第十一話 テカり
退院の日の空は、やけに澄んでいた。
病院の白い天井よりは、ずっと優しい色のはずなのに――義弘は空を見上げて、眉間に皺を寄せた。
眩しいのは空じゃない。
自分だ。
病院の玄関を出た瞬間、待っていたのは救急車でも警察でもない。
広報車。塗装班。カメラ。スポンサー担当。
そして、派手なネオン和柄のサムライスーツに身を包んだ、PRISM士道の面々だった。
「津田義弘殿! ご快復おめでとうございます!」
深々と頭を下げる。
頭を下げながら、背中のロゴがしっかり映える角度を取っている。
自然に見せた計算ほど、気持ち悪い。
トミーが義弘の肩の上で耳を倒した。
「な? 言ったろ。病室の次は玄関が戦場だ」
義弘は息を吐き、低く返す。
「黙れ」
「黙れって言うと撮られるぞ。『無愛想な伝説』ってタグが付く」
「……黙れ」
返事を重ねるほど、映える。
義弘はそれを理解してしまっている。理解してしまっているから余計に疲れる。
PRISM士道のリーダー格――艶のある兜飾りをつけた若い男が、滑らかな声で言った。
「同担の手続き、こちらで進めさせていただきました。まずは“復帰の儀”。スーツの最適化と、スポンサー塗装を――」
「聞いてない」
「もちろんご意向は尊重します。ただ、今の世論と治安状況では、個人行動は危険です。あなたは狙われます。なら、こちらが“正しく守る”べきです」
“正しく守る”。
その言い方が、OCMの会見と同じ温度をしている。
看護師が面会制限の札を胸に抱えたまま、困った顔で義弘を見る。
医師が言っていた。「刺激は避けましょう」。
しかし刺激は、避ける側ではなく押し寄せる側が決める。
義弘が「帰る」と言いかけた、その瞬間――背後から声が刺さった。
「……まだやるの?」
血縁者だった。
病院の前まで来る種類の執念。
責めるための心配。心配の顔をした怒り。
「父さん、もう――」
義弘は振り返らない。
振り返った瞬間、そこが“本番”になる。
家族の確執は、いまや誰にとってもコンテンツだ。
PRISMの面々が、ほんの一瞬だけ目を光らせる。
“人間ドラマ”。
数字が伸びる匂い。
トミーが小さく唸った。
「ほら、言った。黙ってても撮られる」
義弘は、空を見上げたまま言った。
「……話は後だ。今は――仕事じゃない」
血縁者が何か言おうとしたが、言葉はカメラのレンズに吸われて消えた。
代わりに、PRISMのリーダーが笑顔を深くする。
「では、“復帰の儀”へ」
儀。
儀式の言葉で、拘束を包む。
それがいちばん厄介だ。
工房は、広告の匂いがした。
塗料、クリアコート、ARタグの埋め込みシール、スポンサーの指示書。
義弘のサムライスーツは、もともと「戦うための渋さ」を持っていた。
セラミックスの鈍い質感。複合装甲の陰影。
それが、今は剥がされていく。
職人の手は丁寧だった。
丁寧であるほど、殺意が湧く。
「反射率を上げます。ライトに映えます。夜でも輪郭が――」
「要らん」
「安全のためです」
安全。
この言葉ほど便利な刃はない。
クリアコートが吹かれる。
ロゴが貼られる。
胸、肩、太腿、背中――あらゆる面が“提供枠”になる。
最後に、バイザーへAR広告タグの同期。
――《Sponsored by …》
――《PRISM士道 共同作戦》
――《復帰配信:予告》
義弘が立ち上がると、スーツは光った。
光りすぎて、工房の照明が二重に見える。
トミーが肩の上で、露骨に顔をしかめた。
「……うわ。戦車二両分が、クリアコートで死んだ」
義弘は自分の腕を見た。
強制冷却の白い痣が、光沢の下で妙に目立つ。
傷すら演出になる。
PRISMの面々は、満足そうに頷いた。
「完璧です。これで“正しい物語”が始められる」
義弘は低く返す。
「物語じゃない。戦場だ」
リーダーは笑顔のまま言った。
「もちろん。だからこそ――撮ります」
その瞬間、義弘の中で何かが冷たく固まった。
敵が撮るならまだ理解できる。
味方が撮るのは、もっと厄介だ。
“撮影=戦場”。
