表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/256

85.すべてを断ち切る光

 水上都市での騒動から数日後。


 居酒屋領主館は、今日も活気に満ちていた。香ばしい出汁の匂いが店内に満ち、客たちの賑やかな話し声と、酒を酌み交わす音、そして皿の触れ合う乾いた音が心地よいBGMとなる。厨房では、ラルフが慣れた手つきで太い大根をザクリ! と力強く切り分けていた。煮物用の具材だろうか、その切り口は鮮やかで、包丁の腕前も相変わらずだ。


 給仕係としてフロアを回るのは、アンナと、そしてエリカだ。エリカは文句を言いながらも、手際よく料理を運び、客の注文を取っている。最近は競馬で稼ぐという目標があるためか、以前にも増して熱心に働いていた。


 そんないつもの光景は、ある人物が姿を現したことで打ち砕かれた。


「だから! 私は奴隷だって言ってるでしょう!」


 エリカの甲高い声が店内に響き渡る。その声の先には、先日水上マーケットで遭遇した、あの派手な服の男。ランドルフ第七王子が、憤慨した様子で立っていた。


「ならば何故にそんなにも勝手気ままに動きまわっているのだ?! そんな自由な奴隷があるものか!」


 王子は顔を赤くして叫ぶ。その声には、理解不能なものに直面した時の苛立ちが色濃く表れていた。

 ラルフは、大根を切り終えた包丁を置き、ごつりと頭を抱えた。ああ、やはり来たか。


「貴様ぁ、相変わらず卑劣な! 私に、怪しげな魔術をかけたなぁ?!」


 ランドルフ王子はエリカを指差し、そう叫んだ。その非難の言葉は、ラルフの耳には、痛い。


「あたしじゃないわよ!」


 エリカはすぐに反論する。確かに、それは濡れ衣だ。その怪しげな魔術をかけたのは、他でもないラルフだからだ。


 その騒動に、居酒屋の客たちは静まり返るどころか、面白がって野次馬と化していた。彼らにとって、目の前で繰り広げられる痴情の縺れは、最高の酒のツマミだ。しかも、若い、いや、幼い二人による痴話喧嘩は、どこか微笑ましくも見えるのかもしれない。彼らの間からは、ひそひそと笑い声や、「あらまあ」「おやまあ」といった感嘆の声が漏れてくる。


「何度も言ってるけど! あんたの恰好ダサいからね!」


 エリカは、顔を真っ赤にして反論する王子に、追い討ちをかけるように言い放った。その言葉は、ランドルフの最も触れられたくない部分を的確に突いたらしい。


「な、な、何を言うのだ! 学園のハニー達は皆褒めてたではないか?!」


「ハニー?」ラルフは、手元の太い大根を思わず力強くザクリ! と再び切りつけた。彼の表情には、眉をひそめるような、どこか嫌悪にも似た感情が浮かんでいる。

 この世界の王族ともなれば、婚約者以外の女性を囲うことも珍しくない。前世の感覚を持ち合わせているラルフが珍しく身持ちが堅いだけ、という残酷な現実を、彼は無意識に理解していた。


「あんたが王子だから言い寄ってきたバカどもじゃない! あたしが追い払ってやってたのもわからないの?! 本当にバカね!」


 エリカの怒声が店内に響く。その言葉に、ランドルフの顔色はみるみる青ざめていく。


「なっ! なっ? な!?」


 王子の動揺は尋常ではない。どうやら、先日ラルフが気を失わせた従者を放っておいたのが失敗だったようだ。

 あの従者は意識を取り戻し、その前に見た光景、つまりランドルフが水に落ちた一部始終を王子に語ったらしい。その情報によって、ランドルフは失われた記憶を取り戻したのだ。そして、過去の出来事も、鮮明に蘇ってきていた。


「あんた! 昔からそうなのよ! 本当に他人の言うことばっかりで! 何も自分で決めないじゃない?!」


 エリカの言葉は、怒りから悲しみ、そして呆れへと変わっていく。その核心を突いた言葉は、ランドルフの心に深く突き刺さった。彼の肩が小さく震える。


 その時、居酒屋の戸がガラリと開き、デューゼンバーグ伯爵が来店した。彼は店内の光景を目の当たりにし、「あちゃー」という顔をした。

 娘であるエリカと元婚約者がこのような場で修羅場を繰り広げているのだから、無理もない。伯爵の顔には、長年溜め込んだ疲労と、諦めにも似た感情が滲み出ていた。


「貴様が私のハニー達に行った極悪非道の数々は証拠として挙がっているのだぞ!」


 ランドルフは、震える声でエリカを指弾する。その台詞を聞いた彼の父親、国王ウラデュウス・フォン・バランタインは、カウンターでトンカツとビールを嗜んでいたが、堪えきれないとばかりに顔を覆うようにした。

 王として、息子の醜態を公衆の面前で曝されるのは、さすがに堪えたのだろう。


「あいつら! 影ではアンタの服装のダサさを噂してたからね!」


 エリカの言葉は、ランドルフの最後のプライドを打ち砕いた。


「そ、そ、そんなはずはない! そもそも、貴様がこういう恰好を好んだのではないか?!」


 ランドルフは、もはや怒鳴り散らすように反論した。彼の言葉には、必死の自己弁護と、混乱が入り混じっている。


「んー?」ラルフは首を傾げた。どういうことだろう?


