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第百四十三話 公式の点火

 新開市は、息をするように予定表を燃やす街だった。

 昨日まで仮称だったものが、今朝には既成事実になる。


 市役所の外壁ディスプレイが、淡々と告げている。


《サムライ・ウィーク:公式運営協力》

《治安啓発ライブ:本日発表》

《安全案内:観覧は整列で》

《見守り導線:推奨》


 最後の一行が、やけに優しい。

 “推奨”。強制じゃない顔。善意の顔。

 なのに、その言葉の周りだけ空気が固い。


 画面を見上げた通行人が、軽く笑う。


「推奨って書いてあると、やらないと悪い感じするよね」

「わかる。やらないの、逆に怖い」

「でも見守りって、いいことだし。ね?」


 ね、で街が動く。

 ね、で列が生まれる。

 新開市はそういう生き物だ。


 病院の廊下は静かだった。静かすぎて、逆にうるさい。

 清掃用モップの擦れる音、看護師の靴音、遠くのエレベーターの電子音。

 全部が、誰かの許可を待っているみたいに聞こえる。


 病室で、アリスは白い天井を睨んだまま息を吐いた。


「……公式って、ほんと最悪」


 言葉だけは元気だ。

 体は元気じゃない。

 NECROテックは“低調”というより、気配が薄い。動かそうとすると、どこかで“最適化”が先回りし、腕の感覚がわずかに遅れる。


 それでも彼女は起き上がった。起きなきゃいけない。

 彼女のドローンは、彼女が守る。


 ドアの横には、シュヴァロフが黙っていた。


 まだ完全ではない。

 装甲は継ぎ接ぎで、接続部は露出し、指先は繊細な作業に向かない。

 それでも、彼はそこにいる。

 病室に“家”を持ち込むみたいに静かに立ち、空気を整えている。


 看護師が警戒の目を向けると、シュヴァロフは一歩だけ前に出た。

 言葉ではなく視線で、代行する。


——この子は、ここにいる。

——ここは、守る。


 アリスが言葉を選ぶ前に、彼が空気を先に整える。

 ムカつくくらい、ありがたい。


「……分かってるよ。行く」


 彼女が立つと、シュヴァロフは工具箱を押し出した。

 “忘れるな”ではなく、“選べ”。

 いつもそうだ。


 病院の裏手、緊急用の小さな会議室。

 OCMの広報チームが撮影機材と照明を並べていた。


 アリスの胸の奥が、ぞわっとする。

 嫌な予感はだいたい当たる。


「アリスさん! 今日は“初回CM”からお願いします!」

「短いです、15秒だけ! すぐ終わります!」

「表情は——ええ、笑顔……“ぎりぎりで”大丈夫です!」


 椅子に座らされ、背筋を伸ばされ、スカーフの角度を直される。

 誰かが言う。「公式ですから」

 誰かが言う。「市民が安心します」

 誰かが言う。「治安啓発です」


 治安啓発。

 その言葉だけ、札みたいに硬い。


 カメラの向こうでディレクターが手を上げた。


「はい、回します! 3、2、1——」


【OCM×新開市 公式 15秒CM 台本(本文差し込み素材)】


(0:00)

画面:新開市の街並み。AR看板が光る。「サムライ・ウィーク」ロゴ。

SE:軽い起動音/キラッという電子音。


ナレーション(爽やか):

「新開市の“安全”は、今日も前に進む。」


(0:03)

画面:アリス、フレームイン。制服+フードパーカー+スカーフ。

ポーズ:両頬に人差し指を当てて、ぎこちなく“にこっ”(※笑顔が硬い)

字幕:『新開市公式キャラクター アリス』


アリス(棒読み寸前、でも毒を残す):

「……見守り、推奨。だってさ。」


(0:06)

画面:シュヴァロフが背後に立つ。コロボチェニィク/グリンフォンのシルエットが一瞬だけ抜ける。

装甲にはテカテカしたOCM刻印。

SE:軽いメカ起動音。


ナレーション:

「OCMの治安協力で、街に“安心”を。」


(0:10)

画面:アリス、視線だけカメラに戻す。

ポーズ:指を頬から離し、軽く敬礼っぽく指先だけ上げる(雑)


アリス(小さく、刺すように):

「……悪いとか良いとか、どうでもいい。

 事故が増えるのが、最悪。」


(0:13)

画面:ロゴ『OCM』+『CRADLE IDOL GUARD 始動』

字幕:『安全啓発/観覧は整列で』

SE:決定音(“回付済”みたいな)


ナレーション:

「正しく、強く。新開市とともに。」


(0:15)

画面:黒→ロゴだけ残って終了。


「カット!」

 拍手が起きた。アリスが拍手したいのは、終わった事実のほうだ。


「最高です! “毒”が残ってるのに公式として成立してます!」

「ギリギリのライン、完璧!」

「アリスさん、“推奨”のところ、もう一回だけ——」


 アリスは机を指で叩いた。


「次やったら死ね」


 広報が固まり、笑っていいのか分からなくなる。

 ディレクターが慌てて咳払いした。


「……はい! じゃ、ここまでで! 続きはイベント告知で——」


 アリスは立ち上がり、シュヴァロフを見る。

 シュヴァロフは何も言わない。

 ただ、出口へ半歩だけ先に出る。


 “帰ろう”。

 “守るべき場所へ”。

 彼はいつも、彼女の意思を先に歩く。


 その日の夕方。

 CMはもう街に流れていた。


 飯屋の壁の端末で、無音のままアリスが頬に指を当てていた。

 客が吹き出し、別の客が「かわいい」と言い、誰かがコメントを打つ。


『事故が最悪って言ってるの草』

『公式キャラが言っていいやつ? でも助かる』

『推奨ww もう強制だろ』

『見守り導線、今日から参加します(善意)』


 病院の外では、誰かがそれを“見守り”という言葉で正当化する。

 そして新開市は、その正当化を燃料にして走り出す。


 アリスが病室に戻る途中、窓の外を見た。


 病院前の広場。

 まだ小さい。まだ数人。

 だが自然に並び始めている。


 立ち止まったのは、彼女じゃない。

 人のほうだ。

 “推奨”の一語で、足が揃う。


 玄関の柱に、真新しい札が貼られていた。

 印刷が綺麗すぎる。角がまだ尖っている。


《見守り導線:推奨》


 その下に、誰かが手書きで小さく足している。


《迷惑は禁止。善意で。》


 アリスは、喉の奥で笑い損ねた。


「……善意、ね」


 シュヴァロフが札の前に立つ。

 剥がさない。破らない。

 ただ、身体で隠す。


 彼は黙って“境界線”になる。

 その背中が、やけに人間くさい。


 そのとき、ナースステーションから短い着信音が鳴り、真鍋の声が電話越しに漏れた。


「津田さん、今の病院前……列が——」


 義弘は電話の向こうで、少しだけ間を置いた。

 膝の痛みと、市長の責任と、家族の顔が同時に頭をよぎる間。


「分かってる。……分かってるよ」


 病院の外で、列はほんの少し太くなる。

 “見守り”という正しい顔で。


 そして市役所側から回ってきた運営資料の片隅には、さらっと同じ語彙が混ざっていた。


《安全啓発:最優先》

《健康配慮:推奨》

《現場保全:——》


 最後の行だけ、途中で切れている。

 まるで誰かが、書きかけのまま回付したみたいに。


 アリスはその紙を見て、息を吐いた。


「……だからムカつくんだよ」


 その夜、誰にも見られていない場所で、折原の同調者が“最初の札”を切る。

 紙は薄いのに、街の予定表には重い。


《現場保全:最優先》


 “保全”の名で、列が止まる。

 “最優先”の名で、明日が決まる。


 新開市はまた一歩、正しい顔で狂っていく。

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