表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
125/290

第百二十五話 事故を事故にさせない

 未完成リングは、夜でも明るい。

 明るいのに、人気がない。

 明るいのに、音がない。


 ――いや。音はある。

 音が「正しく」消されている。


 義弘が一歩踏み出すたび、床材がわずかに鳴るはずだった。金属と樹脂の擦過音。建設現場特有の、乾いた反響。


 それが、鳴らない。


「……吸音か」


 トミーが鼻で笑う。


「観光用の配慮?」

「違う。これは戦場用だ」


 義弘は膝をかばいながら、リングの内壁に沿って進む。

 壁のあちこちに、札が貼られていた。


《安全点検予定》

《健康管理》

《定期確認》

そして、見慣れない札が混ざっている。


《治安支援:迂回路確保》

《現場安全:立体制圧》

《非致死:関節破壊》


 ――「非致死」。

 これが一番、たちが悪い。


 義弘が札を見上げる。

 札の角が、ほんの少しだけ折れている。


「角折り札……迷ってるな」


 札が迷っている。つまり、手順が迷っている。

 誰かが、意図的に矛盾を混ぜた。市役所の戦場で、義弘が剥がした札の余波だ。


 だが、矛盾があっても動く。

 動くように作ってある。


 “事故”は止まらない。

 止めるのは、現場の肉体だ。


 そのとき。


 ――立体の影が、天井から落ちた。


 影は音を連れてこなかった。

 視界だけが奪われる。


 義弘の脳が「巨大」と判断する前に、脚が四本、床を踏んだ。


 リノトーレークス。


 都市戦闘用、立体起動、全方位。

 そして今回は――“充分に準備された”強敵。


 装甲の継ぎ目が少ない。

 関節が覆われている。

 背面の姿勢制御ノズルが増設されている。

 武装は、殺すためではない。壊すためだ。


 義弘が息を吐く。


「……借りを返す気かよ」


 トミーがぼそり。


「いや、借りじゃない。これ、利息まで乗せてきた」


 リノトーレークスが動いた。

 動いた、ではない。滑った。

 床を蹴らずに、距離を奪う。


 義弘の膝が「来る」と叫ぶより早く、

 全方位の打撃が降った。


 拳でも刃でもない。

 装甲関節破壊のための“角”。

 鋭角の突起が、義弘の脚部に向けて正確に入る。


 義弘はスーツを展開する。

 サムライ・スーツが空気を裂き、外装が組み上がる音が遅れて追いつく。


 ――遅い。


 準備された相手は、展開の一瞬を狙う。


 リノトーレークスの二本目の脚が、義弘の膝へ向かった。


「っ……!」


 義弘は踏み込まず、沈む。

 体重を落とし、衝撃を骨で受けない角度へずらす。

 膝が軋む。痛みが視界を白くする。


 それでも、倒れない。


 倒れた瞬間、事故は成立する。

 “市長が転倒した”

 “危険区域で事故が起きた”

 “健康管理が必要”

