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第百十三話 地獄の交差点

 朝の新開市は、昨日の騒動が嘘みたいに“正しい”音で満ちていた。

 サイレンではない。銃声でもない。

 通知音だ。ポロン、ピコン、ピコピコ——軽いのに、耳の奥で重い。


『【公式】新開市 公式サムライ・ウィーク(仮)準備に伴う安全確保のお願い』

『【お願い】病院周辺の静穏保持にご協力ください』

『【案内】視察導線の安全誘導にご理解ください』


 文面は柔らかい。けれど、画面の端に貼り付く語彙だけが、何度も見た“札”に似てくる。


《協力》

《安全》

《配慮》

——それらが、薄く、薄く、輪郭だけを変えて、別の単語に滲む。

《優先》《導線》《列》


 市長室の窓から見える朝の道路は、いつもより整っていた。

 整いすぎていた。


 市長・津田義弘は、膝を庇いながら立ち上がる。

 立つだけで、身体が“札”の読み上げを始めるような錯覚がある。

 痛みが命令文に変換される。

 「座れ」「動くな」「無茶をするな」。

 自分の身体が、勝手に自分を“市長”に縛り直す。


「……今日は静かに終わるはずだったんだがな」


 机の向こうでトミーが、椅子に逆向きに座っている。

 顔は軽い。目だけが、軽くない。


「静かに終わる日なんてあったっけ? この街で」

「言葉遊びはいい」

「じゃあ現実。……病院、守れてる?」

「守れてる。あそこは落ちない」

「落ちない、って言い方がもう戦場じゃん」


 義弘は返せない。返せるほど余裕がない。


 病院は——守れている。

 アライアンスの顔がそこにある。

 氷の母の“無言の圧”が、空調のように病院の外壁に張り付いている。

 だから落ちない。落ちない代わりに、周りが落ちる。


 義弘の端末が震える。


『【要請】視察団導線の安全確保』

『【要請】献花・応援メッセージ列の交通整理』

『【要請】周辺軽微事故対応・指揮統括』


 画面の下に、見慣れない一行が混ざっていた。

 柔らかい文体のまま、骨だけが露出している。


《最優先:市長現場確認》


「……“確認”って言葉が、こんなに嫌いになるとはな」


 義弘が端末を伏せた、その瞬間——

 市内の何処かで、もっと軽い音が鳴った。

 ガラスが割れる音。

 火花の音。

 そして——歓声の、立ち上がる音。



 交差点の上、立体歩道の柵にもたれて、刀禰ミコトは笑顔でカメラを回していた。

 背景には、病院から一本外れた通り。

 「病院に迷惑をかけない距離です!」と、本人はきちんと線を引く。


「みんな、おはよー! きょうも新開市、元気だね!

 えっと、大事なお願いがあるの。

 病院の前は静かに。近づきすぎない。

 でも、応援はできる! 献花とメッセージ、ここで預かって届けるから!」


 画面の下に、コメントが波打つ。


【えらい】

【善意の導線】

【列作ろうぜ列】

【秩序=民度】

【市長来る?】

【アリスちゃんは?】

【病気本当?】

【いや黙れ】

【ミコト様ありがとう】


 ミコトは悪意ゼロで続ける。


「だからね、混乱しないように、ちゃんと並んで! 譲り合って!

