第十二話 台本破り
控室の空気は、戦場より乾いていた。
血の匂いも油の匂いもない。あるのは紙と光の匂い――契約と照明と、数字の匂いだ。
PRISM士道の運用班が、壁面ディスプレイにタイムラインを映していた。
「――ここ、津田さん“前へ”。カメラAが寄り。ライト2が当て。
次に“初太刀”。ここで観客の歓声を拾う。
その後、危機追加。子どもが転びます。救助ポーズ。ここでロゴが――」
義弘は、聞いているふりだけをした。
聞いているほど、彼らは安心する。安心すると台本が固くなる。
リーダーが笑顔で頷く。
「完璧だ。視聴者は整った絵を求める。整っていれば安心する」
安心。
その言葉を聞いた瞬間、義弘の中で冷たい何かが固まった。
戦闘手順ではない。映像手順。
守るための段取りではない。勝たせるための段取り。
トミーが肩の上で小さく鼻を鳴らした。
「……なあジジイ。これ、救助の現場じゃない。撮影の現場だ」
義弘は返事をしない。返事をすると、そこが“名場面”になる。
控室の端では、若い隊員が別の準備をしていた。
救助用の簡易シート。止血パック。誘導灯。
「ほんとに人が来てる」「転倒が怖い」
そんな、普通の言葉。
温度差がある。
台本の運用班と、現場の現実を見ている手。
その差が、あとで裂ける。
義弘のスーツは、相変わらず眩しかった。
クリアコートがライトを返し、ロゴが呼吸しているみたいに揺れる。
「……最悪だな」
トミーが言う。
「歩く広告塔、出撃だ」
会場は明るすぎた。
夜なのに昼みたいで、昼なのに笑い声が薄い。
安全啓発イベント。
名目の看板は立派だ。協賛ロゴが並び、ステージがあり、司会がいる。
だが義弘の目は、別のものを見る。
退避路が最初から“きれい”すぎる。
柵の角度。誘導灯の位置。通路幅。
人間がパニックになる前提で作った“絵”の導線。
空には撮影ドローン。
飛行計画が整いすぎている。
事故が起きても、画が崩れないように。
司会が叫ぶ。
「皆さん! 新開市を守るのは誰だ!
サムライ・ヒーロー、PRISM士道だァ!」
歓声が上がる。
歓声は本物だ。
飢えている。娯楽に。刺激に。神回に。
義弘が一歩踏み出すと、ライトが勝手に追ってくる。
テカテカの身体が白く光り、カメラが寄る。
PRISMリーダーの声が耳に刺さる。
「津田殿。――前へ」
義弘は前へ出ない。
代わりに、群衆の端へ歩いた。
転びそうな人の横。足元の危ないところ。
救助の必要が出る場所。
ライトが一瞬迷う。
“主役”がズレると、機械は迷う。
トミーが囁く。
「台本が歪んだぞ」
その瞬間、事件が起きた。
火花。
小さな爆ぜ。
悲鳴。
暴走ドローンがステージ脇から飛び出し、観客の頭上を掠めた。
「偶然」にしては、綺麗すぎるタイミング。
綺麗なほど、嘘だ。
PRISMリーダーが叫ぶ。
「皆さん落ち着いて! PRISM士道が――!」
義弘のバイザーに、冷たいログ。
――《事故確率:不自然》
――《撮影軌道:維持》
維持。
事件が起きても撮影は維持される。
維持される事件は、事件じゃない。
義弘は、暴走ドローンの進路を見た。
「逃げる絵」を作るように、わざと人の頭上を飛ぶ。
だが殺しには来ていない。
“危機”を演出しに来ている。
義弘は、抜刀しなかった。
抜刀すれば、そこが主役カットになる。
代わりに、テカテカの腕を軽く掲げ、ライトを反射させた。
白い光が、撮影ドローンのセンサーに刺さる。
一瞬で白飛び。ピントが迷子になる。
「……?」
空のカメラがよろめいた。
映像が乱れ、コメント欄がざわめく。
――「え、画面白い」
――「カメラ死んだ?」
――「眩しっ」
――「津田のスーツ反射えぐ」
PRISM運用班の声がインカムに飛ぶ。
「津田さん! カメラが! 角度が! 戻してください!」
戻す?
台本に戻す?