戦場が、こちらの陣営に侵食してくる。
同じ夜。
地図に載らない隙間の部屋で、アリスは箱を睨んでいた。
OCMから届いた「整備用パーツ供給ルートの開放(条件付き)」
その条件の中身が、これだ。
LCシリーズの残骸。
盾が割れたバスティオン。
リールが歪んだマギスト。
焦げたグレア。
レンズの欠けたアイドロン。
「……最悪」
吐き捨てながら、アリスの手はすでにバスティオンの関節を測っていた。
ガタ。軸ズレ。摩耗の偏り。
傷が“戦い方”として残っている。
トウィードルダムとトウィードルディーが、黙って工具を並べる。
シュヴァロフが部屋の隅で影を濃くし、アリスの背中に静かに寄り添う。
アリスはグリスを拭いながら、ふと口から言葉が漏れた。
「……こんな粘度で動かすなよ。痛いだろ」
言った自分が嫌で、すぐに言い直す。
「……機械だし。痛いとかないし」
でも手は止まらない。
雑に扱えない。
壊れたまま放っておけない。
マギストのノズルは足りないパーツを自作し、グレアの光量調整は暴れないように抑え、アイドロンの歪んだ視線を“まっすぐ”に戻す。
起動。自己診断。
その直後、アイドロンのログが勝手に外へ伸びた。
――《結果のみ提出》
――《常時回線:開放》
アリスの吐き気が、喉の奥を掻いた。
「……首輪」
貸与じゃない。監視だ。
直せと言いながら、直し方と癖を測っている。
使えと言いながら、使い方を縛っている。
シュヴァロフが一歩前に出て、アリスの視界に影を落とした。
吐き気の矛先を、アリス自身へ向けさせないために。
双子が無言で「回線遮断候補」を表示する。
しかし遮断すれば、部品供給が止まる。
止まれば、シュヴァロフも、グリンフォンも、コロボチェニィクも、次が危ない。
アリスは歯を噛んだ。
「……ムカつく」
そして、工具を握り直す。
「でも、壊れたまま放っとくのは、もっと嫌」
その言葉が、アリスの愛だった。
人間への愛じゃない。正義への愛でもない。
機械が機械として“ちゃんと動く”ことへの愛。
だから最悪だ。
最悪だから、OCMはそれを握る。
整備の合間、アリスは切り抜き配信を開いた。
アイドロンの視線を直した直後に、画面の中で“誰か”が眩しく光った。
義弘だった。
テッカテカのサムライスーツ。
反射するクリアコート。
巨大ロゴ。
ライトを浴びるたび、義弘の輪郭が二重に踊る。
コメント欄は歓声で埋まっている。
――「神! テカり最高!」
――「スポンサー強すぎw」
――「伝説の復帰!」
――「歩く正義の看板!」
アリスは、胃の奥から本音を吐いた。
「……うわ。歩く広告塔」
言ってから、さらに毒を足す。
優しさが漏れそうになる前に、毒で蓋をする癖。
「ねえジジイ、その反射で市民を救うの? 眩しさで?」
双子が黙って表示する。
――《反射率:上昇》
――《視認性:上昇》
――《被弾確率:上昇》
アリスは画面を睨み、低く言った。
「……敵より味方に殺されやすいよ、あれ」
シュヴァロフが静かに一歩前へ出て、画面の光を半分遮った。
母親が子どもの目から毒を隠すみたいに。
アリスは舌打ちした。
「……別に心配してない」
心配してるから腹が立つ。
それがいちばん嫌だ。
そのタイミングで、OCMから命令が届いた。
「命令:PRISM士道の知名度を上げること」
「場所:指定座標」
「時間:今夜」
「手段:問わない(ただし致死の可視化を避ける)」
「成果:提出」
アリスは笑った。吐き気を抑えるために。
「……台本かよ」
双子が無言で座標を展開する。
そこは、外縁の“安全啓発イベント”の会場。
仮設ステージ、ライト、協賛ロゴ、そして――撮影ドローンの飛行計画。
アリスは工具を置き、LC残骸の首輪回線を一度だけ撫でた。
遮断はしない。
しかし“どこまで見られているか”を知る。
「結果だけ提出?」
彼女は低く言う。
「じゃあ、結果は――あたしが選ぶ」
外縁の広場。
夜なのに明るい。ライトが眩しい。ロゴが眩しい。
安全啓発イベント。