「あんたは顔が地味だから、少しは王子さまらしくしなさいとは確かに言ったわよ! でも、それ、5歳の時の話よ! 気持ち悪いわね!」


 エリカの衝撃的な告白に、ラルフはハッと目を見開いた。「あー。どうやら。第七王子とエリカは幼馴染なのか」と、ようやく理解した。そして、5歳の時の言葉を真に受けて、未だにそのファッションセンスを引きずっているランドルフの純粋さと、それに「気持ち悪い」と言い放つエリカの容赦なさに、複雑な感情を抱いた。


「き、き、気持ち悪いと?! や、や、やはり、この場で斬って捨ててやる!」


 ランドルフは、もはや理性を失ったかのようにサーベルの柄に手をかけた。だいぶヒートアップしてきたその茶番劇を、客たちはさらに楽しんでいる。拍手さえ起こり始めた。


 ラルフは、それ以上事態が悪化する前に、カウンターから顔を覆う国王と、狼狽しているデューゼンバーグ伯爵に近づき、なにやらコソコソと相談をはじめた。

 彼らの間では、短い言葉が交わされ、頷き合い、そして、何か重大な決定が下されたようだった。


「やれるもんならやってみやさいよ! 第七王子程度が、仮にも公爵さまの領地でその奴隷を切り捨てるなんて、どうなるかわからないのかしら?! 本当にバカなのね!」


 エリカの言葉は、冷たく、そして明確にランドルフの現状を突きつけた。ラルフの領地であること、そして「奴隷」であるとはいえ、ラルフの所有物である自分に危害を加えることの意味。その言葉に、ランドルフはカランッと音を立てて、サーベルを手からこぼれ落ちさせた。彼の表情から、すべての気力が抜け落ちたようだった。


 そして、その場に崩れ落ちるように膝をつき、絞り出すような声で呟いた。


「な、な、何故だ? ……何故、貴様は、私を、私を、本当の私を、でも、私を、見てくれるのは、……エリカだけ。君だけだったのに。それなのに……何故」


 あー。第七王子。さめざめと涙を流しはじめちゃったよー。

 ラルフは、その光景を目の当たりにして、はっきりと気づいた。

 おそらく、ランドルフ殿下は、本当にエリカの事が好きだったのだ。

 そして、彼が期待したエリカの気持ちの形が、殿下の期待とは違ったのだ。

 彼もまだ若い。そのようなすれ違いや、感情の掛け違いを許容できなかったのだろう。

 しかし、皮肉なことに、本当にランドルフという人間を見ていたのは、エリカだけだったのかもしれない。「可愛さ余って憎さ百倍」、この言葉が今の二人にはぴったりと当てはまる。


 ラルフは、再びデューゼンバーグ伯爵とウラデュウス国王とコソコソと相談をはじめた。彼らの顔は、もはや息子や娘の騒動に諦めと疲労の色が濃い。


「エリカって、結局なにしたんすか?」


 ラルフが小声で尋ねると、国王は小さくため息をつきながら答えた。


「う、うむ。ランドルフのあの悪趣味な服装が我慢ならなくなったとかで、晩餐会の当日、彼のクローゼットに火を放ったのだ」


 うわー、やりかねねぇ。


 ラルフは内心でそう思った。というか、つまり、王城に放火したと? 奴隷落ちで済んでよかったな、とも思った。とんでもない女だ。

 しかし、事あるごとに、エリカは謎の野心を滲ませる発言をしている。中には王位簒奪を匂わせるものまであったが……。


 たまらず、ラルフはエリカ本人に聞いてみた。


「おい、エリカ。お前、王国の中枢に食い込んで、何がしたかったんだ?」


 エリカはきょとんとした顔でラルフを見上げ、意外なほどあっさりと答えた。


「は? 別に何も。……ただ、楽に暮らせて、美味しい物を毎日食べられたら、それで良かったんだけど?」


「うーわ、行動原理、割と僕と一緒じゃん」


 残酷な真実に、ラルフ・ドーソンはいたたまれないほどのシンパシーを感じた。自分の奥底にある怠惰な欲望と、エリカの行動原理が驚くほどに酷似している。彼の疲労感は、一瞬にして深い共感へと変わった。


「そこに愛はなかったのか?! エリカ・デューゼンバーグ?! お前なんかな! お前なんかなぁ! ああああ!」


 もはや王子はご乱心気味だ。その叫びは、居酒屋の天井に吸い込まれていく。客たちは、まだこの茶番を楽しんでいるが、そろそろ限界だろう。


 またもや、ラルフはデューゼンバーグ伯爵と国王と、カウンター越しにコソコソと最後の相談をしている。そして、ラルフは意を決したように、二人に顔を向けた。


「はあ、……王子殿下。王族の男子たるもの、人前で涙など、簡単に見せるものではありませんよ。……そんで、エリカ。お前、もう。じゅうぶんにウチに貢献してくれたよ。ありがとな。⋯⋯もう、いい。全部忘れて、しがらみもすべて断ち切って。自由になれ」


 ラルフは右手の人差し指をスッと立てた。その先に、強大な魔力が、目に見えるほどの光の粒となって集まっていく。そこにいる人々は、何事かと、それを凝視した。デューゼンバーグ伯爵と、国王は、ラルフの意図を察したのか、何故か顔を背けている。


「《記憶消去ニューラライズ》」


 瞬く刹那。


 その夜、居酒屋領主館にいたすべての人物は、眩い光を見た。

 気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