表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
140/293

第百四十話 仮保護:暫定

 翌朝の病院前は――静かだった。


 静けさは、平和の結果ではない。

 静けさは「配置」の結果だった。


 玄関前の歩道には、昨夜までの野次馬の輪も、カメラの列も、献花台の山もない。代わりに、病院から二つ角を曲がった交差点に、同じものが“整列”していた。


 献花台。

 寄せ書きボード。

 「回復祈願」紙コップの花。

 そして、ARで浮かぶ薄い文字。


《現場保全:最優先》

《立入:自粛(配慮)》

《撮影:指定枠(協力)》

《待機:一列(安全)》


 札の語彙が、空気を整理している。

 騒音を消す代わりに、人間を「置いた」。


 市長室の窓からそれを見下ろし、津田義弘は膝をさすった。痛みは、天気のせいではない。昨夜の押し戻しの反動がまだ残っている。


 呻くように息を吐くと、隣でトミーが腕を組んだ。小柄な相棒は、見た目ほど軽くない顔で窓の下を眺めている。


「静かだな。……気持ち悪い」


「静かに“された”だけだ」義弘は言った。「吸い取り紙みたいに、場所を変えただけだ」


 トミーが口の端をつり上げる。


「新開市って、ほんとに名前つけるの好きだよな。静けさにも札貼る」


「札は貼られる」義弘は言う。「剥がすより、札を重ねるほうが早い」


 トミーがちらりと見た。


「市長サマ、今日も膝が“要配慮”かよ」


「……黙れ」

 義弘は痛みを飲み込んだ。


 静けさの中心――交差点の“受け皿”へ、白い車列が入っていくのが見える。市の作業車。救急導線の誘導バー。警備員の詰所。設置の手つきは手慣れている。誰かが昨夜のうちに、段取りを回している。


 そして、その中心に“本人”がいた。


 折原 連。

 目立たない背丈、目立たない服、目立たない顔。

 それでも今朝、交差点は彼を中心に回っていた。


 折原は、机の上の地図に指を走らせ、作業員に短く伝える。大声ではない。命令でもない。だが、現場が動く。彼の存在感の無さは、命令を“命令に見せない”強さだった。


 ――列の作曲家。

 ――回付の魔術師。

 ――映え線引き職人。


 掲示板のあだ名が、今朝は現実に見えた。


 義弘は机の上の書類を一枚取り上げた。昨夜のうちに真鍋が回してきた、短い起案。


【臨時委託の付与について】

対象者:折原 連

区分:観光指定都市イベント運営実務(現場調整)/臨時委託の手順担当

目的:病院周辺の静穏確保、救急導線の維持、市民安全の確保

付与:市長直轄の現場監査権限(暫定)

付記:守秘(病院静穏の維持)

署名欄:市長


 印鑑がまだ空白だ。

 空白は、戦場だ。


「これで守る」義弘は呟いた。


 トミーが鼻で笑う。


「守るってのは、拾うってことだ。拾うなら最後まで拾え。半端に守ると、公式に食われる」


 義弘は返事をしない。返事をする暇がない。

 電話が鳴った。

 市の危機管理。

 次に鳴ったのは広報。

 そして三本目が、真鍋佳澄だった。



 市役所の一階――受付が、今日も戦場だった。


 列は、市役所にもできる。

 「相談」「要望」「協議」「謝意」。

 札の語彙を着た人々が、正しい顔で、正しい圧をかける。


 真鍋はその列の横に立ち、制服の襟を一度だけ整えてから、義弘の端末に短いメッセージを送った。


《病院玄関前:静穏維持中(ただし“移動”)》

《交差点:受け皿が固定化》

《同調者が“代行”し始めています》

《折原本人の意図と別に、列が歩きます》


 “列が歩く”。

 言い方が悪いほど、正確だった。


 真鍋が受付の向こうを見ると、そこにも“正しい顔”がある。政治団体。企業。ボランティア。配信者。サムライ・ヒーロー志望者。ヴァーチャル・サムライの箱。みんな同じ言葉を使う。


