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第百一話 テカテカの正義

 市長室の窓は、今日も妙に明るい。

 新開市は“観光指定都市”の準備で、看板も、旗も、照明も、やたらと増えていた。

 明るいのに、胸の奥が暗い。


 義弘は膝に手を添え、椅子から立ち上がるのに一拍置いた。痛みが来る前に、理屈で先に身体を動かす。

 その動きを見て、机の端に座っていたトミーが鼻で笑う。


「市長サマ、今日も膝が“要配慮”かよ」

「……札みたいに言うな」

「札のほうがまだ親切だろ。“貼られたら終わり”って分かるからな」


 トミーの前歯が、にやりと光った。葉緑の毛並みが朝の光で妙に健康的に見えるのが、腹立たしいほど頼もしい。


 義弘の端末が震えた。

 ——会見進行表(観光プレ・セレモニー)/安全動線図/協賛一覧。


 協賛一覧の長さだけ、胃が重くなる。


「やめとけよ。全員が“推し”を名乗る街だぞ。市長が出れば、列ができる」

「列ができないようにするのが、市長の仕事だ」

「列ができるのは“仕事”じゃなくて“病気”だって、俺は思うね」


 言い返す前に、扉がノックされた。

 秘書——ではなく、今日の“相手”が入ってくる。


 オスカー・ラインハルトは、相変わらず完璧な外観だった。

 仕事ができる男の顔。整いすぎていて、逆に不気味なほどだ。

 そして手に、無骨な紙袋。

 ——中身がサボテン用の土だと、義弘はもう知っている。


「市長。おはようございます」

「名誉会長でもある。……君は呼び方を選ぶべきだな」

「選びません。役職は便利ですから」


 微笑が、刃物のように薄い。

 オスカーは椅子に座らず、机の上に資料を置く。丁寧だが、丁寧すぎて、逃げ道がない置き方。


「本題です。『公式イベント』の前段として、本日、“お披露目”をやります」


 義弘は資料を開いた。

 そこには、広場の仮設ステージ、観光プレ・セレモニー(仮)、刀禰ミコト出演、各社協賛——そして、赤字の太文字。


『OCM公認 ドローン・サムライ・ヒーロー 初公開』


 さらに下の欄に、さらっと書いてある。


『協力:新開市公式キャラクター(アリス)/機体提供:コロボチェニィク、グリンフォン』


 義弘の視線が止まった。


「……“提供”?」

「提供です。公式です。合法です。善意です」


 トミーが、紙を噛みちぎりそうな顔をした。


「おい、善意って単語を大安売りすんな。吐き気がする」


 オスカーはトミーを見ない。

 見ないことが、最も強い無視だ。


「市長。あなたは勝ちました。オールドユニオンを“負けた形”で撤収させた。あれは偉業です」

「褒めるな。嫌な続きが来る」

「続きは、公式です」


 オスカーは、机に指先を置いた。

 札を貼るみたいに、きれいに。


「アリスは新開市の象徴になりました。象徴には、責任が生まれます。——嫌でも」


 義弘は、舌の裏で名前を転がす。

 アリス。

 象徴。

 責任。


 言葉が全部、鎖の形をしている。


「彼女は、患者だ」

「だからこそ、彼女を“守れる側”を増やします」

「守る名目で、使うんだろう」


 オスカーの微笑が、ほんの一ミリだけ硬くなる。


「市長。私の狙いは、あなたの敵ではない」

「なら、俺の味方でもない」

「その通りです」


 淡々と、認めた。


「私は、“公式”の味方です。NECROテックの兄弟姉妹が、世間に通じる存在になるための公式です。あなたは、そこに乗るしかない」


 義弘は、膝の痛みより深い痛みを飲み込む。


「……アリスに、言ったのか」

「言いません。言えば、彼女は“嫌だ”と言う。だから、言わずに決める。決めた後で、逃げ道を塞ぐ。それが公式です」


 トミーが低い声を出した。


「最低だな」

「最高です。結果が出ますから」

 義弘は資料を閉じた。

 閉じても、内容は消えない。札は剥がれない。


「俺は現場に出る。安全の責任は、市長が取る」

「もちろん。市長の出動は“絵”になります」


 その言葉に、義弘は一瞬だけ目を細めた。


「……“導線屋”が嗅ぎつける」


 オスカーは頷いた。