義弘は低く言った。
「守るのは市民だ。物語じゃない」
その言葉は、画にならない。
画にならない言葉ほど、必要だ。
同じ頃。
地図に載らない隙間から、別の“運用”が流れ込んでいた。
アリスは暗がりにいた。
フードの奥の目だけが光る。
その周囲を、黒い影が囲む――シュヴァロフ。
さらに双子が、無言で足場を整える。
グリンフォンは空域で礼儀正しく飛び、撮影ドローンの軌道を散らしている。
アリスの前に並ぶのは、LCの残骸たち。
焦げた装甲。割れた盾。歪んだレンズ。
鎮圧のための資産が、いまは救助のための道具になる。
「……嫌い」
アリスは小さく吐き捨てた。
嫌いと言いながら、指先は正確に起動キーを叩く。
――バスティオン。
盾を展開し、観客席側に身体を滑り込ませる。
その瞬間、上から落下物。
演出用の照明リグが、暴走ドローンの風圧で揺れ、外れた。
バスティオンが盾を立てる。
盾が受ける。
受けた瞬間、盾が砕けた。
金属音。
破片が散る。
アリスは、平静を装う。
口元だけを歪める。
「……へえ。根性あるじゃん」
言い方は軽い。
だが指が、一瞬止まった。
止まったのは怒りじゃない。痛みだ。
シュヴァロフが無言で破片の上に影を落とした。
破片が“映らない”ように。
痛みが“外に漏れない”ように。
双子が黙って破片を拾い、整備用の布に寝かせる。
寝かせる。
壊れたものに対しても、丁寧に。
アリスは息を吐き、次を動かす。
――マギスト。
粘着フォームを“拘束”ではなく“固定”に使う。
転倒した老人の膝。裂けた皮膚の止血。
フォームが固まり、動揺する足を止める。
その瞬間、マギストのリールが唸り、焼けた。
無理な運用。残骸の限界。
焦げた匂い。
アリスは何でもない顔をする。
「……べつに。燃えたって、直せばいいし」
直せばいい。
簡単に言うほど、痛い。
グレアは閃光を“合図”にする。
避難導線を作るための、点滅。
眩惑ではなく誘導。
だが閃光ユニットが割れる。
光が暴れ、制御が一拍遅れる。
アリスの喉の奥がきゅっと縮んだ。
吐き気じゃない。別の痛みだ。
「……ごめん」
誰にも聞こえない声。
謝る相手は人間じゃない。
アイドロンは、最後の仕事をする。
撮影網に紛れ込み、提出回線を通して“メタ情報”を混ぜる。
首輪を、証拠の管にする。
アリスは目を細め、低く言った。
「……一瞬だけ露骨。すぐ消える。
スクショするやつがいれば勝ち」
双子が無言でタイミングを合わせる。
シュヴァロフが影でカバーする。
グリンフォンが上空の視線を散らす。
その瞬間、配信に混入した。
LEGION / Cue: HERO_ENTRY
CameraRoute: PRISM-A
Outcome: PRISM_WIN
数秒。
たった数秒。
コメント欄が跳ねた。
――「え?今の何」
――「台本?」
――「Outcomeって何w」
――「スクショした!」
――「仕込みじゃね?」
空気が割れる。
割れた瞬間、台本が崩れ始める。
崩れた台本を、リーダーは許さなかった。
PRISM士道のリーダーが、ステージへ上がる。
ライトを浴びる。カメラが寄る。
完璧な角度。完璧な笑顔。
そして彼は、最悪の言葉を吐いた。
冷たいビジネスの匂いがする、整った声明。
「皆さん。混乱を招き申し訳ありません」
頭を下げる。
下げながら、声を落としすぎない。
“誠実”に聞こえる音量。
「本件の混乱は、同担である津田義弘氏の――独断行動により、運用が乱れたことが原因です。
我々PRISM士道は市民の安全を守るため、最善の対応を行いました」
独断。
運用。
最善。
言葉が、義弘を殴る。
殴りながら、リーダーは笑っている。
義弘のバイザーに、コメントが雪崩れる。
――「老害が台無しにした」
――「津田、またやったのか」
――「PRISMかわいそう」
――「いや仕込みだろ」
――「Outcomeって何」
――「津田が守ってたじゃん」
――「炎上きた」
炎上。
台本破りは成功しかけた。
だが成功しかけた瞬間に、責任転嫁で上書きされる。
トミーが肩の上で歯を剥いた。
「……あいつ、殺す」
義弘は静かに言った。
「殺すと、完成する」
炎上の矢面に立たされる。
矢面に立てば、台本は別の形で完成する。
“暴走老人”の物語。