「見守り」

「祈り」

「協力」

「配慮」


 暴力の顔をしていない暴力が、一番手ごわい。


 真鍋はため息を飲み込み、病院側に戻る準備をした。

 今日の役目は、列を逮捕することではない。

 列を“病院から遠ざける”ことだ。



 交差点。

 折原は、献花台の角を二センチだけずらした。


 それだけで流れが変わる。

 写真を撮る人の足が、一歩右に寄る。

 寄れば、そこに線ができる。

 線ができれば、人は並ぶ。


 並ぶのは、悪意ではない。

 人間の癖だ。


 折原は自分の端末で、ARの札を一枚、浮かべた。


《足元注意:段差》


 段差は元からある。

 札があることで、段差は“理由”になる。

 理由は、人を納得させる。


 彼は今日も、いつものように、存在感を薄くしたまま、世界を動かしていた。

 だが、昨夜のHOUNDの牙が脳裏に残っている。


 サムライ・スーツの刃が、群衆の圧を押し戻す音。

 あの膝の痛みに耐えた市長の顔。

 そして――病院の窓の向こうで、動けずに眠る少女。


 折原は、反省しない。

 けれど今朝だけは、ひとつだけ、自分にルールを足した。


 病院は舞台じゃない。

 病院は、壊したら終わる。


 だから彼は、交差点を“舞台”にする。

 舞台なら、いくらでも完成させられる。


 折原がそれを決めた瞬間、背後で、カメラのシャッター音が増えた。

 増え方が、自然じゃない。


 薄い拍手。

 薄い歓声。

 薄い整列。


 札が、増える。


《見守り導線:病院方向(静穏に配慮)》

《献花:病院前へ(本人に届く)》

《祈りの列:病院周回(騒がない)》


 折原は眉をひそめた。

 同調者――自分の真似をする人間たちだ。


 彼らは折原を「天才」だと呼ぶ。

 呼びながら、折原の一番嫌がる方向へ札を貼る。


 病院へ戻す。

 “静かに”戻す。

 騒がないから、止めにくい。


 折原が端末を握り直した、そのとき――交差点上空で、短い警告音が鳴った。


 ピッ。


 次に、もう一段高い。


 ピピッ。


 見上げると、小型監視ドローンが二機、三機、円を描いていた。

 OCMの機体。再発防止の名目で増やされた“目”。


 ドローンの視認灯が、警告色へ移る。

 音声が、丁寧な声で流れる。


『安全のため、停止してください』

『歩行導線が圧迫されています』

『危険です。停止してください』


 止まる。

 止まると、列が固まる。

 固まると、圧が上がる。

 圧が上がると、危険判定が増える。


 札が札を呼ぶのと同じ。

 警告が警告を呼ぶ。


 折原は舌打ちした。

 同調者たちの“静かな押し合い”が、監視ドローンを過敏にしている。


 そして、最悪の形で――


 遠くから、低い駆動音が寄ってきた。

 犬の群れみたいに、地面を舐める音。


 VX-07 HOUND。


 昨夜の“残響”。

 部隊ではない。二機、三機。

 だが、十分だ。十分すぎる。


 折原は背筋が冷えた。

 ここでHOUNDが暴れると、列は病院へ逃げる。

 逃げると、病院が舞台になる

 壊したら終わる。


 その瞬間、交差点の反対側で、誰かが一歩、前へ出た。


 サムライ・スーツ。

 義弘だった。



 義弘は群衆の“圧”を見た。

 札の薄い文字。

 監視ドローンの円。

 HOUNDの接近。


 膝が痛む。

 だが、痛みは計算できる。

 列の圧は、計算できない。


 義弘は刀を抜かない。抜くと“映える”。

 今日は映えを損にする日だ。


 彼は、スーツの肩を軽く落とし、声を張った。


「止まれ。――止まるな。歩け」


 矛盾だ。

 しかし人間は、矛盾を命令として受け取ると、考えるのをやめる。

 考えるのをやめた瞬間、圧が抜ける。


 義弘は続けた。


「歩け。横へ。二列。救急の線は開けろ」


 折原が、その声の意味を理解した。

 義弘は“作曲”をしている。

 札ではなく、人間を。


 折原は端末を開き、AR札を三つ、重ねて出した。


《待機:一列》

《一旦解散:点検》

《撮影:指定枠(協力)》


 見た目は“協力”だ。

 中身は“圧抜き”だ。


 札が浮かぶと、列の人間は納得する。

 納得すると、足が動く。

 足が動くと、圧が下がる。


 だがHOUNDは止まらない。

 犬は列を“群れ”と認識し、制圧パターンへ入る

 義弘が膝を庇いながら前へ出る。

 スーツの足裏が、アスファルトを噛む。


「来るな」

 義弘は低く言った。HOUNDにではない。群衆にだ。


 HOUNDの一機が跳ねる。

 無音に近い加速。

 刃のような前脚が、地面を蹴る。


 義弘は、刀を抜いた。

 抜けば映える。だが、抜かないと列が崩れる。


 刃が閃く。

