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77.ブラック企業戦士たち

 ラルフ・ドーソン公爵は、いつかこのロートシュタイン領で「長期休暇」という概念が当たり前になることを夢見ていた。

 転生者である彼にとって、心身のリフレッシュは極めて重要だ。忙しすぎる日々から抜け出し、何もしない贅沢を味わう。そんな時間こそが、明日への活力を生み出すと信じていた。そして、いつか全てが落ち着いた暁には、経営者である自分自身にも、堂々と長期の休みを取れるような風潮が醸成されるはずだ!


 と、そんなことを考えている時もあったのだ。


「おい! ミンネ、ミンネちゃんや。なんで働いてるのぅ? 君シフト見たでしょ? 長期休みなんだから、休んでいいんだよ?」


 ラルフは領主館の厨房で、甲斐甲斐しく皿を拭くミンネに駆け寄った。まだ幼い少女が、健気に働く姿に胸が締め付けられる。有給休暇制度を導入し、従業員全員に長期休暇を申請させたはずなのに、なぜここにいるのか。


 ミンネはきょとんとした顔でラルフを見上げ、小首を傾げた。


「休む、って。毎日ちゃんと休んでるし」


「いや。それは休憩であって休暇ではなくてだねぇ……」


 ラルフは困惑した。この世界では、「休む」という言葉が指す意味が、彼が前世で認識していたそれとは大きく異なっているようだった。休憩は休息のことであり、休暇は連休を指す。この概念の乖離が、まさかこんな形で立ちはだかるとは。


「……って、ハルー! ハルちゃんやぁ、君もかぁ?」


 振り返れば、ハルまでも、懸命に床を拭いていた。額にはうっすらと汗が滲んでいる。彼女の有給休暇も今日から始まっているはずなのだ。


「わ、わたしも、やることがあった方が……」


 ハルはバツが悪そうに視線を逸らした。


 マズイ。これは非常にマズイ状況だ。ラルフは頭を抱えた。どうやらこの世界の孤児たちは、生まれながらにしてブラック企業戦士と化してしまっているらしい。彼らは「働くこと」こそが美徳であり、労働こそが自己存在意義であるとでも教えられているかのようだ。


 そもそも、この世界には「余暇」という概念が乏しいのかもしれない。娯楽が少ないこの世界では、労働こそが唯一の生産的な活動であり、それ以外の時間は無駄なもの、怠惰なものと見なされているフシがある。ラルフがいくら「休んでいい」と言っても、彼らにはそれが贅沢で、もしかしたら悪徳ですらあるように感じられているのかもしれない。


 その時、厨房の裏にある搬入口が大きく開いた。


「ちわーす! 麺の納品に上がりましたぁ!」


 威勢のいい声と共に、大量の木箱を抱えた男が入ってきた。ラルフが経営する製麺工場の工場長、トムだ。


「おーいー! トム! トム君やぁ! 君も今日から長期休みだからぁ!」


 ラルフは両手を広げてトムに駆け寄った。トムは十六歳になったばかりで、ラルフの感覚では遊びたい盛りのはずである。まさか彼まで働いているとは思いもしなかった。

 トムはバツが悪そうに頭を掻いた。


「えっ、いや。その、部屋にいても……工場の皆は、ちゃんとやれてるかなぁって。なんだか不安になっちゃって」


 彼の表情には、ラルフが教え込んだ製麺技術への責任感と、工場を任された者としての使命感がにじみ出ていた。しかし、その根底には「休むことへの罪悪感」のようなものが垣間見えた。


 マズイ。これは非常にマズイ。


 ラルフは深刻な面持ちになった。子供たちが幼いうちから「働かざる者食うべからず」という極端な思想に囚われ、休みなく働き続けることを当然だと考える。これは、彼らの成長にとって、精神的にも肉体的にも決して良いことではない。もしもラルフが悪徳領主ならば、領民が勝手に働き続けてくれるのだからこれほど喜ばしいことはないだろう。だが、そうはなり切れないのが、彼の悲しいさがなのかもしれない。


 前世では、社会問題としてブラック企業が取り上げられ、過労死やメンタルヘルスといった問題が蔓延していた。このままでは、この異世界でも同じ悲劇が繰り返されかねない。


 ラルフは頭を抱え、考える。そもそも、自分は前世ではどんな余暇の楽しみ方をしていたっけ?


 記憶を辿る。


 昼過ぎまでダラダラ、ゴロゴロ。

 スマホでソシャゲ、YouTube、サブスクでドラマ。夕方から立ち飲み屋巡り。


「うん! ダメだダメだ!」


 ラルフは勢いよく頭を振った。


「ダメ人間の典型だ!」


 そんな堕落した生活を、純粋な子供たちに推奨するわけにはいかない。

 しかも、この世界には、前世のような高度なエンターテイメントコンテンツがほとんど存在しない。スマホも、ソシャゲも、YouTubeも、サブスクも、全てがここにはないのだ。


 そうだ。前世の娯楽に囲まれた環境から一転、何もないこの世界に来たからこそ、ラルフは退屈しのぎに魔法研究と研鑽に勤しむことができたのだ。その結果、今や誰もが認める大魔道士という称号まで得られたわけだ。


 なるほど。エンタメと、リスキリング。


 ラルフの頭の中で、ぼんやりとだが、孤児たち、いや、この領地の住民全体に必要なものが、おぼろげながら見えてきたような気がした。

 単に休ませるだけではダメだ。休みの間に、彼らが心から楽しめること、そして、彼らの未来につながる何かを、与えてやらなければならない。

 ラルフの脳裏に、新たな計画が浮かび上がる。彼にしかできない、異世界での「余暇文化」の創出。それは、グルメの発明に続く、新たな挑戦となるだろう。

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