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第百二話 「公式サムライ・ウィーク(仮)」

 「仮称」という文字は、紙の上では生き残れない。


 午前八時、まだ陽が低いはずの新開市は、すでに“昼”の顔をしていた。

 街路樹に巻かれた旗。ビルの壁面に貼られたバナー。路上の液晶広告が、同じ文言を点滅させる。


《新開市 公式サムライ・ウィーク(仮)》


 ――仮称。


 だが、人々の口から出るとき、その二文字はいつも落ちた。


「公式サムライ・ウィーク、いつから?」

「公式だって。国が決めたって」

「市長の握手会ある?」

「アリスちゃんのスタンプラリー、絶対やる」


 役所が出した資料は丁寧に「(仮)」を付けている。

 印刷物も、PDFも、会議の議事録も、すべてに「(仮)」が残っている。


 残っているのに、街の看板には無い。

 残っているのに、口にした瞬間に、消える。


 ――“仮”は手順に負ける。


 市庁舎の正面階段の踊り場に、露店が並び始めていた。

 誰が許可したわけでもない。

 誰が止めるわけでもない。


 「市長焼き」

 「アリスソーダ」

 「サムライ串」


 新開市はいつも通り、めげない、しょげない、反省しない。

 そして、勝手に正しくなっていく。



 義弘の市長室の前には、朝から列ができていた。

 列ができること自体は、珍しくない。


 珍しいのは、列が“自然に”できていることだった。

 誰かが呼びかけたわけではない。

 警備が整列させたわけでもない。

 ただ、廊下の空気が人を並ばせている。


 秘書が顔色を変え、声を落として言う。


「市長……順番札、用意しますか」


「……札?」


 義弘は、膝の奥がじくりと痛むのを無視して、窓際の椅子から立ち上がった。

 窓の外には、旗。旗。旗。

 “公式”の旗。


 そのとき、机の上の端末が鳴った。

 通知音は、ごく普通の短い電子音――のはずだった。


 なのに、義弘には、薄い紙が擦れる音に聞こえた。


 トミーが机に飛び乗って、端末を覗き込む。

 苔色の毛並みが、朝の光でやけに青い。


「また列か。人間って並ぶの好きだよな。救助の現場でも、火事でも、配給でも、並ぶ。……で、市長。今日の列はどっちの列だ?」


「どっち、とは」


「“仕事の列”か、“善意の列”か。後者は厄介だぞ」


 義弘は返せず、通知を開く。

 タイトルは丁寧だ。


《新開市 公式サムライ・ウィーク(仮称)に関する関係者ヒアリング日程(案)》


 関係者。

 ヒアリング。

 案。


 そして本文の末尾には、こうある。


《※当日、表敬訪問を希望する各団体が多数見込まれるため、円滑な導線確保にご協力ください》


 導線。

 義弘は眉をひそめる。


「……導線屋の匂いがするな」


 トミーが鼻を鳴らした。


「匂いじゃない。これはもう煙だ。火の手が見えてないだけ」


 廊下から、微かに歓声が聞こえた。

 誰かが「市長だ!」と叫んだのだろう。


 義弘は深く息を吸い、扉の方へ歩いた。膝が抗議する。

 扉を開ける前に、トミーが低く言う。


「市長。アリス、最近見たか?」


「……忙しくて」


「忙しいのは分かる。でも、アリスは“忙しい”をやると壊れる」


 義弘は一瞬だけ、視線を落とした。

 床に落ちている小さな紙片が目に入った。

 誰かの資料の切れ端。そこには手書きで、


《順番》


 と書いてあった。



 そのころOCM本社の会議室では、数字が壁を作っていた。


 巨大なモニターに並ぶグラフ。

 再生数。視聴維持率。好感度推移。

 そして、国の資料のスクリーンショット。


 オスカー・ラインハルトは、笑っていた。

 いつもの穏やかな微笑。染み一つない肌。整った顔。

 その微笑は、会議室の空気を冷やすためのものだ。


「したがって、我々は“治安協力展示”枠を確保します。国の支援と新開市の観光指定は追い風です。数字は出ます。出させます」


 誰かが言う。


「……オスカー、つまりNECRO要員を前面に?」


「前面ではありません。“正面”です。社員として。人として」


 反対派が顔をしかめる。


「反発が――」


「反発は処理します。反発を恐れて隠し続けた結果が、いままでの泥沼です」


 別の幹部が、さらに慎重に言葉を選ぶ。


「……アリスを、公式キャラクターとして活用する案は、世論に響きます。ただ、健康状態が」


 その瞬間だった。


 オスカーの微笑が、一瞬だけ消えた。

 まるで、心の底から湧いた何かが、表情を割ったように。


 憤怒――というより、嫌悪。

 “善意の名で人を縛る”ことへの、生理的な拒絶。


 だがすぐに戻る。

 微笑が、上書きする。


「健康状態は、確認します。最短で、決めます。――“健やかな社員”である必要がある。そこは我々の責任です」


 “責任”。

 その言葉が、会議室の空気を正しくした。


 正しい空気は、いつも人を追い詰める。



 刀禰ミコトの配信は、いつも明るい。

 明るいからこそ、影を伸ばす。


 彼女は背景を新開市のバナーで埋め、笑顔で手を振った。


「みんな〜!聞いて聞いて! 国のほうから“新開市 公式サムライ・ウィーク(仮称)”の情報が来たよ〜!」


 画面のコメントが滝になる。


きたあああああ

仮称ってことは正式決定前だよね!?(もう決定でしょ)

市長!市長!市長!

