91.内臓の味
ロートシュタイン領の冒険者ギルド前に、一台の魔導車が停まった。まだ真昼だというのに、その車から降りてきたのは、この地の領主、ラルフ・ドーソン公爵その人だった。
「ちわー! 領主でーす!」
ラルフは、まるで近所の友人の家を訪れるかのように、気安くギルドの扉を開いて入ってきた。
その声に、奥からバタバタと慌ただしい足音が聞こえ、ギルドマスターが顔を出した。彼の顔には、疲労と、そしてある種の諦めがにじんでいる。
「領主さま! もう三日連続ですよ?! そんなにスイカばっかり持ってこなくても!」
ギルドマスターの非難の声が響く。だが、ラルフはそんなことお構いなしだ。魔導車から巨大なスイカを次々と運び出し、ギルドの広間に積み上げていく。
「いいからいいから。はい持ってって持ってって」
ラルフは、ギルドマスターの抗議をよそに、そこにいた冒険者たちにスイカを勝手に配り始めた。一人一玉、強制的に押し付ける。あまりに巨大なスイカに、ちょっと迷惑そうな顔をする者もいれば、金のない新人冒険者などは、思いがけない恵みに嬉しそうにしている。
「とにかく。もう解体場の方は準備できてますからぁ!」
ギルドマスターは叫ぶ。そんな彼にもラルフはドン! と、スイカを手渡した。
「もう、食べ飽きたんですけど……」
ギルドマスターは、疲れた顔でぼやく。
「じゃあ、誰かにあげて」
ラルフはにこやかにそう言い放つと、冒険者たちの喧騒を背に、ギルドの奥にある解体場へと足を向けた。
解体場は、血と内臓の匂いが充満していた。作業台には、討伐された魔物の残骸が並び、熟練の冒険者たちが黙々と解体作業を進めている。まさにスプラッターな光景だ。映像作品なら、間違いなくモザイクがかかるだろう。
「どうも。領主さま」
「どもども。今日はどんなすか?」
冒険者たちは、ラルフの来訪に驚きつつも、慣れた様子で挨拶を交わす。彼らにとって、領主がこんな場所に顔を出すのは、もう日常の光景なのだ。
「オークが十体、コカトリス二体、あと、珍しいモノとしては、イワトカゲが持ち込まれましたね」
報告を聞きながら、ラルフは作業台に近づいた。
「ちょっと見せてもらっても?」
「どうぞ……」
作業中の冒険者が、血の滴るナイフを置いて、獲物を指し示す。
「はぁ、でっけぇレバーだなぁ。これオーク?」
ラルフは、異様なほど大きな肝臓に目を凝らした。
「こいつは、上位種化してるかもですね。ハイ・オークのなりかけかも」
「で、これがイワトカゲ? これ食えるの?」
灰色の分厚い皮に覆われた、巨大なトカゲの死骸。
「皮は鎧の素材なんかとして使えるほどに硬いですが、身は蛋白で、美味いですよ」
冒険者の説明に、ラルフの思考が巡り始める。彼の頭の中では、すでに新たな料理のアイデアが芽生えていた。
「レバーパテ、あとはやっぱり腸詰めか……いや、そのまま焼いて、ホルモン? ホルモン焼きはワインバーってより、ウチの領主館向きだな」
ラルフは思考の海に深く沈み、ブツブツと呟く。その目は、獲物の内臓をまるで極上の食材であるかのように見つめている。
「本当に内臓なんて食うんですかい?」
冒険者の一人が、半信半疑といった顔で尋ねた。彼らにとって、魔物の内臓は、薬の材料や捨てるべき部位であり、食材という概念は希薄だ。
「何を言うか! 内臓料理は王都では高級品だよぉ。知り合いのデューゼンバーグ伯爵がやってる店でも出してるが、貴族御用達だけど、大好評なんだぞ」
ラルフは、得意げに胸を張って言った。
「はあ……そうなんすか」
冒険者たちは、いまいちピンとこないといった顔をしている。彼らの常識とはかけ離れた話だから無理もない。
「ちょっと試してみるか! 食堂を借りよう!」
ラルフは、突然閃いたようにそう言い放つと、躊躇なくギルドの食堂へと向かった。
ギルドの食堂には、巨大な鉄板が備え付けられている。
ラルフは、血と内容物で汚れたホルモン(魔物の内臓)を、ギルドの者から借りた桶でしっかりと洗い、丁寧に下拵えを施した。そして、我が物顔で厨房に立ち入っていく。
しばらくして、ジュージューと、鉄板の上でホルモンが焼ける音が響き渡る。香ばしい匂いが、ギルドの食堂に充満し始めた。昼間っからギルドでダラダラしていた冒険者たちが、その匂いに釣られて、一人、また一人と集まってくる。彼らの顔には、好奇心と、わずかな警戒心が入り混じっていた。
「何焼いてるんです?」
一人の冒険者が、遠慮がちに尋ねた。
「オークの内臓」
ラルフは、悪びれる様子もなく、涼しい顔で答える。
「はっ? うえっ」
冒険者たちは、一斉に顔をしかめた。その中には、吐き気を催す者もいる。彼らにとって、オークの内臓など、考えただけでもぞっとする代物なのだ。
「失礼な奴だなぁ。食べてみたまえ!」
ラルフは、焼けたホルモンをトングで挟み、皿に乗せて差し出した。
「い、いや。あんまり、腹減ってなくて」
冒険者たちは、後ずさりする。
「じゃあ、これ一切れ食べて、不味かったら金貨一枚やる」
ラルフは、にこやかな笑顔で、金貨を取り出した。
「ほ、ほんとですかい?!」
その冒険者の目に、金貨の輝きが飛び込んできた。朝イチに張り出される割のいい依頼にはあぶれてしまったが、このゲテモノを口に入れるだけで金貨一枚。 これはツイてたなぁ、と思った。
コッテリとした、おそらくラルフ特製のソースが絡めて焼かれたそれは、意外に良い香りはする。だが、見た目はやはりグロテスクだ。
冒険者は意を決して、ホルモンを一口、口に運んだ。
「もぐもぐ、……む? うん。え? 美味っ! あっ?! 今のなし! 今のなし!」
咀嚼するごとに、口の中に広がる濃厚な旨味。臭みは一切なく、適度な歯ごたえと、ソースの甘辛さが絶妙に絡み合う。
思わず「美味っ!」と口にしてしまった冒険者は、その言葉を慌てて訂正しようとしたが、もう遅い。彼の顔には、驚きと、そして確かな感動が浮かんでいた。
その瞬間、ギルドの食堂には、どよめきが起こった。