちらも密集を生む。
そのとき、地面が鳴った。
空ではない。地だ。
路面の熱に紛れ、光の境目に溶け、輪郭を持たないまま――透明の獣が駆けてくる。
VX-07 HOUND。
見えないのに、いるのが分かる。
分かる理由は、音だけだった。乾いた打音。追跡の音。音だけを置いて、列の端へ突っ込んでくる。
列の“端”が切られた。
誰かが押されたのではない。
流れが、狩られた。
端に穴が空く。穴は埋めたくなる。埋めたくなるから、人が寄る。寄った分だけ中心が太る。
中心が太ると、事故が近づく。
遅れて、VX-14 ELEPHANTが進路に入る。壁のように進路を塞ぎ、列を割る。
HOUNDが地で切り、ELEPHANTが壁で割る。
割れ目ができると、人が転ぶ。転ぶと波が生まれる。
波が生まれる前に止めなければならない。
CRADLE IDOL GUARDの四人が動き出す。
動きはそれぞれ違うのに、目標だけは一つに収束する。
久世玲奈が前へ出る。フォームが正しく、圧が強い。
「下がって」
水無月みのりが列の空気を読み、自然に流す。
「散らばると見える。固まると見えない」
三枝つばさが心配の顔で断定する。
「押したら倒れる。倒れたら怪我する。――押さないで」
綾瀬ひかりが笑いながら早口になる。声で安心を作る。
「見るより、道を空ける方がかっこいいですよ! ほら、深呼吸!」
四人の声が重なって、一つの言葉になる。
「見るな。散れ。道を空けろ」
だが“祭り”は、止まらない。
止めようとする言葉すら、列の中では「試練」になる。
ここで、アリスが一歩前に出た。
境界の前に立ち塞がる。列を守るために。列を潰さないために。救急を詰まらせないために。
それでも絵は、勝手に完成していく。
アリスは短く言った。切り抜かれても意味が残るように。
「下がれ。私が言ってる。道を空けろ」
列が一瞬止まる。止まると固まる。固まると潰れる。だから続ける。
「私を守るな。倒れたら終わりだ」
その瞬間だった。
命令の前に、影が集まった。
バンダースナッチ。
トウィードルダム。
トウィードルディー。
三機の随伴ドローンが、指示を待たずに寄ってくる。まるで“王冠”を見つけた兵隊みたいに、アリスの背後へ回り、盾の形を取る。遮蔽。警戒。誘導。守るための配置。
アリスは命令していない。
それでも列は、見たいものだけを見る。
――守護が降りた。
――不思議の国が出てきた。
――奇跡だ。
――女王だ。
祭りの言葉が飛び、列がさらに固まる。
固まった列は、さらに危ない。
透明の獣は止まらない。音だけを置いて突っ込むたび、端が切れ、穴が空き、穴を埋めるために人が寄る。
寄るたびに中心が太る。太るたびに事故が近づく。
アリスは、背中の密度が増すのを感じた。守られているのに、閉じ込められる。
トミーが小さく言った。
「ほらな。祭りは、勝手に進む」
列は、パレードみたいに進んでいく。
不思議の国の住人が街へ飛び出してきたみたいに、笑いながら、正義の顔をしながら、端末の光を掲げながら。
そして、そのパレードの真ん中で、アリスだけが分かっている。
これは祝祭じゃない。
事故の準備だ。
アリスがそう思った瞬間、列の外縁で小さな転倒が起きた。転んだのは敵ではない。旗を掲げた者でもない。沿道の見物人だった。見物人は列に触れていないつもりで、列の重さを増やしている。
転倒は、言葉より速い。
誰かが手を伸ばす。善意の手だ。善意の手が伸びると、周囲が寄る。寄ると、密度が上がる。密度が上がると、透明の獣が切った穴が埋まる。穴が埋まると、また別の穴が空く。
VX-07 HOUNDは、見えないまま“音だけ”を置いて突っ込んでくる。乾いた打音が近づくたび、列の端が狩られる。狩られた端は反射で寄る。寄った瞬間、パレードは少しだけ乱れる。
乱れは“映え”になる。
列の縁の影で、導線屋の一部が息を潜めていた。声を上げない。拍手もしない。だが「今だ」という空気だけを作る。
誰かのスマホが同じ角度に揃う。
誰かの肩が、ほんの一歩だけ前へ出る。
誰かの顔が、泣き顔のまま硬直する。
泣き顔は強い。泣き顔は物語を完成させる。