 閃きは短い。

 “見せない”ための斬りだ

 HOUNDの前脚が、空を切る。

 義弘の刀が、関節の外装だけを削る。

 火花が散り、機体が一瞬よろける。


 群衆が息を呑む。

 息を呑んだ群衆は、止まる。

 止まると圧が増える。


「見るな。歩け!」


 義弘が叫ぶ。

 叫びは、列を壊す。

 列を壊せば、映えは損になる。


 折原は一歩、前へ出た。

 存在感の無さを捨てたわけじゃない。

 ただ、“ここだけ”音を出す。


 端末で、ARを一段強く点滅させる。


《点検:最優先》

《危険:解除中》

《安全確保:移動》


 札が強いと、人は従う。

 従うと、列は解ける。

 列が解けると、HOUNDの制圧パターンが狂う。


 義弘がその隙を使い、二機目のHOUNDへ踏み込む。

 膝が悲鳴を上げる。

 だが彼は、膝の悲鳴に慣れていた。


 斬る。

 関節ではなく、センサーの外装だけ。

 視界を曇らせ、動きを鈍らせる。


 HOUNDは、吠えるように駆動音を上げた。

 “故障”。

 “暴走”。

 いつもの言い訳にぴったりの挙動へ変わっていく。


 遠くで、別の駆動音が揃って鳴った。

 OCMのドローン・サムライ・ヒーロー。鎮圧用の“公式”が来る音だ。


 折原は歯を食いしばった。

 これが“公式”のやり方だ。

 暴走を作り、暴走を鎮め、正しさを演出する。


 ――昨夜、義弘がそれを止めた。

 ――今朝も、止めようとしている。


 そして折原は、気づき始める。


 義弘のやり方は、泥臭い。

 だが、泥臭さは“嘘をつかない”。


 列は、嘘の方がよく動く。

 それでも、病院を守るなら――嘘の列は危険だ。



 鎮圧は、あっけなく終わった。


 公式ドローンがHOUNDを囲み、丁寧な音声で告げる。


『安全のため、機体を停止します』

『異常を検知しました』

『ご協力ありがとうございます』


 HOUNDは沈黙した。

 沈黙の仕方が、綺麗すぎる。


 群衆は拍手した。

 拍手の仕方が、軽すぎる。


 その拍手の中に、配信のコメントが混じる。


「うおおお毎日イベント」

「市長、今日も仕事してる」

「OCMの鎮圧、早い」

「折原って人、誰?スタッフ?」

「病院前じゃないの偉い」

「推し守られてる」


 折原はその文字を見て、寒気がした。

 “推し”。

 その単語は、素材だ。

 素材は、守られるべきものではなく、消費されるものになる。


 義弘が折原の横に来た。

 息が少し荒い。膝が限界に近いのがわかる。


 トミーも遅れて現れ、折原を上から下まで見て、短く言った。


「……生きてるな」


 折原は、言い返す言葉が見つからず、うなずいた。


 義弘は、折原にだけ聞こえる声で言った。


「仮保護する。市の仕事として、お前を使う。――使うが、守る」


 折原は笑いそうになった。

 市長が、こんな言い方をするのか。


「……俺、邪魔じゃないですか」


「邪魔だ」義弘は即答した。「だが、邪魔なまま放っておくと、もっと邪魔になる」


 トミーが横でうなずく。


「遅いんだよ、ジジイ。お前の札、いっつも“あとから”なんだ」


「黙れ」義弘は言い、膝をさすった。


 折原は、交差点の受け皿を見た。

 受け皿がある限り、病院は守られる。

 でも受け皿がある限り、列は消えない。


 列は消えない。

 列は歩く。

 列は増える。


 その現実を、折原はようやく“現場”として理解した。


 ――反省しない。

 ――でも今回は、力を尽くす。


 折原は端末を閉じ、息を白くした。

 その瞬間、画面の端に通知が滑り込む。


【OCM広報】

《現場保全の模範事例:表彰のご提案》

《配信協力:刀禰ミコト出演》

《安全導線:公式イベントへ接続》


 公式が、手を伸ばしている。

 奪うのではない。

 飲み込む手だ。


 折原は、目立たないまま、視線だけを上げた。

 遠く、病院の方角。

 あそこを舞台にしてはいけない。


 だからこそ――

 公式の導線そのものを、事故らせる必要がある。


 折原は胸の内で、ひとつだけ札の名前を作った。

 紙に出さない。端末にもまだ打たない。

 でも、もう“成立”している。


《公式協力:現場再編(暫定)》


 暫定は、既成事実になる。

 既成事実は、公式を壊せる。


 折原は小さく息を吐いた。

 存在感の無さで、誰にも気づかれないまま。


 「……公式って、壊れ方が一番映えるんだよな」


 その言葉は声にならず、白い息に溶けた。

 交差点の札が、ひとつだけ、心臓みたいに点滅する。


《現場保全:最優先》


 列は今日も、呼吸していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