006 誓いの道
振り返ると、インテリオ博士が立っていた。
煤を払い落とし、割れた眼鏡の代わりに新しいものをかけている。
いつもの柔和な笑顔だが、手には古びた革袋を抱えていた。
「……博士?」
俺とティオルは同時に呟いた。
博士は焼け跡を見回し、静かに言った。
「村は……ほとんど壊滅ですね。生き残りは三十人もいないでしょう」
その声には、怒りでも悲しみでもなく、ただ現実を受け止めた重さだけがあった。
そして懐から羊皮紙の地図を取り出す。
「ですが、立ち止まっている暇はありません。
あなたたちが次に向かうべき場所……セラフィム王都に行くのです」
ティオルが小さく眉を上げる。
「王都に、ノクティアに対抗できるだけの力があるの?」
「あります。騎士団、魔術師、そして……魔眼を持つ者たちが」
博士は俺たちを見つめる目を少しだけ細めた。
「君たち二人は、そこへ行かねばなりません」
俺とティオルは無言で顔を見合わせ、そして同時に言った。
「……行くよ」
博士は満足げに頷くと、地図を俺に手渡した。
「準備を。あなたたちの旅は、ここから本当の意味で始まります」
水筒、干し肉数日分、そして博士が用意してくれたマントと簡素な剣。
半壊した家の前で、それだけを背負って立った。
「行けるか?」
俺が尋ねると、ティオルは頷いた。瞳の奥で、白黒の針がかすかに揺れた。
その時だった。
瓦礫を踏む重い足音が、焼けた地面を震わせた。
振り返ると──
ティオルの父、レオハルトが立っていた。
銀髪は煤と血で汚れ、
肩にかけた大剣には無数の傷が走り、
左腕には血染めの布が巻かれている。
それでも──背筋は真っすぐだった。
背後には、村の生き残り十数人が控えている。
「父さん……!」
ティオルが駆け寄ろうとすると、レオハルトは手を上げて制した。
「怪我はないか」
「……大したことない」
「そうか」
レオハルトはティオルの肩にそっと手を置いた。
その仕草は驚くほど優しかった。
次に俺へ視線を向ける。
「アニス……無事でよかった」
「うん。ありがとう。」
レオハルトは一つ頷くと、深く息をついて言った。
「ティオル。お前、王都へ行くつもりなんだな」
ティオルは唇を噛んで俯いた。
「……行かなきゃいけない。ノクティアを……止める。そのために」
レオハルトは小さく笑った。
「言わずともわかる。
お前は昔から、やると決めたら決して曲げないからな」
ティオルの拳が震える。
「でも……村は? 父さんはどうするんだよ……!」
レオハルトは焼け落ちた村を振り返った。
朝日が瓦礫の影を伸ばし、世界を静かに染めていく。
「俺はここに残る。
生き残った連中を守る。
そして……この村を、もう一度立て直す」
ティオルの目が大きく見開かれる。
「俺は戦える。何度倒れても立ち上がれる。
だが、お前は――」
レオハルトはティオルの胸を軽く拳で叩いた。
「未来を見ろ。俺や村じゃなく、お前自身の未来を」
ティオルの肩が震えた。
「……でも……!」
「ティオル」
父はまっすぐに息子を見つめた。
「強くなれ。
力とは、守るために使うものだ。
そして時に……戦うためにも使わなきゃならん」
その言葉は、ゆっくりとティオルの胸に落ちていくようだった。
レオハルトは続けた。
「だから行け。俺の分まで、母さんの分まで……奴らに、地獄を見せてこい」
ティオルの瞳がみるみる濡れていく。
それでも必死にこらえていた。
「……父さん……」
レオハルトは微笑んだ。
「泣くな。グランヴェルンの男は、涙を見せたら終わりだ」
その瞬間、ティオルは堪えきれず、
父の胸に額を押し当てた。
レオハルトは優しく、だが力強く息子の背中を叩いた。
「帰ってこい。強くなって」
しばらくして、ティオルはゆっくりと父から離れた。
レオハルトは俺に向き直る。
「アニス。ティオルを頼む」
「……うん。わかってる。」
父は深く頷き、剣を地面に突き立てて生き残りの村人に声を張った。
「行くぞ! 今日から立て直す!
この村は──俺たちが守る!!」
疲れ果てた人々が、それでも力強く頷いた。
レオハルトは最後にもう一度だけ俺たちを見た。
「行け」
俺たちは、その大きな背中に見送られながら歩き出した。
振り返ると、レオハルトはまだ同じ場所に立ち、
朝日に照らされた姿を、真っ向から俺たちに向けていた。
ティオルが小さく呟いた。
「……絶対に帰ってくる。強くなって」
「約束だ」
少し先で博士が静かに待っていた。
「準備は整いましたね。さあ、行きましょう。王都へ」
俺たちは最後にもう一度だけ焼け落ちた村を見返す。
朝日が灰の上に、新しい影を落としていた。