 “列”はね、治安なんだよ!」


 言葉が届いた瞬間、街が素直に従った。

 素直すぎるほど。


 人は自然に、横断歩道の前で列を作る。

 列が列を呼ぶ。

 列の端に、配信者が立つ。

 配信者の後ろに、また列ができる。

 列に並ぶことが“参加”になる。

 善意が、手続きになる。



 交差点の信号が、瞬いた。

 ほんの一拍、青が消え、赤が滲む。


「……あ?」


 誰かが足を止めた。

 止まった足に、後ろの足がぶつかる。

 ぶつかった肩に、スマホが落ちる。

 落ちたスマホの画面が割れる。

 割れた画面に、また通知が出る。


『【お願い】安全のため立ち止まらないでください』

——と、書いてある。


 笑い話みたいな矛盾だ。

 けれど矛盾は、笑われない。

 この街の人間は、矛盾に慣れすぎている。


 そして次の瞬間。

 路肩のメンテナンス用作業ドロイドが、急に方向を変えた。


 作業アームが、交差点の中央へ。

 “工事コーン”を押し倒し、バッテリーを露出させ、火花が散る。


 軽い事故。

 ——だが、映える。


「わっ、わっ、みんな下がって!」

 ミコトが笑顔を崩さないまま声を張る。

 「落ち着いて、並んだまま! 走らないで!」


 その声に従って、人は走らない。

 走らない代わりに——押し合う。


 列が、波になる。

 波が、壁になる。

 壁が、現場を閉じ込める。


 そこへ、導線屋が投げた燃料が——もうひとつ、点火する。


 路地から飛び出してきた小型改造ドローンが、火花の上を滑るように突っ込んだ。

 露骨に“映え”狙いだ。

 赤い塗装。過剰なLED。

 わざとらしい警告音。「ピー!ピー!ピー!」


 視聴者コメントが跳ねる。


【来た来た来た】

【導線屋じゃね?】

【また映え事故】

【市長呼べ】

【サムライ呼べ】

【アリスちゃん呼べ(やめろ)】

【グリンフォン!】

【コロボチェニィク!】


 呼ばれる名前が、鍵になる。

 呼ばれたものは、“公式”に引っ張り出される。



 空が、二度鳴った。

 ローター音ではない。

 推進器の低い唸りだ。


 交差点の上から、影が降りてくる。

 テカテカの装甲。光を跳ね返す広告刻印。

 「OCM」のロゴが、正義みたいな顔で輝いている。


 コロボチェニィク。

 グリンフォン。

 “アリスが戦力を提供せざるを得なかった”二体が、制服みたいな広告を纏って降り立つ。


 周囲がどよめく。

 拍手まで混ざる。

 歓声が、治安を食って増える。


 その背後に、さらに——

 OCMのドローン・サムライ・ヒーロー、量産型の機影が隊列を組んで現れた。


 整いすぎた歩き方。

 整いすぎた停止。

 整いすぎた声。


『市民の皆様。安全確保のため、速やかに列を維持したまま後退してください』

『視察導線の確保を行います』

『負傷者確認を行います』


 機械の声は正しい。

 正しすぎて、逃げ道がない。


 そして、それを見てしまった人々が——

 「正しい動き」を真似する。


 列がさらに整い、さらに固くなる。

 固くなるほど、押し合いが強くなる。



 交差点の隅、交通標識の影から、犬のような影が一歩出た。

 人間大。

 吸音。光学迷彩の残り香。

 しかし今日は、“見える位置”にいる。

 見せるための治安。

 それが、VX-07 HOUND。


 監視者のように頭部が動き、群衆の熱を測る。

 嗅覚はないはずなのに、匂いを嗅ぐような仕草をする。


 そして、海外部門の人間が、無線の向こうで言う。


「市民の安心のため、前進を」

「現場の映像を確保しろ」

「“協力”の証拠を積め」


 善意の言葉で、牙を前に出す。

 HOUNDが一歩進むたび、群衆が一歩下がる。

 下がるたび、列が詰まる。

 詰まるたび、押し合いが増える。


 押し合いは、事故になる。

 事故は、投入の口実になる。


 導線屋は、それを待っていた。


 改造ドローンが、火花の中心で“倒れたふり”をした。

 転倒した機体の下から、小型の煙幕が噴き出す。

 白い煙。

 白い煙は、人の心を“正しく”慌てさせる。


「咳が——!」

「子どもが——!」

「誰か——!」


 その叫びが、次の札になる。