アリスちゃん公式!公式!

OCMの展示ある?ドローン見たい

ヴァーチャル・サムライ合同で踊ろうぜ

パトロールしよ、俺たちも手伝える

“善意”の参加型イベントだ!


 ミコトは“手伝える”の文字に嬉しそうに頷いた。


「そうそう!みんなが安全に楽しめるように、できることをしようね! あとね、働きづめの市長さんとアリスちゃん、休んでほしい……! だからさ、あの二人を見守ろう! 優しく!」


 “見守る”。

 その言葉は柔らかい。

 柔らかい言葉は、群衆を動かす。


 配信の数分後から、新開市の各所で“自主パトロール”が始まった。

 サムライ・ヒーローが勝手に巡回し、

 ヴァーチャル・サムライが勝手に連動企画を立ち上げ、

 観光客が「危険区域巡礼」めいた列を作った。


 列には、誰かが紙を配った。


《順番》

《ここから》

《止まらない》


 札が増えた。

 札は善意で増える。



 アリスのスマホに来た通知は、短く丁寧だった。


《健康状態の確認を兼ねた短時間の収録のお願い》


 お願い。

 短時間。

 確認。


 拘束ではない。

 拘束ではない、と言い張れる言葉でできていた。


 アリスはベッドの端に座って、フードの紐を握り締めた。

 セーラー服の襟が、喉元に触れて嫌に冷たい。

 大きめのスカーフを口元に引き上げる。


「……は?」


 毒が出る。

 出るはずだ。

 出るのに、声がいつもより浅い。


 部屋の隅には、修理中のシュヴァロフがいる。

 起き上がるのは頭と腕と胴体だけ。

 それでも、掃除道具が脇に揃えられている。

 シュヴァロフが家事をしていた頃の名残だ。


 いまは、部屋が“家庭的に汚れて”いた。

 洗いかけのマグカップ。

 畳まれていない毛布。

 工具の匂い。

 その乱れが、アリスの胸を刺す。


「……ごめん。あとで、ちゃんと……」


 誰に謝ったのか分からない。

 シュヴァロフに。自分に。

 あるいは“公式”に。


 NECROテックの内部で、微細な熱が走る。

 いつもなら、無音の羽ばたきのように情報が展開するのに、今日は違う。

 翼の残像が、輪郭を持たない。

 ぼやける。


 アリスは立ち上がろうとする。

 足が、一拍遅れる。


 ――最適化。


 誰かの言葉が頭の裏に貼り付く。



 収録スタジオは白かった。

 白さが“清潔”を名乗っていた。


 スタッフは優しい顔をしている。

 優しい顔は、断りづらい。


「アリスさん、今日は“撮影”じゃなくて、健康確認も兼ねてますからね」

「無理しないで」

「笑顔じゃなくていいから」

「でも、せっかくなので、ひとつだけポーズお願いできたら……」


 ライトが熱い。

 ライトが熱いのに、アリスの指先が冷たい。


 ポーズ。

 両頬に人差し指。

 この前のCMの“ノリ”のやつだ。


 アリスは口元をスカーフで隠したまま、嫌そうに、指を頬に当てた。

 笑顔を作ろうとする。


 ――笑顔が、作れない。


 いや、作れる。

 作れるはずだ。

 作れるのに、“作る手順”が見つからない。


 胸の奥が、ふっと空白になる。

 人格の統率が、ひとつ噛み合わない。


 アリスは、いつもの悪態を言おうとした。


「……こんなの、誰が得すん――」


 言葉の途中で、息が引っかかった。

 音が出ない。


 スタッフが焦って駆け寄る。


「大丈夫!? 水――」

「座って、座って!」

「熱、測りましょう!」


 “測りましょう”。

 その瞬間、アリスの視界が揺れた。


 翼の残像が、ちらつく。

 熱が戻ってくる。

 怒りが戻ってくる。

 怒りが戻る分だけ、身体が置いていかれる。


 膝が折れた。


 倒れる瞬間、ライトの白が紙の白に見えた。

 札の白。

 手順の白。


 誰かが言った。


「これは診断が必要ですね」

「要診断、経過観察――」

「“拘束”ではありません。念のためです」


 “拘束ではありません”。


 その言葉は、鍵の音と同じだった。



 義弘は市長室の会議の最中だった。

 「(仮称)」の文言をどこに残すか、という議論をしていた。


 誰かが真面目に言う。


「“仮称”は外すべきではありません。正式決定前です」


 別の誰かが笑って返す。


「でも市民がもう外してますからね。看板も、配信も」


 義弘の端末が鳴った。

 また、紙が擦れる音に聞こえた。


 秘書が顔色を変え、口を動かした。


「……アリスさんが、倒れました。高熱です。収録先で」


 一瞬、部屋が凍った。

 凍ったのは、空気ではない。

 義弘の中の何かが凍った。


「会議は――」と誰かが言いかけた。