「だから、早く出します。導線屋に先を越される前に、こちらが導線を握る」


 恐ろしいほど、合理的だった。



 アリスは、鏡の前でフードを深く被った。

 セーラー服の襟が、なぜか今日は目立つ。

 首元のスカーフを引き上げると、口元が隠れて呼吸が少しだけ落ち着いた。


 部屋は、いつもより散らかっていた。

 シュヴァロフが、まだ“完全”に戻っていない。

 掃除も、料理も、細かい気遣いも——本来ならあの黒い巨体が静かにやってくれていた。


 今は、腕と頭と体だけが動く。

 それでも、シュヴァロフは台所の隅に寄せたゴミ袋を見て、申し訳なさそうに首を傾げる。

 その仕草が、余計に心を締める。


「……いい。気にするな。お前は、そこに居ろ」


 シュヴァロフは言葉を喋れない。

 でも、返事はする。

 ゆっくりと、アリスの背中に手を当てた。

 “母性”の残り火みたいに温かい。


 双子は、部屋の角で器用に充電ケーブルをまとめていた。

 バンダースナッチは、壁際に積んだパーツを「ここは危ない」とでも言うように並べ替える。

 留守番。留守番。留守番。

 みんな留守番。

 なのに、戦力だけが外に“提供”される。


 モニターが点く。

 コロボチェニィクとグリンフォンの映像が映った。


 ——追加装甲。


 薄い装甲板が貼られ、その上に、光沢のある刻印。


OCM

SHINKAI OFFICIAL


 アリスのこめかみが、ひくりと跳ねた。


「……私の子に、勝手に名前を書くな」


 グリンフォンの翼の付け根に、広告パネルみたいな光沢がある。

 変形すれば、ロゴが“翻る”。

 コロボチェニィクの胸にも、余計な輝き。


 誰かの“善意”が、こびりついている。


 アリスは、笑顔の練習をした。

 鏡の前で、口角を上げる。

 上がらない。

 上げる。

 上がらない。

 上げる。


 笑顔ができるたび、胸の奥が冷えていく。


「……これが、“公式”」


 そしてもう一つ。

 身体の内側で、何かが軋む。

 NECROテックが、静かに“最適化”を始めている。

 勝手に。

 善意みたいな顔で。


 指先が、一瞬だけ自分のものじゃなくなる。

 視界の端に、翼の残像。

 演算が走り出しそうで、走れない。

 昔みたいに、世界を掴めない。


 それでも、外に出る。

 出なければ、もっと奪われる。



 広場は、祭りだった。

 仮設ステージの上で、刀禰ミコトが笑っている。

 カメラの数は、虫みたいに増殖していた。


「みんなー! 新開市、今日も元気? 市長も! アリスちゃんも! 休まなきゃダメだよね!」


 “休まなきゃ”の言葉で、観客が拍手をする。

 善意で拍手が起きる街。

 恐ろしい。


「だからね、守れる側を増やすの! 公式の! ね!」


 コメント欄が滝みたいに流れる。


うおおミコト様

優しい……

市長さん休んで!

アリスちゃん顔見せて!

公式最強!

今日もヒーローショーだぁ!


 義弘は、広場の端でその光景を見ていた。

 膝が痛む。

 痛むのに、逃げられない。

 市長は逃げると“絵”になる。

 そして導線屋が喜ぶ。


 トミーが肩の上で耳をぴくりと動かした。


「来るぞ。匂いが変わった」

「導線屋か」

「善意の匂いだよ。最悪のやつ」


 その瞬間だった。


 広場の外縁。連絡通路の入口で、保守ドロイドが一台、ぴたりと止まった。

 次の瞬間、安全柵が誤展開する。

 通路が半分塞がり、人の流れが詰まる。


 さらに、薄い煙。

 演出用スモークにしか見えない量。

 だが、カメラには十分だった。


 ——事故は軽い。

 だが導線が重い。


 誰かが叫んだ。


「やばい! 危ない! 市長が来るぞ!」


 別の声が被る。


「アリスちゃんも来る! 撮れ! 撮れ!」


 誰かが“善意”の腕章をつけて誘導棒を振り始める。


「こちらへ! こちらへ! 安全のために一列で!」


 ——列。

 勝手に列ができる。

 自然に、人が並ぶ。

 札が見えないのに、札みたいな手順で動く。


 コメント欄が一斉に色を変えた。


事故!?

うわ煙出てる

誰か倒れた?

市長来い!!

アリス来い!!

