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第百十二話 善意の治安支援

 病院の前に、列を作らせない。


 それが、義弘が選んだ戦い方だった。


 あの夜――《F.qre.d.qve》が隊列のまま風のように現れ、包囲を解いたあと、病院の空気は変わった。

 変わったのは安全だけではない。「ここは触るな」という、無言の圧力が地面に染みた。


 氷の母は何も言わない。

 言わないまま、病院の運営に支障が出ることを、許さない――それだけが、確定事項だった。


 だから義弘は、病院の正面玄関に“戦場”を作らない。

 戦場を、別の場所へ流す。

 導線を、逸らす。


 市長室の机に、紙の束が積み上がっていた。


 《面会制限:最優先》

 《搬入口:優先》

 《一般受付:予約のみ》

 《献血・支援物資:別会場》

 《報道:許可制》

 《配信:禁止》


 市の印と署名が並ぶ。文字は硬い。硬いほど、効く。


「……札は、札で殴るしかないってことか」


 義弘が呟くと、机の隅で苔むしたウサギが鼻を鳴らした。


「遅いんだよ、ジジイ。お前の札、いっつも“あとから”なんだ」


 トミーは前脚で机を叩き、紙の角をちょいと折った。


「角折り。わかる? こうするとさ、列って一瞬迷う。

 『こっちじゃない?』って。そこにお前が『こっちだ』って札を被せる。列は札に弱い」


「……お前、どこでそんな手を覚えた」


「新開市で生きてりゃ覚える。あと、掲示板」


 トミーは、義弘の膝をちらりと見た。

 見て、すぐ視線を逸らす。


「アリスのとこ、行かなくていいの?」


 その一言が、義弘の心臓を叩いた。


 行きたい。

 だが、市長は“列”を捌かねばならない。

 サムライ・ヒーローは“事故”を止めねばならない。


 そして、義弘自身が知っている。

 今の新開市でいちばん脆い場所は、病院だ。

 いちばん脆い人物は、アリスだ。


 アリスが前後不覚で寝込んでいて、シュヴァロフが病室にいる。

 あの黒い母性が、頭と腕と胴だけの不完全な姿で、彼女の意思を代行している――そういう状況だ。


 守るべきものが、重い。


 義弘はペンを握り直し、紙に署名した。


「献血と支援物資は、病院じゃなく――リング外周の仮設ホールへ。

 “善意”は、そこへ集める」


「よし、逃がした。……で、追ってくるぞ」


 トミーが歯を見せて笑う。笑っていない目で。


「追ってきたら、そこで戦う。病院の玄関じゃなく、外周の広場で」


 義弘は立ち上がった。膝が、僅かに鳴った。


 痛みは、もう日常だった。

 日常のまま戦うしかない。


 病院の周辺は、静かだった。


 静か、というのは、音が少ないという意味ではない。

 音はある。足音。車の回転音。ビニールの擦れる音。

 だが、あの“熱”が、正面玄関から消えた。


 かわりに、熱は外へ流れた。


 リング外周の仮設ホール。

 「献血」「支援物資」「応援メッセージ提出」「安全講習」「公式サムライ・ウィーク(仮)協力登録」――

 札が並び、列が並び、善意が並ぶ。


 そこへ、市の職員が白いベストで立つ。警備が立つ。

 市の掲示板が、スクリーンで点灯する。


 《病院前での滞留禁止》

 《安全確保のため、支援は仮設ホールへ》


 義弘は、ホールの入口に立った。

 市長の腕章。サムライの背。

 どちらも、見せなければ効かない。


「市長さん!」「ジジイ!」「市長ヒーロー!」


 声が飛ぶ。

 善意は、叫ぶ。


 それでも今日は、病院を守るために叫ばせる。

 叫びを、この場所へ集める。


 ――そして、義弘は気づく。


 この列は、善意だけじゃない。


 列の端、三つの影が、同じ方向を見ていた。


