031 胸のざわめき
剣がサリアの胸元を斬り裂いた瞬間、確かな手応えがあった。
肉を裂き、骨を砕く感触が、掌にしっかりと伝わる。
血が噴き出し、彼女の体が後ろへ傾いた。
俺は息を荒げ、剣を握り直した。
赤いオーラが、まだ体を包んでいる。
だが──手が、震えていた。
シスターの優しい笑顔。
教会で遊んだ子供たち。
炎に包まれた村。
仇を、斬ったはずだ。
なのに、胸の奥に喜びは湧かない。
代わりに、何か重いものが沈み込むような、鈍い痛み。
なぜだ……?
「サリア!」
後方から、叫び声が響いた。
あの声は、以前聞いたことがある。
空間の魔眼所有者──エルディンの声だ。
次の瞬間、黒い亀裂がサリアを包み込んだ。
闇が彼女の体を呑み込み、一瞬で消える。
まるで、何事もなかったかのように。
だが、ノクティアの兵たちの帰還はなかった。
エルディンの空間は、本来なら兵士たちを回収するためのものだったはずだ。
しかし、それは展開されなかった。
俺は、呆然と立ち尽くした。
「大丈夫か? 奴らはどこに行ったんだ?」
すぐ近くで、フィオランの声が響いた。
彼は弓を構えたまま駆け寄り、俺の肩を掴む。
「……わからない。でも、もう今日は来ないだろう」
俺は息を吐き、剣を収めた。
フィオランは周囲を見回し、静かに頷く。
「そうか。ならば、私は取り残されたノクティア兵を殲滅しに行く」
彼は即座に走り出した。
銀色の髪が夜風に揺れ、矢を放ちながら闇の中へ消えていく。
俺は一人、立ち尽くした。
胸のざわめきが、収まらない。
サリアを斬った。
仇を、倒したはずだ。
なのに、この感覚は何だ?
殺せたのか?
本当に、終わったのか?
頭が混乱する。
村を包んだ炎。
シスターの声。
子供たちの笑顔。
すべてを奪った女を、俺は斬った。
なのに、心が空っぽだ。
「……しっかりしろ」
俺は自分を叱咤した。
今やるべきことは、まだ終わっていない。
フィオランと共に、残ったノクティア兵を倒すことだ。
剣を握り直し、俺は走り出した。
赤いオーラが、再び体を包む。
ノクティアの兵は大量に送り込まれていた。
街のあちこちで、エルフたちが戦っている。
俺は木の橋を飛び、地面を蹴り、敵を斬り進んだ。
フィオランの矢が援護し、俺の剣が敵を倒す。
夜が明けるまで、戦いは続いた。
最後の兵が倒れ、朝日が世界樹の頂を照らす頃──
ようやく、静寂が訪れた。
俺は息を荒げ、剣を地面に突き立てた。
血に染まった弓を下げ、フィオランが近づいてくる。
「……終わったな」
「ああ」
俺は空を見上げた。
世界樹の光が、優しく降り注ぐ。
胸のざわめきは、まだ消えない。
サリアの最後の言葉──
「アニ……ス?」
あの驚いたような表情。
俺の名を、なぜ知っている?
この戦いは、まだ終わっていない。
ノクティアの計画。
セラフィム。
ラグナロク。
すべてが、どこかで繋がっている気がする。
俺は剣を収め、フィオランに言った。
「ありがとう、フィオラン」
彼は少し照れくさそうに視線を逸らす。
「……礼はいい。貴様がいてくれて、助かった」
朝日が、俺たちを照らす。
世界樹の麓で、新たな一日が始まる。
だが、俺の胸のざわめきは──
まだ、消えなかった。
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