96.ざっくばらんな宴
案の定、その夜の居酒屋領主館は、またもやお祭り騒ぎと化していた。
しかし、もう従業員も常連客も慣れっこで、ラルフが奔走せずとも、居酒屋領主館の前庭には、いつの間にか屋台が建ち並び、提灯の明かりが揺れていた。
市場の露天商たちも、裏口から本日の売れ残り品をバンバン運び込んでいる。
(インターネットも電話すらもないのに、この領の人々の情報伝達能力はどうなってるんだ?)
ラルフは、心の中でだけツッコミを入れておいた。
きっと、彼の奇行の噂は、風よりも早くロートシュタイン中に広がるのだろう。
歓迎会の主役であるエルフたちは、早くも人々の輪の中心にいた。彼らは好奇心旺盛で、人間たちの文化に積極的に触れようとしている。その中でも、特に目を引いたのが、彼らの食に対する旺盛な好奇心だった。
「あーはっはっはっはっ! 肉も魚も食べねぇって? そんなジジババじゃねーんだっけ、もー、領主さまったら。かんべんしてさぁ! あーはっはっはっ!」
ミュリエルは、豪快な笑い声を上げながら、唐揚げを頬張っている。
(何がそんなに可笑しいんだ?!)
ラルフは、さすがにそろそろイラッ! としてしまった。
確かに、元来エルフは森で樹の実やキノコ、豆類を食べていたという伝承がある。
ラルフも、ファンタジーものの定番として、エルフは菜食主義だとばかり思っていたのだ。だが、彼らの話を聞けば、そのような風習はここ三百年くらいで廃れてきたとか。
(勘弁して欲しいのはこっちだ! ファンタジーものにありがちな鉄板設定しか知らんわ!)
ラルフは、心の中で誰かにツッコんだ。自分の持つ「エルフ」という固定観念が、いとも簡単に打ち砕かれていく。
エルフたちは、普通に唐揚げもギョーザもカレーライスもフライドチキンも、人間たちと変わらず美味しそうに食べていた。そして、肉料理に負けないくらい、酒をよく飲むのだ。
「あーはっはっはっ! このレモンサワーって美味ぇねっか! 木の実っぺぇ味なんけど、このシュワシュワがたまんねわぁ!」
ミュリエルは、グラスを掲げながら、嬉しそうに声を上げた。
他のエルフたちも、人間たちとの会話を楽しみながら、次々とカパカパと杯を空けていく。彼らの周りには、好奇心旺盛な冒険者や貴族たちがひっきりなしに話しかけ、賑やかな笑い声が絶えなかった。
「あーはっはっはっ! エルフの里だと、酒なん祭りの日しか飲めねんさねぇ! ここじゃあ毎日飲んでもいいってあんろ? いやぁ、天国みってだねっかー!」
エルフたちの底抜けの明るさと、その独特の訛りは、彼らをさらに魅力的に見せているようだった。
(この世界の人々は、あのエルフたちのキャラに違和感はないのだろうか?)
ラルフは思ったが、もう気にしないことにした。
このロートシュタイン領では、彼の起こすあらゆる「常識破り」な事態が、すでに日常と化しているのだから。
その喧騒の中、ラルフは、エルフたちが南方諸島から持ち込んだ醤油と味噌を使って、早速試作品を作り、常連の何人かに試してもらった。
これこそが、ラルフが目指した完璧なラーメンだ! そう思って、客たちの反応を期待していたのだが、その反応は意外なものだった。
醤油を使ったラーメンの方が洗練されていて美味い! と興奮気味に語る人もいれば、いや、今まで魚醤を使ったラーメンの方が食べ慣れている、と首を傾げる人もいた。賛否両論だ。
(なるほど。確かに、慣れというのは根深いかもしれない)
ラルフは考えた。そして、はじめて食べた物のインパクトというのは、その後の長い人生における味覚の方向性を決める、ということもある。もしかすると、魚醤のラーメンと醤油のラーメンは、全く別物として、メニューを分ける必要があるのか? あるいは、魚醤ラーメンを「昔ながらの味」として残し、醤油ラーメンを「新時代の味」として売り出すべきか? 色々と考えるラルフの頭の中は、複雑な方程式でいっぱいになった。
ただし、チャーハンとギョーザに関しては、劇的に醤油を使った方が良いという意見が圧倒的に多かった。香ばしさ、旨味、そして風味。すべてにおいて、醤油の勝利だった。これについては、「チャーハン王子」ことフレデリック君が、目を輝かせて喜んでいた。
そして、味噌ラーメンに関しては、まさに革命だと言われた。
そりゃあそうだろう。今まで出していたのは、ラルフが自力で試行錯誤して作った、言わば「なんちゃって味噌ラーメン」なのだから。
本物の味噌の風味とコクは、これまで食べたどの料理とも比較にならないほど、客たちに衝撃を与えた。
「あっはっはっは! このカラアゲってのも、美味ぇなぁ!」
ミュリエルは、満面の笑みで、揚げたての唐揚げを手掴みで頬張っている。彼女の口元には、油と肉汁が輝いていた。
(まったく、フォークの使い方すらも教えなきゃなのか?)
ラルフは、内心でそんなことを思った。彼らにとっては、手掴みで食べるのが自然なのだろう。
「それにも頂いた醤油を下味で使ってるんですよ。今までよりずっと美味しくなったと思います」
ラルフが説明すると、ミュリエルは首を傾げながら答えた。
「そーなん? もぐもぐ……、うーん? わかんねわ!」
彼女の言葉に、ラルフは呆れていいのか、感心していいのかわからなくなった。
(味音痴なのかよ?)
いや、そうではないのかもしれない。彼女は、それほど細かい味の違いを気にしない、大らかで素朴な性格なのかもしれない。よくそれで、発酵食品という繊細な食文化を何百年も守り、受け継いできたものだと、ラルフは感嘆した。
彼らにとって、味の追求よりも、先祖から受け継がれた「作り方」そのものに価値があったのかもしれない。
とにかく、彼女ら彼らは、まだ人間たちの金を持っていない。しばらくはラルフが全額持つわけだが、彼らがこの地で醤油と味噌を作ってくれるなら、まあ安い出費なのかもしれない、とラルフは思うことにした。
ロートシュタイン領の食文化は、今、新たな扉を開いたのだ。