 一つは、カメラ。

 一本の棒にスマホを括りつけ、笑いながら回す迷惑配信者。導線屋の手先だ。

 「病院じゃ追い出されたから」などとヘラヘラ言い、列に紛れた。


 一つは、スーツ。

 胸にバッジをつけた“視察”の一団。政治団体の名刺が、札束みたいに配られている。

 「新開市の奇跡」「観光指定都市の未来」「市長の手腕」――どれも政治の言葉で、どれも旨い。


 そして最後の一つが、いちばん静かだった。


 黒い車列。

 まっすぐ。速い。無駄がない。

 車の窓に、控えめな腕章が見えた。


 《治安支援》


 善意の顔をした、刃の文字。


 義弘の背中に、冷たいものが走る。


 来た。


 アザドの“善意”が、病院の正面を避け、周辺から締めに来た。


 真鍋佳澄が、義弘の横に立った。

 市警の制服は今日も硬いが、彼女の目は疲れていた。


「市長、ここは――」


「わかってる。病院は守る。ここで止める」


「止められますか。相手は“善意”ですよ」


「善意だから止めるんだ」


 義弘はホールの入口に、もう一枚札を貼った。


 《報道:撮影許可制》

 《配信:禁止》


 貼った瞬間、列がざわつく。

 ざわつきが、怒りに変わる。善意は、怒りやすい。


「なに勝手に!」「市民の知る権利!」

「ヒーローのくせに隠すな!」


 言葉が飛ぶ。

 言葉は、札より速い。


 そのとき――列の外側で、音が消えた。


 音が消える、というより。

 音が吸われる。


 義弘は視線を向ける。

 黒い車列の後ろ、荷台の影に、何かがいた。


 犬のような輪郭。

 だが、犬じゃない。


 人間大。

 ステルス装甲の黒。

 首元にだけ、白い札が揺れている。


 《治安支援:巡回》


 ――VX-07 “HOUND”。


 白い手袋のカードが、ここに“常駐”するつもりだと、身体が理解した。


 真鍋が息を呑む。


「……まさか。ここで?」


「病院を避ける。だが病院を守る人間を締める。

 理屈として、完璧だ」


 義弘は笑えなかった。


 守るべきものを守るには、守る人間が立っていなければならない。

 その人間を倒すなら、病院を直接殴らなくてもいい。


 善意は、賢い。


 同時刻。

 別の場所で、別の“札”が増えていた。


 OCM本社の会議室。

 壁面ディスプレイに、数字が踊る。


 《公式サムライ・ウィーク(仮) 想定視聴数》

 《治安協力展示 スポンサー枠》

 《NECROテック正規要員化 認知指数》


 オスカー・ラインハルトは、立っていた。

 眉目秀麗。完璧な企業人の顔。

 その指先だけが、わずかに硬い。


 机の端に、小さなサボテン。

 余計なことを言わない生き物。


「市長が病院を守るために導線を逸らした。良い判断だ」


 誰かが言う。

 誰かが同意する。

 敵ではない味方が、増える。


「ならば我々も、善意の導線を補強するべきだ」

「“NECROエージェントの負担軽減”を掲げれば、批判は封じられる」

「アリスは公式キャラクターだ。守られるべき存在だ」


 守られるべき。

 その言葉が、檻の匂いを持つ。


 オスカーは微笑んだまま、言葉を選んだ。


「守る。だが、“檻”は要らない」


 誰も気づかないほど一瞬、彼の目が鋭くなる。


 ――アリスを奪われる。

 NECROの兄弟姉妹が、善意で括られる。


 その未来に、ほんの少しだけ、怒りが灯る。


 だが今は、怒りを出せない。

 出せば、正当性を失う。


 オスカーは、淡々と告げた。


「現場の責任は市長にある。OCMは“公式”として支援する。

 それだけで十分だ」


 十分なはずだった。


 しかし――オスカーの知らないところで、別の支援が動く。

 海外部門。

 小さな企業群。

