第十四話 蠍は折れ、弩は落ちる
夜の新開市は、いつもより明るかった。
“安全”のために照らされた光が、逆に影を濃くする。
義弘のバイザーには、現実と同じ速度で炎上が流れていた。
光の粒みたいな文字が、視界の端で燃え続ける。
――独断老害。
――危険人物。
――PRISMを壊した男。
――スポンサーに逆らうな。
檻だ。
動けば燃料。止まれば無反省。
だから義弘は、燃えながら前に立った。
トミーが肩の上で耳を立てる。
「なあジジイ。おまえ、今夜こそ死ぬぞ」
義弘は淡々と言った。
「死ぬなら、誰かのために死ぬ」
「絵になるじゃねえか」
「絵にするな」
言い終えるより早く、地面が鳴った。
――重い。
だがただ重いだけじゃない。
“踏み込み”が鋭い。肉体のようにしなる機械の足音。
LC-08スコルピウスが、光の向こうから現れた。
四脚の輪郭。
前腕は分厚く、殴るための形をしている。
そして尾。蠍の尾のように弧を描く拘束アームが、ゆっくりと揺れた。
銃口は見えない。
見えないのが怖い。
これは撃つための機体ではない。掴み、倒し、引き剥がすための機体だ。
回収班の通信が、淡々と落ちる。
「対象:津田義弘。収束。捕獲優先」
捕獲。
殺すより冷たい言葉。
義弘は刀の柄に手を置いた。
だが抜かない。抜けばそこが“名場面”になる。
「……来い」
呼びかけは挑発じゃない。
手順だ。
スコルピウスが動いた。
速い。
四脚が路面を噛み、距離が一瞬で消える。
前腕が横から叩き込まれ、義弘の身体が壁へ飛ぶ。
装甲が鳴る。
衝撃が熱に変換され、内側が焼けるように痛い。
バイザーに警告が走る。
――《I2H負荷:上昇》
――《強制冷却:予備》
予備。
まだ耐えられる。だが、回数には限りがある。
義弘は壁面を滑走し、脚の反発装置で角度を変えた。
スコルピウスの尾が伸び、彼の足首を引っかける。
ぐ、と視界が傾く。
倒される。
倒される瞬間に、前腕が追撃。
義弘はアンカーを撃った。
人工蜘蛛糸が壁を噛み、引き上げられる。
殴打が空を切り、路面が砕けた。
「……っ」
息が漏れる。
漏れる息を、義弘は飲み込む。
息まで撮られれば、“弱さ”が絵になる。
トミーが唸る。
「こいつ、格闘の質が違う。ドローンじゃねえ。格闘家だ」
義弘は答えない。
答える余裕がない。
スコルピウスは「間合い」を壊してくる。
逃げた先に尾。
尾を避けた先に前腕。
どこへ行っても、捕獲の形が待っている。
義弘は瞬時に理解した。
正面は死。
だから場所を変える。
「……上だ」
アンカーを撃つ。
建設途中の都市中枢リング――鋼骨の輪が、夜空に半分だけ浮かんでいる場所へ。
義弘は壁を滑り、足場を蹴ってリングへ向かった。
スコルピウスも躊躇なく追う。
四脚が梁を踏む。
鋼材が軋む。
だが機体は迷わない。重いのに速い。速いのに安定している。
リングの上は未完成だ。
床は抜け、梁が露出し、仮設の足場が蜘蛛の巣みたいに張り巡らされている。
義弘は息を吐く。
「若いのは、力で押す。老人は、場所で押す」
トミーが笑う。
「口だけは元気だな」
義弘は笑わない。
笑う余裕はない。
リングの上で、戦いは変わった。
スコルピウスの尾は、開けた路面なら自由に弧を描く。
だが梁と支柱があると、軌道が“形”になる。
形になったものは、折れる。
義弘は、アンカーを梁に撃ち、糸を張る。
糸は自分のためではない。
尾のための罠だ。
スコルピウスが踏み込む。
尾が伸びる。
尾が糸に触れた瞬間、人工蜘蛛糸が絡みつく。
スコルピウスは力で引きちぎろうとする。
だが糸は重機を引っ張っても切れない。
切れない糸に絡め取られると、尾の自由が減る。
義弘はそこで、位置をずらす。
正面から斬らない。
尾の根元へ行く角度を作る。
――その瞬間。
スコルピウスの前腕が、義弘の胴を横から叩いた。