《健康管理》

《最優先》

《保全》

《点検》

《最適化》


 コメントも変質していく。


【健康管理最優先で草】

【列を崩すな(無理)】

【市長来い】

【ヒーローショーきた】

【治安の展示ってこういうこと?】

【病院は守れ】

【守るために出てこい】

【矛盾してる】

【矛盾してるのが新開市】



「……来たか」


 義弘は、市長車の扉を蹴り閉めた。

 膝が痛む。痛みが遅れてくる。

 遅れてくる痛みは、判断を鈍らせる。

 それでも止まらない。


 交差点の手前。

 人の壁がある。

 壁は善意でできている。

 善意の壁は、壊しづらい。


「下がれ! ——いや、押すな! 押すなって言ってる!」


 声が通らない。

 通らないのに、配信には乗る。

 誰かのスマホが、義弘の顔を捉える。


【市長来た】

【本物】

【膝やばそう】

【いや戦え】

【市長として指揮しろ】

【サムライとして斬れ】

【どっちだよ】

【どっちもだろ】


 どっちも、だ。

 その言葉が、義弘の首を締める。


 義弘は、サムライ・スーツの起動に指をかける。

 起動すれば、“戦闘”になる。

 戦闘になれば、“映え”になる。

 映えれば、導線屋の勝ちになる。


 だが——戦闘を避けるほど、押し合いが死者を生む。


 義弘は息を吐いた。

 そして、最小限の刃を抜く。


 刃は人を斬らない。

 刃は導線を斬る。


 地面に、一本。

 交差点の中央に向けて、まっすぐ。

 “ここを開けろ”という線。


「こっちだ! ——この線から先に入るな! 入るなって言ってるだろ!」


 言葉は聞かれない。

 だが“線”は、見る者に刺さる。


 人が、線を避ける。

 避けたところに、列が逃げる。

 列が逃げたところに、空間が生まれる。


 空間は、戦場になる。



 煙の中から、改造ドローンが跳ねた。

 今度は倒れたふりじゃない。

 人の頭上へ、わざと突っ込む軌道。


 義弘が踏み込む。

 膝が鳴る。

 それでも踏み込む。


 ——一閃。


 ドローンの推進器だけを落とす。

 胴体は落とさない。

 落とすと群衆に当たるからだ。


 落ちた推進器が火花を散らし、煙幕の白がさらに濃くなる。


 そこへ——

 コロボチェニィクが、広告刻印の腕で煙を払う。

 “安全確保”の動き。

 しかしその動きが美しいせいで、カメラが寄る。


【テカテカで草】

【コロボチェニィクかっけえ】

【アリスのやつだよなこれ】

【公式に取られたやつ】

【泣ける(泣かない)】

【ヒーローショー始まった】


 グリンフォンが、跳ぶ。

 飛ばないように——低く、低く。

 人の視界を塞がないように。

 その配慮が逆に“映える”。


 空中で、改造ドローン二機を爪で叩き落とす。

 落とし方が丁寧だ。丁寧すぎる。

 丁寧な暴力は、拍手を呼ぶ。


 拍手が、さらに列を増やす。


「拍手すんな! ——退け! 退けって!」


 義弘の声は、拍手に吸われる。


 HOUNDが前進する。

 煙の中から、獣の輪郭が濃くなる。

 センサーが、群衆の端を“危険”と判定する。

 危険と判定された人間は、次に“対象”になる。


「——やめろ!」


 義弘が叫ぶ。

 HOUNDの頭部が義弘を見る。

 見るだけ。

 それだけで、“噛む可能性”が空気になる。


 そして——

 視察団の車列が、交差点の反対側で止まった。

 政治団体の旗。

 記者のマイク。

 スポンサーの笑顔。


「市長! こちらへ!」

「治安協力展示を確認したい!」

「現場で安全を——」


 現場で安全を、なんて矛盾が、堂々と口に出される。


 その矛盾を現実に変えるために、また誰かが動いた。

 導線屋だ。


 今度は、小型の暴走ドロイドを三体。

 病院から一本外れた搬送ルートへ向けて走らせる。

 病院に“触れない”。

 けれど病院の“周辺”を燃やす。

 氷の母の逆鱗を避けつつ、義弘の首を絞める巧妙さ。


「搬送ルートだ! ——そっちに行かせるな!」


 義弘が振り向いた瞬間、膝が一段、痛んだ。

 痛みが視界を白くする。

 白い視界の向こうで、白い煙と白い広告が踊る。