VX-14 ELEPHANTが壁のように進路を塞いだ。分断しようとする。分断は、列の中の“違う目的”を露出させる。露出すると、正義の顔が剥がれる。剥がれた瞬間、列は敵を探し始める。
だから列は分断を嫌う。嫌うから、逆に固まる。
固まった列は、アリスを中心にさらに“祭り”に寄っていく。
――女王だ。
――守護が降りた。
――不思議の国が出てきた。
言葉が軽く跳ねる。跳ねる言葉は、誰かの胸を熱くする。熱くなった胸は、足を止める。足が止まると、後ろが詰まる。詰まると潰れる。
CRADLE IDOL GUARDの四人は、潰れる前に“流れ”を作ろうとしていた。だが今日は、流れの上に祭りが乗っている。祭りは流れを嫌う。流れは祭りを壊す。壊すと悪者になる。
久世玲奈は、悪者になることを躊躇わない。躊躇わないから、現場で頼られる。頼られるほど、映像では威圧に見える。
「下がって」
短い言葉が、圧になる。圧が生まれる。圧が生まれた瞬間、列の一部が反発する。
「なんで止めるんだ! 守るんだろ!」
水無月みのりは、その反発の“熱”を読む。熱がどこへ逃げたいのかを読む。逃げ道だけ作って、押さない。
「守るなら、散らばって。固まると、守れない」
守れない、という言葉が刺さる。刺さるが、刺さった人間ほど“もっと守ろう”として固まることがある。善意の矛盾だ。
三枝つばさが心配そうな顔で断定する。断定は刺さる。刺さるが、今日は刺さり方を間違えると列を硬くする。
「あなたたちが倒れたら、救急が詰まる。詰まったら、死ぬ。――だから散らばって」
綾瀬ひかりは、笑いながら早口になる。声で祭りのテンポを変えるしかない。テンポを変えれば、スマホの角度がずれる。角度がずれれば、物語が崩れる。
「大丈夫、大丈夫! 守るなら、歩きながら! 止まらないで! 歩いて守るのがいちばんかっこいいですよ!」
歩いて守る。馬鹿みたいで、効果がある。群衆は“かっこいい”に弱い。
四人の声が重なって、今日も一言に収束する。
「見るな。散れ。道を空けろ」
だが、列は“奇跡”を見てしまった。
奇跡は、止まれと言われても止まる。散れと言われても散れない。
奇跡の前では、命令が祈りになる。
アリスは、背中の密度が増していくのを感じた。
バンダースナッチが前へ出る。
トウィードルダムが左へ。
トウィードルディーが右へ。
三機は、指示を待たずに動く。盾の形が厚くなる。厚くなるほど、見える絵が完成する。完成した絵は、列にとって“祝祭の証明”になる。
祝祭の証明は、危険の証明でもある。
アリスは、喉の奥で言葉を潰した。潰しても、潰した顔が燃える。燃えるほど列が太る。太るほど事故が近い。
それでも言葉を出すしかない。言葉がなければ、祭りは次に“敵”を作る。
アリスは短く言った。切り抜かれても、意味が残るように。
「……倒れるな」
列に向けた言葉だ。自分に向けた言葉でもある。
「倒れたら、終わりだ」
その言葉は正しい。正しい言葉は、列を一瞬だけ静かにする。静かになると、別の音が聞こえる。
透明の獣の音だ。
VX-07 HOUNDの乾いた打音が、光の境目を縫って近づく。見えないのに、いるのが分かる。分かるから怖い。怖いから足が止まる。足が止まると潰れる。
アリスは舌打ちしたくなった。舌打ちすら切り抜かれるので、息だけを吐く。
トミーが、列の端で跳ねるように位置を変えた。白い毛のウサギは、パレードの中で一番冷静だった。
「お前、祈られてるぞ」
祈られている。
祈られているから、縛られる。
アリスは返さない。返したら燃える。燃えたら祭りが強くなる。
外周で、アライアンスの使節は“絵”を見ていた。
中心にアリス。
背後に三機。
地を走る透明の獣の音。
壁のように進むELEPHANT。
そして、それを見上げる群衆の光。
この構図は、事故より先に“政治”になる。
使節は自分たちを指す言葉で、淡々と結論を組み立てる。
「我々は規範を適用する。例外は外す。例外がないから、秩序が保たれる」
傍の担当が言う。
「しかし……列が――」
「列は現象だ。現象は中心を持つ。中心を隔離すれば、現象は弱まる」
