005 灰の朝
目を開けた瞬間、焦げ臭い空気が肺を刺した。
焼け落ちた梁の隙間から、細く朝日が差し込んでいる。
俺はティオルの家の床に横たえられていた。
半壊した屋根の下、埃と煤まみれの板の間で。
体が重い。
殴られたみたいに全身が痛む。
特に胸の奥が、熱い鉄を押し込まれたように疼いていた。
「……アニス?」
掠れた声。
隣を見ると、ティオルが壁に寄りかかって座っていた。
腫れた目、涙と煤でまだらになった頬。
瞼は閉じていたが、その奥で——
白黒の針がわずかに回転する残光が、まだ消えずに揺れている気がした。
「生きてたんだね……ほんとに……」
体を起こそうとして、胸がズキンと痛んだ。
「ああ……たぶん。これが夢じゃなきゃな」
ティオルは弱く笑った。
けれどすぐ、膝に顔を埋めた。
「……母さん、本当に……もういないんだ」
小さな声。震えた息。
俺はしばらく何も言えなかった。
焼け跡に、静寂が重く降り積もる。
外から聞こえるのは、ぱち……と残り火が弾ける音だけ。
俺はふらつきながら立ち上がり、崩れた壁の向こうを見た。
村は——もうなかった。
家々は黒い骨だけを残し、
道は瓦礫で埋まり、
昨日までそこにいた人たちは、もうどこにもいない。
パン屋の暖炉は崩れ、鍛冶屋の煙突は折れ、
教会の鐘は溶けた鉄の塊と化していた。
「……全部、無くなっちまったな……」
俺の呟きに、ティオルが顔を上げた。
「僕の……せいだ」
「……は?」
「守れなかったんだ。
魔眼に目覚めても、母さん一人すら。
もっと早く力を手に入れてれば……もっと強ければ……」
握った拳に爪が食い込み、血が滲む。
俺は首を横に振った。
「違う。お前がいたから、俺は今ここにいる」
ティオルがかすかに顔を上げる。
「そんなわけ……ないよ。
僕のせいで、みんな死んだのに」
「違うって。
俺は……シスターも、教会の子供たちも守れなかった。
ただ泣いて、震えて、何もできなかった」
ティオルの目が揺れる。
「アニスだって……怖かっただろ」
「怖かったよ。
あのとき、足が震えて全然動かなかった。
戦えるなんて思ってなかった」
俺は息を吸い、ティオルを正面から見据えた。
「でも……お前が暴走しそうなとき、
“ここで終わらせたくない”って思った。
俺は弱いままだけど……その気持ちだけは本物だ」
ティオルは唇を噛み、胸を押さえる。
「……僕、どうすればよかったんだろ……
あんな力なんて……いらなかったのに……」
「お前が悪いんじゃない。
悪いのはノクティアだ。
俺たちをこんなふうにしたのは、全部あいつらだ」
その言葉にティオルの肩が微かに震えた。
俺はティオルの目の前まで歩いた。
足元がふらつき、壁に手をつく。
「だから、俺たちで終わらせよう。
ノクティアの奴らも、このクソみたいな戦いも、全部だ」
ティオルはゆっくり立ち上がる。
視線がぶつかり、互いの息がかすかに震える。
「……本当に、終わらせられるかな」
「わかんねぇよ。
でも……二人なら、きっとできる」
短い沈黙。
そしてティオルは、小さく頷いた。
「……うん。終わらせる」
その瞼の奥で、白黒の針がカチリ……と鳴った気がした。
外に出ると、焼け野原の向こうで朝日が昇り始めていた。
ティオルがぽつりと言う。
「……これから、どうするの?」
「行くしかない。
こんなとこにいたら、きっと立ち止まっちまう」
「……そっか。
うん……行かないとね……」
その光が、母の血痕を優しく照らす。
すべてを失った場所で、
俺たちは初めて——
“歩かなきゃいけない未来”を見た。
そのとき、崩れた玄関から声がした。
「おはよう。二人とも、無事でなによりです」
作者の鹿尾菜です。
みなさま、読んでいただきありがとうございます!