“正義を乱す異物”の物語。
義弘は、歯を噛み、刀に手を置いた。
置くが抜かない。
抜けば、彼の物語が完成する。
その時、控室で救助準備をしていた若い隊員が、ステージを見上げて震えた。
震えるのは恐怖じゃない。怒りだ。
「……嘘だ」
隣の隊員も言う。
「津田さんが守ってた。俺、見た。
さっきの声明、嘘だ」
運用班がインカムで怒鳴る。
「黙れ! スポンサーが――!」
スポンサー。
その言葉で、若い隊員の顔が変わった。
「俺たちは広告のためにここにいるんじゃない」
そして、彼らは走った。
義弘の方へ。救助の方へ。市民の方へ。
PRISMリーダーの笑顔が、一瞬だけ固まった。
固まるほど、予想外だ。
「止めろ! 隊列を戻せ!」
戻らない。
戻らないほど、物語が割れる。
義弘は若い隊員たちを見た。
目の中に、まだ“現実”が残っている。
義弘は短く言った。
「来るなら、守る方へ来い」
その言葉だけで、隊員たちは頷いた。
演出ではない。
ただの手順として。
会場の端では、アリスがLC残骸を動かしながら、PRISMの声明を聞いていた。
聞いた瞬間、胃が捻れる。
「……は?」
吐き捨てた。
吐き捨てても吐き気は消えない。
彼女は画面を見た。
テカテカの義弘が、炎上の中心に置かれている。
置かれた瞬間、殺されやすくなる。
敵じゃなく、味方に。
アリスは舌打ちした。
「……ジジイ、あんた、ほんと最悪な役だね」
心配が漏れそうになった瞬間、毒で蓋をする。
「ま、光ってるし。目立つし。死ぬと困るの、広告的に」
言いながら、彼女は壊れたLCの破片を拾っていた。
素知らぬ顔で。
しかし指先は、震えている。
シュヴァロフが影で隠す。
双子が黙って破片を寝かせる。
壊れたものに対しても、丁寧に。
アリスは低く言った。
「……壊れたまま放っとくのは、もっと嫌」
その瞬間、空気が変わった。
会場の外周。
人の波の“向こう側”に、無機質な動きが差す。
隊列。回収。無言の歩調。
高速機動隊――ではない。
もっと露骨に、企業の回収班の匂い。
アリスの翼UIに、冷たいタグが刺さった。
――《資産回収》
――《対象:NECRO(GHOST)》
――《対象:LC残骸》
首輪が締まる。
台本破りの代償が、即座に来る。
アリスは目を細めた。
「……来た」
グリンフォンが上空で旋回し、シュヴァロフが影を濃くする。
双子が無言で退路を示す。
だが退路の途中で、回収班がバスティオンの残骸を蹴った。
まるでゴミみたいに。
破片が鳴る。
それだけで、アリスの胸が痛んだ。
痛んだのに、彼女は顔を動かさない。
動かすと、そこを撮られる。
“泣く悪”の物語が完成する。
アリスは、平静に言った。
「……別に。使い捨てだし」
嘘だ。
嘘だから、声が少し掠れた。
シュヴァロフが一歩前に出た。
母親みたいに。
アリスの弱さを、外へ漏らさないために。
義弘の側でも、冷たいものが迫っていた。
離反したPRISM隊員たちが市民を誘導し、救助を優先する。
義弘は彼らの動きを見て、わずかに頷いた。
だがその救助の輪の外側に、無機質な隊列ができつつある。
誰の指揮でもないようで、誰かの指揮の匂いがする。
義弘のバイザーに断片が走る。
――《回収》
――《対象:GHOST》
義弘は、奥歯を噛んだ。
台本は壊れた。
壊れたから、“回収”に切り替わる。
これが企業の戦い方だ。
トミーが低く言う。
「……あのガキ、狙われる」
義弘は返した。
「最初からだ」
炎上は自分に来た。
それは偶然じゃない。
“矢面”に立たされるのは、役割だ。
義弘は静かに通信を開いた。
誰かに届く保証はない。
でも送る。
短く。
演出にならない言葉で。
「炎上は俺が被る。お前は消えろ」
返事はすぐには来ない。
来るわけがない。
来たら、そこを掴まれる。
だが、ほんの遅れて短い文字が返った。
「うるさい。……でも、死ぬなよ。テカテカ」
義弘は一瞬だけ、笑いそうになった。
笑うと画になる。
画になるのが嫌で、笑いを殺した。
「……調整する」
呟く。
宣言じゃない。手順だ。
闇の中で、アリスが舌打ちした気がした。
壊れたLCの破片が、丁寧に布の上に寝かされていく音がした気がした。
それは、台本の外側で生まれた本物の音だった。
そしてその本物を、企業は回収しに来る。




