82.再会は突然に
王族の別荘が滞りなく完成し、クレア王妃主催の「お茶会」当日。ラルフは内心では「面倒だなぁ」と感じていたが、よくよく考えてみれば、自分がやるべきことはそれほど多くないことに気づいた。
新作の甘味と飲み物を提供すれば、あとは有能な従者たちや各々のメイドが雑務をこなしてくれる。そう思うと、少しばかり気が楽になった。
ラルフは、新作スイーツのイチゴ大福や餡蜜パフェを丁寧に魔導保冷箱に詰め、アンナに持たせた。自身は小舟に乗り込み、水上をゆらゆらと揺蕩う。心地よい湖面の揺れに、わずかながら心の安らぎを感じていた。
水上マーケットは、この日、これまでになく賑わっていた。クレア王妃のお茶会に参加する奥方たちに連れられて、貴族の旦那衆が大勢訪れているのだ。彼らは遊覧船に乗ったり、屋台で珍しい料理に舌鼓を打ったりと、思い思いに水上都市の観光を楽しんでいた。
「カレー饅頭はいらんかねぇ! ピリリと辛い、カレー饅頭だよぉ!」
ラルフの小舟には、エリカが同乗していた。彼女は小舟や遊覧船の乗員相手に、自作のカレー饅頭を精力的に売っている。近頃、競馬にドハマりしている彼女は、その元手を作るために、割と積極的に労働に勤しんでいた。
(というか、こいつ奴隷だったよな? 金を貯めて自分自身を買い戻す気はあるのか?)
ラルフはそんなことを思ったが、口には出さない。以前、その類の言葉を口にしたとき、彼女のドリルツインテールが物理的にラルフの顔面を襲った苦い経験があったからだ。魔術のエキスパートであるラルフでさえも、あれがいったいどういう原理であったかは謎だ。
「一つくれ!」
「はいよー」
エリカのカレー饅頭は、その珍しさと香ばしさで、意外なほど売れ行きが好調だ。エリカの顔には、カレー職人としての確かな手腕と、いつかの競馬での負けを取り返そうとする執念が入り混じった表情が浮かんでいた。
とその時だった。
「面白いものを売っているな! 一つくれ」
聞き慣れない、しかしどこか傲慢な響きを持つ声が、すぐ近くから聞こえた。
「はいよ……、ん? ゲッ!」
エリカが、普段の澄ました態度からは想像もできないような、汚い声を上げた。その顔には、驚愕と、心底嫌悪しているような色が浮かんでいる。
「ん? ……は? き、貴様?! なぜこんなところに?!」
ラルフは声の主を目で追った。そこにいたのは、貴族風の、派手な恰好をした若者だった。
繰り返しになるが、それはとてもとても派手な恰好で、そのけばけばしさは、水上マーケットの鮮やかな色彩の中でも異彩を放っていた。
「ラ、ランディ……、うっわ、最悪……」
エリカが絞り出すように呟いた言葉に、ラルフは「ランディ? んー?」と記憶を辿り、ハッと息を呑む。
「あっ、ランドルフ第七王子だ!」
そして、その意味するところを理解した。ランドルフ第七王子といえば、エリカの元婚約者である。婚約破棄の末に、エリカが奴隷落ちする原因となった張本人だ。まさか、こんな場所で鉢合わせるとは。
「き、貴様! 奴隷落ちしたのではなかったのか?!」
ランドルフ第七王子は、エリカの姿を見て激昂したように叫んだ。彼の顔は怒りで歪んでいる。
「えー、あー。はぁ、まあ。奴隷ですが、一応」
エリカは、どうでもよさそうに、しかし挑発的な態度で答えた。その気のない返事が、ランドルフの怒りの火に油を注いだ。
「もう二度と顔を合わせることもないと思っていたが。かくなるうえは、⋯⋯ここで手討ちにしてくれる!」
ランドルフ第七王子は、腰に提げた煌びやかなサーベルに手をかけた。その動きは、まるで芝居でも見ているかのように大袈裟だ。水上マーケットの喧騒が、一瞬、遠のいたように感じられた。
「ふんっ!」
エリカは、ランドルフ殿下の乗った小舟の縁を、容赦なく、そして正確に蹴り上げた。
「えっ?! うわ、うわー!」
ランドルフはバランスを崩し、その派手な衣装が水面に触れそうになる。王子御付きの従者は、突然の出来事に目を丸くしている。
これは、とてもとてもマズイことになった。と、ラルフは思った。