 義弘は椅子を引いた。

 膝が痛む。

 痛みが、現実を引き戻す。


「印象より命だ」


 それだけ言い捨てて、義弘は出ていった。

 トミーが床を蹴って追いすがる。


「ほら見ろ。列なんてどうでもいい。列は増える。死んだら戻らない」



 病院の廊下にも列があった。


 “回復祈願”の列。

 差し入れの列。

 応援ボードの列。


 誰も悪くない顔をしている。

 それが一番怖い。


 義弘はその列を割って進んだ。

 トミーが唸り声を上げる。


「どけ。善意ならどけ。ここは通路だ」


 病室の前で、オスカーが待っていた。

 いつもの微笑。いつもの整った姿。

 だが今日は、微笑が“薄い”。


「市長。ここから先は、医療の領域です」


「分かっている。だが――」


 義弘は扉の脇の書類トレイを見た。

 紙が積まれている。

 そこに貼られたラベル。


《経過観察》

《要診断》

《健康管理》

《最適化》


 “最適化”。


 義弘の目が細くなる。


「……これは誰の言葉だ」


 オスカーは一拍、沈黙した。

 沈黙は、答えの代わりになる。


「……制度の言葉です。善意の言葉です。だから、強い」


「強いからって、正しいとは限らない」


 オスカーの微笑が、ほんの少しだけ歪んだ。

 歪みは、怒りにも見えた。


「正しさは、いつも遅れてきます。――市長、あなたもそれを知っているでしょう」


 義弘は扉を見る。

 中にいるのは、公式キャラクターで、ハッカーで、十人分の人格を抱えて、十七歳の少女だ。


 そして、いまは――ただの患者だ。


「……“誰の保護下か”が問題だな」


 オスカーが頷いた。


「ええ。保護は必要です。ただし、保護は鎖にもなる」



 白い部屋で、アリスの鎮静は少しずつ薄れていた。

 薄れた分だけ、怒りが戻ってくる。

 怒りが戻る分だけ、翼の残像がちらつく。


 目を開けた。

 天井は白い。

 消毒の匂い。

 機械の低い音。


 そして、ベッド脇の紙。


《健康管理:最優先》


 “最優先”。


 アリスは笑いそうになった。

 笑えない。

 喉が熱くて、声が出ない。


 手を動かそうとする。

 腕が、ほんの少ししか動かない。


 NECROテックが勝手に身体を守ろうとしている。

 守るために、縛っている。


 ――最適化。


 アリスは目だけで、紙の束を追った。

 その下に、押印済みの書類が見えた。


《健康管理:最優先(イベント期間中)》


 イベント期間中。


 “期間中”という言葉が、骨に触る。

 期間中は、終わらない。

 終わらせない限り、終わらない。


 扉の外から、遠い歓声が聞こえた。

 回復祈願の列が、配信で映っているのだろう。

 誰かが言う。


「アリスちゃん、がんばれー!」

「公式キャラなんだから、元気になって!」

「優しく見守ろう!」


 優しく、見守る。

 優しく、囲む。

 優しく、逃げ道を塞ぐ。


 アリスは瞼を閉じ、胸の奥で悪態を組み立てようとした。

 だが言葉が整列しない。

 人格の統率が、ほどけかけている。


 ほどける瞬間に、ひとつだけ、まとまった言葉が落ちた。


(……仮称なのに)


 そして、次の言葉が、熱に焼かれて歪んだ。


(もう、決定事項)



 義弘は廊下の窓から外を見た。

 病院の前に列。

 差し入れの山。

 ボード。

 旗。


 旗の文言は、簡単だった。


「新開市 公式サムライ・ウィーク」


 どこにも「(仮)」はない。

 どこにも「仮称」はない。


 トミーが窓枠に乗って、ぽつりと言った。


「……人間って、消しゴムみたいだな。都合の悪い二文字だけ消す」


 義弘は答えない。

 答えられない。


 オスカーが静かに言う。


「“仮”が消えるとき、手順が始まります」


 義弘は膝を押さえ、深く息を吐いた。

 そして、病室の扉を見た。


 扉の向こうにいる少女は、いま、戦えない。

 戦えないのに、“公式”として戦わされる。


 扉の前の書類トレイのいちばん上。

 押印済みの札が、じっとこちらを見ている。


《健康管理:最優先(イベント期間中)》


 期間中。


 期間中は、誰のものだ。


 義弘は、心の中で、ひとつの札を思い描いた。

 制度で、善意で、公式で、――逆に縛り返す札を。


 だが、思い描いただけでは遅い。

 札は、先に貼られる。


 廊下の奥で、また紙が擦れる音がした。

 新しい列が、増えていく音だった。

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