表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
145/291

第百四十五話 軽い事故、重い上書き

 新開市の夜は、もはや夜ではなかった。

 照明。配信。スポンサー。誘導。

 正しい顔をした“段取り”が、街の呼吸そのものになっている。


 会場前の広場には、列があった。

 列は人間の形をしているが、人間で出来ていない。

 拍手のタイミング、スマホの掲げ方、歓声の波――それらが揃いすぎて、列は一つの生き物に見える。


 「CRADLE IDOL GUARD 初コンサート/初出動」

 そんな文字が、巨大な横断幕で掲げられていた。

 “初出動”という単語が、何も知らない観光客の背筋をくすぐる。

 危険ではなく、イベントの一部として。


 列の脇を、ボランティアの腕章が動く。

 “安全誘導”の札が、手のひらサイズで配られている。

 札を持つと、人は安心した顔になる。

 安心した顔になると、列が整う。

 列が整うと、配信が映える。


 映えると――誰かが儲かる。


 その“誰か”の一人が、会場の裏手にいた。


 折原連は、スタッフパスを首から下げ、誰よりも目立たない場所に立っていた。

 視線は低い。声は小さい。

 立ち位置が、いつも人の背後。

 存在感の薄さが、彼の才能の入口だった。


 折原のスマホには、短い文章が並ぶ。

 《機材点検:至急(安全確認のため一時停止)》

 《責任者確認済》

 《再開予定:未定(30秒)》

 その文面は、どこにでもある。

 だからこそ誰も疑わない。


 折原は、息を吐いた。

 自分が何をしているか、正確には言語化しない。

 言語化した瞬間、罪になるから。

 彼はただ“運営”をしている――そういう顔をする。


 そして、最初の札が落ちた。


 入場ゲートが、ぴたりと止まった。

 人の流れが止まる。

 止まった列は、写真にとてもよく映る。


 ゲート上の案内板に、丁寧な文字が出た。


 《安全確認のため、一時停止しています》

 《ご協力ありがとうございます》


 列の先頭で、ざわめきが起きる。

 「え、止まった?」

 「え、これ演出?」

 「事故?」

 事故という単語が出た瞬間、誰かが笑ってしまい、笑いが広がる。


 笑いは、不安を薄める。

 不安が薄まると、列は崩れない。

 列が崩れないと、事故は事故にならない。

 事故が事故にならないと、誰も責任を取らない。


 ステージ裏、控室のインカムが鳴った。

 短い電子音。正しい焦り。


 「入場、止まりました。点検札が出ています」

 「点検札?」

 「……誰が出した」

 その一言が鋭く落ちた。玲奈だった。


 彼女は、髪をまとめた指先を止めたまま、スタッフを見た。

 目の力だけで、相手の言い訳を削るタイプだ。


 ひかりが、すぐに笑ってみせる。

 「大丈夫! すぐ動くよね? ね、みんな、落ち着こ?」

 明るさが、場を支える。

 その明るさが、逆に怖いときもある。

 だが今は、救いだった。


 みのりは、タブレットの数字を見ていた。

 「三十秒停止は、一分の炎上に変換される。コメントの波が来る」

 波――配信の、世論の、列の。


 つばさは、胸の前で手を組む。

 「点検は必要です。安全のためなら、従うべきです」

 善意の断定。

 それは優しい顔で、命令になる。


 最後に、アリスが低く笑った。


 「……“点検”って札、便利だな。嫌い」

 笑いではない。毒だ。

 毒は、彼女の呼吸だった。


 アリスはセーラー服の上から、衣装用のジャケットを羽織っている。

 フードが落ちるたびに、スタッフが直そうとする。

 その手を、彼女は睨みで止めた。


 「触んな。私、飾りじゃない」


 スタッフがごくりと喉を鳴らす。

 飾りではない――だが今夜、彼女は“公式”の中心だ。


 会場の表に、別の音が流れ始めた。

 「ただいま安全点検を実施しております」

 「ご協力ありがとうございます」

 その言葉が、いつの間にか“予定”の言葉に変わる。


 入場停止が解除されるより早く、司会の声が入る。

 ステージに、予定表が上書きされる。


 「安全点検は予定通り実施されました!」


 事故が、予定に化ける瞬間だ。