 そして、白い善意が——もっと静かな形で近づいてくる。



 交差点の外縁。

 ボランティア腕章をつけた人間が、いつの間にか増えている。

 交通整理。救護誘導。献花受付。視察対応。

 全員が“正しい顔”をしている。


 その中心に、影がある。

 誰かが指示している。

 声は聞こえない。

 けれど人の動きが、同じ方向へ揃う。


 遠目に見えるのは、清潔な白い手袋だった。

 白は汚れを許さない。

 汚れを許さない白は、汚れを“排除”できる。


 アザド・バラニは、群衆の熱を見て、眉ひとつ動かさない。

 口元だけで、微笑む。

 善意の微笑だ。

 善意の微笑は、拒めない。


「——市長の負担が大きい」

 誰かに向けて、静かに言う。

「——追加の治安資産の準備を」


 その言葉は命令ではない。

 “判断”として流れる。

 判断は、手順になる。


 端末の中で、報告書が作られていく。


《現場圧:上昇》

《視察導線:停滞》

《健康管理:最優先》

《治安支援:必要性増大》


 そして最後に——

 まだ押されないはずのボタンが、灰色のまま待っている。


《リノトーレークス投入準備》



 義弘は分裂する地獄の中心に立っていた。

 目の前:改造ドローンと煙幕、群衆の押し合い。

 右:搬送ルートへ走る暴走ドロイド。

 左:視察団の要求、記者のマイク、政治団体の旗。

 背後:OCMの隊列、HOUNDの牙、そして“善意の腕章”の増殖。


 誰を止めても、誰かが怒る。

 誰を守っても、誰かが傷つく。

 そしてこの街は、怒りすら“数字”に変える。


 義弘は舌打ちを飲み込み、決める。

 まずは死者を出さない。

 次に病院を揺らさない。

 最後に——“映え”を渡さない。


「コロボチェニィク、グリンフォン! 搬送ルート、切れ!

 HOUND、前に出るな! ——市長命令だ!」


 市長命令。

 その言葉は強い。

 強い言葉は、使った瞬間に鎖になる。


 HOUNDの頭部が、ほんのわずかに傾く。

 判断が走る。

 命令に従うべきか。

 “協力”の名目を優先すべきか。


 その迷いの一拍が、致命傷になることを——

 義弘は知っている。

 そして導線屋も知っている。


 迷いの一拍の間に、暴走ドロイドが搬送ルートへ突っ込んだ。

 救急車が急ブレーキ。

 荷台が揺れる。

 担架が跳ねる。


「——っ!」


 義弘が走る。

 膝が悲鳴を上げる。

 それでも走る。

 走りながら、視界の端で“白い手袋”が、微笑のまま見送るのが見えた。


 善意は追いかけてこない。

 善意は、追い込む。



 その頃、病院の病室。

 アリスのベッドの横で、シュヴァロフが座っている。

 家事しかできないはずの腕で、薄い毛布を整える。

 整え方が、やさしい。

 やさしさが、戦場より残酷に見える。


 アリスは高熱の底で、目を開けない。

 けれど、指先がわずかに動く。

 動きは言葉にならない。

 だからシュヴァロフが代行する。


 “いまは出ない”

 “出させないで”

 “お願い”


 そのお願いが、病室の端末を震わせた。

 震えた端末には、外の地獄の映像が勝手に流れ込んでくる。

 ミコトの配信。

 義弘の一閃。

 テカテカの装甲。

 HOUNDの影。

 白い煙。

 白い手袋。


 シュヴァロフは、画面を伏せる。

 伏せ方が——祈りみたいだった。


 同じ頃、交差点の外縁。

 アザドの端末で、報告書が“整った”。


《健康管理:最優先》

《視察導線:停滞》

《治安圧:臨界手前》

《追加治安支援:適合》


 そして最後の行。

 押されるべきでないはずの灰色が、ゆっくりと色を持つ。


《リノトーレークス投入準備 —— 手順に適合》


 アザドは白い手袋で画面を撫でる。

 撫でるだけ。押さない。

 まだ押さない。

 押すのは——“誰かのせい”にできる瞬間だけだ。


 交差点の中心で、義弘が膝を庇いながら踏ん張る。

 彼の背中に、善意が重なる。

 正しさが重なる。

 そしてその重なりが——次の“必要”を作る。


 新開市は、今日も正しい顔で燃えていた。

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