第八章 影の帝
南部の交易紛争を鎮め、国王の信頼を一身に受けたクラリッサ――その中に潜む元宦官は、夜の執務室でひとり机に向かっていた。
燭火に揺れる地図の上、彼の指はゆっくりと王都から伸びる権力の糸をなぞる。
「……王妃は孤立、王太子は傀儡。国王は私に頼らざるを得ない。
だが、ここから先は違う……」
クラリッサの瞳に、一瞬、前世の幻影がよぎった。
二世皇帝を操り、天下を意のままにしたあの日。
だが、権力をむさぼるあまり、国は民心を失い、やがて自らも殺された――。
「……かつての失敗を繰り返す愚は犯さない」
低く笑みを刻む。
王宮では、病床のアルフォンス三世の容態が悪化していた。
医師たちは口を濁しつつも、もはや長くは持たぬと告げる。
廷臣たちはざわめいた。
「後継は誰に……」
「王妃は力を失い、王太子は愚昧。だが王家の血筋に替えはない」
クラリッサは沈黙を守りながら、ただ冷ややかに観察していた。
(そう、王位は王太子に渡さねばならぬ。いかに愚かであろうと、正統を否定すれば民は離反する。
私は――表には出ぬ。影として王を操るのだ)
その日からクラリッサは、水面下で動いた。
・王太子の側近はすでに息のかかった者にすげ替え済み。
・商会、領主、軍将校……すべてがクラリッサの印章と恩恵で繋がっている。
「王太子は表に立つ王、私はその背後に潜む影……」
彼は側近たちに命じ、王太子に「賢王を演じさせる台本」を整えさせた。
誤った発言は事前に修正され、決定権はすべて“クラリッサが調整済みの案”に収束する。
廷臣たちはやがて囁き始めた。
「王太子殿下は以前と比べ、随分と落ち着かれた」
「いや、実際にはクラリッサ様が後ろで支えておられるのだろう」
夜、寝所にて。
クラリッサの姿の元宦官は、鏡に映る自らを見つめ、赤い唇に狂気の笑みを刻んだ。
「あはは……表の王座は愚かな王太子に。
でもその背後、王権を縛る糸はすべて我が掌の中にあるわ。
かつては欲に駆られて国を滅ぼした。
だけれども今度は違う……王国は滅ぼさない、従わせるのよ。
永遠に玉座の影に潜み、すべてを操る――“影の帝”として!」
燭火の揺らめきの中、その嗤いは宮廷の壁に長く響いた。