名目は市民向けの「治安協力デモンストレーション」。
実態は、再起の配信だ。
PRISM士道の面々がステージ裏で肩を回している。
義弘はその横で、静かに立っていた。
テッカテカのスーツが、ライトを反射する。
息をするたびに、ロゴが動く。
正義の皮を被った広告が、呼吸しているみたいだ。
義弘のバイザーに、撮影ドローンの軌道が重なる。
綺麗だ。
綺麗すぎる。
綺麗なほど、嘘だ。
「……角度が揃いすぎている」
義弘が呟くと、PRISMのリーダーが笑顔で返した。
「視聴者は整った絵を求めます。整っていれば、安心します」
安心。
この言葉ほど、人を殺すものはない。
義弘は地面を見る。
退避路が“最初から”作られている。
柵の配置。誘導灯。通路幅。
逃げるための道ではない。
逃げる“絵”を作るための道だ。
トミーが肩の上で小さく囁く。
「なあジジイ。これ、敵が仕込んだ罠じゃない。味方が仕込んだ檻だ」
義弘は返事をしない。返事をするとカメラが寄る。
寄られるほど、台本が完成する。
――始まる。
司会が派手に叫ぶ。
PRISM士道が入場し、歓声が上がる。
義弘も入場させられる。
光沢が歓声を拾い、さらに眩しくなる。
そして“事件”が起きた。
どこかで爆ぜる小さな火花。
悲鳴。
暴走ドローン。
「偶然」にしては、タイミングが良すぎる。
義弘のバイザーが冷たく点滅する。
――《外部侵入:薄》
――《事故確率:不自然》
――《撮影軌道:維持》
維持。
事件が起きても、撮影は維持される。
維持される事件は、事件じゃない。
義弘は一歩引いた。
引くと、ロゴが揺れる。
揺れるロゴが、画面に映える。
「津田殿! 前へ!」
PRISMが叫ぶ。
前へ出れば、物語が完成する。
完成した物語は、誰かの利益になる。
誰かの利益は、たいていアリスの命を狙う。
義弘は歯を噛み、前へ出ないまま状況を観測した。
暴走ドローンの動き。
逃げる人の流れ。
カメラの角度。
全部が「PRISMに勝たせる」ために揃っている。
その時だった。
視界の端に、妙に“丁寧な影”が走った。
黒い。反射しない。
しかし動きが優しい。
人を避け、子どもの前に立ち、危険を先に受け止める影。
シュヴァロフ――の挙動に似ていた。
似ているだけで、確信はない。
確信した瞬間、台本が完成してしまうから。
義弘は、ほんの一瞬だけ息を止めた。
同じタイミングで、空の上に白い残像が走る。
翼。
礼儀正しく格好をつける飛び方。
騎士の癖。
グリンフォン。
その癖を、義弘は見てしまった。
――同じ場所にいる。
――同じ夜に呼ばれている。
――同じ台本の上に立たされている。
義弘の背中に、冷たい汗が落ちた。
戦場の汗じゃない。
運用の汗だ。
トミーが小さく言った。
「見えたな」
義弘は低く返す。
「……見るな。見たら完成する」
“完成”するのは物語。
完成した物語の中では、アリスは悪で固定される。
固定された瞬間、彼女は排除される。
だから、接触しない。
接触しないことが、いまは最大の調整だ。
義弘はテッカテカの身体を、わざとライトの外へ半歩ずらした。
光ることを拒否するために。
物語の中心に立たないために。
その半歩が、台本の線を少しだけ歪めた。
歪んだ瞬間、PRISMのリーダーの笑顔が一瞬だけ固まる。
固まるほど、これが演出ではなく運用だと分かる。
遠くの暗がりで、ほんの短い通信の揺れがあった。
アリスの翼が、どこかで震えた気がした。
義弘は確信しない。
確信しないことが、今夜の生存条件だ。
しかし確信しなくても分かる。
――台本を壊すには、戦うんじゃない。
――“勝たせ方”を壊さなければならない。
テッカテカのロゴが、夜風に微かに鳴った。
広告は軽い。
だが軽いほど、人を縛る。
義弘は刀に手を置き、呟いた。
「……調整する」
その言葉は宣言じゃない。
手順だ。
暗がりでは、誰かが同じように舌打ちした気がした。
「……最悪。ほんと最悪」
闇の中で、白い翼と黒い影が、物語の外側へ滑る準備をしていた。