叩いたのは偶然じゃない。
尾を囮にして、腕で取る。格闘の読み。
義弘の身体が宙に浮く。
装甲が衝撃を熱に変換し、内側が灼ける。
――《強制冷却:発動》
――《保護機能:低下》
視界の端で、義弘の右腕に白い霜のような表示が広がった。
冷却。
冷却は守るためではない。壊れないためだ。
冷却した部位は、もう“守れない”。
スコルピウスの尾が、そこを狙った。
冷却で薄くなった隙間。円環装甲の継ぎ目。
尾が引っかかり、引き剥がす。
「……っ!」
右肩が、持っていかれる感覚。
骨ではない。装甲と筋肉と神経の“つながり”が引き裂かれる感覚。
義弘の腕の衝撃増幅機能が、死んだ。
出力が落ちる。力が戻らない。
決定的損傷。
トミーが叫ぶ。
「ジジイ!」
義弘は息を吐き、低く言った。
「……まだ立てる」
嘘だ。
立てるが、戦える身体じゃない。
それでも、立つしかない。
スコルピウスが一歩近づく。
捕獲のための一歩。
機械は苛立ちを持たない。だが運用者は苛立つ。
回収班の通信が刺さる。
「収束しない。次段階」
義弘のバイザーに、一瞬だけ文字が走った。
――《LC-07 / Arbalest / Deploy》
来る。
挟撃になる。
それは終わりだ。
遠くの光が、重い影を運んだ。
LC-07アーバレスト。
四脚で地面を掴み、武器ラックを背負い、鎮圧装備をまとった怪物。
スコルピウスとは違う圧だ。
力と重量で押し潰すための輪郭。
回収班は冷たく言う。
「挟撃。対象を確保」
義弘は瞬時に位置を計算した。
リング上で挟まれれば、逃げ道がない。
落ちれば死ぬ。
立っても死ぬ。
トミーが歯を剥いた。
「終わったぞ」
義弘は答えた。
「終わらせない」
終わらせない。
それは勝利じゃない。時間稼ぎの宣言だ。
義弘はテカテカの装甲を少しだけ角度調整し、ライトを返した。
反射がアーバレストの光学へ刺さり、センサーが一瞬白飛びする。
それでも止まらない。
怪物は怪物として、前に来る。
その時だった。
闇が、闇のまま動いた。
空気が一瞬だけ薄くなる。
そこに黒い影が現れる。
シュヴァロフ。
光を反射しない黒。光学迷彩。
鋭い爪。しなやかな立体機動。
言葉はない。
言葉はいらない。
その影は「願い」で動いていた。
アリスの願い。
子どもの「死ぬな」という願い。
義弘は、ほんの一瞬だけ息を止めた。
その一瞬で理解する。
――来た。
――来てしまった。
――守るものが増えた。
シュヴァロフは一撃離脱でアーバレストの側面へ滑り込み、爪でラックの固定部を削った。
火花。
それだけでアーバレストの重心がわずかに狂う。
スコルピウスの尾が、シュヴァロフへ伸びる。
捕獲の形。
シュヴァロフは、避ける。
避けながら、義弘のアンカー糸のラインを見て動く。
まるで踊るみたいに、線の上を滑る。
義弘は損傷した身体で、それに合わせた。
腕が死んでいても、足はまだ動く。
アンカーは撃てる。
反射はできる。
“舞踏”になる。
ネットが騒ぎ始める気配が、視界の端で膨らんだ。
切り抜きが、生配信が、炎上が、歓声へ変質していく。
――「え、これ何?ダンス?」
――「老人と黒い影、バレエじゃん」
――「やばい、鳥肌」
――「回収班悪役すぎ」
――「スコルピウス怖…」
義弘はそれを見ない。
見れば自分が画になる。
画になれば台本が完成する。
だが、画になってしまっても――今は守る。
義弘は地形を使う。
梁と支柱でスコルピウスの尾の軌道を削る。
アンカー糸で尾の根元を絡め取る。
絡め取った一瞬に、都市戦用ブレードを抜く。
抜いたのは派手なためじゃない。
“切るべき場所”が決まったからだ。
義弘の刃は、尾の駆動の付け根へ吸い込まれた。
狡知。年の功。建築物という味方。
そして、ここまで耐えた代償としての一太刀。
刃が入った瞬間、スコルピウスの尾が痙攣した。
