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第百四十七話 救急導線確保:最優先

 新開市は、燃え方だけは天才だった。


 祭りの名前が変わろうが、公式の顔が誰であろうが、街は「今日、何が見られるか」で呼吸をする。

 そして今、街の肺には――CRADLE IDOL GUARDという新しい酸素が流れ込んでいた。


 歌う。踊る。守る。

 それが“公式”として成立するのだと、オスカー・ラインハルトが証明してしまったからだ。


 病院の窓際には、相変わらず札が貼られている。

《経過観察》《診断待ち》《健康配慮》

 だが今日は、札が薄い。

 札の音が、遠い。


 その代わり、街のどこかで鳴る低音が、病院の床まで伝わってきていた。


 ――どん。

 ――どん。


 まるで、未完成リングの足音みたいに。



 折原 連は、病院の前に立たなかった。


 立つ必要がない。

 彼の強みは「存在感の無さ」だ。誰の視界にも、最初から入らない。


 彼は市役所の臨時委託カードを首から下げ、ボランティア用のベストを羽織り、配信班の雑用名簿に名前を紛れ込ませ、AR会社の“現場調整”の席に黙って座る。


 誰も警戒しない。

 誰も重要視しない。

 それが彼の入口だ。


 折原は紙を一枚、折り目の無いまま机に置いた。


 《見守り・祈り:静穏》


 ふわふわした題名。柔らかい語彙。

 病院を守るというより、“病院に寄らせない”ための導線。


「……病院は、舞台じゃない」


 誰に言うでもなく呟くと、隣で、同じようなベストの若者が笑った。

 笑いが軽すぎて、逆に怖い。


「でも、映えるっすよ。あそこ。――あ、すみません、癖で」


 折原は顔を上げない。

 笑いを拾うと負けると知っているからだ。


「映えは…病院の外で作る」


「作れるんですか?」


「作る」


 折原の声は小さい。

 だが、その小ささが“手順”には向いている。

 主張しない文面ほど、回付される。


 彼の札は、今日も静かに回っていくはずだった。


 ――はずだった。



 午前。病院の裏手で、軽い事故が起きた。


 配送用の小型ドロイドが、段差でつまずいて転倒する。

 救急搬入口の手前で、誰かがわざと置いたコーンが倒れる。

 ゴミ袋がひとつ破れ、中身が散る。


 どれも“軽い”。

 だが、軽い事故は“列”を呼ぶ。


「見た? 今の」

「まただよ」

「サムライ呼べる?」

「アイドルガード来ないかな」


 人は勝手に並ぶ。

 スマホが勝手に立つ。

 善意が勝手に盛り上がる。


 病院の前で、列が生まれかけていた。


 真鍋佳澄は、救急の動線を睨みつけ、短く舌打ちした。


「……誰が“ここ”でやらせてる」


 鳴海 宗一が、現場の端でしゃがみ込み、転倒ドロイドの足回りを指で弾いた。

 金属音がひとつ、乾いて鳴る。


「故障じゃない。細工の癖がある」


「導線屋?」


「導線屋“だけ”じゃないな。……こっちは、事故を事故にしたい手だ」


 真鍋は即座に、病院側へ連絡を入れた。

 病院の札が増えるのは、最悪だ。


 しかし、その最悪は、彼女の電話より早く――もう到着していた。



 病院の正面入口に、白い紙が一枚貼られた。


 角が妙に揃っている。

 糊の塗り方が、機械的だ。

 そして、字面が強い。


《救急導線確保:最優先》


 次の瞬間、周囲の札が、黙って従った。


《安全確認》が剥がれ、

《運営調整》が沈み、

《見守り・祈り:静穏》が薄くなる。


 “最優先”は、強い。

 強すぎるほどに。


 真鍋が札を剥がそうとした指が止まる。


 剥がした瞬間、言われる。

 **「救急を邪魔した」**と。


 鳴海が静かに言った。


「この札…作ったのは病院じゃない」


「わかってる。でも、今剥がせない」


 病院の空気が、一段冷えた。


 その冷えを、床から突き上げるように――低音が近づく。


 ――どん。

 ――どん。


 振動の正体が、角を曲がって現れる。


 人間より背が低いのに、圧が高い。

 脚が太い。外装が分厚い。

 機体の輪郭が“重機”に近い。


