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第百二十九話 仮称が本名になる

 その朝、新開市は“名前”を失った。


 ――《新開市 公式サムライ・ウィーク(仮称)》。


 誰もがそう呼んでいた。仮称。仮。まだ仮。まだ決まっていない。まだ揺らせる。まだ止められる。

 そう思い込む余地が、街には残っていた。


 だが、市役所の公示板に貼られた紙面には、仮がなかった。


 見出しは短く、太く、そして妙に軽かった。


 《サムライ・ウィーク開催のお知らせ》


 下に、国の印。省庁の名。委託事業者の名。協力自治体。協力企業。協力配信者。協力治安機関。

 それらが、まるで“最初からそこにあった”ように並んでいる。


 紙の端に、薄い判が押されていた。


 《回付済》


 誰が押した。

 いつ押した。

 どこで押した。


 そう問うだけで、問う側の方が“遅れている”と示される類の印だった。


 義弘は市役所の玄関前で、それを見上げ、膝の奥が鈍く鳴るのを聞いた。


「……仮称が、本名になったな」


 隣でトミーが鼻を鳴らす。


「人間ってやつは、“仮”って言葉に甘えるのに、いざ決まると祝うんだよな。

 祝う前に、誰が決めたか見ろっての」


 玄関の向こう側――受付ホールの空気が、すでに違っていた。


 列。


 列が、出来ている。


 いや、出来ているというより、発生していた。

 誰かが並ばせたのではない。並び始める瞬間が、そこにあった。


 人が立ち止まり、左右を見て、前の背中を見て、自然に間隔を取って、列になる。

 秩序の顔をした、雪崩。


 義弘が足を踏み入れた瞬間、その雪崩が“公式”の言葉を吐き始めた。


「展示枠の申請、どこですか?」

「治安協力展示、うちのドロイドは通るんですよね?」

「配信協力って、出演順はもう決まってる? ミコトさん側の枠は?」

「政治団体として挨拶を……」

「観光指定の動線、こっちで誘導作れます」

「警備計画の共同策定、最優先で」

「サムライ・ヒーロー登録、公式扱いの認証は市が出すんですよね?」

「うちの子、ヴァーチャル・サムライなんですけど、会場内で投影できますか?」


 受付のカウンターは、書類の海だった。


 紙。端末。QR。身分証。推薦状。契約書。協定案。

 それらが互いに絡み合い、“提出済”の既成事実だけが太く積み上がっていく。


 市役所の職員は、笑顔のまま、目だけが乾いている。

 笑顔を落とせない。落とせば、怒りと善意が同時に襲ってくる。


 義弘は、カウンターの内側へ回り込むと、紙束の上から一枚、指で弾いた。


「受理していない」


 短く言う。

 短く言わないと、飲まれる。


 職員が喉を鳴らす。


「市長……いえ、津田さん。

 “国の通知”が、先に……」


「通知は通知だ。受理は受理だ。

 市の受付は、市の条件で動く」


 その言い方は、かつて“札”と戦った時の義弘の声だった。

 成立条件。回付。承認。既成事実。

 それを、いったん“未成立”に戻すための声。


 列がざわめく。


「また邪魔してる」

「市長って、結局ヒーロー気取りだろ」

「国が決めたんだから従えよ」

「いや、治安優先なら市長の言う通りじゃね?」

「アリスちゃんは出るの? 出ないの?」

「公式キャラクターなんだから出るでしょ」

「病人だろ、休ませろよ」


 “正しい顔”が、正しい言葉で、義弘を削っていく。


 トミーが義弘の背後で、ぼそりと言った。


「この街の列は、腹が減ると増える。

 今日は……腹じゃない。名だな」


 名――“公式”。


 義弘は、その単語がこの街にとって麻薬だと知っていた。

 新開市は、インフラで生きているくせに、娯楽で息をしている。

 そして今、その娯楽に国が“お墨付き”を与えた。


 列は、正義の顔で暴走できる。


 義弘が紙束の中から、また一枚を拾い上げる。

 そこに薄い文字で印刷されていた。


 《緊急:事前調整済》


 調整した覚えのない“調整済”。


 義弘の指が止まる。


「……誰が」


 そのとき、義弘の内ポケットの端末が震えた。

 短い通知音。嫌に小さく、嫌に冷たい音。


 《病院:経過観察中患者アリス 発熱・意識低下》

 《医師より:手順上の外部面会制限を検討》


 文字が、目に刺さった。


 経過観察。

 制限。

 手順。


 義弘の喉の奥が、硬くなる。


