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第十五話 契約

義弘が倒れた場所は、地図に載らない。


新開市には、完成した都市の顔と、未完成の裏腹がある。

表から見えない場所に、保守用の通路と仮設の地下区画が蜘蛛の巣みたいに広がっている。

義弘が運び込まれたのは、その裏腹のさらに裏――人間の足音が迷う、冷たい空間だった。


照明は最低限。

壁面には古い配線。

床には乾いた埃と油の匂い。

そこに、眩しすぎる男が横たわっている。


義弘のサムライスーツは、あちこちが白い霜で染まっていた。

強制冷却の痕だ。

守るためではなく、壊れないための冷え。

冷えた部位は、もう守れない。


右肩まわりの装甲は歪み、円環状の関節装甲が何枚も欠けている。

バイザーには亀裂が走り、視界の端がゆがむ。

右腕の衝撃増幅は沈黙したまま、反応がない。


義弘は目を開けていた。

開けているのに、焦点が合っていない。


トミーが小さく舌打ちする。


「……ジジイ。おまえ、これ、もう戦う身体じゃねえぞ」


義弘は呼吸だけで返事をした。


「……うるさい」


声は低い。

低いけれど、いつもの硬さが少し削れている。


その横に、黒い影があった。


シュヴァロフ。

闇をまとった戦闘ドローンが、いまは戦闘をしていない。

鋭い爪で誰かを裂く代わりに、静かに義弘の脈と体温ログを監視している。

音も立てずに近づき、破損箇所の温度差を測り、冷却が悪さをしていないかを見ている。


まるで――母親だ。


トミーがぼそりと言う。


「なんだよこれ。ジャバウォックが看護婦かよ」


シュヴァロフは答えない。

答えないが、動きが丁寧だ。

戦闘の手つきじゃない。家事の手つき。

壊れたものを大切に扱う手つき。


義弘の喉元へ、小さな給水パックが差し出される。

シュヴァロフが口元を避ける角度まで計算して、静かに支えている。


義弘が一口飲む。

飲んで、ほんの少し眉をひそめた。


「……冷たい」


トミーが笑う。


「当たり前だろ。ここ地下だ」


シュヴァロフは給水パックを引き、すぐに別の保温シートを義弘の胸元へ置いた。

置き方が優しい。優しすぎる。


その優しさが、別の場所で誰かを焦らせていた。


アリスは、少し離れた仮設区画の陰で座っていた。

フードを深くかぶり、膝を抱え、足首を揺らしている。

揺らす速度が一定じゃない。

落ち着けていない証拠だ。


双子――トウィードルダムとトウィードルディーが、彼女の周りを小さく動いている。

床を片付け、拾い集めた破片を布に包み、仮の整備台に並べる。

彼らの手つきも丁寧だ。

丁寧だが、シュヴァロフの“影”ほど温かくはない。


アリスは、端末UIを開いては閉じ、開いては閉じた。

意味のない動作。

落ち着かない子どもが、指先で世界をいじっているみたいに。


「……別に」


ぽつりと言う。

誰に言うでもなく、自分に言う。


「心配してないし」


言い終わる前に、彼女の目が義弘の方へ向いた。

視線が勝手に行く。

勝手に行ったことに、本人が腹を立てる。


「……あいつ、勝手に前に出るからだ」


毒を吐く。

毒を吐けば、焦りが隠れる。

隠れるはずだった。


シュヴァロフが義弘に付きっきりで、アリスの方を見ない。

見られない。見られる余裕がない。


それが、アリスの内心をむき出しにした。


――シュヴァロフは私のドローン。

――なのに、私の方を見ない。

――あのジジイの方ばっかり。


嫉妬、という言葉をアリスは嫌う。

だから別の言葉にする。


「……効率が悪い」


効率。

大人の言葉で塗る。

だが塗っても、塗りきれない。


彼女は、拾い集めたLCの破片へ手を伸ばした。

欠けたレンズ。焦げたリール。歪んだ盾の欠片。

拾って、布の上へ“寝かせる”。


寝かせた瞬間、胸の奥が少しだけ落ち着く。

好きなものが、踏まれていない状態になる。

その落ち着きに、自分で腹が立つ。


「……こんなの、好きじゃない」


言いながら、指先は優しい。


双子が黙ってアリスの膝の横に、工具箱を置いた。

「ここにいる」と言う代わりの動作だ。


アリスはそれに気づいて、いったん口を閉じる。

閉じるが、落ち着かない。落ち着けない。


シュヴァロフがいない。

シュヴァロフが――アリスの感情の蓋になっていたのだと、今さら気づく。


そこへ、“通知”が来た。


音はしない。

音がしないのが、いちばん嫌だ。

静かに首輪に刺さってくる。


視界の端に、白い矩形が開く。


OCM社:運用管理部

資産保全に関する更改通知

重要度:最優先(強制)