 そして、側面に小さく刻まれた形式名。


VX-14 ELEPHANT


 誰かが笑った。

 笑ってはいけないのに、笑いが漏れた。


「……象、来たぞ」


 “絵”が強すぎる。


 列が、息を吸う。



 ELEPHANTは、武器を見せなかった。

 見せる必要がない。


 ただ、救急車の前に立ち、

 ただ、歩道を押し広げ、

 ただ、人の群れを“押し返す”。


 押す。

 押す。

 押す。


 音声が一言、繰り返された。


「救急導線確保。最優先」


 丁寧な口調。

 だが内容が、刃だ。


 人が避ける。

 善意が避ける。

 スマホが避ける。


 しかし――避けた人間は、次の瞬間、別の場所に“並ぶ”。


「すご……」

「公式のヤツ?」

「海外のヤツじゃね?」

「治安支援ってこういうやつ?」

「アリスちゃん、大丈夫? 見守りたい」


 列が、列を呼ぶ。


 折原は、遠くから見ていた。


 自分が作った札のはずだった。

 病院を舞台から外すための、静穏の導線。


 なのに、今――病院の前には、象がいる。

 象がいるせいで、病院が“映えの中心”になる。


 折原の喉が、ひゅっと鳴った。


「……違う。俺は、そういうつもりじゃ」


 誰も聞いていない。

 存在感が無いから。

 その強みが、今は罰だった。



 同じ時刻、少し離れた広場。

 特設ステージの裏では、別の札が走っていた。


《照明:点検済》

《導線:確保》

《配信:同期》

《安全:確約》


 オスカー・ラインハルトは、モニターの前で指を組んでいた。

 表情は穏やかだ。

 その穏やかさが、いちばん怖い。


「病院の前か」


 秘書役の社員が、資料を差し出す。


「救急導線確保――“最優先”が貼られています。海外部門のカードの可能性が高いと」


「可能性、では足りない」


 オスカーは一拍だけ黙り、次に“決めた”。


「公式は事故らせない。事故を、公式の中で処理する」


 即座に指示が飛ぶ。


「刀禰ミコトを入れて、“見守り配信”を病院から遠ざけろ。

 ドローン・サムライを病院の反対側に回し、そっちで映えを作る。

 そして――」


 視線が、ステージ裏に並ぶ椅子へ向く。


 そこに座っているのは、医療用のNECRO技術者。

 白衣。タブレット。無表情。


 オスカーは言った。


「アリスの出番を、削らない。削れない。

 彼女が倒れないように、常に裏に置け」


 非情だ。

 それが公式の手順だ。



 ステージに立つアリスは、笑っていた。


 笑顔の形は、正しい。

 だが、その笑顔が“生きていない”ことに、近い者ほど気づく。


 動きが滑らかすぎる。

 角度が揃いすぎる。

 息の乱れが、遅れて来る。


 アリスは、自分の身体を“ハックして”動かしている。


 歌と踊りのデータ。

 呼吸のテンポ。

 視線の配り方。

 笑顔のタイミング。


 全部、内側に流し込まれた“最適化”。


 隣で、明るい安心のひかりが声を張る。


「みんなー! 新開市、今日も元気に守っていこー!」


 切る玲奈が、短く言う。


「笑って。――それが盾になる」


 数字のみのりが、客席の反応を拾って呟く。


「同接、上がってる。病院の方も…映像が回ってる。危ない」


 善意断定のつばさが、きっぱり言った。


「善意は止められます。止めます。正しいから」


 アリスは歯を見せる笑顔のまま、小さく毒を吐いた。


「……善意って言葉、ほんと便利。ムカつく」


 マイクが拾わない音量。

 拾ったのは、隣のシュヴァロフだけだった。


 修理され、家事だけでなく“控え”の仕事もこなせるようになった相棒は、静かに頷く。

 その動きが、まるで「私の意思もここにある」と代行しているようで。


 アリスは一瞬だけ、目を伏せた。


「……ごめん。今日は、私が倒れたら終わりなんだよな」


 ステージ裏で、技術者がタブレットを叩く。

 アリスの体温、脈拍、NECROの負荷。

 数字が、赤に寄る。


 オスカーの“公式”が、無言で背中を押している。



 病院前の混乱に、アリスは直接は行けない。


 行けば、そこが舞台になる。