 そして、善意の列。


 公式導線に乗れない者たちが、公式を喰おうとしている。


 リング外周、仮設ホール。


 義弘の目の前で、列が膨らんだ。


 献血の列。

 支援物資の列。

 政治団体の握手の列。

 配信者の列。

 「ミコトに会える」列。


 ――刀禰ミコトの名前が、札みたいに貼られていく。


「ミコトちゃんが配信するって!」

「公式の“善意配信”あるらしい!」

「市長も出る? アリスも? え、病院から出るの?」


 勝手な期待が勝手な列を作る。

 列は列を呼ぶ。


 義弘は、ホール入口の柵を見た。

 柵が、押されはじめていた。


 押される。

 押し合いになる。


 病院の前じゃない。

 だが、病院を守るための場所が、病院の代わりに潰される。


「真鍋。柵を二重に」


「人員が足りません。市警だけじゃ――」


 真鍋が言い切る前に、黒い影が動いた。


 HOUNDが、列の外側へ回り込み、まるで“正しい誘導”をするように歩き出す。

 犬のように。

 犬より静かに。


 音が消える。

 人の怒鳴り声だけが浮く。


 群衆は、HOUNDの存在に気づかない。

 気づかないまま、彼が作った“安全な列”に、吸い寄せられる。


 ――善意の治安支援。


 義弘の喉が乾く。


 これは助けだ。

 助けの顔をしている。

 だからこそ、拒めない。


 拒めないまま、病院の周辺は“彼らの安全”になる。


 義弘は理解した。


 アザドは病院を殴らない。

 病院を守る“世界”を、塗り替える。


 そして、塗り替えが進めば進むほど――次の札が通りやすくなる。


 “非致死”。

 “治安”。

 “鎮圧”。


 その言葉で、何だってできる。


 義弘の端末が震えた。

 真鍋の端末も。

 市の職員の端末も。


 一斉に通知が鳴る。


 《臨時治安支援:承認》

 《観光指定都市準備区域:安全確保》

 《立体機動鎮圧機 搬入予定》


 文面は丁寧だった。

 丁寧すぎて、冷たい。


 真鍋が震える声で言う。


「……搬入予定って」


 義弘は、遠くの道路を見た。


 黒い車列のさらに奥、封印テープで閉じられた大型コンテナが、ゆっくり曲がってくる。

 コンテナの側面に、短い表記。


 《RINOTOREX 整備品》


 ――リノトーレークス。


 悪夢の、リベンジの札。

 それが“善意”の顔で、準備を始めた。


 群衆が沸く。

 誰かが叫ぶ。


「おお、あれ何!?」「でっか! 展示!?」「治安支援すげえ!」


 配信者が回す。

 政治団体が笑う。

 導線屋が嗅ぎつける。


 すべてが、同じ一点へ収束していく。


 義弘は膝を押さえ、息を吐いた。


 病院は守った。

 だが、病院の外側が、次の戦場になる。


 そしてこの戦場には、もう三つの旗が立っている。


 市の札。

 OCMの公式。

 アザドの善意。


 義弘は歯を食いしばった。


「……爆発するな」


 トミーが、義弘の足元で低く言った。


「爆発させるやつが、もういる。

 ほら――“映える”匂いがする」


 義弘が振り向く。


 仮設ホールの奥、支援物資の箱の陰。

 見慣れない小さな札が、いくつも貼られていた。


 《転倒注意》

 《火気厳禁》

 《緊急確認:最優先》

 《撮影推奨》


 最後の一枚だけが、露骨だった。


 義弘は、声にならない息を吐いた。


 導線屋が、もう火種を仕込んでいる。


 そしてコンテナが、ゆっくりと停車した。


 金具が外れる音。

 封印テープが切れる音。

 金属の匂い。


 “善意の治安支援”が、本当に牙を剥く準備の音だった。

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