 札はそれを待っている。


 義弘は刀を抜いた。

 抜刀の音が、吸音材に呑まれて消える。

 だから、光だけが走る。


 斬る場所は決まっている。

 関節ではない。関節は硬い。守られている。


 斬るのは――導線。


 リノトーレークスの足が床を滑るたび、

 足裏の微細な突起が「噛む」。

 その噛みが、ここまでの機動を成立させている。


 なら、床を変える。


 義弘は未完成リングの床板の継ぎ目へ刀を差し込み、

 板を剥がした。


 ギィ、と鈍い音。

 吸音が消しきれない、物理の悲鳴。


 床板が浮く。

 浮いた床板は、滑走の敵だ。


 リノトーレークスの脚が一瞬だけ躓き、

 その一瞬を、義弘は逃さない。


 刀が走る。

 刃は脚ではなく、背面の姿勢制御ノズルへ。


 ノズルが弾ける。

 白い噴流が漏れる。

 姿勢が揺れる。


「——よし」


 勝った、ではない。

 事故にさせないだけだ。


 リノトーレークスは転ばない。

 転ばないように作られている。

 揺れた身体を、四本脚が必死に支える。


 その瞬間、上から降る。


 天井の梁に、別の“札”が貼られていたのに気づく。

 光の角度で、読み取れる。


《安全確保:落下物注意》


 遅い。

 注意の札は、予告ではなく、言い訳だ。


 リノトーレークスが、梁を撃った。

 非致死の弾で、梁のボルトだけを削る。

 落ちるのは鉄骨。重い。


 ――義弘の頭上へ。


 義弘は一瞬、膝が動かなかった。

 痛みではない。

 札の手順が「ここで倒れろ」と言っているような感覚。


 そこへ、トミーが叫んだ。


「おい! “事故”にするな、ジジイ!」


 乱暴な声。

 新開市の、ふざけた体温。

 義弘の身体が、それに反射する。


 義弘は刀で鉄骨を受けない。受けたら折れる。

 受けるのは、支点。


 鉄骨の落下角度の先に、未完成の支柱。

 義弘はそこへ飛び込み、刀を支柱に突き立て、

 鉄骨を滑らせて落とした。


 轟音。

 吸音が死ぬほどの音。

 リング全体が揺れる。


 その揺れが――観客席になるはずだった外周へ伝わり、

 遠くから歓声みたいなざわめきが返ってくる。


 誰かが見ている。

 誰かが配信している。

 事故は、数字になる。


 義弘は歯を食いしばる。


「……損にする」


 義弘は立ち上がり、リノトーレークスへ刀を向ける。

 狙いは“勝利”ではない。

 採算を壊す。


 準備された強敵は、準備に金がかかっている。

 運用に札が必要だ。

 言い訳が必要だ。

 証拠が必要だ。

 そして――“成功”が必要だ。


 なら、成功を消す。


 義弘はリングの内壁へ駆けた。

 膝が悲鳴を上げる。だが止まらない。


 内壁には、工事用の巨大な点検扉がある。

 義弘はその扉のロックを、刀で叩き割った。


 扉が開く。

 中は暗い。

 暗いが、風がある。


 リノトーレークスが追う。

 追うために、脚を踏み込む。


 義弘は、扉の縁に刀を引っかけ、

 最後の力で扉を半閉にした。


 半閉は、完全な遮断ではない。

 だが、四脚の幅に対して、最悪の幅だ。


 リノトーレークスの脚が一本、扉に噛む。

 扉が歪む。

 歪みが、関節に伝播する。


 非致死の兵器は、関節破壊を狙う。

 なら逆に、関節を壊させる。


 義弘は叫んだ。


「来い! “安全確保”してみろ!」


 挑発ではない。

 札への宣言だ。


 リノトーレークスは、踏み込む。

 踏み込んだ瞬間、扉の歪みが限界を超え、

 関節が自壊した。


 ギャリ、と異様な音。

 脚がひしゃげる。

 倒れないように、残りの脚が必死に支える。

 しかし姿勢制御ノズルを斬られた身体は、支えきれない。


 ――それでも、倒れない。


 倒れないまま、背面の武装が開いた。

 準備された強敵は、最後の最後に“見せ場”を残していた。


 背面から、鎮圧用の弾が乱射される。

 狙いは義弘ではない。

 周囲の構造物だ。


 崩落。火花。粉塵。

 事故の絵が、完成する。


 トミーが舌打ちする。


「うわ、やりやがった。映えるやつ」


 義弘の目が細くなる。


「……だから損にする」


 義弘は刀を振り上げ、

 背面武装の開閉部へ刃をねじ込む。


 斬る。ではない。

 切り飛ばす。


 金属が裂け、ラックごと剥がれ落ちる。

 武装が床へ落ち、火花が散る。

 乱射が止まる。


 リノトーレークスは、沈黙した。

 四本の脚は踏ん張る形のまま固まり、背のラックは裂け、姿勢制御の噴流は白い息みたいに途切れ途切れで――やがて完全に止まった。


 リングの空気が、遅れて戻ってくる。

 吸音が剥げた場所から、崩落の残響と、遠くのざわめきが沁み込んでくる。


 勝った。

 いや、事故にさせなかった。

 ――それが、この街ではいちばん価値がある。


 義弘は刀を下げないまま、息を吐いた。

 膝が熱い。骨の奥で、何かが古い軋みを立てる。


 そのとき。

 沈黙した機体の影から、ひとりの男が現れた。


 回収班の制服ではない。親善の腕章でもない。

 だが、上等な外套の着こなしが妙に“正しい”。

 顔立ちは整っていて、瞳は冷たいほど澄んでいる。


 ――アザド・バラニ。


 彼はリノトーレークスを一瞥し、次に義弘を見た。

 その視線には、怒りも失望もない。

 ただ、採点があった。


「あなたは――」

 アザドは言葉を選ぶふうに、ほんの一瞬だけ間を置いた。

「よく、耐えました」


 トミーが低い声でつぶやく。

「ほめてんのか、これ」


 義弘は答えず、刀の柄を握り直した。


 アザドは肩をすくめるように息をつく。

 そして、まるで“手順書”のページを閉じるみたいに、静かに言った。


「この機体が沈黙した時点で、今回の札は終わりです」

「……終わり?」

「ええ。あなたを事故にするための機会は、これきりでした」


 あっさりと、断言だった。

 負け惜しみでも、脅しでもない。

 むしろ事務的で、だからこそ本当だった。


 アザドは義弘の膝に視線を落とし、薄く笑った。


「あなたは勝った。――ただし、代償は増えた」

「代償を数えるのは、俺の仕事だ」


 義弘が言うと、アザドは一度だけ頷いた。


「ええ。だから私は、ここで去ります」

「……次は?」

「次は、私ではありません」


 その言い方が、妙に優しかった。

 優しいのに、冷たい。

 善意が人を縛る時と同じ温度。


 アザドは踵を返し、影の方へ歩いた。

 歩みには迷いがない。撤退の足取りだ。


 最後に、振り向かずに言った。


「津田義弘。あなたの“奮闘”は――私の記録に値する」

「記録なんかいらねえ」

「いえ。記録は、いつも次の札になります」


 そう言い残して、アザドは暗がりに溶けた。

 まるで、最初からここにいなかったみたいに。


 残ったのは、沈黙したリノトーレークスと、

 床に散った札の切れ端と、

 そして――義弘の膝の熱だけだった。


 トミーがため息を吐く。


「勝ったのに、嫌な勝ち方だな」

「……この街の勝ちは、だいたいそうだ」


 義弘は刀を鞘に収めた。

 音が、吸音の穴を抜けて、妙に大きく響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