80.湖上の離宮
魔導車(試作弐号機:ネクサス)で水上都市へと到着したラルフ一行は、その活気に目を見張った。
以前にも増して人通りが多く感じられ、岸には色とりどりの屋台が軒を連ねている。
どうやら、この地でもカニの養殖が始まったらしく、屋台の前に高く積まれた真っ赤に茹で上がったカニの山を見て、ラルフは思わずゴクリと喉を鳴らした。前世が日本人だった彼にとって、やはりカニには目がない。香ばしい湯気と特有の香りが混じり合い、食欲をそそる。
もちろん、水上マーケットも盛況だった。様々な小舟が彩り豊かに湖面を滑り、遊覧船相手に商売をしている。ラルフたちは貸し船屋で小舟を借り、その賑やかな水上へと漕ぎ出した。
「うわー!すごーい!」
身を乗り出すようにして、ミンネが歓声を上げた。彼女の瞳はキラキラと輝き、水上の景色に心を奪われているようだった。
「おっきい!」
ハルもまた、両手を広げて興奮気味に叫んだ。彼女の猫耳がぴくぴくと揺れている。水上都市のスケール感は、幼い二人の心を強く揺さぶったようだ。
ラルフは遠くに見える王族の別荘に目を凝らした。
「なるほど。さすがに水上に造ったわけではないのか」
予想していた通り、別荘は岸に大部分の基礎を打ち、建屋の一部が湖面にせり出すような形になっていた。ラルフは前世の浜離宮恩賜庭園を思い出した。
水面に映る建造物の姿は、まさに絵画のようだ。
近づくにつれて、大工たちがトンテンカンとトンカチを鳴らす音が聞こえてくる。まだ建設中のようだが、その荘厳な佇まいはすでに人目を引くものがあった。
「これは、もしかしたら見物客が増えるかもしれませんね?」
アンナが冷静に言った。
「確かになぁ」
ラルフも同意した。王族専用の別荘であるため、平民が中に入ることはできないが、その美しい景観は一見の価値があるかもしれない。湖面に静かに佇む離宮と、水面に上下反転して映るその姿は、まるで夢の中にいるかのような幻想的な光景だった。
以前、クレアさまは「あそこでお茶会を開くのが楽しみなの!」と語っていたそうだが、ラルフの頭に浮かんだのは、全く別の、もっと俗っぽい光景だった。
「あそこから釣り糸を垂らし、釣れた魚を七輪で炙りながら、胡座をかいて米酒をぐいっとやるのは気持ちよさそうだなぁ」
そんなことを考えてしまい、思わずニヤニヤしてしまった。優雅なティータイムとは程遠い、居酒屋領主らしい発想である。
「あっ、クレアさまだ!」
その時、ハルが水辺に佇むクレア王妃の姿を見つけた。彼女は猫耳獣人なので、目がいい。その小さな指が指し示す先には、確かに見慣れた王妃の姿があった。
「クレアさまー!」
ミンネが思いきり叫んだ。二人の声は、広大な湖面に響き渡り、クレア王妃の耳にも届いたようだ。
すると、水辺に立っていたクレアが、満面の笑みで大きく手を振った。
「ミンネちゃーん! ハルちゃーん! 久しぶりー!」
クレア王妃の歓喜の声が、湖上を渡って届く。彼女の表情は、別荘の建設状況を見に来たというより、大切な友人との再会を喜ぶ少女のそれだった。ハルとミンネは、まさか王族であるクレアさまが、ここまで自分たちを歓迎してくれるとは思っていなかったようで、顔を見合わせ、はにかんだような笑顔を浮かべた。
ラルフは、この光景を見て、少しだけ胸を撫で下ろした。これならば、子供たちを連れてきた甲斐があったというものだ。