アリスの指が止まった。


止まったのに、すぐ毒が出る。


「……は?」


矩形の中身は、冷たいビジネスの文章だった。


貴資産(NECROエージェント)に関し、現状の運用は不適切と判断しました。

つきましては所属の正規化および復帰プログラムの適用を提案します。

条件は以下の通りです。


津田義弘氏に対する回収班追撃を停止


医療ルートおよび補修資材の提供


貴資産の安全確保


対価:

A. 貴資産の元所属への回帰(権限再移管)

B. OCM所属サムライ・ヒーローとしての活動(広報契約含む)


“追撃停止”。


その単語で、アリスの呼吸が一瞬だけ詰まった。


詰まったことが、嫌だった。

嫌だから、すぐに強がる。


「……誰が広告塔だよ。ふざけんな」


言葉は強い。

でも目は文章の“1”から離れない。


追撃停止。医療ルート。

義弘が助かる条件。

義弘が――生きる条件。


シュヴァロフが義弘に付きっきりで、アリスの方を見ない。

そのせいで、アリスはこの条件を一人で噛まなければならない。


「……うそ」


アリスは誰にでもなく呟く。


「追撃停止って、ほんとに止めるの?」


止める。

止めると言うのは簡単だ。

“今夜は”止める、かもしれない。

“契約が成立するまで”止める、かもしれない。


でも今、アリスは合理性だけで動けない。

焦りが理性を削っている。


双子が黙ってアリスの肩に触れた。

落ち着け、と言う代わり。

だがアリスは肩を振り払った。


「触んな」


振り払ってから、しまったと思う。

だが謝らない。謝ると弱さが漏れる。


彼女は画面を睨みつけ、条件の“2”へ目を移した。


補修資材の提供。


そこには、具体的な品目が一部だけ列挙されていた。

I2H交換パック、光学迷彩フィルム、関節ユニット、医療用ナノジェル、バッテリセル。


アリスの指が、勝手に品目をなぞる。

勝手に。

勝手に胸が痛む。


シュヴァロフの損傷ログが脳裏に浮かぶ。

舞踏の中で削れた関節。

迷彩の負荷。爪の摩耗。


アリスの口から、思わず言葉が漏れた。


「……部品、今すぐ出るの?」


言ってしまった瞬間、顔が熱くなる。

子どもみたいな確認。餌に食いつく確認。


アリスはすぐに毒で塗る。


「別に欲しいわけじゃない! 必要なだけ!」


声が少し大きくなる。

大きくなるほど、自分の焦りが露出する。


シュヴァロフの方を見る。

シュヴァロフは見ない。義弘を見ている。

義弘の体温ログを見ている。

アリスの焦りを、見ない。


それが、またアリスを焦らせる。


「……くそ」


膝を抱える腕に力が入る。

小さな体が小さく縮む。

縮みながら、画面を睨む。


その時、義弘の側から声がした。


「……アリス」


呼ばれて、アリスはびくりとした。

びくりとしたのが悔しくて、すぐに不機嫌な顔になる。


「なに」


義弘は横たわったまま、視線だけをこちらへ向けた。

バイザーの亀裂の向こうに、鋭い目がまだ残っている。


「……取引するな」


アリスの喉が詰まった。

詰まったのに、毒で返す。


「は? 誰があんたのために?」


義弘は静かに言った。


「俺のために首輪を付けるな」


首輪。

言い方が正確すぎて、胸が痛い。


アリスは笑おうとした。

笑えば軽くなる。

軽くして逃げられる。


笑えなかった。


シュヴァロフが義弘の胸元のシートを直す。

直し方が優しい。

優しい動きが、アリスの胸に刺さる。


アリスは口を尖らせた。


「……あんた、黙って寝てろよ」


「寝ると、死ぬ」


義弘の言葉は冗談じゃない。

冗談にできない夜だ。


「死ぬなよ」と言ったのはアリスだ。

言ってしまったのはアリスだ。

だから、この話題から逃げられない。


トミーが割り込むように言った。


「おいガキ。取引なんかするな。企業は嘘つく」


アリスは睨んだ。


「知ってる」


知ってる。

知っているのに、条件が刺さる。


義弘の追撃停止。

シュヴァロフの部品。

自分の首輪の権限。


アリスは、まるで計算するみたいに指で膝を叩く。

叩く速度が乱れる。

子どもが悩むときの速度だ。


シュヴァロフはずっと義弘の側にいる。

付きっきり。

アリスの方を見ない。見られない。


“いつものフォロー”がない。

だからアリスの内心の焦りが、むき出しになる。