 “推し”が来たと、列が完成する。


 だから代わりに動く。


 コロボチェニィク。

 グリンフォン。


 二機の装甲には、テカテカと広告が刻印されていた。

 アリスが嫌悪した“公式の刻印”。


 しかし今日は、その刻印が盾になる。


 市民が言う。


「見て! 公式のやつだ!」

「アリスちゃんの機体じゃん!」

「守ってくれる!」


 機体が救急導線の外周に立ち、群れを分ける。

 攻撃ではない。

 “分ける”。

 列の熱を、少しずつ逃がす。


 真鍋は歯噛みする。


「……広告が、治安に効くなんて」


 鳴海が苦い顔で答える。


「新開市だ。なんでも効く」


 そこへ、遠い広場のスクリーンで、ミコトの声が流れた。


『みんなー! 病院の近くは“静穏”ね! 見守りは、離れてもできるよ!』


 善意の配信が、善意の列を動かす。


 病院の前から、わずかに人が離れる。

 ほんの少しだけ、空気が軽くなる。


 しかし――象は、まだそこにいる。


 ELEPHANTが押している限り、

 この場所は“絵”の中心だ。



 折原は、現場の端にしゃがみ込み、札の端を見た。


 自分の札は、柔らかい。

 角が丸い。

 言葉が曖昧で、だから回付される。


 だが、今貼られている《救急導線確保:最優先》は違う。

 紙が硬い。

 角が鋭い。

 糊が均一。


 そして――“最優先”の文字の下に、薄い印がある。


 回付済


 勝手に押された既成事実。

 押してない扱いに戻せない、あの薄い端。


 折原の胸が、冷たくなる。


 自分は“運営”だ。

 だが今、運営の語彙で――兵器が動いている。


 折原は、初めて顔を上げ、病院の窓を見た。


 そこにいるのは、推しだ。

 アリスだ。


 見守りたい。

 守りたい。

 でも、見守りは列になる。

 守りは札になる。


 そして札は――誰かに奪われる。


「……俺の札が、俺じゃない手で“最優先”になってる」


 彼の声は、風に消えた。


 消えた声の代わりに、もう一枚、札が貼られる。


 ELEPHANTが作った通路の先。

 救急車の影。

 誰の手も届かない位置に、ぴたりと。


《現場保全:最優先》


 インクの色が、違う。

 折原の“現場保全”に似ているのに、温度が無い。


 真鍋が気づき、顔色を変える。


「……増えた。最優先が、増えた」


 鳴海の目が細くなる。


「“救急”の次に来るのは、いつも“保全”だ」


 病院の窓の奥で、札が揺れた。


 そして、床の振動が――もう一段、深くなる。


 ――どん。

 ――どん。


 象が押すのは、列だけじゃない。


 街の手順そのものが、押されている。



 広場のステージで、アリスは笑顔のまま踊り続けた。

 その動きは、完璧だった。

 完璧すぎて、機械みたいだった。


 そして完璧の裏で、身体は確実に悲鳴を上げている。


 ステージ裏で、技術者がオスカーに低い声で告げる。


「負荷が上がっています。もう一段、制限を――」


「落とすな」


 オスカーは穏やかに言った。


「公式は、落ちない」


 同じ瞬間、病院前で折原は札を見つめた。


《救急導線確保:最優先》

《現場保全:最優先》


 “最優先”が二枚。

 これは、次の事故の準備だ。


 折原は息を吐く。

 新開市市民らしく――めげない、しょげない、反省しない。


 だが今回は、違う。


「……力、尽くすって決めたのに」


 そう呟いた彼の背中に、遠い歓声が届く。

 サムライ・ウィークの歓声。

 公式の歓声。

 善意の歓声。


 歓声は、いつだって正しい顔で暴走する。


 折原は、静かに立ち上がった。


 列が列を呼ぶなら、

 札が札を呼ぶなら、

 ――自分も、札を切るしかない。


 病院の窓の向こうに、見えない“中心”がある。

 その中心に、次の札が向かっている。


 そして誰もまだ気づいていない。


 “最優先”が増えたとき、

 押されるのは列ではなく――人間の意思だということに。

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