8.革命前夜のプレオープン
いよいよ、居酒屋領主館のプレオープン当日を迎えた。
ラルフは、完成したばかりの暖簾を眺めながら、満足げに頷いた。
領主館の一階は、温かみのある木の内装と、柔らかい光を放つ魔石の照明によって、まるで別の建物のように生まれ変わっている。厨房と客席を隔てるカウンターは、まさに居酒屋の象徴だ。
プレオープンにあたり、まずは貴族たちへの案内が必要だった。
形式上、領主としての面子を保つためだ。ラルフは、アンナに相談しながら、以下のような文面をしたためた。
「拝啓、時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、この度、私ラルフ・ドーソンは、領民の皆様との交流を深めるべく、領主館の一階を改装し、新たな社交場を設ける運びとなりました。
つきましては、ささやかながらプレオープンを執り行いたく、ご多忙の折とは存じますが、ご都合がよろしければ、ぜひ足をお運びいただければ幸いです。
なお、当施設は、身分問わず、領民の皆様に広くご利用いただけるよう、趣向を凝らした造りとなっております。貴族の皆様におかれましては、普段とは異なる賑わいを、どうぞお気軽にお楽しみください。
敬具」
「うむ。完璧だ。庶民も来やすいように、それでいて貴族の面子も保たれる。アンナ、流石だな」
ラルフは、自画自賛気味に頷いた。アンナは、呆れたような視線を向けながらも、手際よく招待状を準備していった。
次
に、ラルフが目をつけたのは、冒険者ギルドだ。結局のところ、この領で最も稼いでいて、金払いが良い庶民階級は、冒険者たちに他ならない。彼らは日頃の激務のストレスを、酒と豪遊で発散する傾向がある。
「ギルドマスター、実は頼みがあるんだ」
ラルフは、ギルドマスターに直談判し、ギルドの掲示板に居酒屋領主館のチラシを貼らせてもらった。そこには、エールとワイン、そして見たこともない料理の数々が描かれている。
そして、商人ネットワーク。商人たちは、どんな小さな噂や風潮にも敏感だ。それは、どんな些細なことでも商機を逃すまいとする、彼ら特有の嗅覚に他ならない。面白そうな話には目がなく、情報の伝播も恐ろしく速い。
「あの公爵様が居酒屋を始めるらしいぞ!」
「しかも、領主館の一階を改築して、庶民も入れるらしい!」
「なんでも、見たことのない珍しい料理が出るって話だ!」
あっという間に、噂は領地中に広まっていった。
メニューは、プレオープンということで、まずは厳選して絞り込んだ。
ドリンクは、ラルフが心血を注いで開発したフレーバービールの数種類と、この世界で一般的なワイン。
そして、酒が苦手な者向けに、甘くて爽やかなノンアルコールビールと、新鮮な果実を絞った果実ジュースを用意した。
料理は、まずお通しとして、無料の塩ゆで青豆。これは、ラルフが孤児院と契約を結び、孤児たちの手によって作られたものだ。
メインは、試作を重ねた餃子、
シャキシャキとした食感が特徴のパリパリキャベツサラダ、
そして、誰もが病みつきになるフライドチキンと、子供たちにも大人気のフライドポテトだ。
そして、開店の時を迎える。
ラルフはカウンターの中に立ち、包丁を手に準備万端だ。
厨房の奥では、ミンネとハルが、慣れないながらも一生懸命に野菜を洗ったり、肉を切ったりしている。エヴリンは、少し離れた場所で、指示を出しながら彼女たちを見守っている。
客席では、アンナがメイドたちに指示を出し、最終確認を行っている。メイドたちは、いつもと違う役割に戸惑いながらも、どこか期待に満ちた表情を浮かべていた。
開店時刻になると、店の扉がゆっくりと開かれた。
「いらっしゃいませー!」
アンナの凛とした声が響き渡る。
最初に足を踏み入れたのは、やはり冒険者ギルドの面々だった。彼らは、掲示板のチラシを見て、興味津々といった様子だ。
次いで、商人らしき男たちが、物珍しそうに店内をきょろきょろと見回しながら入ってくる。
そして、少し遅れて、貴族の姿もちらほらと見え始めた。
彼らは、他の客たちとの混雑に、わずかに眉をひそめながらも、好奇心には逆らえなかったようだ。
「お、おい! このエール、なんだ!?」
「すげぇ! 飲んだことない味だぜ!」
フレーバービールを口にした冒険者たちが、次々と驚きの声を上げる。特に、シトラスビールは、その爽やかな香りと飲みやすさで、瞬く間に人気を集めていた。
「この揚げ物、香ばしくて美味いぞ!」
「なんだこの『ギョーザ』ってやつは!?
あつっ! 肉汁がたまらねぇ!」
料理が運ばれるたびに、客たちの興奮は高まっていく。
フライドチキンは、そのジューシーさとスパイスの利いた味付けで、飛ぶように売れていく。餃子もまた、一口食べれば病みつきになる、この世界では体験したことのない新しい味として、熱烈な支持を得ていた。
「領主様! 塩ゆで青豆追加で!」
「フレーバービール、もう一杯!」
「餃子、あと五皿!」
注文が殺到し、厨房は一気に戦場と化した。
「 ポテト揚がったかー!?」
「ミンネちゃん! 餃子の餡、もうないぞー!」
ラルフと年長の孤児たちの怒号が飛び交う。彼らの顔は、熱気と汗で真っ赤になっているが、その目は生き生きと輝いていた。
「シスター・エヴリン! こちらのテーブルに、フライドチキンを!」
エヴリンは、戸惑いながらも、次々と運ばれてくる料理を客席へと運んでいく。
彼女の顔には、まだ困惑の色が残っていたが、それでも、活気ある店内で、子供たちが生き生きと働いている姿を見ているうちに、少しずつその表情が和らいでいくのがわかった。
アンナもまた、右へ左へと客の注文をさばき、メイドたちに的確な指示を出している。その姿は、まるで熟練の女将のようだった。
居酒屋領主館の初日は、まさに戦争のような忙しさだった。しかし、その喧騒の中には、確かな活気と、人々の笑顔が満ち溢れていた。この日、ラルフが作り上げたのは、単なる酒場ではない。この領地に、そして人々の心に、新たな喜びと交流の場を創り出したのだ。