これが新開市だよなw


 トミーが唸った。


「導線屋だ。あいつら、事故を起こすんじゃない。事故の“場所に人を流す”」


 義弘は、刀の柄に手を置いた。


「……止める」

「止めるなら、“事故”じゃなくて“列”だろ」


 正しい。

 だが、列は“善意”の顔をしている。


 ステージ側では、ミコトが表情を変えないまま、声を張った。


「みんな! 落ち着いてね! 公式の人たちが対応するから!」


 その一言で、列が太くなる。

 善意の導線は、加速する。


 そして——コンテナが開いた。


 テカテカの装甲。

 光沢が眩しいほどの、ドローン・サムライ・ヒーロー。

 整然とした動き。無駄がない。

 その背中に、協賛の刻印。

 正義がスポンサーでできている。


 続いて、コロボチェニィク。

 ゴツい体に貼られた薄い装甲板が、不自然に光る。

 刻印が、胸で笑っている。


 そしてグリンフォン。

 翼を広げ、光沢のパネルがロゴを反射する。

 “見せ場”のために作られたみたいに、きれいだった。


 アリスは広場の影で、歯を食いしばった。

 自分の子が、自分の子じゃない顔をしている。


「……行け。守れ。……でも、私の子だ」


 その瞬間、身体の内側でまた軋む。

 NECROテックが、勝手に脈を整えようとする。

 勝手に。

 善意の手順で。


 指が一瞬遅れた。

 遅れたぶんだけ、世界が遠い。


 それでもアリスは、呼吸を整え、短く命令を投げた。


 テカテカのドローンが最短で動く。

 保守ドロイドの停止原因を切り分け、柵を解除し、人流を捌く。

 完璧だ。

 完璧すぎて、怖い。


 コロボチェニィクが一歩前に出る。

 その瞬間だけ、闘志の仕草——ゴリラみたいな誇示をしそうになる。

 だが次の瞬間、動きが抑え込まれる。

 “演目の速度”に合わせて、暴れない。


 グリンフォンは、観客の頭上を滑るように飛び、変形を一回だけ入れた。

 翼が翻り、ロゴが光る。

 ——拍手。

 ——歓声。

 ——コメントの洪水。


グリンフォンの変形かっけええ

ロゴwww翼で見せるなw

コロボチェニィク、公式になってて草

え、これアリスの機体じゃね?

提供ってこと?

公式って便利だな……


 義弘は、その歓声の中で、冷えたものを見た。

 導線屋は、成功した。

 事故は小さく、番組は大きい。

 “公式”は強く、しかも映える。


 ——次もやる。

 次はもっと上手く。


 義弘は、列の縁に入り込んでいた“善意の腕章”の男を見つけた。

 誘導棒の振り方が慣れすぎている。

 安全の言葉が軽すぎる。


 義弘は男の前に立ち、低く言った。


「どこの所属だ」

「えっ? えっと……安全啓発です! 市長さん! みんなのために——」

「みんなのために、列を作ったのか」


 男は一瞬、詰まった。

 その詰まりが、導線屋の本音に見えた。

 背後で、アリスが小さく息を吸った。

 彼女の視界の端に、翼の残像。

 NECROテックが、勝手に“休め”と言ってくる。


 ——休めない。

 休めば、奪われる。


 アリスは、声を殺して毒を吐いた。


「……善意って言葉、便利だよね。何しても正しい顔できる」


 義弘は振り返らず、答えた。


「だから、制度で殴るしかない」


 その言葉は、今日に限っては、冗談に聞こえなかった。



 事件が“鎮圧”されたころ。

 広場の大型モニターが切り替わった。


 ——OCM緊急会見。


 オスカー・ラインハルトが、どこかの会場でマイクの前に立っている。

 同時中継。

 現場がまだ熱いのに、会見の冷たさが流れ込む。


「本日発生したドロイド挙動の異常は、OCMとして深くお詫び申し上げます」


 言葉は謝罪。

 顔は冷たいビジネス。

 そして次の一言が、刃だった。


「しかし、市長・津田義弘の統率と、新開市公式キャラクターであるアリス、ならびにNECROテック要員の協力により、事態は収束しました。公式は機能しています」


 現場の空気が一瞬止まる。

 コメントが爆発する。


NECRO言った!?

え、今さら言う?

アリスちゃん公式キャラ確定じゃん

市長とNECROのチーム熱い

公式最強!

でも患者なんでしょ? 出すなよ……


 義弘は、歯の奥で舌打ちした。

 オスカーのやり方は、味方じゃない。

 だが敵でもない。

 噛み合わない。

 噛み合わないのに、同じ歯車の中にいる。


 アリスは、画面の中のオスカーを見た。

 “公式”の言葉で、彼女の身体が一段重くなる気がした。

 NECROテックが、勝手に“最適化”を強める。

 善意で、拘束する。


 ——限界が近い。


 そのことだけは、彼女の中で、誰よりも明確だった。



 夕方。

 アリスの隠れ家に戻ると、部屋の散らかりが、逆に安心だった。

 シュヴァロフが、ぎこちない動きでカップを持ってくる。

 双子がケーブルをまとめ、バンダースナッチがパーツを守るように立つ。


 外で“提供”された二機の影が、まだ瞼の裏に残っている。

 広告の刻印。

 光沢。

 拍手。


 アリスは膝を抱えて座り、短く笑った。


「……私の子が、みんなの子にされていく」


 シュヴァロフが、そっと頭を下げた。

 謝っているのか、誓っているのか分からない。

 でもその仕草が、家族だった。


 そのとき、端末に通知が入った。

 新開市役所からの公式告知。

 ——観光指定都市の“公式イベント”日程決定。


 アリスは画面を見つめた。

 息が浅くなる。

 NECROテックが、勝手に脈を整える。

 勝手に。

 善意の顔で。


 そして、画面の隅に、見慣れないタグが一瞬だけ表示された。


《公式協力:健康管理》


 札の語彙が、また戻ってきた気がした。


 アリスはフードの奥で目を細め、低く呟く。


「……まだ終わってない」


 新開市は、明るい。

 明るいほど、影が濃い。


 次の“公式”は、もっと大きい。

 導線屋は、今日の成功を忘れない。

 オスカーは、止まらない。

 そしてアリスの身体は、そろそろ彼女の言うことを聞かなくなる。


 ——テカテカの正義が、街に根を張り始めていた。

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