第三十一章 王の暴走
政務室。
机に広げられた報告書には、伯爵令嬢が各地で民の信頼を集めている様子が記されていた。
クラリッサは書状を見つめ、赤い唇を噛む。
「……この娘を王妃に戻せば、国は安定する。
だが、御子の権威は傷つく……」
アーベルが慎重に言葉を添える。
「クラリッサ様、御子は若く、まだ経験も浅い。
伯爵令嬢の徳を借りるのは、国にとって益ではありましょう」
クラリッサは静かに頷きながらも、心の奥で迷っていた。
母としての情と、治世者としての理が真っ向から衝突していたのだ。
その時、若き王が乱暴に政務室の扉を押し開けた。
「母上! またあの伯爵令嬢の話か!」
彼の目は嫉妬と怒りに燃えていた。
「余の婚約を破棄したのは余自身だ! いまさら引き戻されては、王の威光は地に堕ちる!」
クラリッサは冷ややかに返す。
「威光を守るために国が揺らいでは本末転倒だわ。
王妃とは冠を飾るための存在ではない。国を支える柱よ」
だが王は耳を塞いだ。
「余はもう誰の言葉も聞かぬ! あの女を持ち上げる者はすべて余の敵だ!」
数日後。
若き王は独断で伯爵家に圧力をかけ、領地の税を引き上げ、兵を派遣して監視を始めた。
「余を侮った代償を払わせてやる!」
廷臣たちは戦慄し、民の間には動揺が走った。
「王はなぜ、あの慈悲深き令嬢を苦しめるのだ?」
「王の怒りは我らに向かうのではないか……?」
国益を優先するなら伯爵令嬢を守らねばならない。
だが母としての情は、御子の権威を守りたいと叫んでいた。
クラリッサは夜、誰もいない政務室で嗤うでもなく、ただ深く息を吐いた。
「……帝国では、余は迷わず切り捨てた。
だが今世は……なぜここまで迷うの?
余が築いた黄金期が、子の暴走で崩れるのを、見過ごすの……?」
バルコニーに立ち、王都の灯を眺めながらクラリッサは呟いた。
「奸臣としての理では、王を抑えるべきだわ。
母としての情では、子を守るべき。
だが両方を取ることはできない……」
アーベルは沈黙のまま、主の横顔を見つめていた。
彼の瞳には忠義と同時に、深い憂慮が宿っていた。
そして――
王国の黄金期は、初めて揺らぎを見せ始めた。