――私が決めるしかない。

――私が、守るしかない。


守る。

守りたいものが多すぎて、焦る。


アリスは立ち上がった。

立ち上がる動作が乱暴で、フードがずれた。

髪が揺れ、額が見える。

幼さが一瞬だけ露出する。


彼女は画面に向かって、冷たい声を作った。


「……わかった」


義弘が目を細める。


「やめろ」


アリスは振り返らずに言った。


「うるさい。大人の正しさで私を縛るな」


その言葉は、子どもの反抗だ。

大人に向かって「わかってる」と言いながら、わかってないふりをする反抗。


アリスは続けた。


「契約、する」


トミーが毛を逆立てる。


「ガキ!」


アリスは吐き捨てる。


「でも」


ここで声の芯が硬くなる。

子どもが、泣かないために固める芯。


「従う気はない」


義弘が静かに言った。


「……それでも首輪だ」


アリスは唇を噛んだ。

噛んで、噛んで、最後に毒で隠す。


「首輪? いいよ。

首輪つけたまま噛みついてやる」


画面に、入力欄が開く。

了承。署名。生体認証。


指先が震えた。

震えたのが悔しくて、指を強く押しつけた。


――承諾。


冷たい確認が返ってくる。


契約更改:成立

権限移管:進行中

NECRO首輪回線:OCMへ


その瞬間、アリスの首の奥がきゅっと締まった気がした。

物理じゃない。

でも物理みたいに、苦しい。


双子がそっと近づいた。

さっき振り払われた手が、今度は距離を取って止まる。

触れたいけど触れない。

それが優しさだ。


アリスは、触れられない手を見て、少しだけ息を吐いた。


「……ごめん」


小さすぎる声。

子どもっぽい声。

双子は答えず、ただ工具箱をもう一度置いた。

“ここにいる”の合図。


OCMから、続けて“提案”が届く。


ヒーロー装備案(暫定)

サムライ・スーツ:広告仕様

カラー:OCMコーポレート

スローガン:LEGION成果の象徴

配信・露出:週3回以上


アリスは、画面を見た瞬間、露骨に顔をしかめた。


「……きっしょ」


語彙が子どもだ。

嫌悪が素直だ。


「私を何だと思ってるんだよ。

広告塔? 看板? ペット?」


言いながら、拳が小さく握られる。

小さな手が、怒りで震える。


シュヴァロフは義弘の側を離れない。

だからアリスの怒りを撫でる手もない。

撫でられない怒りは、焦りに変わる。


焦りは、また義弘へ向かう。

義弘が横たわっている。

自分のせいで首輪を付けたくない。

でも首輪を付けたのは自分だ。


アリスは、義弘の方へ一歩だけ近づいた。

近づいて、止まる。

止まるのが子どもだ。


義弘は、目だけでアリスを見る。


「……アリス」


「なに」


「生きろ」


アリスは顔を背けた。

背けながら、舌打ちで返事をする。


「うるさい。あんたが生きろ」


言い方は毒だ。

でも中身は祈りだ。


そのとき、義弘のバイザーに、別の通知が一瞬だけ走った。

回収班のログ。

冷たい数字。


――《LC-07再起動率:上昇》

――《回収優先:LC-07》

――《公開収束:準備》


アーバレストは落ちた。

落ちたのに終わっていない。


世界は次の手順へ進んでいる。


アリスの首輪回線にも、同じ匂いの通知が刺さる。


――《配備計画:公開》

――《ヒーロー化:実施》


公開。

檻は、見える形になる。


アリスは息を吐いた。

吐いて、子どもみたいに言った。


「……やってやる」


誰に誓うでもなく。

でも、誓いだ。


「ヒーロー? なるよ。

私が――私のドローンのために正しいヒーローになってやる」


義弘は返事をしない。

返事をすると、そこが“名場面”になる。

名場面になれば、OCMの物語に組み込まれる。


代わりに、シュヴァロフが静かに義弘の肩を支えた。

その動きが、アリスの焦りを少しだけ落ち着かせる。


シュヴァロフはアリスを見ない。

見ないが、アリスの“好き”を守るために働いている。

そのことだけが、救いだった。


アリスはフードを深くかぶり直した。

子どもの顔を隠すみたいに。


そして、冷たい契約の中へ歩き出した。

首輪を付け替えられながら、噛みつくために。

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