 ひかりが、ほっと息を吐く。

 「……ほら! 大丈夫だった!」

 明るい安心が、観客の心拍を整える。


 玲奈は、鼻で笑った。

 「予定通り? 嘘くさ」

 言葉は刃だが、彼女の刃は、場を切り裂くためではなく守るためにある。


 みのりは、短く言った。

 「数字は落ちない。……でも、勝ったのは誰?」

 数字が落ちないのは勝利ではない。

 誰の勝利かが問題だ。


 つばさは、頷いた。

 「正しい対応です。安全は最優先です」

 善意の言葉が、公式の上書きを支える。


 アリスだけが、薄く目を細めた。

 事故が予定に変わった――その事実が、一番気持ち悪い。


 「……食ったな。公式が。事故を」


 誰も聞こえない声だった。

 聞こえたとしても、誰も意味を取れない声だった。


 開演のカウントが始まる。

 照明が落ち、歓声が膨らむ。

 舞台袖で、四人のアイドルが立つ。


 ひかりは、胸の前で小さく拳を握っている。

 「みんな、行こう! 今日は、守る日だよ!」

 その声は明るいのに、覚悟がある。


 玲奈は、目だけで全員を確認した。

 「余計なこと言うな。余計なことするな。――やることだけやる」

 短い命令。切る。


 みのりは、タブレットを閉じる。

 「今の一分で、コメント欄の温度が上がった。落とすなら、今」

 数字が武器になる。数字が刃にもなる。


 つばさは、静かに言った。

 「善意は、善意として成立させましょう。誰も傷つけないために」

 断定が、祈りのように聞こえる。


 そしてアリスは。


 歌もダンスも、彼女の世界にはない。

 だが“命令”はある。

 そして、守りたいものもある。


 彼女は、喉の奥で舌打ちした。


 「……私に歌わせたい奴、全員ムカつく」


 その瞬間、彼女の首筋の内側で、熱が走った。

 NECROテックが、静かに起動する。

 起動と言っても、優しい起動ではない。

 鍵穴にねじ込まれるような、強制の起動。


 アリスは“ダウンロード”する。

 振付。視線。呼吸。笑顔の角度。

 それを、自分の身体に流し込む。


 彼女自身が自分を見ているのに、身体は別のものになっていく。


 「……私の身体を、私が見てる。最悪」


 袖からステージに出る。


 照明が当たった瞬間、アリスは“完璧”だった。

 完璧すぎるから、怖い。


 観客が息を飲む。

 コメント欄が流れ出す。


 《アリス、動きキレすぎ》

 《AIっぽい…?》

 《でも可愛いから勝ち》

 《公式の勝ち筋、強すぎ》

 《OCMやばいw》


 その“AIっぽい”が、彼女の背中に針を刺す。

 アリスの動きは、確かに人間の揺れが薄い。

 瞬きが少ない。

 首の角度が正確すぎる。

 笑顔の立ち上がりが、決まったフレームをなぞる。


 ひかりが、隣で気づく。

 笑っているのに、笑っていない目。

 それでも、ひかりは笑顔を崩さない。

 “安心”は、ひかりの武器だ。


 玲奈は、踊りながら横目で見て、唇を動かす。

 「……人形みたいだな」

 声にならない毒。

 彼女も毒を持つ。

 ただ、玲奈の毒は守るための毒だ。


 みのりは、観客の反応を読む。

 「“機械的”は炎上にもバズにもなる。今はバズに寄せろ」

 数字の判断が冷たい。

 冷たいが、現場は冷たくないと死ぬ。


 つばさは、祈るように言う。

 「頑張っている証拠です。……誰も、責めないで」

 善意が、覆いになる。

 覆いは時に、圧になる。


 そして、アリスは踊り続ける。

 踊りながら、頭の片隅で“札”の匂いを追う。


 入場停止――点検札。

 善意の説明――予定の上書き。

 次に来るのは、必ずこうだ。


 《救護動線の確保》

 《見守り》

 《祈り》

 《健康配慮》


 人を増やしても正しい顔ができる札。

 列を太らせる札。

 病院に近づく理由になる札。


 アリスの背中に、冷たい汗が出た。


 案の定、会場の端で、別の列が生まれ始めていた。


 「救護のため、こちらへ」

 「見守りの列はこちらです」

 「祈りの導線、整列お願いします」

 どれも正しい言葉。

 正しい言葉が、列を作る。


 スタッフのインカムが再び鳴る。

 「会場端、別動線が発生。救護目的、見守り目的、祈り目的が混在しています」

