第二十三章 忠義の影
愚王が葬られた夜、宮廷は異様なほど静かだった。
政務室にひとり残るクラリッサの前に、アーベルが進み出る。
「クラリッサ様……」
彼は剣を外し、深々と膝を折った。
「王国のため、そしてあなたのために、私は血を流す覚悟がございます。
ですが……」
その声は揺れていた。
「どうか、あなたには血と策謀だけの生を歩んでほしくはない」
クラリッサは微かに瞳を見開いた。
「……かつて余は帝国にて、ただ権力をむさぼり、誰も信じず、誰からも信じられず、ついには殺された」
クラリッサは低く笑った。
「忠義など虚妄、友も愛も幻。そう信じて疑わなかった」
彼女はアーベルの瞳を見据えた。
「だが、そなたは違うわ。裏切らない。私を利用せず、ただ仕える。
……そんな存在が、この世にあるとは思ってもみなかった。」
その赤い唇に浮かんだ笑みは、冷笑ではなかった。
微かに――震えるような、人の笑みだった。
アーベルはゆっくりと顔を上げた。
「クラリッサ様……あなたはもう“宦官”ではありません。
奸臣でも、孤独な影でもない。
王国の母となり、未来を創るお方です」
クラリッサの胸に、かつて感じたことのない感情が広がった。
それは恐怖にも似ていた。
権力や策謀では説明できぬ、形なき温かさ。
「……あはは……余が、母……か」
彼女は嗤おうとした。
だが嗤いは長く続かず、やがて声は震え、涙が一滴落ちた。
人として
「帝国では持てなかったものを、今世で得た。
子を……忠臣を……そして、絆を……」
クラリッサは己の掌を見つめた。
かつては血塗られた策謀の道具でしかなかったその手が、
今は“未来を抱く”ための手となっていた。
アーベルは静かに告げる。
「その手で、新しい王国を築きましょう。
血と涙のない、あなたが信じられる国を」
クラリッサは深く息を吐き、嗤いとも溜息ともつかぬ声を漏らした。
「あはは……奸臣が人となるなど、滑稽な話よ。
だが――悪くない」
影から光へ
その夜、政務室の窓から見えた月は、奇妙なほど澄んでいた。
クラリッサは思った。
(かつて余は影に生き、影に死んだ。
だが今世は……影のまま、光を支える者であってもよい)
胸に芽生えた温かな感覚は、権力以上に彼女を強くした。




