98.いつもの騒がしい夜
「ロートシュタイン生魚事変」から数日後。
居酒屋領主館では、常連たちが黙々と、しかし至福の表情で寿司を食している。
カウンターには、国王ことヴラドおじさん、グレン子爵、デューゼンバーグ伯爵、カーライル騎士爵、そしてその娘のミラが並んで座っていた。
(いや、この国の中枢が集まってね?)
ラルフは内心でそう思ったが、もう慣れた。彼らにとって、ここは身分を問わず寛げる、まるで第二の家のような場所になっているのだ。
ミラが、炙り用の魔導バーナーを片手に立つラルフに向かって声をかけた。
「マスター、エンガワを炙ってくれないか?」
「はいよー! 《小炎噴射》」
ラルフは惜しげもなく料理に魔術を使う。エンガワの表面を魔力による炎で炙ると、ジュワリと脂が染み出し、香ばしさが付加される。その芳醇な香りは、食欲をそそる。案の定、炙ったエンガワはミラのお気に入りになっていた。彼女は目をつむり、そのとろけるような食感を心ゆくまで味わっている。
「それにしても、エルフを引き入れるとはのぅ」
国王ことヴラドおじさんは、口いっぱいに頬張ったマグロを咀嚼しながら言った。彼は、他のネタには目もくれず、ひたすらマグロ一択だ。いつか、船で海に出てマグロを釣りたいと、たびたび口にしているが、その都度、周りの臣下たちに止められている。国王の身で海に出るなど、とんでもないことだからだ。
その時、居酒屋領主館の片隅から、またいつもの笑い声が聞こえてきた。
「あーはっはっはっ! 回ってるー、回ってるわー! 世界は回るー! あーはっはっはっ!」
エルフのミュリエルが、ドワーフの火酒を飲んで、すっかりフニャフニャになっている。その首根っこを掴んで引きずってきたのが、ラルフの店で働くエリカだ。彼女の金髪ドリルツインテールは、怒りでブンブンと振り乱されている。
「このクソ酔っ払いエルフが?! 毎日毎日タダ酒飲んで! もう寝ろっての!」
エリカは、ミュリエルを雑に引きずりながら、怒鳴りつけた。その声は、居酒屋の喧騒の中でも一際目立つ。
「あーはっはっはっ! エリカちゃん可愛いわねー! ねぇ、チューしよ、チュー!」
ミュリエルは、エリカに抱きつこうと手を伸ばすが、エリカはそれを器用に躱す。
「ちょっと、抱きつかないでよ! 酒臭いのよ! 放しなさい! このド変態エルフがぁ!」
エリカの叫び声が響き渡る。どうやら、人族のエリカは、長命種であるエルフたちにとっては、小さくてとても可愛い存在として認識されるらしい。
実際に、居酒屋領主館で働く孤児たちのことは、エルフ達も本当に可愛がってくれてはいるのだが、ことさらエリカとミュリエルの絡みは、この居酒屋領主館の名物とも言える光景になっていた。
ラルフは、騒がしいにもほどがある、と思っているが、まあ、ちょっとは微笑ましくはある、と内心で付け加えた。
ラルフは愛用の包丁の刃をチェックしながら、国王に尋ねた。
「で? その、宮廷料理人の人が、この居酒屋に来てみたいって?」
国王は、寿司を頬張りながら頷いた。
「うむ。どうやら、そなたに嫉妬しておるようでな」
その言葉に、ラルフは呆れたような顔をした。宮廷料理人からの挑戦状など、もはや面倒なだけだ。
「どうせ。お城でラーメン食いたいとか、寿司が食いたいとか、無理難題を言ってたんでしょ?」
ラルフが問い詰めると、国王は一瞬たじろいだ。
「む? ま、まあ、そうかもな」
国王は、視線を逸らしながら曖昧に答えた。その様子に、ラルフは確信を得た。
「もうこの際だから、はっきりと言っときますけどね。めんどくせぇっす!」
ラルフは、国王に臆することなく、はっきりとそう言い放った。彼の言葉に、国王の顔が引きつる。
「お前が悪い! 先の騒動にしても! 結局お前が原因だろう!」
国王は、身を乗り出してラルフを指差した。
「あれは宰相閣下の早とちりですー! 私はそれを早く収めようと派兵しただけですからぁー」
ラルフは、潔白を主張する。しかし、その弁解は、どこか白々しく聞こえる。
「というか! あの戦力はなんなのだ?! それに、ほとんどの貴族がお前に付いたではないか?!」
国王は、未だに「ロートシュタイン生魚事変」の真相が理解できていないようだ。あの新型魔導戦車のインパクトは、彼の脳裏に深く刻み込まれている。
「知りませんよ! こちとらただ美味いメシを国王さまに食べていただこうとしただけですぅ!」
ラルフは、腕を組み、不機嫌そうに答えた。彼の言葉は、まるで子供の言い訳のようだが、その裏には、彼の揺るぎない信念が隠されている。
「もうこの国が欲しいならやるぞ! お前が国王をやれ?!」
国王は、勢いに任せてとんでもないことを、投げやりな口調で言い放った。
「イヤです! どくせっ! こちとら、しがないただの居酒屋経営者なんですぅー」
ラルフは、顔をしかめて拒否した。彼の望みは、あくまで「美味い飯」を作りながら、テキトーに暮らしたいだけ。
「いや! お前は公爵で領主だからな!」
国王の呆れたようなツッコミが、居酒屋領主館に響き渡る。