 「混在?」

 玲奈が鋭く返す。

 「誰が混ぜた」

 問うまでもない。

 “誰か”だ。

 運営の顔をした、誰か。


 ひかりはMCのタイミングで観客に声を投げる。

 「みんな、ありがとう! でもね、増えすぎると危ないから、ちゃんと指示を聞いてね!」

 明るい安心が、列の呼吸を一瞬止める。


 みのりが、字幕班に指示を出す。

 「“安全のため”の固定字幕を出して。コメントの温度を下げる」

 数字を落とさないために、言葉を打つ。


 つばさは、善意の断定で押し返す。

 「安全のため、列をほどいてください。医療のため、距離を取ってください」

 善意が、命令になる。

 命令が、効く。

 効くからこそ怖い。


 アリスは踊りながら、最短の言葉を選ぶ。


 「見守りたい? なら“増えるな”。それが一番の見守りだ」


 毒だ。

 だが、毒は効いた。

 列が一瞬だけ、迷う。


 迷いは、裂け目になる。


 舞台裏。

 折原連は、薄暗い通路の端で、その裂け目を見ていた。


 事故は軽い。

 だが上書きは重い。

 公式は、事故を食って肥える。

 それを彼は、目で確認した。


 折原は、笑わない。

 悔しさも喜びも、表情に出ない。

 存在感の薄さは、感情の薄さと誤解される。

 誤解されるから、警戒されない。


 彼は、次の札を握る。


 《現場保全:最優先》

 “正しい”札だ。

 正しい札は、誰も拒めない。

 拒めないからこそ、最も危険だ。


 折原は、小さく呟く。


 「……突破じゃない。公式は、事故を食う。

 じゃあ――食い過ぎて、喉につまらせる」


 その声は、誰にも届かない。

 届かない場所にいることが、彼の強みだった。


 コンサートは成功した。

 成功は、数字で証明される。

 証明されるから、止められない。


 アンコール。

 最後の決めポーズ。

 歓声が落ち切らないまま、照明が暗転する。


 舞台袖に戻ったアリスは、笑顔のまま、足が一瞬遅れた。

 遅れたのは、振付のデータが切れたからではない。

 身体が、追いつかなかったからだ。


 ひかりが駆け寄ろうとする。

 「アリス――」

 玲奈が腕で止める。

 「今、触るな」

 その声は短い。だが必死だ。


 みのりが視線を走らせる。

 「カメラ、まだ生きてる。角度、潰せ」

 冷たいが、守っている。


 つばさが、言葉を探す。

 善意で覆いたい。

 だが善意は、今は危険だ。

 “頑張り”を褒めた瞬間、アリスの身体が道具になる。


 そしてアリスは、視界の端で見た。


 白衣ではない。

 病院の匂いではない。

 OCMの識別タグ。

 整然と並ぶ立ち位置。

 まるで転倒の角度を潰す配置。


 NECROテック技術者が、複数。

 その手元には点滴ではなく、ログ端末。

 看護ではなく、運用。


 アリスの喉が、熱で焼けた。


 「……最適化、って……」

 毒が、声にならない。


 その瞬間、インカムが鳴った。

 誰もいないはずの場所から、冷たい声が入る。

 オスカー・ラインハルトの声だった。


 「倒れないでください。次の画が残っています」


 “画”。

 “命”ではなく。

 “人”ではなく。


 アリスは笑顔のまま、技術者の影を数えた。

 数えることで、怒りを保つ。


 (……倒れないように? 違う。倒れたら困るんだろ)


 膝が震える。

 背中が冷える。

 NECROテックの奥で、何かが擦り切れる音がする。

 機械の音ではない。

 人間の中の、何かの音だ。


 ひかりが、唇を噛んだまま笑顔を作っている。

 玲奈は、誰かを殴りたい顔で、殴らない。

 みのりは、数字の裏で青ざめている。

 つばさは、善意の言葉を封じて、沈黙する。


 そしてアリスは、最後にもう一度だけ、毒を落とした。


 「……私、ほんとにムカつく。

 でも――倒れたら、もっとムカつく」


 勝利は証明になった。

 低調でも、アリスは戦える。

 それは希望だ。


 だが同時に――

 “倒れない”は勝利条件ではなく、契約条件だった。


 舞台の外で、列がまた息をする。

 次の札が、どこかで静かに擦れる音がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