 トミーが一歩、前に出た。


「……行くか?」


 義弘は答えない。

 答えると、この場が崩れる。

 崩れると、列が病院へ流れる。

 流れると、アリスが“善意”に溺れる。


 義弘は、職員に視線だけで指示を落とし、言葉を切り出した。


「市の受理要件を、掲示しろ。

 未受理の書類は、未受理の場所へ積め。

 “提出済”じゃない。“受理済”だけが進む。

 ――列に、嘘を食わせるな」


 職員が頷く。震えた手で、掲示板に紙を貼る。


 《市役所受理条件:照会未了は未受理》

 《承認者未確定は未受理》

 《市の責任範囲外は未受理》


 たったそれだけで、列が一瞬、迷う。


 迷うのだ。

 列は、迷うことを嫌う。

 迷えば、怒りが生まれる。善意が尖る。


 その瞬間を、誰かが撮っている。

 誰かが配信している。

 誰かが「市長、邪魔」と切り取る準備をしている。


 義弘は、その視線の多さに、膝より先に背骨が軋むのを感じた。


 そのとき、病院側の連絡がもう一つ入る。


 音が違った。

 さっきより短い。

 そして、音が――“札”に似ていた。


 《患者:アリス 体温上昇/AR視覚ノイズ増大》

 《NECRO:人格統率不安定》

 《同室:シュヴァロフ(機体) 稼働:部分》


 義弘の脳裏に、病室の光景が浮かぶ。


 白い壁。

 薄いシーツ。

 その横で、修理途中のシュヴァロフが、腕と頭だけで動き、アリスの呼吸を数えている。

 そして“意思代行”として、誰にも届かない小さな拒否を繰り返す。


 ――動くな。

 ――触れるな。

 ――列を寄せるな。


 だが、列は寄る。

 正しい顔で寄る。

 善意で寄る。


 義弘は、その“善意”の重さを知っている。

 アリスを潰すのは、憎しみではない。

 善意だ。


 義弘が、息を吸う。


 そのとき、市役所の外が静かになった。


 静かすぎる。

 あの街の騒音が、一段落ちるのは異常だ。


 職員の誰かが、窓の外を見て、顔色を失った。


「……ドローン……隊列……」


 義弘も振り向く。


 市役所前の大通りに、黒い点が並んでいた。

 一定の間隔。一定の高度。一定の速度。

 隊列を保ち、隊列を崩さない。


 そして、それらの機体には、派手なロゴも広告もない。

 ただ、識別番号と、短い記号だけが付いている。


 F.qre.d.qve


 列が、息を呑む。


 誰かが呟く。


「……高速機動隊?」

「なんで、ここに」

「イベントの警備?」

「治安強化?」

「やべ、マジのやつじゃん」


 その瞬間、義弘の端末がさらに震えた。

 今度は、市役所宛の公式通知。


 《治安協力:最優先》

 《イベント準備:最優先》

 《安全確保:即時》


 札の語彙だった。

 “正しい顔”のまま、暴力の前段階に入る札。


 義弘は、窓の外の隊列を見ながら、気づいた。


 氷の母が動いたのだ。


 病院が“善意”で潰れる前に。

 市役所が“公式”で壊れる前に。

 そして――アリスが再び倒れたという報せを受けて。


 助け、のはずだった。

 だが助けは、救いと同時に鎖でもある。


 義弘は、膝の痛みを忘れるほど冷えた指で、窓ガラスに触れる。


「……来たか」


 トミーが小さく笑う。笑えない笑いだ。


「おい、市長。

 “列”よりヤバいの来たぞ。

 列は人間だが、あれは――」


 義弘は答えない。

 答えられない。


 隊列の先頭が、市役所の上空で停止した。


 羽音がない。

 音が無いのに、圧だけがある。


 その瞬間、市役所の入口に、職員が誰にも頼まれず貼り出した。


 白い紙。

 黒い文字。

 そして、薄い判。


 《治安協力:最優先》


 義弘は、その紙を見た。


 見ただけで分かる。


 次に患者にされるのは、アリスではない。

 次に“保全”されるのは、義弘でもない。


 ――市だ。


 そして市の名の下に、何でもできる。


 窓の外で、隊列がわずかに角度を変えた。

 巨大な顔が、こちらを向いたように見えた。


 義弘は、喉の奥で言葉を噛み砕く。


「……公式は、守るためにある。

 だが、守り方を間違えると――」


 トミーが続ける。


「殺す」


 列が、静かに、もう一度、動き始めた。


 “正しい顔”のまま。

 “最優先”の札に従って。

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