担当が息を飲む。
「中心を……隔離」
使節は頷く。頷き方が正確すぎる。
「拘束も考える。本人の意思とは無関係に」
その言葉が、電線を伝って流れたみたいに、現場の空気を冷やした。
冷えた空気は、列を固める。固まった列は、危険になる。
危険になった列は、さらに拘束の理由になる。
理由が理由を生む。規範が規範を呼ぶ。氷が氷を増やす。
OCM側にも、同じ絵が届いていた。
海外部門は、絵を“リスク”として見る。
――中心が自発随行を引き起こしている。
――統制不能。
――事故の確率が上がる。
――責任線が曖昧になる。
彼らにとって、曖昧は最悪だ。最悪だから、強い圧を選ぶ。
オスカーは、その報告を受け取りながら表情を変えなかった。変えないことで、場を支配する。
「列は今、政治だ」
部下が言う。
「止めますか」
オスカーは首を振った。
「止め方を間違えれば、列は太る。太れば事故になる。事故になれば、こちらの枠が壊れる」
枠。正規化の枠。秩序の枠。
オスカーは、列を怖がっている。だが列は便利でもある。便利だから、扱う。扱うことで、さらに危険になる。
彼は声明案を見た。言葉で首輪をつけるつもりの文章。
けれど今日は、言葉が祝祭の太鼓にしかならない可能性がある。
オスカーは短く言った。
「まだ出すな。今出せば燃える。燃え方がこちらの燃え方ではない」
燃え方がこちらの燃え方ではない。
その言い方が、彼の冷たさをよく表していた。
現場で、列はなおパレードを続けていた。
モブのサムライ・ヒーローが、勝手に前へ出る。正義の顔で前へ出る。前へ出るほど、透明の獣の“音”が近づく。音が近づくほど、後ろが詰まる。
折原の同調者が、水とマスクを配る。善意で配る。善意が列の滞留を可能にする。滞留が可能になるほど、祭りが長引く。
導線屋の一部が、角度を揃える。揃えた角度で「奇跡」を撮る。奇跡が拡散される。拡散が速いほど、列の足は止まる。
止まると潰れるのに、止まる。
祝祭は、止まる方向へ進む。
アリスは、それを見ている。見ているだけで罪になる。動けば神輿になる。神輿になれば列が太る。太れば潰れる。
アリスは、息を吐いた。
そして、やっと言葉を選んだ。口が悪いのは変わらないが、刃の向きを間違えないように。
「……私のために集まるな」
列がざわめく。ざわめきは悲鳴に似ている。悲鳴は怒号に似ている。
「集まるなら、散らばって守れ。……邪魔するな」
邪魔するな。
その短い言葉は切り抜かれる。切り抜かれた言葉は、「命を守れ」という意味を落として「暴言」だけ残す。
列が、また固まった。
奇跡の上に、暴言の切り抜きが積み上がる。
積み上がったら、もう誰にも崩せない。
使節が、外周から一歩前に出た。
声は淡々としている。淡々としているほど恐ろしい。
「我々は規範を適用する。例外は外す」
現場の誰かが問う。
「中心――アリスは」
「例外ではない」
使節は続けた。最後の一言だけ、少しだけ重く置いた。
「拘束も考える。本人の意思とは無関係に」
その瞬間、列の中の“守りたい熱”が一段跳ね上がった。跳ね上がった熱は、密集になる。密集は事故になる。事故は拘束の理由になる。
理由が回り始めた。回り始めたら止まらない。
アリスは、使節を見た。怒りが燃える。燃えた怒りは見せられない。見せたら祝祭が完成してしまう。
アリスは怒りを飲み込んで、代わりに列へ言った。
「……下がれ」
短い。短いから刺さる。刺さるから止まる。止まるから固まる。固まるから危ない。
矛盾だらけだ。
バンダースナッチが前へ出た。
トウィードルダムが左へ。
トウィードルディーが右へ。
三機の盾が厚くなる。厚くなるほど“拒否”に見える。拒否に見えるほど拘束が近づく。
透明の獣は、音だけを置いてなお地を裂く。
列は、パレードみたいに進む。
不思議の国の住人が街へ飛び出してきたみたいに、笑いながら、正義の顔をしながら、端末の光を掲げながら。
そして、その真ん中で、アリスだけが分かっている。
祝祭の顔をしたこの列は、
誰の味方でもなくなり始めている。
守るために集まった影が、拘束の理由になった。