駆動が止まり、拘束の弧が崩れる。
スコルピウスはすぐに前腕で取り返そうとする。
だが尾を失った格闘機は、間合いを壊す鍵を失う。
シュヴァロフがその隙を逃さない。
影が滑り込み、関節部を一点だけ抉る。
抉るのは破壊のためじゃない。動きを止めるため。
まるで料理の手つきみたいに丁寧な一撃。
スコルピウスの四脚が一瞬よろめく。
その瞬間、義弘は足場の梁へアンカーを撃った。
人工蜘蛛糸が梁を引き、固定されていた仮設梁が外れる。
重い鋼材が落ちる。
落ちる“環境”が、スコルピウスの身体を押さえつける。
圧。
蠍は強い。だが強いほど、形になる。
形になったものは、折れる。
スコルピウスのフレームが、嫌な音で鳴った。
最後に、前腕が空を掴むように一度だけ動き――止まった。
撃破。
勝った、という感覚は来ない。
勝ったのに、義弘の右腕はもう戻らない。
身体の内部が焼けている。冷却が広がり、防御が死んでいく。
「……っ」
膝が折れそうになる。
それでも義弘は倒れない。
倒れると“終わりの絵”になる。
終わりの絵は、回収の正当化になる。
残るはアーバレストだ。
アーバレストは、スコルピウスの停止を見ても止まらない。
回収班の冷たい声が落ちる。
「LC-08停止。LC-07で収束。対象を確保」
怪物がリングの縁へ踏み込み、重心を乗せる。
その重量で鋼骨が軋む。
義弘は、もう動けない。
腕が死んだ。熱が回っている。視界が揺れる。
強制冷却の白い痣が広がり、装甲以外の保護が消えていく。
トミーが叫ぶ。
「ジジイ!撤退だ!」
義弘は息を吐き、言った。
「……撤退は、できない」
それは意地じゃない。
手順だ。
ここで自分が倒れれば、回収班はそのまま“次”へ行く。
影の方へ。子どもの方へ。
その瞬間、シュヴァロフが義弘の前を横切った。
影が、母親のように義弘を庇う。
シュヴァロフはアーバレストの背部ラックへ跳びつき、爪を掛けた。
ラックは武器を載せるためのもの。
だから“引っかけられる”。
シュヴァロフは引く。
引いて、重心をずらす。
ずらした瞬間、義弘のアンカー糸が一つだけ、ラックの縁を捉える。
義弘は残った力で、糸を引いた。
引くのは自分の身体じゃない。
怪物のバランスだ。
アーバレストの四脚が一拍だけ踏み外す。
踏み外した拍で、シュヴァロフが梁を斬る。
梁が落ち、足場が崩れる。
崩れた環境が、怪物を押し出す。
アーバレストが、リングの縁から落ちた。
落下。
鋼の塊が、夜へ消える。
風が鳴り、遠くで衝突音が響く。
ネットの歓声が爆発する。
――「落とした!!」
――「影やばい!!」
――「これ映画だろ」
――「舞踏…」
義弘は聞かない。
聞くと、そこで終わりを作ってしまう。
煙の向こうで、落下地点が赤く点滅した。
瓦礫の隙間で、武器ラックのライトが一度だけ瞬く。
……ぎくり、と。
片脚が動いた。
動いたのはほんの僅か。
だが“まだ動く”には十分すぎる。
回収班の通信が冷たく残る。
「LC-07、落下。再起動反応。回収優先」
優先。
次はこっちだ、と言っている。
義弘の膝が、とうとう折れた。
倒れる瞬間、シュヴァロフが支えた。
抱えるように。
重い男を、軽い影が受け止める。
義弘は、驚くほど小さな声で言った。
「……来るなと言ったはずだ」
シュヴァロフは答えない。
答えないが、動きが優しい。
母性が、戦場にもある。
義弘のバイザーに、短い通信が落ちた。
アリスの声ではなく、文字だけ。
「勝つな。生きろ」
義弘は返さない。返せない。
返せば繋がる。繋がれば掴まれる。
代わりに、息だけで答えた。
「……生きる」
シュヴァロフが影の中へ義弘を引きずる。
舞踏の終わりは拍手じゃない。撤収だ。
撤収だけが、子どもを守る大人の仕事になる。
背後で、瓦礫の中のアーバレストが、もう一度だけ動いた。
それは未来の足音だった。




